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どうして人生は平等ではないのか

どうしてもいつも思ってしまう事があります。 私は子供時代~青春時代、親に虐待されてロクでもない目に遭い、もうすぐ30歳になりますが、一度も彼氏ができた事がありません。親、兄弟とも今は連絡を取っていません。見捨てられました。 かたや同じ職場には、年も同じで結婚もし、容姿もよく、親兄弟とも仲のよい人が毎日楽しそうにしています。 どうして、人生は平等ではなくて、不幸な人間と幸福に恵まれてきた人間がいるのでしょうか?どうして与えられる人と与えられない人がいるのですか? これから人生を立て直すとはいえ、なんの苦労もなく幸せに生きてこれて、私が持っていないものを全て持っている人を見ると、自分の人生を幸せにするために努力するなんて、大変なところから努力してきた自分が惨めになります。 もしこの疑問に回答ができる方がいれば、教えて頂きたいです。 どうしても納得できないのです。

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  • chinya
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回答No.14

どうして、平等であるべきだなんて思うのでしょうか。 あらゆる生命体で、平等に存在しているものなど一つもありません。 全ての生命体は、偶然生まれ落ちた環境により、何千年もの間枝葉を茂らせる大樹にもなり、生まれることすらなく卵のうちに食べられたりする存在です。 そんな中で、人間だけが平等であるはずがありません。 みんなが平等な社会というお題目は、そうあるように目指そうという目標値であり、現在そうではないからこそ、目標のままなのです。 肥沃な土地に落ちた種子を妬んでも、痩せた土地に落ちた種子の運命が好転する訳ではありません。 痩せた土地に落ちた種子にできることは、より深く根を張り、少しでも多くの養分を吸収すること。 より大きな葉を茂らせ、たくさんの太陽を浴びること。 そうやって、その環境の中で懸命に生きていくことです。 あなたは、この日本という豊かな国に生まれて、真の意味の貧困も飢餓も知らず、自分の身の回りの不幸を嘆いている。 この世の平等という観点で見れば、あなたの環境は、かなり上の恵まれた位置にいるはずです。 でも、今、世界には飢餓に苦しみ、衛生的な環境も教育もないまま死に瀕しているたくさんの人がいるといっても、ピンとはきませんよね。(私だって、知識として知っているだけです。) 身の回りの不幸でいっぱいいっぱいで、手近な幸福をうらやむことしかできなくても、それが悪いとは思いません。 目に見えない不幸まで我がことのように感じろなんて、無理な話ですよね。 ただ一つ言えることは、自分の幸福は、やっぱり自分で努力する以外ないということです。 皆が平等であるべきなんていう幻想にしがみついて、世を嘆いても何も変わりません。 あなたは、こういう環境に生まれついてしまった。 あなたのせいでも、周りのせいでもない、仕方のない偶然です。 (仏教では、因果応報であり、理由があることになっていますが) その中で、自分を幸福にできるのは、自分自身しかいないんです。 努力するのがばからしいといっても、だからといって誰かがあなたの環境を修正してくれるわけでもありません。 私も、つい世の不条理を嘆きたくなること、自分の不運を恨みたくなることはあります。 でも、この環境で生きていくしかないんですよね。 お互いがんばりましょう。

080421
質問者

お礼

>ただ一つ言えることは、自分の幸福は、やっぱり自分で努力する以外ないということです。皆が平等であるべきなんていう幻想にしがみついて、世を嘆いても何も変わりません。あなたは、こういう環境に生まれついてしまった。あなたのせいでも、周りのせいでもない、仕方のない偶然です。その中で、自分を幸福にできるのは、自分自身しかいないんです。 努力するのがばからしいといっても、だからといって誰かがあなたの環境を修正してくれるわけでもありません。 その通りですね。ありがとうございます。

その他の回答 (14)

  • coske
  • ベストアンサー率9% (46/475)
回答No.4

30代後半男性です 他の方もおっしゃる通り人は平等でない―と私も思います。 貴女はご自身を悲観されている。 異性から見てご自身を悲観している人を好きになる人がいるでしょうか >なんの苦労もなく幸せに生きてこれて なぜ貴女はそう言いきれるのでしょう? 恵まれた人生であったり人気があるからこその苦悩であったり 実は他人の目のないところでご苦労されている。だけど周囲に話さないだけ そんな人も大勢いると思いますよ。 大富豪に生を受ける子も居れば難民キャンプで生まれる命もある。 そこに拘るのではなく前向きになられたほうがいいですよ

noname#140971
noname#140971
回答No.3

Q、どうして人生は平等ではないのか? A、そもそも生き物ってのは不平等の中で進化してきたからです。 先天的な資質も人それぞれに違います。 生まれてからの後天的な環境も自己努力の程度も人それぞれに違います。 出発点が違い、かつ、その後のプロセスが違えば到達点は違って当然です。 これは、適者生存で進化してきた人類の宿命みたいなもんですよ。 「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」 と、トルストイが書いています。 し、しかし、 「幸福な家庭はいずれもそれぞれに幸福だが、不幸な家庭もまたそれぞれに不幸なものである」 が本当だと思いますよ。

  • tnkfh572
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回答No.2

悲観的過ぎです 幸せそうなのは苦労しらず? それは世間知らずの八つ当たりです 私もあなたと同じような環境で育ちました 最高とまでは行きませんが、そこそこ楽しい日々を 暮らしてます、他人と自分を天秤にして幸せ度など 計ったことはないです 何か自分で行動起しましたか? 環境を変える努力は? あなたの考える幸せを掴もうとしましたか? 人を妬む暇があれば自分の幸せを考えなさい 何でもかんでも悪い事を過去の環境せいにして生きて くだらないと気付きませんか? そういう環境で育ったからこそある強い心をだして 貪欲に頑張りなさい ひとは何歳でも変われます

noname#63315
noname#63315
回答No.1

まず他人と比較したところで自分を救うことはできません。 他の人だって、別に親が選択できたわけではありません。 苦労を何も知らない人には、苦労が無いことで、人として足りないものも多くあります。 それを見つめる視点は、今のあなたには無いようです。 全てを経験した人間なんてものは存在しません。 辛かったとしても多くの経験は人を豊かにします。 幸せに見える家庭には、外には見せられない別の問題があったりする場合もありますし、それを比較しだしたらきりがありません。 また裕福に見えた方を死ぬまであなたは傍で見ていたわけでもないですよね? 結婚しているからといって、その結婚生活が本当に幸せなものかなんて他人に見せなければわかりません。 平等という観点で言えば、生き方の違いはありますがひとつだけあります。 死は平等に訪れますよ。 環境はさまざまです。誰も望んだものを手に入れているわけではありません。 自分がひとり立ちし、そこにいること自体があなたががんばった成果です。 だからこそ他者と比較する必要はありません。

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