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知的障害者の言動の演技のメリットは
TVドラマで見る聴覚障害者の「手話」のコミュニケーションは好感が持てるのですが、知的障害者の言動の演技はリアルであるほど差別に見えてしまうのです。 TVドラマの手話はその認知や普及に繋がるメリットがあるからだと思うのですが、知的障害者の言動のリアルな演技のメリットは不明です、長い目で見れば心のバリア・フリー、ノーマライゼーションに繋がると思えなくもないのですが直接のメリットとしては一体なにをもたらしてくれるのでしょうか、お教えください。宜しく、お願い申し上げます。
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「アルジャーノン・・・」ですか・・・。あの授業風景は私も違和感を覚えました。ドラマの作り手の知的障害者への理解があの場面をそうさせているのでしょうか? 知的障害児の学校での様子を身近で見たり、知的障害者の生活を身近で見てきた者として、「それちがうでしょ?」と思うドラマは他にも色々ありました。彼らを理解していなければ、演じることも難しいですよね。 世の中には、障害者に接する機会がなく、どんな様子かを知らない人は沢山います。リアルな演技は、そういう人達が理解しやすくなるとは思います。でも、実際に家族に障害を持っている人がいた場合、その演技を悲しい思いで見てはいないか、と気になったりもします。 手話の演技は好感が持てるとのことですが、私はかえって手話の演技に疑問です。あれはキレイ過ぎやしませんか? 手話を使う人達は、もっと口も使いますよね? 余談でした。 とにかく、何を伝えたいか、どう伝えたいか?というのが視聴者である私達に素直に伝わるように、そして、障害者やその家族が悲しまないように、と願うだけです。
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こんにちは。 「レインマン」などは、やっぱり観客へのメッセージというか、お金のことしか頭になかった弟が変わって行く、その過程がダスティン・ホフマンの演技にかかっているような映画ですよね。実際、彼は一人の障害者のかたと一緒に生活し、その仕種などを研究し、撮影に臨んだのは有名です。リアルな演技と言えるでしょう。 それが、作り手のメッセージが確立されていない場合や、障害者に関して無意識の中で偏見があったり、調査不足だったり。そんな場合、役者の演技を活かせず、差別的なものになってしまうのではないでしょうか?リアルっぽいで終わってしまう感じです。作り手と役者が知識を持ち、正しい(差別的でない)意識で作ったものは嫌な感じは受けないような…。 ということで、「リアル」と「リアルっぽい」演技で分かれるように思います。蛇足ですが日本の作品は「リアルっぽい」のが多い気がします。
お礼
ありがとうございました。 大変素晴らしいご認識です。 日本は不思議な国で、たとえばアメリカではブラインドのままなのに目が不自由・視覚障害というように目先の呼称を変えて本質を変え得たと、なぜか思ってしまうのです。 精神障害や知的障害はわからなくしたので、わからなくなり理解されないと困惑しているのは障害者なのです。 精神分裂病は今年の1月から統合失調症になりましたが、これも知らない人にはわからない呼称になりました。 わかりやすくして広く理解され、それによって社会的な支援体制を確立する方がいいように思えます。
- ho1004
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clementiaさん、こんにちは。 先日は私の質問に答えていただき、ありがとうございました。 私の子どもが、学習障害(発達障害?)で、療育機関に通っていたため、知的障害者の御家族の方々とも、いろいろな交流がありました。 身体の不自由な方の場合、一目でそれとわかり、また、周りが何を手伝ってあげたらよいのか、わかりやすいのですが、知的障害者の場合、一見普通に見える、でも何だか変、気持ち悪い、怖い、などという印象を、一般の人達に漠然と与えているようです。 知的障害者の身内には、それが、ちょっと辛いことだったりします。 説明しても、周りに知的障害者がいた経験のない方には、なかなかわかっていただくことができません。 身内に知的障害者が出た時、最初はかなりのショックを受けます。が、普通は、時間と共に、その事実を受け入れ、その人なりの人生を素晴らしく生きれればいいなあ、と思うようになります。 その時、世の中の人々にも、ちょっと不自由ではあるけれど、こんなふうに生きて、人よりできないことも多いけど、頑張って生きてるんだ、ということを知ってもらいたいこともあります。 私の場合、「レインマン」を見たら、ダスティン・ホフマン(自閉症の役)がうちの子に似ていて、親や友人たちに理解してもらったり、助けてもらうのに、役に立ちました。 世の中には、いろいろな人がいるけれど、みんな、一人の人間として、素晴らしい存在なんだ、ということが、ドラマや映画を通して伝わるものであるなら、リアルな演技である方がいいと思います。 私は、障害を含めて、自分の子どもを本当にかわいいと思っていますので、ダスティン・ホフマンのリアルな演技が、感動的で、好感の持てるものでした。 以上、全くの個人的な意見ですので、「自信なし」です。
お礼
ありがとうございました。 本日また書かせていただきました。お役に立てずに済みません。肩の力を抜いていただければと『かぜがふいたら』という詩を付録にしています。ファイルに取り込んでくだされば幸いです。 フジテレビの『アルジャーノンに花束を』で、授業風景を見ていて、主役のハル以外の人たちの演技には「差別だなぁ」って感じていました。ご回答いただきましたので、今晩は怡しく見ることができるでしょう。
俺は身近に知的障害者もいませんし、俺自身もそうではありません。だからかもしれませんが、ある程度リアルにやった方がいいと思います。 俺だったら、あきらかに「そりゃねえだろ」と言いたくなるような演技だと、「そんな演技は知的障害者を馬鹿にしている」と感じると思います。
お礼
ありがとうございました。 フジテレビの『アルジャーノンに花束を』で、授業風景を見ていて、差別だなぁって感じました。ご回答いただきましたので、今晩は怡しく見ることができるでしょう。
お礼
ありがとうございます。 大変、貴重なアドヴァイスを頂戴しました。 ある講座で車イスの正しい操作の使い方を学ぶ機会がありました。交替でクランケになって繁華街を行くのですが、中には自分の名札を外してしまう人がいて、そういう心のバリアを取り除くことも大事なんじゃないかと、後の反省会で提言した記憶があります。 日頃、周恩来さんの「小異を残して大同につく」を改善活動のベースにしておりまして、手話に関しては認知と手話の普及という点で、知的障害者の言動を見せるだけよりアドヴァンテージがあると思ってました。間違っていたら改めます……