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自殺は勇気?
タイトル通りです。 よく、自殺するのは勇気があるとか、ないとか聞きますが、みなさんはどう思われますか? 良い事、悪い事、全てに囲まれて生きていく勇気がないのか、今の世界の全てと決別する勇気があるというのか…どうお考えになりますか?
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死ぬ勇気がない私からすれば勇気ある行動に思えますね。 しかし、自殺を実行出来る人は、そこまで追い込まれているわけで 精神的に破壊されている事を考えると勇気とは別物かなと思います。
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- tutan-desu
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自分の命を終わらせるということは、普通の正常な人間ではできません。大半の自殺者は正常な判断ができなくなって、訳がわからないうちに死んでしまったケースがほとんでしょう。従って、勇気があるとかないとかの問題ではありません。 知人が建設会社を経営していて、行き詰まり、自分の生命保険で借金を相殺しようと自殺してしまった人がいますが、その死の数ヶ月は見る影もなくやせ細り、目はうつろで明らかに精神に異常をきたしているという状況でした。 結果的に、生命保険は自殺でも降りる契約から満1年後になるまで、わずか1週間足らずに、保険金は出ませんでした。周到に準備したはずの自殺でもそのくらい正常な判断ができなかった例だと思っています。 よく、死ぬくらいの勇気があるなら生きたほうが楽だといいます。どんなに借金があっても、借金取りは命までは取りませんし、自己破産などという制度もあります。 概ねいえるのは、自分の力で生まれてきたんじゃないってことでしょう。何代も続いた先祖の命のリレーのような、駅伝でいえば我々はある区間の1ランナーにすぎないのです。苦しくても次のランナーにたすきを渡すために一生懸命生きているだけでしょう。たすきが渡されなければ命のリレーはそこで終わってしまうのです。 虫でも動物でも人間でも、この世に生まれてきたのは何か理由があると思います。虫や動物は食物連鎖のためと種の保存、人間はそのほとんどが種の保存です。夫婦二人の間に子供が一人しか生まれないと、何十年か先には人口は半分になります。 アフリカのように生存率が低い国は何人も生まないと種が保存できませんし、逆に日本のような先行き経済の発展が望めない国は、自然に人口が減ってその経済に合わせ様とする働きがあるかもしれません。いずれにしても人口が減れば消費も減りすべてが後退します。同じ消費行動をしても人口分自然に減るわけですから。
お礼
状況判断する力がなくなるんでしょうね。 今は、10代の若い命までもが自殺で失われてしまう時代です。本当に、こういった悲しい事はなくなってほしいですね。
- Roman0
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> 現代において起こる自殺、自ら命を絶つという行為そのものです。 > 前の方もかいておられましたが、背景によっても違うのでしょう。 補足になっていないのですが。 私の上げた例は全て「自ら命を絶つという行為そのもの」です。 あなたはどういう自殺を想定しているのですか?
お礼
全てにおいて、です。
- sakura-333
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勇気? 勇気とかじゃなくて諦めからくる自殺の人もいれば、逃げの人もいれば・・ 勇気っていうのは前向きな人の使う言葉だと思うので、何かちょっと違う気がしますねぇ。
お礼
私は一時期、毎日死ぬことばかり考えていました。それでも死ななかったのは、勇気がないのだと思っていたのです。 それでも勇気と考えられる私はまだ健康なのかもしれませんね。安心しました。 ありがとうございました。
- Roman0
- ベストアンサー率18% (118/628)
それを世間一般でいう「勇気」にカテゴライズできるかどうかは、自殺の背景によるのですが、あなたはどういう自殺を想定しているのですか? 爆弾を抱えた自爆テロ? いじめに追い詰められた自殺? 借金苦による自殺? 藤村操のような哲学にのめりこんだあげくの自殺? ヒトラーのように地位喪失による自殺? アノミーによる自殺? 終戦間際の特攻のような自己犠牲の自殺? そのほか?
お礼
現代において起こる自殺、自ら命を絶つという行為そのものです。 前の方もかいておられましたが、背景によっても違うのでしょう。
勇気。ただしものすごい間違った方向に進んだ勇気。
お礼
簡潔で分かりやすいご回答ありがとうございます。 死ぬ勇気があれば、なんでもできると思っています。
- bunbun001
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目の前のことにしか、勇気を出せないということでは。 最後の一歩、要するに足を出すだけ。 失敗や敗北が怖くて、先々を思慮深く考えプランだてる力や、予想する勇気は出せない。 本当に追い込まれ望まずに自殺する者にとっての最後の一歩は、「勇気」ではなく寧ろ其の真逆にあるものではないか。生きるのを「断念する」。 人間が悪だ、として、自分がその存在であることを許せず自らを滅するというなら、自分の生きたいという欲望と戦う勇気か? そもそも、生きることは死ぬことだから、生きられない人は死ねないだろう。
お礼
諦め…という事でしょうか。 生きることは死ぬこと…の文脈、非常に考えさせられました。 ありがとうございました。
- at9_am
- ベストアンサー率40% (1540/3760)
> よく、自殺するのは勇気があるとか、ないとか聞きますが、みなさんはどう思われますか? 実体験から言うと、自殺を真面目に考えて、色々試したりしましたが、人間なかなか死なないもので、結局死なずに今日に至っています。単純に面倒くさかった、と言えばその通りかも知れませんが、それを自殺する勇気がなかったと言い換えても、その通りかも知れないとしか言えません。自分でも、なぜ生き残ったのかよく分かりません。 ただ一つ言えることは、私の実感としては、勇気があるかどうかという問題なのかは兎も角、自殺する人は自殺できる人です。 ときどき、間違って自殺する人っていますよね。自分では自殺するつもりではなかったが結果として自殺してしまったような人が。 こういう人と、覚悟して自殺した人とは大分事情が違うと思いますよ。
お礼
勇気よりも、タイミングやそのときの運(表現がおかしいかもしれませんが)のようなもの、という感じでしょうか? たしかに、たまに聞きますよね本当に死ぬ気はなかったんじゃないかとか。 非常に難しい話なのかもしれませんね。 ありがとうございました。
- nagishiho
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私は生きていく勇気がないから死ぬ、つまり逃げでしかないと思います。 死ぬために苦しい思い、痛い思いをしなければならないということで それを自分でやるというのはある意味勇気のいることかもしれませんが、 自殺する勇気があるなら…の言葉の裏には、自分を痛い目に合わせる勇気があるなら… があるのではないかと思います。
お礼
強いお考えをお持ちですね。羨ましく思います。 かといって、今の私に自殺願望があるわけではありませんので… ありがとうございました。
↓戦後日本を代表する文芸評論家の江藤淳の遺書です 「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」 名文です 江藤氏を心から尊敬していますが、一度自殺というものを認めると 自分自身への生への不安というものがでてくるので自殺というものは断じて認めません 死に対する不安が一切ない現在では、勇気ではなく弱さというふうに書いておきましょう 鶴見俊輔がエセーで書いていましたが 老年期を迎えて不安というものを減らすには、連綿たる生の流れを認識させる、自分の家族もしくは孫という存在が必要だと思います
お礼
勇気とは関係なく、自分の弱さに負けたという感じなのでしょうか? 確かに守るべきもの、愛おしいものがあるなら、自殺などという考え自体、生まれにくい物なのかもしれませんね。 ありがとうございました。
お礼
精神的に破壊されてるから勇気とは別物って、なるほど!と思いました。 私にはその考えは浮かばなかったので… ありがとうございました。