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男女 ジョダン

「女は男には体力的に勝てないから」 レディースデイ 生理休暇 飲み放題料金の違い 色々ありますが (1)まず男と女は根本的に体の作りが違います。 女性が社会的に不利な事はたくさんあると思います。 寿退社など。フェミニストはそれを改善しようと努力しています。 しかし、前述の生理休暇は確かに男には分からない辛いものだと思いますがそのおかげで男性より気持ち良さが得られます。 結婚して子供を産んで会社を休職するのは大変ですが子供を自分の体から産んだ喜びも男性より特別です。 「女性は全てにおいて幅が男性より遥かに大きいです。」 泣いたりすごく笑ったり 男に媚びたりホームレスを軽蔑したり 喜んだり落ち込んだり マイナス-とプラス+がそれぞれ男より絶対値が大きいです。 だから社会的に男と同等になったらめっちゃハッピーじゃないっすか。 (2)男女の2字に代表されるように男が前で女が後。 学校の教科書でもタロウくんは ハナコさんはの様に男女交互に使っています。フェミニストは男性から見ればそんなことまでと思うことまでも男女平等を訴えています。 しかし、職場で引越し会社の男女の賃金の違いを直せとかおかしな話ですよ。会社の重役に女性が少なすぎるとか。 「世の女性は男の方が力も体力もある」 と考えています。学校の体育でも男と女の違いから当然です。なのに個々の能力の違いと男女な性差を関係付けるのは違いますよ。飲み放題 男性4000円 女性2500円 これもおかしな話です。 男のほうが世間一般の常識として体格が大きいし、よく飲むからですよね。 170オーバーの女性は今やザラで 160アンダーの男性もいます。 男女の性差で分けないで体重で決めてほしいです。そういう、女性にとって不利にはならないことは直さないで変ですよ。 意見をお願いします。

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  • tyr134
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回答No.3

まずは、「男女平等」が叫ばれる原因となった「フェミニズム運動」の歴史からお話します。 時代は近代ヨーロッパ「フランス革命」まで遡ります。 この「フランス革命」によってそれまでの「封建制社会(絶対王政含む)」が崩壊しました。 そして、それまで「政治的権利」を奪われていた「第三階級(裕福な市民など)」が「政治的権利」を勝ち取りました。 この例を見た各国は、紆余曲折はあったもの「民主主義社会が良い」となりました。 んで、「フランス人権宣言」や「米国独立宣言」が出されることになりました。 しかし、そこの含まれるのは「白人の成人男性」のみでした。 (つまり、リンカーンの有名な「人民の、人民による、人民のための政府」には有色人種も女性も含まれていません) 最初はそれでも、まだ不満は爆発しませんでした。 しかし、産業革命を経て資本主義社会のもと、社会が豊かになってくると女性達も「参政権がない」事に不満を持ち始めます。 そして、仏国を中心に女性の権利獲得闘争が始まります その結果、徐々に「参政権」が女性まで拡大されていきます。 そして、二つの世界大戦を経験した後、世界は再び豊かさを取り戻していきます。 で、60年代前後に再び「女性解放運動」が、今度は米国で始まります。 「参政権」を得た次は、「職場」を求めて運動を開始します。(ウーマン・リブ運動) この二つの運動は、共に世界に広がり、その過程で色々な意見が提出されました。 その一番重要な思想が「ジェンダー」という考えです。 この「ジェンダー」とは「社会的性差」となります。 「社会的性差」に対置する概念は「生物的性差(セックス)」となります。 つまり、「生物的性差」は「生まれたときから」持っている「性差」で、これは「自然の摂理」なので仕方がない。(女性は月経がある、出産する、男性より運動能力が劣るetc,,,) しかし、世の中が要求する「男らしさ・女らしさ」は「後天的に=社会が生み出した幻想」であるとし、それが「女性を抑圧すると共に」「男性を(社会的責任に)縛り付けている」という論理が生まれました。 日本でも、こうした欧米を中心としたフェミニズム運動を輸入し「男女共同参画社会」だとか「ジェンダーフリー」とかいった事が流行出します。 しかし、多くの人は耳に心地良い響きだけの上辺だけを理解し、その奥底を知ろうとしませんでした。 結果、間違った「ジェンダーフリー」が広まり、「運動会で手をつないで一緒にゴールする」「ランドセルの色を男性=黒・女性=赤と決めない」「こどもの日・ひな祭りを否定する」などなど、「偽フェミニズム運動」が広がる事になりました。 まぁ、世の中の「フェミニスト」自身もその事に気付いていない人が多いですけど。 そうそう、経済的観点からいくと、日本で女性が強くなったのは、男性が女性に財布を渡したのが原因らしいです。 昔は、給料を貰ったら「生活費だけ」奥さんに渡して家計をやりくりして貰ってた様です。(そして、休日にご褒美としてレジャーに連れて行ってあげる) しかし、徐々に「給料を全部」奥さんに渡したり、最初は結婚を期に一緒の「財布(口座)」にお金を共有していたけど、徐々に「家計をやりくり」するのを奥さんに任せっきりにし、結果「お父さんお小遣い制」が広まったようです。 で、そういった事(女性のが金持ってる・自由に使える)には敏感になるのが資本主義経済です。 女性を取り込めば、男性はひょういひょい付いてくるモノです。 そこで、「レディースディ」や「食べ放題は女性の方が安い」ように設定して、女性を取り込み、ついでに一緒に付いてきた愚かな男からも金を巻き上げようって魂胆です。 そこに、「フェミニズム」なんて「高尚な思想」はありません。 ※因みに米国の男性は、頑として財布を女性には渡しませんでした。 その代わりに、「財布を別々にする」事には同意しました。 結果、男は家庭で優位な立場を享受しているようです。(ただし、離婚が増えました) 現状は、「フェミニズム」「偽フェミニズム」「反フェミニズム」「偽反フェミニズム」「フェミニズムよりも資本主義」が混在しているのが日本の社会ですね。 因みに、「男VS女」という構図に単純化して見えるのは、フェミニズム運動の歴史上致し方ないと言えますが、どうやら世界はさらにそこを超えたところで戦いが続いているようです。(私は関知してませんが) そもそも「ジェンダー」なんて分け分らん理論持ち出すから混乱するんだけどね・・・。 長文で失礼しました。 参考になりましたら幸いです。

その他の回答 (3)

  • googahaku
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回答No.4

 なんだかんだ言っても、男女の違いや格差(差別)の問題は、人類永遠の課題で、変化しながらも、はっきりと解決されることなく延々と議論が続いていくことでしょう。その中で楽しみや慰めがあればそれで良しとすべきでしょう。  男とその対極の女(逆に表現しても良い)陰・陽、表・裏・、などと同じく「正と反、矛盾する」存在なのでしょうが、いずれの必須の存在であって、せめぎあいながらも補完し、いつくしみあいながら人生の醍醐味を味わっていくものでしょう。  日本でも神代の時代からの男女間の営みがそれを証明しているように思います。(詳しく説明すれば面白いのですが・・・)   一面的で近視眼的に損得、優劣、などを議論しても、どうせ結論のでない課題です。凝り固まり過ぎないようにしょう。

回答No.2

質問の主旨は 「女性優遇は不合理である(逆差別の可能性がある)」 ということですか?(以下は、その仮定での回答です) 結論は「そのとおり」です。 理由(1)「差別」の定義があいまい。 (1)にあるように、生理的構造の差や精神的な内容も総合的に評価しないまま、要求される事項に対応したため。 また、(2)に言われるように能力の差についても明確な定義づけをせずにさまざまなことが決まっている点が雑な印象をあたえます。 理由(2)だれでも自分が損をすることは主張しない フェア-プレイという精神を体得しているひとが大多数であるかどうかは疑問です。社会的不正を糾弾する側も“やっかみ”が動機かもしれません。また、自身の問題について歯切れが悪いのはフツウであって、新聞やTVの内部の不祥事対応は常に不充分です。 当然に前項で述べた「差別的待遇の是正」を求めた側も「自身が得している差別」については知らん顔でした。しかも、「差別している側は差別に鈍感である」と主張しながら、ですから笑止(噴飯?)です。 理由(3)ジェンダーの評価が一面的 社会的な価値基準が経済的側面にかたよっている傾向があります。(勝ち組・負け組という表現もその一部です)詳細は省略しますが、これは歴史的経緯が理由です。特に高度経済成長期以降に顕著です。(その頃に成長した世代が社会の中心になってきた時代に“価値観の多様化”というスローガンが唱えられた逆説も一考に価しますが、それはさておき…) そこで、ジェンダーの内容も一面的にしか評価されず、経済的価値に還元できない(しにくい)部分が捨象されました。 逆に考えると、フェミニズムが社会経済的価値に偏重しつつあった社会に別の価値観を打ちたてる契機となり得たのですが、結局目先の「得」に飛びついてしまったのですね。 大雑把な回答であり、詳細の論拠を述べるに至らない点が申し訳ありませんが、「差別とは」「フェア(公正)とは」「価値とは」といった認識を深めるのに格好の問題提起であると思いますので、これからもその疑問を持ちつづけてください。

  • 10ken16
  • ベストアンサー率27% (475/1721)
回答No.1

(1) 昭和の中期頃までは、女性の権利や選択肢は、 男性のそれと比して大きく制限されていました。 その結果、女性運動(当時は『ウーマンリブ』などとも呼ばれていました)は 「女性の権利や選択肢を拡大する」という文脈で 進められました。 また一方で、自由な選択にはリスクが伴い、 消費には生産の裏付けが必要であるという意識が、 昭和末期~バブルの頃には、一部の男性からも失われました。 モノをつくる実業よりも、モノを仲介して利ザヤを上げることが よりスマートな仕事としてもてはやされ、 同時に、他人の労働の成果で消費することへの抵抗感も薄れてきました。 (むしろ、それが出来ることが自分の実力だと勘違いする者もいます) 運動の文脈(もう、亡霊のようなものになりつつあります)と 経済動向の両者の結果が、特に女性で先鋭的に現れているのですが、 それに対する揺り戻しも起こりつつあり、一方では 「当事者の性別によって判断を変えるのはおかしい」という考えも顕れています。 (2) 前述の通り、運動の趣旨が女性の受益拡大にありましたから、 差違(主として女性側の不利)が何に起因するものかの分析や それに基づく差違の縮小よりも、結果としての不利そのものを無くす 『女性に優しい社会』を目指すことが優先されてきました。 一方で、企業は営利を求めますから、男性を重役に登用するのは、 その方が利益に対するコストが低くなるからです。 指導的立場に男性が立つことが多いのは、性別よりも能力の差です。 これは、社会が(特に若い)女性に対して『優しい』ため、 男性よりも補助や援助を得やすく、 同じ仕事で同じ成果を出しても、女性がスキルを得にくい構造になっています。 また、仕事の割り振りでも、特に試行錯誤を要する仕事と、 時間さえかければ出来る仕事がある場合、 総じて、前者が男性に多く振られ、後者は女性に多く振られます。 (無論、先の見通しが立たない仕事を忌避する女性が多いことも一因です) 製造業でも、開発部門や生産技術部門のように、試行錯誤ばかりが多く 成果がなかなか出ない部門は、男性の独壇場(!)です。 その結果、日本の職場では、同じ成果を出してはいても、 その過程で得られるスキルに男女間の隔たりがあるため、 女性にとっては、年齢相応の能力を身につけづらい(阻害される) 労働環境と言えるでしょう。 このことは、女性の視点で言えば、 『同じ成果を出しているのに、能力が正当に評価されていない』ように 見えるのですが、原因が能力の差によるものなので、 30代以上では賃金にも現実として差があります。 活動家は『是正』しようとはしていますが、 これは構造ではなく能力の問題なので、変わらないでしょう。 なお、市場において女性向けサービスの方が安価であるのは、 消費心理として、女性の方が『ちょっとオトク』に弱いから、 マーケティングの結果でしょう。 消費者としては、サービスに差違を設ける店を選択しない自由がありますし、 そもそも、食べ放題・飲み放題なんて安かろう悪かろうの典型ですから 我々の側が選択しなければよいだけかと思います。

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