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子供を救えるのしょうか?

教員免許を習得中の大学生です。 今日電車で小さい息子を連れた三十代と思われる男性が「邪魔だったから降りられなかった」と言い高校生に恫喝している姿を目撃してしまい、その影響で電車が止まり乗務員に迷惑をかけたばかりではなく責任をその高校生に押し付けようとする態度、そして自分の子供の目の前でそうした行動に出る男性に激しい怒りとを覚えてしまいました。(その後警察が来てその人は連行されてしまいました) その一方でその親を持つ子供がかわいそうだと思いました。 僕は子供のこともその子供の未来を作っていく親も大切な存在だと思います。 しかしこういった親がいる限り子供の未来が心配になり、「教育者(教師)になった時に親から子供を救えるのか」と考えていました。 家庭に割って入るようなずうずうしい考えかもしれませんが僕は今日のことで子供の将来が危うくなっていくのを黙って見ていられなくなりました。 教育者として、また人間としてできることは無いでしょうか?

みんなの回答

  • Ama430
  • ベストアンサー率38% (586/1527)
回答No.6

教員の努力だけで、反教育的な親から子どもを守れるかというと、難しいと言わなければなりません。 しかし、それは、できることが無いということとはちがいます。 自己中心的な親、暴力的な親であっても、子どもの豊かな成長を願わない親はありません。 不幸にして、自らの言動自体が、それを阻んでいることに気づかないために、悪い見本を演じてしまうのでしょう。 親も、そういう状況に追い込まれているのだという見方が必要です。 そして、難しい子育てに直面して孤立する傾向のある親には、ともに悩みを語り合える、親仲間が必要と思います。 どんなに極悪に見える親でも、敵対するばかりでは、結局子どもを救うことは困難になる一方です。 教育者として、また人間としてできることは、そうした保護者の心の弱さに共感して、保護者間の横のネットワークの橋渡しをすることなのでしょう。 そして、そんなことは思いもよらないほど、教員がきわめて多忙であるということが、大きな問題なのだと思います。

noname#70703
noname#70703
回答No.5

あなたの文章だけでその男性は悪者、子供がかわいそう、と断定してしまっていいのか、疑問に思います。 もしかしたら、その子供を何時までにどうしてもどこかへ連れていかなければならない、そうした切迫した状況だったので、怒りが爆発したのかもしれません。 教師になったとき、1つのシーンだけですべてを決め付けず、きちんと調査できる先生になってください。事情が詳しくわかれば、解決法が見つかる可能性が出てきます。 たとえば、いじめをする子供を見て、その子を悪者と決め付けるのではなく、いじめをする子供もストレスを抱えていることに気づき、それを解決することでいじめをなくす、とか、そういうことです。

  • mijinco
  • ベストアンサー率25% (87/346)
回答No.4

とても大切な疑問だと思います。 そのような議論をぜひ同じ目標をもった仲間として欲しいです。 子供を育てる(教育する)というのは、誰か一人だけでできるものではないと思うんです。 子供の準備性や成長段階、学習する内容などなどを前提として、様々な人や状況の組み合わせで教育・躾けが行われていくものだと思います。 そのそれぞれの教育の側面は、内容が重なり合い、矛盾したり補い合ったりしながら積み重なっていくものだと思うのです。 そして重なってはいるものの、それぞれの重点的な役割があります。 家庭には家庭の、学校には学校の、地域には地域の…その役割を考えながら学んで行かれることが、いまできることなのではないでしょうか。 私は教員ではありませんが、 http://www.mag2.com/m/0000220537.html は非常に興味深く読んでいます。 お勧めです。

参考URL:
http://www.mag2.com/m/0000220537.html
  • mariam
  • ベストアンサー率17% (78/453)
回答No.3

旅先であるアメリカ人と知り合いました。彼は小学校の教師を志していました。彼曰く「アメリカでは片親(多くは母親)の子供が多い。だから父親や男性というものを知らずに育つ子も多い。自分は子供たちの父親や男性というものの見本になってやりたい。」 あなた自身が理想とする人間や教師にできるだけ近づこうとしてみてはどうでしょうか。と言われても、まだ学生さんだからそれがわからないんですよね。 まずは、よく相手の話を聞くこと。「言いたいことがあるならはっきり言いなさい!」では無いですよ。やはり話しやすい雰囲気を作らないとね。 躾と怒ること(非難すること)は違うということをわかってください。怒ってしまったら、質問者さんの声は子供の心に届きません。 昔は不言実行でしたが、今は有言実行でしょうか。言ったことをしっかりとやり通す。これで、信頼感が生まれます。 まずはこんな所から始めてみて下さい。

  • rockwell2
  • ベストアンサー率52% (10/19)
回答No.2

 子どもは親の背中を見て育つものだと思います。 確かにそのようなお父さんの影響を受けて育つお子さんの将来が 心配になりますね。    学校の先生を目指して頑張っていらっしゃるのですね。 そのような場面に遭って、子どもの将来を心配してご自分に何か 出来ることはないかと模索して悩む。素晴らしいことだと思います。 先生として是非とも持っていて欲しい感性をお持ちだと思います。 自信を持って下さい。  それと同時に「そのような親から子どもを救えるのか」と考えて いらっしゃるようですが、他人から社会的にどんなに酷い親だと思っても、  その子どもにとってはかけがえのない大切な人、又は 「大切な人であって欲しい」存在なのだと思います。 だから、先生になって、例えば方針の違いなどから親御さんと 対立するような場面にあっても、 子どもには褒め上手になって「こういうところが良いお父さん(お母さん)だね」 と言ってあげて欲しいと思います。 きっと子どもは貴方を信頼してくれるはずです。  初めに「子どもは親の背中を見て育つ」と書きましたが、 子どもにとって学校の先生というのも、親の次ぎに影響力のある存在であると思います。 今は様々な問題から子どもの家庭環境も複雑になって、貴方の目から見ても 「良くない環境」に身を置いている子どもたちはたくさんいると思います。 そういう子どもたちが学校にいる間に、貴方が出来ることはたくさんあります。 「その子に何をすれば良いか?」 貴方の感性でその子を一生懸命見ていれば必ず見えてくるはずです。    私は教師ではないのですが、ある団体で中・高校生層を集めて講義をしたり、 時には彼らの日常の生活の世話取りをさせていただいたりしています。 そこで彼らと接してみて感じたのは、自分が受け持つ子どもたちが35人いるとしたら、 教壇から1(先生)対35(生徒・児童)の一括りで何かを見よう、伝えようとしても中々難しい。 1対1の人間関係が35個あってひとつの空間を作っているという目線で 生徒と接するということを忘れてはいけないということです。  初めてクラスを受け持った時は、自分に自信がないこともあって、どうしても、 教壇から一方通行で投げかける言葉が多かったのだと思います。 それでは生徒も心を開いてくれません。 私が1:1×35作戦(自分の中で命名していました。笑)に出てしばらくすると、 出てくる出てくる、ひとり、ひとりの悩み事の数々が・・・。 ある意味、パンドラの箱を開けてしまった状態ですけど、 それでも、真摯に向き合う姿勢だけは忘れずに。 生徒の心を開かせたは良いけど、開きっ放しが一番悪い状態です。 きちんと生徒が日常生活を送れるように治める努力をすることが重要です。    今は先生も雑務(書類の作成や会議など)に追われて生徒(児童)と接する時間が 中々とれないと聞きます。 時には保護者の方や学校との板挟みにあって、八方塞がり、それでも生徒たちの為に、 前に進んで行かなければならない。 本当にたいへんな、ご苦労の多いお仕事だと思います。 でも、頑張った分、心を尽くした分はきっとかかわった生徒たちの人生に 良い影響を与え続けるという最高の形で報われていくのだと思います。 そんなことは他のお仕事では中々手に入らない醍醐味ですよ。 本当に良いお仕事だと思います。 是非とも、大志を持って教職について下さい。 sod-byobさん。応援しています。  

  • tent-m8
  • ベストアンサー率19% (724/3663)
回答No.1

残念ながら、教師として子供に係わってあげられるのは、その子のほんの一部分だけでしょう。 子供を救えるのは、保護者しかいません。 虐待などがあれば、話は別ですが。 でも、自分の生徒には、してあげられることはあります。 たとえば、 ・命の大切さを話してあげる。 ・相談に乗ってあげる。 ・励ましたり褒めたりして、やる気を出させる。 ・公共心や気配りを教える。 ・タバコや飲酒の害を教える。 教師の一言が、(良い意味でも悪い意味でも)生徒の人生に大きな影響を与えることもあります。