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人はなぜ遺体に執着するのか?
例えば事故などで遺体が粉砕されてしまった人の遺族が 「腕がないとあの世でご飯が食べられない」「足がないとあの世で困る」 と言って全部のパーツを発見することにこだわったり、 沈没船の中にある遺体を引き上げないことには葬式があげられないとか、 そういうお嘆きの話がごまんとあるわけですが、 なぜ人は死んだという事実とは遺体にこだわるのでしょうか? 遺体を集めれば、手元に置けば個人が生き返るというのならまだわかりますが、 実際のところこのような行為に意味ってあるんでしょうか? さらに極端な話、私自身は死んだ後だったらそれこそ死体と言う名の抜け殻を バラバラにされた上でそれこそ見せ物にされようと構わないとすら思うのですが、 これって絶対に間違っていますか? どうにもここらへんがわかりません。 なんでもいいのでどなたかアドバイス下さい。
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- bouhan_kun
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回答No.9
補足
欧米人はそれほどこだわらないというのであれば、 自分の発想は欧米的ということになるのでしょうか? 確かに数々の事象、データによって"公認"された死と断定できれば、 遺体などなくても構わないわけですから。 なにより消費される時間も、費用もばかにならないでしょう。 にも関わらず諸々の障害を度外視してあくまで発見回収しようとする 日本人の執念は正直理解しがたいものがあります。 そこでこちらの回答での「漁業国から来る確実な死の断定」としての 遺体発見という分析には目から鱗が落ちる思いでした。 こういう感情を別に置いて、事実とそこから発生する問題、損失からの 論理的な回答というのが自分の欲しかったものです。 欲を言えば、人間が遺体を目にすると感情的に、過剰に個人に思いを馳せる そこのところの分析があるとさらに理解できるような気がします。