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子供への愛情は自己愛?【子持ちの方限定】

こんにちは。 お子さんがいらっしゃる方にお尋ねします。 Q.親の子供に対する愛情は、「自己愛」だと思われますか? A.思う、思わない、半分は自己愛…etc その他、お子さんへの愛情について熱く語ってください。 あ、熱くなくてもよろしいです。 ご意見お待ちしております。よろしくお願いします。 ※質問文への批判(そんなことはどうでもいいとか)や、ほかの回答者様のご意見に対する批判はご遠慮ください。

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noname#94983
noname#94983
回答No.4

前にも回答してるんだけど、こっちも書いておこうか。 「自己愛」って、何だろうね? 辞書を引いても、「ナルシズム」の日本語訳ということしか出てない。そういう意味では、自分の遺伝子を持った子供より、自分自身のほうが大事なのが本当は「自己愛」でしょ。 どうも、この「自己愛」という言葉が、何と不思議なものに変質している気がする。「一見すると何か立派なことのように見えるけど、よく考えれば最終的に自分の利益になるからなんでしょ」みたいなことを「自己愛」と呼んだりする人がいる。そりゃ自己愛の定義自体が違うでしょ、と思うんだけど。あまりに言葉を拡大解釈しすぎているよ。 で、そういう変質した拡大解釈した「自己愛」なのか?という、質問への答え。 例えばさ、うちにはちっこいのが一人いるわけだ。それはもう、赤ん坊の頃からおむつ換えたり、時には抱っこして外出しているときにおしっこもらされたり、夜泣きで1時間ごとに起こされて発狂しそうになったり、そらもういろいろあってここまでやっときたわけだ。 で、例えば家族でどこかに旅行にいったとするわね。で、事故か何かにあって、自分が助かるか子供が助かるかどちらかというような状況になったとする。どうするか? 多分、いや間違いなく子供を助けるわね。これは、親なら誰だってそう思う。 それじゃ、その事故にあう直前に、子供が生まれた産院から電話があって、「実は赤ちゃんを取り違えてました。あなたの子と他の子を間違えて渡してしまいました」とかいわれたとする。さあ、そして、事故だ。血はつながってない。それじゃ、助けないで自分が助かるか。 違うね。間違いなく、子供を助けるよ。オレならね。血がつながってない? 遺伝子がつながってない? それがどうした。この子は、間違いなくオレの子だ。オレと妻が、毎日必死になってここまで育てた子だ。自分の命と引き換えにしたって必ず助けるさ。当たり前だろう? 世の中には、血がつながってない、遺伝子がつながってない親子もいる。そして、そうした中にだって、深い愛情に結ばれている親子も必ずいる。それは、どう解釈すればいい? それは親子愛じゃないのか? そうじゃないだろ。それでもまだ残っている深い愛情、それが本当の親の子に対する愛情なんじゃないのか? 血筋だの遺伝子だのといったものをとっぱらってさえもまだ残っているもの。それは「自己」愛なのかね? 世の中、中途半端な親ももちろんいる。だから、「血がつながってないから愛情のかけらもない」という人もいるだろうさ。だけど、そうした「親の欠陥品」をとりあげて「親の愛情のなんたるか」をいって欲しくない。今の時代にだって、血筋だの何だのといった自分の利益が一切合財失われても、深い愛情を持ち続ける親子はいるんだ。 自分には理解できない、不可解なもの。それを、なんとか自分に理解できる形に変質して解釈しようとするむきが人間にはある。だから、時には、不可解なまでに強い愛情を「結局は自己愛だ」と解釈して自分を納得させようとする人もいる。それは間違いだ。理解できないものは、理解できないものとして大切にしまっておけばいいんだ。 その昔、とある物理学者が「科学者は、数字で世界をすべて理解できると考えているんでしょうか」と聞かれて、こう答えている。 「逆だよ。科学は、数字であらわせる程度のことしか理解できないんだ」 言葉や数字ではいい表せないのがある。そうしたものへの深い畏敬の念を持たない人間に、世の中は理解できないのさ。

noname#57630
質問者

お礼

なぜだろう。自分でもよく分かりません。 読んでいるうちに涙が出てきました。 言葉の一つひとつが、ストレート直球のように胸を直撃しました。 「自己愛」、抽象的で分かりにくい言葉ですね。 拡大解釈されていることも理解できます。 私も、遺伝子云々のことまで考えたことはありませんでした。 挙げてくださった事故の例えは、とても分かりやすいです。 >毎日必死になってここまで育てた子だ。自分の命と引き換えにしたって必ず助けるさ。当たり前だろう? おっしゃるとおりです。 たとえ血のつながり、遺伝子のつながりがなくても助けます。 自分の利益どころか自分の命と引き換えにしても助けます。 >理解できないものは、理解できないものとして大切にしまっておけばいいんだ。 お言葉、ずっしりと心に響きました。 久しぶりに泣きました。感動の涙です。 そのせいか言葉少ないお礼になってしまいました。ごめんなさい。 最初は、“直球ストレートは苦手かも”と思っていましたが全くそんなことはありませんでした。 このような愚問にお付き合い下さったこと、感謝します。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • tenten019
  • ベストアンサー率38% (124/321)
回答No.5

A.思わない 私も「自己愛」?と思いました。 「自己愛」とは、自分を愛する事、と解釈しています。 子供を愛する事と自分を愛する事は別物と思います。 確かに子育てには義務や責任があります。 でも、とても大きな問題が起こった時、 自分で対処するのは無理、逃げ出したいような事が起きた時、 それでも親は義務や責任でそれに対さなくてはならない場面があります。 なぜそれができるか・・・それは愛情があるから。 自我が芽生え親に逆らいだし、好き勝手な事をするくせに、要求はする。 偉そうな態度のくせに、結局独り立ちはできていない。 全く憎ったらしい。 カチンと来る事を言われたり、裏切られたり、性格に気に入らない部分があったり。 もし他人だったら友達になりたくないな~と思う事があったり。 それでも子供が辛い思いをしたり、精神的に弱っていたり、怪我や病気で苦しんだりした時 日々の事は全て忘れ、全力で子供に向き合えます。 それは根底に愛情があるから。 子供の思春期以降、「ああ、私って子供を愛してるな~」と実感する場面が度々ありました。 自分の手の内にある、幼い時にはそんな事はいちいち思いませんでした。 可愛さや、やるべき事 で日々が過ぎていったように思います。 こういう愛情は、決して自分を愛する事と繋がりません。 色々な事が「子供を愛している」からできるんだ、と思います。 自分でも不思議です。 全く枯れないんです。愛情が。 何度も何度も嫌な思いをさせられても、大嫌い!と思う事があっても。 だからきっと幼い時は気付く暇がなかっただけで、今と同じ思いはあったのだと思います。 子供に対峙する事が自分の自己満足の為だったり、親としてこうしなきゃ・・と思ったりする事があって当然。 親とはこうあるべき、が完璧な人はまずいないでしょう。 ただ、それは別に子供への愛情とは・・を考えるところではないと思う。 本当の「子供への愛情」って深い深いところに知らず知らず沈殿していて、子育てのエネルギーに使っているんじゃないかな。 またそれは、何かが起こった時に、溢れ出たり爆発したりするものだと思う。 決して表面的なものじゃないのじゃないし、ましてや自己愛(?)ではないと思います。

noname#57630
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 >子供を愛する事と自分を愛する事は別物と思います。 なるほど。「自己愛ではない」というご意見ですね。 文面を拝見して思い出しました。 そうそう、そんなこともあったなぁ…と、うなずくことばかりです。 うちは息子(20代前半)二人ですが、思春期はそれなりに大変でした。 自分が女のせいもありますが、何でこんな行動をするのか、理解できないことが多々ありました。 「愛情が枯れない」というのは、おっしゃるとおりです。 本当に不思議ですよね。 “あんたなんか大嫌い!”と思ってもすぐに忘れてます。 他人に、「クソババァ!」なんて言われたら即効で縁を切りますが、子供に言われてもすぐに忘れます。 それどころか、愛情はますます深まるばかりです。親ばかですね。 >日々の事は全て忘れ、全力で子供に向き合えます。 >それは根底に愛情があるから。 そうですよね。子育ては全力投球しなければできません。 愛情が子育てのエネルギーになっているのは実感できます。 子育ては、深い愛情がないとできないことです。 それゆえに自己愛ではないのかもしれませんね。納得です。 丁寧なご回答ありがとうございました。

noname#57630
質問者

補足

回答してくださった5名の皆様、 質問タイトルの、「子持ちの方」という言い方は不適切でした。 「お子さんがいらっしゃる方」とするべきでした。すみませんでした。 今回のような質問の場合、お子さんがいない方の意見には、正直“子供もいないのに何が分かるのか”と思います。 でも、実際にお子さんがいらっしゃる方のご意見には、素直に納得できることばかりです。 全ての方々にポイントを付与できずに申し訳ありません。 この欄をお借りして改めて御礼を申し上げます。 貴重なお時間をさいていただき感謝します。 ご意見、ご回答ありがとうございました。   2008.4.13 10:45

  • panp
  • ベストアンサー率25% (29/115)
回答No.3

こんにちは。 自分では思ってなくとも、自分の遺伝子を残すとゆう目的で、自己愛だと思います。 私自身は、育ててもらった親には申し訳ないですが、親への愛情より、子供への愛情のほうが強く感じられます。 たぶん親と子供がおぼれていて、どちらかしかたすけられないとゆう、究極の選択時には子供をとると思います。 これも、親へのいいわけになるかもしれませんが、遺伝子が未来に残るためには、自分の子孫を残す確立の高い子供を選ぶとゆう本能だと思ってます。 これがもう少し大きくなると自分の血族をのこすとゆうふうに拡大していくと思います。 前によんだ本には、通常時には放っておいても命がなくなる危険の少ない兄には育児の労力をあまり使わず、親の助けを必要とする弟にてをかける。しかしいざ本当の二者択一の究極時には、親が子育てに使用した労力たくさん使い、しかもある程度育ち、大人になれ子孫繁栄の確率の高い兄を助け、育児に費やした労力が少なく、大人になるまでの保障が少ない弟のほうを切り捨てるとゆうようなことが書いてありました。 その内容の正否はともかく、子供への愛情は自己愛だと思います。

noname#57630
質問者

お礼

こんばんは。 以前別のアンケートに答えた時、自分の命に代えてまで守りたい、そう思えるのは子供の命しかない、そこまで無償の愛を捧げることができる愛、これは自己愛なのか?と疑問に思いました。 >自分では思ってなくとも、自分の遺伝子を残すとゆう目的で、自己愛だと思います。 なるほど。私はそこまで考えていませんでしたが、とても説得力のあるお考えです。 私も究極の選択を迫られた時は、100%親より子供を助けます。 これは生きた年数の少ない方を助けるという意味で考えていましたが、本能ゆえの行動なのでしょうか。そうかもしれませんね。 panp様がご覧になった本のお話、とても興味深い内容です。まさに究極の選択ですね。 もし自分だったらと考えました。一緒に過ごした年数が多ければ多いほど愛情も深まる、それゆえに兄の方を助ける、こういう理由で助けるかもしれません。我ながら何と浅はかな考えでしょう。 自己愛だとおっしゃる理由がよく分かりました。参考になりました。 丁寧なご回答ありがとうございました。

  • ace1951
  • ベストアンサー率20% (45/215)
回答No.2

A.半分は自己愛 なんでしょうね・・・。  間違いなく子供をかわいい・いとおしいと思っているのですが、愛情を持たなければいけないという義務感、子供を愛する自分は人間的だという自己愛も否めません。 ・・・書いてて 卑屈になりそうです・・・

noname#57630
質問者

お礼

こんにちは。 半分は自己愛というご意見ですね。 そうですね。確かに、愛情を持たなければいけないという気持ちはどこかにあります。愛情を持っているつもりですが、それは義務感からくるのかもしれません。 親が子供を愛するということは、一番人間的で自然な気持ちですよね。 ああ、どうか卑屈なお気持ちにならないで下さい。とても正直なご意見だと思いましたし、参考になりました。 早速のご回答ありがとうございました。

  • chirobu-
  • ベストアンサー率11% (228/2017)
回答No.1

A,そう言われればそんな気もする。 年取ってから産まれた子なのでかわいくてかわいくてしかたがない。あまりにも甘やかしているので親として、破綻していると思う。

noname#57630
質問者

お礼

こんにちは。 そうなんですよね。そんな気がするのかしないのか、難しいところですよね。悩みます。 甘えさえると甘やかすの区別も、親としては難しいことかもしれません。 >かわいくてかわいくてしかたがない 一言ではっきりとおっしゃれるなんて素敵です。 お子さんは幸せですね。 早速のご回答ありがとうございました。

noname#57630
質問者

補足

#1様の欄をお借りします。 先日あるアンケートで、 「子供に対する愛情は自己愛ではない」と回答してしまいました。 それで、改めて皆様のご意見を聞いてみたいと思った次第です。

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