- ベストアンサー
人を軽蔑しないようにするには
人を遠くから観察していると、誰も見ていないところでも誠実で親切で 真摯な人がいます。そういった人は人に対してもモノに対してもそうで見ていて敬意と感服の気持ちでいっぱいになりますが、自分はどうかというとなかなかそうはいきません。むしろ何かと軽蔑した態度を、知らず知らずにとってしまっていて相手に不快感を与えているのではないかと思ってしまいます。 そこで質問です。みなさんは他人のどのような態度に『バカにされた』と感じたことがありますか?また他人のどのような態度に『なんと真摯だ』と感じますか?またどのように心掛ければ誠実で真摯な態度が身に付くでしょうか?(育ち?どのような教育?) 大人になってからでも改めることができる方法を教えてください。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
相手の目を見て話を聞いてない、経過や考え方を意見しているのに返ってきた答えが「そもそもおかしいでしょ」とか「だったらするな」とか根本から否定した意見を一発で済ませる人。多人数としゃべっていて、話の途中で他の人に相槌している人。悩みを相談すると「じゃあすれば」の一言。楽しそうにしゃべっているところに「どこが面白いの?」とか「悩みないの?」とか。 相談事を受ける側として、また世間話を聞く側として、仮に否定的な意見が浮かんでも、一発で流さない。全てを聞いてあげることを大切にしたいですね。 その人がとった行動に対して納得できなくとも理解はしたい。 軽蔑するまえに、自分がどれほどの人間かを知っておきたいですね。 また、自分のがんばってきたことや、苦労してきたことは周りの人も同じようにやってきたことを前提に付き合いたいものです。 あなたが知らずにとってしまった行動の反応を気にすることを相手への気配り、心配りと思って自分を褒めてあげてください。 そして、その気持ちは相手にも誰にもあるんだと解釈してください。 八方美人では余計つかれますが、心の許せる、大切にしたい人だけに気を配ることで、人はつながっていけると思います。 決して人から褒めてもらうためだけの行動は慎んだほうがいいと思います。自分を見つめなおすのに年もタイミングも関係ありません。
その他の回答 (5)
自分が「バカにされた」ように思う時は、例えば自分がうわべとかで簡単に判断されてレッテルを貼られる感じで、かつ否定的な態度である場合です。それがもし肯定的なら気分的には悪くはないですが、あまりよく分かってない人だと思ってしまいます。 「真摯」という言葉は正直馴染みがないので、ここではそれについての自分の考えは控えますが、「誠実」について少し述べます。誠実さ自体は、捉え方としては難しくはなく単純なものだと思いますが、実行することは難しいと思います。自分の捉え方としては、対人関係を真正面から向き合うことにして、自身の心の中(良心)と対話しながら相手と接する感じです。自分を好く思ってくれている人に対しては、今述べた感じで自分も出来るような気はしますが、そうでない場合は難しいです。
お礼
そうですよね、自分に嘘をつきたくないので私も自分の心の中とよく確認して言動しようとは思っています。しかし、好く思ってくれている人に素直に誠実に接することができなかったり、反対に、否定的な人に媚とも思える妥協感情で接したりしがちで、やっぱり自分は素直な人間じゃないのだと考えてしまうこともしばしばです。おっしゃるとおり誠実さは難しくないのに実行は難しいような気がします。 人と接していきなり否定的な態度は自分もされたくないししたくないです。肯定的な態度は、確かに悪くないですが初対面だと「ほんとに分析した?」と疑ってしまいます。 私は、私に好意的に接してくれる人に、できるかぎりもっと素直に誠実さを伝えていきたい(50%なら70%になるように)と思い始めました。 ご意見ありがとうございました。
- coreglobe
- ベストアンサー率12% (3/24)
他人の態度で『バカにされている』と感じたのは、一方的に、自分の話ばかりをしたあとに、少しだけ話そうとした、私の話を途中で取り上げ、またしても自分の話をし始めた人。とにかく、自分ばかりが話す人になってはならないと思います。会話が成立しないし、聞いている方は、だんだん面白くなくなってくる。真摯だと感じた人は、よくわからない相手ときちんと『会話』をしていること。相手が、どんなことが好きで、何の話が面白いと感じているのか、相手を楽しいと思わせることができる人。相手との共通点を見つけることも大事です。プラスの部分での共通点が見つかれば、一緒にいて楽しい人という評価がもらえます。態度もそうですが、『はじめに言葉ありき』です。 人のことを思うこと。少しの態度や表情の変化を感じ取ること。 自分が人を不愉快にしていると感じているのなら、そう感じ取った瞬間に、謝るなり、訂正するなり、何らかの手を打つことが大事です。 その積み重ねが、人との関係をよくします。 判っているなら、相手を不愉快にした、と感じたその瞬間に、その場で、謝らないとダメです。 謝らない人は、ドンドン嫌われて、孤独になりますよ。 育ちや教育だけでは、人に真摯だと思わせるのは、難しいです。 どれくらい普段、人に対して関心を持って接しているか、何がいいのかいけないのか、手本だと思うような、参考になるような人が周りにいるなら、一緒に行動し、彼らから学び取ることも勉強になります。 同じ目線で、モノを見ることができない人は、世の中に大勢います。 自分のことを頭がいいとか、人より優れていると思いすぎないことが大事です。軽蔑という態度は、自分が優れているという思い込みから出る態度になりますので。世の中は広いです。あなたの知らない事もたくさんあります。地球規模で考えたら、あなたは、ほんのひとかけらです。地球そのものになれることはないのですから、そういう気持ちで人と接してみてはいかがですか? 目の前にあるパソコンをあなたは、一から作り出すことができますか? パーツから何から全部そろえて、ビスも自分で買って、そんなことはできないでしょう? 自分の身の回りにあるモノを全部、自分で作り出すことができるかどうか、よく考えてみて下さい。誰かが作ったモノだから、自分が生きている。親が自分を世の中に生み出してくれたから、今、こうやって質問できる。そういう単純なことを考えると、多分、人を軽蔑する態度は改まってくると思いますよ。やってみてください。
お礼
「空気が読めない」と最近よくいいますが、自己中心的で必ず人よりアドバンテージをとっておきたいという言動をする人は、そのために人が不快に感じていることをちっとも読み取っていない(いないからこその態度!?)ケースが多いですよね。はたで見ていても見苦しい・・・。 いろいろな人がいるなぁとせまいところながらに感じています。 手本になるような人から学び取れるようにしていきたいと思います。 ご意見ありがとうございました。
- h1r0s13
- ベストアンサー率12% (61/497)
まず全体を把握しないといけません。この三次元こそ学習の場所なのです。いろんな多次元から、意識レベルの異なる人たちが唯一一同に会する場所は、この三次元しかないのです。 そこで質問の回答ですが、「馬鹿にされた」と感じたことはありません。そもそも皆様それぞれ立派な一面をお持ちですから、「そうかも知れん」と思ってきましたから。 小さいとき、兄と一度だけ喧嘩をしたことがあります。それもつまらないことで。理由は忘れてしまいました。 最後の質問ですが、可能です。どちらかが大人になれば、喧嘩はおきません。そうなるためにも見識を広められたら如何でしょう。
お礼
「馬鹿にされたと感じたことはない」ときて「皆それぞれ立派な一面をお持ち」と相手を認めるようなご意見、この余裕に驚きました。人生いろいろ人間もいろいろと頭で分かっていても感情となるとつい・・・。 「余裕」が通販で売られていたら買うのに、とあさはかなことを考えてしまうくらい余裕が欲しいです(我ながらさもしい・・)見識を広げるということもライフワークのキーワードにできればいいなと感じました。 ご意見ありがとうございました。
- aymhfgy
- ベストアンサー率43% (1472/3372)
前に一度、パソコンの指導員として訪問してくれた人がやたら人をパカにして上から出る人だったということがありました。 後でわかったのですが別の会社を自分のミスにより退社した人で劣等感の強い方だったということを人づてに聞きました。 何か、人に対して隠したいとか勝ちたいとか思うと威圧的な態度になるものだと反面教師にお会いした気分でした。 同じ指導員でも打って変わってソフトな人当たりで威張らない人にもお会いしたことがあります。実力があり、自分に自信があったからだろうと思います。余裕があれば威張る必要はないのですね。 質問者さまの言われる誠実で真摯な態度というものはいつも心がけないといけないなあと思っています。人間は感情の動物なのでそういつもうまくいくとは限らないのですが、私が心がけていることは食事でも何でも天に与えられていると感謝の気持ちを持ちたいということです。もらって当たり前と思うと傲慢になって知らないうちにとげとげしくなると思います。ヴェランダの鉢に花が咲いても(有難う)って声をかけたいです。
お礼
鉢植えの花に(有難う)とは美しき心の持ち主ですね。感謝の気持ちは心掛けていないとつい忘れがちです。私は両親の間に女の子ひとり生まれてきましたので、どこかしら「生まれてきてやった」感を引きずってきたような気がします(自覚しているだけマシと思ってやってください)感謝の気持ちは教え込まれず何か腹立たしいことがあると人のせいにしてきました。大人になって自分と逆の人がいるのに気付いて、最初は「この人馬鹿かな」と思ったほどですが、接するうちに馬鹿で未熟なのは自分のほうだとわかり、いつしか美しい心の人に近づきたいと思うようになりました。傲慢さを改めて感謝の気持ちを忘れずに心豊かに生きていきたいと思います。ご意見ありがとうございました。
- youcan1951
- ベストアンサー率23% (40/171)
人をどのように見るかはその人の価値観で決まります。 たとえば、人権に関する本を読んではいかがでしょうか。 人権は先駆者が既成概念、既成社会と闘って勝ち取ってきたものです。そのことを知った分、賢く謙虚に人が見れると思います。
お礼
『人は見た目が9割』と言った人がいますが『人は見た目によらず』という言葉もあります。どちらも否定できませんが、私は賢く・謙虚になれたら良いなと思いますので、一度人権に関する本を図書館で見てみます。ご意見ありがとうございました。
お礼
好感をもってもらうためや、やっぱり人に褒めてほしいからという感情でついつい八方美人な行動をとりがちになりますよね。そのような場合はどことなく嘘っぽさも隠し切れないものかと思いますし、自分自身も 『嘘っぽい』と感じざるを得ません。 自分に嘘をつかないためにも相手への気配り・心配りを忘れずに人と付き合っていきたいと思います。ご意見ありがとうございました。