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「友人」ともう関わりたくない
かなりの長文となってしまいました、読む方にとっては読みづらいかもしれませんが、最近はずっと悩んでいて、みなさんの助言があれば助かります。 この悩みに対しては自分で答えを出しているのですが、その答えがあまりにも主観的すぎては暴走すると思たので、読んで下さる方の客観的な意見やアドバイスが聞きたいです。 (情報不足なところは補いたいと思います) お願いします。 大学に入ってしばらくの間ずっと付き合ってきた「友人」がいました。 その「友人」に対する最初の頃の印象は悪くて、その人と一緒にいてもリラックスできず、気を遣ってしまっていましたが、その「友人」の彼女と3人で一緒にいるととても楽しかったです。 3人でよく遊ぶうちに悩みも打ち明け、その「友人」もきちんと聞いてくれ、二人の仲がぐっと近づきました。 しかし、それでも僕は彼に気を遣い続け、彼も僕に気を遣い続けている様子でした。 今から思えば、僕はずっと彼のことを心から信頼していなかったのではと思います。 それにもかかわらず、僕は彼に気を遣い、彼のために何かをやらねばと思い、実際に「彼のために」何かをやったつもりでした。 特に二人旅に出かけた時は、旅の間中、彼に気を遣い、「彼のために」奉仕していたつもりでした。 旅の途中である事件が起こりました。 詳細は述べませんが、彼は性格として攻撃的な人間であったこともあり、僕のコンプレックスを著しく刺激しました。 僕は侮辱されたと感じましたが、彼に対しては何も言えず、我慢していました。 日本に帰ってから考えました。 どうして僕は気を遣う必要があるのか? どうして僕は「彼のために」奉仕する必要があるのか? どうして憤っているのに、怒りをぶつけられなかったのか? 考えた結果、こうではないかと思いました。 1.心から彼を信じていなかったから。 2.もしかしたら、お互いに心理的に依存していたのではないか、ということです。 まず、1.ですが、 彼の攻撃的な性格に最初の方はいじめられかけていたので、コイツは信頼できないという印象が残り続けたのでは、と思います。 だから、二人でいると僕は気を遣っちゃうし、素を出せずに気を張ってしまったのだと思います。 2.についてですが、まず僕の彼に対する依存から考えますと、 僕は失恋もあって自分に自信がなかった当時、一人でも自分と一緒にいてくれる人を求めていました。 そんな時に彼がいた。 側にいてくれるだけで、「誰かがいる」ということに対して安心感を求めていたのでしょう。(彼が側にいてもリラックスはできなかったが。) つまり、孤独を恐れていて、「彼を引き繋ぐために」、様々な奉仕をしたのではないかと思います。 上の文で「彼のために」奉仕をしたと言うより、本当は「独りでいたくないから、自分のために」奉仕をしたというのが正確ではないかと思います。 一方、彼の僕に対する依存ですが、 彼も実は自分に対する自信がなく、劣等感に悩まされたのだと思います。 そんな時に、口答えもせず、おとなしくて色々なんかやってくれる人がいる。 心の底では他の人のことをコイツなんかと思い、人に対して高圧的に振舞うことで自分のコンプレックスからの苦悩から目をそらそうとしていたのでしょう。 そのおとなしい人というのが、僕だったと思います。(彼の恋人もそうだと思います) こう考えた時、この関係性は明らかに不健全だと思いました。 友人どうしなら、ムカツク時にはムカツクと言えるはずだ! 友人どうしなら、一方的な「give」はおかしいはずだ!(giveの「つもり」ですが) というわけで、彼に伝える必要がありました、 自分で繋ぎとめておこうとした、この不健全な鎖を切り離すことを。 彼に面と向かって伝える時、やはり手がブルブルと震えていました。 たぶん失愛恐怖だと思います。 鎖を切るこの宣告は、彼にとっては「背信」「自分勝手」だと思われるかもしれませんが、僕にとっては「解放」です。 今は孤独ですが、気疲れすることもないです。
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- bekky1
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特に結論がでているTことなので何も言うことはないのですが、 幼稚園の子供でもあるまいに、「お友達になりましょう」と宣言し、 「もう君のことはともだちじゃないからね」と更に申し伝えるのは どんなものでしょうか? 彼女がいて、の3人だと楽というのは、 彼女がいると、彼女もあなたが気づかないうちにあなたが嫌がる 彼への気遣いと同じく、あなたに気遣いをしているのですよ。 だって、彼女は、彼と二人でいたい、それなのに、あなたが余分にいる。 余分にいるあなたに「あなたは余分」だと気づかせないためには より、「居心地がイイ」雰囲気を作る必要がある。 >特に二人旅に出かけた時は、旅の間中、彼に気を遣い、「彼のために」奉仕していたつもりでした。 これもね、あなたは気を使っていると思っている。 「友人」はあなたに気を使わせているとは思ってない。 少なくとも、あなたはそう考えるでしょう? でも、そうじゃない。 あなたは、自分の意志として、先に発動することなく、 彼の意志を尊重するふりをして、「どうする?」 との問いを発することが多いのでしょうおそらくハ。 「友人」にすれば、そんなこと自分で考えろよなというようなことも 多量に含まれているように思う サテ、どちらが悪いのでしょう? 【今は孤独ですが、気疲れすることもないです。】 そうですか、よかったですね。 タダ、自分の意志を発動して、相手の意思とすり合わせるということが 友人関係ですから、それをただひたすらに、相手のなにがしかを待つ、 なにがしかを遂行するということだけで付き合うということは あなたにとっては実は、とても【楽】なんです。 自分が何をしたいかがないから。 結果として、振り回されるから、疲れるが、では、 今ひとりで、気疲れはしないが、自分のしたいことを自分で見つけて、 自分でしているといえるでしょうか? TVはねスイッチを入れておけば、勝手にワイワイやってくれます。 最初はたのしい。 そのうち、自分とはまったく無関係にどんどんと番組が運ばれていくのがわかる。 それをこちらが関心を持ってみていれば、「参加」しているような気にもなるし、面白いとも思えるが、いったんあれは自分には無関係に 「箱の中」での話となると、振り回されている自分に気がつく。 デ、スイッチを切る。 あなたの友人関係って、きっとこんな感じでしょう。 【鎖を切るこの宣告は、彼にとっては「背信」「自分勝手」・・・】 きっと、「友人」はそんな風には思わないでしょう。 やっぱりな・・・とデ、そんなに深刻に思うこともないし、 深刻な奴はノーサンキューではないかなァ。 「鎖」と思うのはあなただけだと思う。 普通、男同士で大学生で、こんな付き合いは・・・ないでしょう。 女同士でも、ルームシェアしていても、あんまり、「鎖」と思うような 友情は・・・ナイ。 だから、「背信」と考える前に、あっちは、楽になったと思うよ。
- formidable
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結論がでてしまっていることに言及しても無意味なので控えますが、 これまで無理していた感じが少なからずしますので、 これからは、 (『荘子』の囚われのない無為自然の生き方が好きな)私としては アナタに無理しないで暮らすことを提案したいところです。 無理は長くつづきませんし 必ずディストーションが生じてしまいます。 ウィスキーに必要な熟成期間は人間関係・友情にも 必須な時間なんですけどね。
お礼
わざわざご回答して下さってありがとうございます。 無理はしないように生きたいですね。 抑圧しないで、素直に生きたいです。 >無意味な言及を控えます とありますが、もしよければ「こうした方がよかったのでは」とアドバイスをして頂けませんか?? 今後の対人関係につなげてゆければ幸いだと思っています。
切る ことをどう思うか? という質問なんですよね? いいんじゃないですか… 私もね 近所でママ友で 自治会などの役員が一緒で…という 一緒に活動しないといけない人間が複数居るのですが、 必ず仲良しである必要はないと思います。 合わないのに 「ママ友だから」と仲良くすると必ずもめます。 友人は友人でも 「親友」でもなく… たまたま 旅行に一緒に行ったことがある「知り合い」に格下げするのだって 全然構わないと思います。 わざわざ「格下げ」を相手に伝える必要があるのかどうかはわかりません。 格下げすれば それなりの付き合いになるだけの話ですし。 「知り合い」から「昔の知り合い」に変われば、連絡を取り合わなくてもよいわけですし… 知り合いになったら必ず友達・親友にならないといけないという規則もないですしね… 何でも「切ればいい」わけじゃないですが、必要もなくて、不快な相手なら切るのも切られるのも自然の成り行きだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 仰るとおり、自然の成り行きのように思えます。
お礼
長く丁寧に書いて頂いてありがとうございます。 第三者の方にはこう見えるということが知れて幸いです。 質問にお答えします。 >「もう君のことはともだちじゃないからね」と更に申し伝えるのは どんなものでしょうか? 確かに幼児的に思えると思います。 両親に相談した時も、そのように伝えるのは止めた方がよいとアドバイスされました。 しかし、今、僕はそのようにしてよかったと心から思えてます。 彼に自分の気持ちを伝えることで、恐怖を乗り越えられたからです。 言い方には配慮しました。 とはいうものの、幼児的であるのには変わりないと思うので今後に生かします。 >サテ、どちらが悪いのでしょう? ご推測とは逆に、旅に関しては、彼の方がまったく動きませんでした。 ほとんどが僕が考えて行動し、彼の意思を確認するという形でした。 全く何もやろうとしない彼に憤りましたがその憤りは言えずに抑圧していた、そんな関係性だったということです。 ですので、前提が違っているので、「サテどちらが悪いか」、という問いは間違っていると思います。 >今ひとりで、気疲れはしないが、自分のしたいことを自分で見つけて、自分でしているといえるでしょうか? その通りです。 自分のしたいことをしています。 少なくとも、今は、他人に迷惑をかけない限り、自分のしたいことができるんだ、と意識があります。 世の中の現状を考えることにつながると思えるから一つ考えるのに値することですが、男同士の大学生や女同士のルームシェアでも「鎖」が普通、あるいは、あんまり、ナイとのことですよね。 本当にそうでしょうか? 社会には、執拗に男に奉仕したりするいい「大人」の女もいれば、子供に過保護ないい「大人」のおばさんもいますし、家庭内暴力をして自分の鬱憤をはらすいい「大人」の男もいます。 そういう人たちはこの「鎖」から脱却できていないのだと思います。 「鎖」とは甘えのある、依存心のある関係性、のことです。 「鎖」という表現は森瑤子さんの書いた「愛の鎖からどう抜け出すか」 を意識して使いました。 この「鎖」は見えないから、余計にナイと思われやすいのでしょうね。 ただ群れて、とりあえずつるむといった若者はたくさんいると思いますよ。