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批判を聞いていると嫌な気分になるのはなぜか?

テレビを見ていて、事件について、映画・音楽について、マナーについて、言葉遣いについて、「こうあるべき」「~すべきだった」など批判をする人がいます。 確かに、批判的な精神から良い方向に向かう例もあるとは思います。 自分が気づかない事に気付くという良い事もあるとは思うのですが、自分がそれに同意するしない関係なく、抑えていた怒りを引っ張り出されるような気がして、聞いているとストレスが溜まってきます。 自分が批判されているように感じる時もあります。 なぜなのでしょうか?

みんなの回答

  • ae5277
  • ベストアンサー率10% (1/10)
回答No.5

>自分が批判されているように 感じる時もあります。 なぜなのでしょうか?< そこまで力を入れて見ているのですか そういう気持になるならば見なければ 良いと思います。 テレビというのはプロデューサーが居て 面白可笑しく制作をします 何故か 広告を出す代わりに スポンサーから金を貰うために ですから全てプロデューサーから 前もって指示が出ているのです。 ですからタレントも自分を売るため 何でもします ヨン様フィーバーだって賢いプロデューサーが 仕掛けた策略で中年女性に金をバサバサ出させ るのですから賢いですね。テレビを見ていますと 男女を問わず、ぶさいくな顔の人ばかりが 多くイヤになります ですから私はNHKが ほとんどです 今の時代はぶさいくな方が 金になると言う事ですかね

noname#67241
質問者

お礼

まず、私の表現がすみません。テレビでのコメンテーターを限定したような表現になってしまいました。 私もテレビはチャンネルを選んで見るようにしています。 ご回答をありがとうございました。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.4

そんな言葉使い以外では聞く人は大抵スルーします。 スルーさせないためにわざとそういう言葉使いをしているだけですね。 それと、社会が曖昧な言い方を忌避する傾向もあります。 社歌人で曖昧な言葉使いでは怒られます。 普段から社会その物がこういう言葉使いを奨励しているのですよ☆ それと、それを取り上げないとチャンネルを変えられるからかな? 不快という事は相手の術中にはまった事になります。 感情はどうであれ、注目させる事が相手の狙いですから。 会社でも優越感など無視されては達成できないので注目させるような物言いになります。 ゆとりってこういう物言いを改める為に目指したとか言ってた気がしましたが。 でも、社会が許さずに、「こうあるべき」「~すべきだった」とゆとりを責めてしまって霧消ですね。

noname#67241
質問者

お礼

私も、強い口調で発言する方のほうが必要とされている気はしますし、 批判的な視点も必要かと思います。 ご回答ありがとうございました。

回答No.3

No.1さんの答えに、なるほど!!と納得しています。 私も昔から、人の事を批判する話が嫌いでした。 そんな私を母は、「理想主義者。偽善者。」などの思春期には精神的にもまいるほどの言われ方をしてきて、「本当は、どろどろとした考えなのに、良く見られようとしているのかも・・・」と、人間は皆、批判する人と同じ考えが正しいのかもと思ったりしました。 でも、周りの批判的な噂話に付き合いで入っているのが苦痛で、自然と人の批判をしない友人と出会い、楽しい時間を過ごしてきていますが、批判や噂話をする人って多いですよね? それで多数決ではないですが、自分の考えが偏っているのでは?と不安になることもありましたが、No.1さんの答えを読み、長い間の疑問が晴れ、とても気持ちが良いです。 迷いがピークだった時、自己啓発セミナーに参加したのですが、素敵な考えのできる友人がたくさんできましたよ。その後、くだらないと思いテレビをあまり観なくなりましたが、これからは「言うは易し。行うは難し。」をきちんと弁えた、身勝手な傍観者ではない人の意見を見極めるのも面白いと思いました。 参考にさせていただけたご質問に感謝いたします。

noname#67241
質問者

お礼

>「言うは易し。行うは難し。」 私も納得いたしました。 言えばおしまい、ですが、ではどうすれば良いのか?と自身で考え行動していく事は時間もかかり、たやすい事ではありませんね。 ご回答ありがとうございました。

  • raet
  • ベストアンサー率36% (9/25)
回答No.2

それは、あなたが言い返せないからではないでしょうか? 「そんなの!違う意見の人もいるよ!」 という声を伝えられないから。 あなたの主観を、どこか無視された気がするのかも知れませんね。 私は塾で講師をしているのですが、高校生に論説文を教えていたら 「この話は読みたくない!こいつの意見は同意できない」 といわれたことがあります。逆に「大賛成!」なんてことも。 しかし、それは主観なんですね。 論説文は客観で読まなければなりません。 あなたは主観に捉われやすい人なのかもしれません。 物事には、主観的に見たほうがいいことと、客観性が重要なことがあります。 TVの意見なんかは、客観的に見なければなりません。 報道1つとっても、メディアの意図というものがあるのです。 わざと辛らつな物言いをするコメンテーターは、逆にその意見に反対する人を増やそうとしているのかも知れません。 つい同意してしまうような、理論整然としている意見も、本当はものすごく滅茶苦茶なことを言っているのかも。 あなたがそういったものに違和感を感じるのは、客観視することができる証拠だと思いますよ。 まず、自分の主観をどこかに書き留めたり、ブログにでもアップしてみてはどうでしょう。 少しは気持ちも整理されると思います。

noname#67241
質問者

お礼

no.1様のお礼にも書きましたが、私の表現が悪く、すみません。 そうですね、TVは客観的に見なければいけませんね。 心がけてはいるものの、怒りが伝染してくるような気がするのは、おっしゃるとおり私自身が誰かの強い主観に捉われるからなのでしょう。 日記など自分の気持ちを文字に表す事は、良い方法ですね。 ご回答ありがとうございました。

  • nomori
  • ベストアンサー率32% (64/195)
回答No.1

誰でも批判をきくとそう感じますよ。正常なことです。批評家はもっとも厭われる仕事と言われますからね。なぜだと思います?常に傍観者だからです。 行動するのは難しい。しかし、文句を言うのはたやすいです。 音楽・美術・映画…無から新しいものを創り出すアーティストと、それに対して苦言を呈する批評家、どちらがすばらしいでしょう? 自ずと答えは出ると思います。 ただ、批評家にも鋭い見識を持った人がいます。そういう人の批評は聴いていてなるほど、とうなずけるものです。薄っぺらい批評しかできない人はそれだけの知識しかない浅はかな人でしかありません。 これほど人間の教養が試される職種もまたないでしょう。 どちらに転んでも、なりやすく、またなりがたい仕事です。 前者は少数で、後者は多数ですから、質問者さまが聴いていてストレスがたまるのも当たり前のことなんですよ。 聞き流しましょう。

noname#67241
質問者

お礼

まず、私の表現が悪く、すみません。 テレビに出てくるコメンテイターではなく、一般庶民でもという意だったのですが、読み返すとテレビの中の人に対して、ととれますね。 すみません。 でも、確かにテレビの批評家にも怒りを引っ張り出されるようなストレスを感じることもあり、共通したコメントをいただけました。 回答者様の「常に傍観者」「行動するのは難しい、文句を言うのはたやすい」に納得しました。 ご回答ありがとうございました。