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精神障害のきょうだいがいます。私自身が就職に悩んでいます。
私は今春、就職する学生です。 私には精神障害のあるきょうだいがいます。 最近になって、きょうだいが精神疾患を抱えたことで自分が罪悪感を持っていることに気がつきました。 罪悪感の気持ちから、学校でも精神障害者福祉を学び、就職先も精神科病院を選んだのだと気づきました。 今まで私がやってきたことは何だったのだろうと、やるせなさでいっぱいです。 罪悪感からきょうだいのために働くのは嫌です。 精神科病院で、きょうだいのためではなく、自分のために働くことはできるのでしょうか。働く気が失せてしまう気がして、怖いです。 同じような立場の方がいらっしゃいましたら、アドバイスをいただけないでしょうか。よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
あなたがずっと精神障害者福祉を学び、就職先も精神科病院を選んだのは精神障害のあるきょうだいがいらっしゃったからですよね。 ごきょうだいは、きっかけを作ってくれただけだと思います。 家庭という、生活に深く関わる人から影響をうけるのは、ごく自然のことです。 あなたのごきょうだいがもし音楽が好きだったら、あなたも音楽が好きになってたかもしれない、というふうに。 罪悪感、という言葉を使っておられますが、それは精神障害のあるきょうだいと生活をしてきたあなただからこそ出る言葉だと思います。 きれいごとじゃない、苦しさとか辛さとか汚さとか、(すべてのことに言えると思いますが、人の気持ちって)経験者にしかわかりません。 でも、経験者なら、分かり合える部分が多いんです。 同じ経験をしている人とは共感しやすい。 だから、あなたはそこで、とても素敵な仕事ができるんじゃないかと思います。 実際お仕事が始まったら、目先のことに忙しく集中してしまうと思います。 一生懸命仕事をしていれば、お給料だけでなく、感謝されたり怒られたり失敗したり、いろんなことが勉強になると思います。 そういうのは全部あなたの実になっていくんじゃないでしょうか? 自分の為に働くこと、出来ると思います。 ごきょうだいは、きっかけを与えてくれたのです。 そう思えたら、素敵だと思うのですが。
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- chappy456
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少し飛躍しすぎかもしれませんが気になることがありますので参加させていただきました。 御兄弟が「精神疾患を抱えたこと」とは、最近のことですか? それよりも前にあなたは精神障害者福祉を専攻されていたのですね? だとすれば、「罪悪感からきょうだいのために働くのは嫌です」という発想はあたらないと思います。 「自分が罪悪感を持っていることに気がつきました」とありますが、人の心は親から子へと連鎖していくものです。御兄弟のことだけでなく、今までの育ちの中で何か引っかかることが判ってきたということですか? 精神科医でも、病理としての知識は有っても、対症療法だけで、心の問題としての取り組みは今一の方が結構居られます。 あなたも学校では心理のことは学ばれた事と思いますが、もう少し心の仕組み、心理学を深められたらと思います。あなたのように多少なりとも知識のある方は、カウンセリングを受けるのではなく、学び直すのです。巷にあるカウンセリング講座のようなものでもいいですね。 心の成り立ち、仕組みが自身で納得できると自分が楽になります。 ご兄弟への見方も変わってくると思います。
お礼
アドバイスありがとうございます。 「心の成り立ち、仕組みが自身で納得できると自分が楽になる」 このことを心に留めて、悩んだときには自分の育ちを振り返るようにしたいと思います。 ありがとうございました。
補足
私の文章の書き方が曖昧だったようです。 補足させていただきます。 きょうだいが精神疾患を抱えたことがきっかけで、精神障害者福祉を学んできました。 きょうだいが精神疾患を抱えたことで思い悩み、 進学する時に精神障害者福祉を学べる大学を選んだのです。 私は大学で4年間心理と福祉を学んできましたが、その中で、自分の育ちを振り返る機会がありました。そして、私が罪悪感を持ちやすい性質があると気づきました。そのおかげで、きょうだいが精神疾患を発症し症状に苦しんでいるのは、「自分がすべて悪い」というわけではなく、「自分が悪いのだと私が感じているのだ」と理解しました。 自分がどのように育ち、どのような感じ方・考え方をするのかを自覚することができ、気持ちが楽になりました。 私の書き方が不適切だったようで、誤解を招いてしまったようです。 申し訳ありませんでした。
- suunan
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「きょうだいが精神疾患を抱えたことで自分が罪悪感を持っている」 それが根本的に間違っています。 精神病は本人の責任ではないので、本人にとってさえ 罪悪ではないのに、兄弟がそれだから自分が 罪悪感を持っているというのはおかしい。 それは露骨な病人差別であって、まったく間違っています。 ハンセン病者を差別するのと同類です。 自分の身内が病者であっても何も違いません。 差別を捨てて、これまで自分が差別の加害者だったことに 罪悪感を持ちなさい。 差別は感覚であって、理論が正しく感覚が間違っていることも多くあり、 本件が該当します。 感覚を是正して真人間になれば問題は消えてなくなります。
お礼
私の書き方が不適切なため、誤解を与えたようですね。 今後は、読み手がどう受け取る可能性があるのかを熟慮した上で、 質問を投稿するようにします。 アドバイスありがとうございました。
補足
私の説明が至らなかったようです。 もっと事情を説明するべきでした。 補足させていただきます。 「きょうだいが精神疾患を抱えたことで自分が罪悪感を持っている」ことが、根本的に間違っているとのことですが、 私は精神疾患を抱えたのは本人の責任でも、きょうだいの責任でも、誰の責任でもないことは、知識としては知っています。 ただ、人はそれぞれ自分が感じたことがその人にとっては本当のことだと思うのです。 私は、きょうだいが精神疾患を抱えたことは自分がすべて悪いわけではないと「知って」いますが、自分が悪いと「感じて」しまうのです。 私は精神障害者家族の手記を何冊か読みましたが、精神疾患を抱える人を家族に持つ方の多くには、私のこの体験をわかっていただけると思います。
ご就職おめでとうございます。 障害児教育関連の進路に進む人には、家族や親しい人に障害児・者がいる、という人がとても多いです。 心理関係の仕事に進む人には、家族や親しい人に心理的なトラブルを抱えている人がいる、という人がとても多いです。 質問者様の学校のお友達の中にも質問者様と同じような環境の方は多くないですか?? 少なくとも私がしっている範囲では、「家族や知り合いに~」がない人のほうが少ないです。 心理や医師以外の医療の仕事って、基本的に特殊な仕事だから、特別なきっかけがないと、なかなか「目指そう!」ってそもそも思わないものだと思います。 私も、「親が離婚してて、親の気持ちを整理するために心理をやっていたのかも」と気づいたときは愕然としましたが、今は「親が離婚してる人なんてそんなにいないし、親が離婚するときのトラブルや辛さを知っている人間が心理関係にいるのは、世の中のためになるはず!」と寧ろ思ってがんばって勉強しています。 質問者様の場合、ご家族に精神障害のある方がいらっしゃることで、他の職員さんより精神障害のある方のご家族の気持ちを汲み取ることが得意な重要な戦力になりうる素質を持った方だ、ということができると思います。 質問者様が感じている罪悪感だって、ほとんどの人がもっていない貴重な財産だと思います。 「罪悪感を抱えている」ということは「同じような罪悪感を持って辛い気持ちになっている人の気持ちをわかってあげられる」ということではないでしょうか。 たぶん似たような悩みをもつ人はとても多いと思います。 うまく言えませんが、質問者様が今感じている気持ちは、質問者様の目指す道を進む上で、いくらでも役に立てていくことができるものだと思います。 どうしても気持ちが整理できなかったらカウンセリングをうけてみるのも手ですよ(私はちょびっと利用していたことがあります)。 私の場合、専門家の方とお話するのはとても参考になりました。
お礼
アドバイスありがとうございます。 自分と同じように、家族のために心理を勉強していたと気づき愕然となったという方がいらっしゃっることを知り、私だけではなかったんだと心強い気持ちです。 トラブルや辛さを経験したことを他の人のために役立てていくことができる、とおっしゃっていただいて、今まで辛かったこと、勉強してきたことに意味があると思うことができそうで、うれしいです。 私も苦しい思いをした経験を無駄にしたくはありません。自分と同じように苦しんでいる人の気持ちを少しでも楽にしてあげたいです。 私にとって、きょうだいが精神疾患を抱えたことはとてもつらかったし今もつらいです。まだ人に受容してもらった経験がないためだと思うのですが、今は精神科病院で働くという選択をすることをしませんでした。自分自身が、きょうだいが精神疾患を発症したことで起こった問題や感じたつらい気持ちを受け止めきれていないのだと思います。このような状態で、患者さんが苦しんでいる様子を目にすると、笑顔で接することができなくなる気がします。 今は体験を受け止め切れていないとしても、精神科病院で働きながら自然と受け止めていくこともできたのかもしれませんが…。 今の私ではそのような選択をすることもできませんでした。 近々、同じ立場の人に会って私の話を聞いてもらうつもりです。 その後の私の気持ちで、今後精神障害者福祉の分野を再び目指そうかどうかを決めたいと思います。 当分は、精神障害者福祉から少し離れた分野で頑張ろうと思います。 この分野でも、精神障害者福祉との共通点を探して、私の経験を生かせる部分があると思います。 もちろん心理や福祉の勉強は日々の生活の中で続けていきます。 fanfanfan4様も頑張ってください。応援しています。 心のこもった前向きなアドバイス、ありがとうございました。
- takashi-99
- ベストアンサー率16% (44/263)
私は妻が非定型精神病で20数年間その病気と一緒に付き合っています。貴方が色々と罪悪感を持っているといわれるのも理解できるつもりです。私は妻が病気になった時には,これが私の宿業であるんだなと腹をくくりました。全てを自分が盾になり家族を守っていく決心をしました。だから周りが何を言おうと私が前に立ちはだかり跳ね除けてきました。試練は逃げれば逃げるだけ面白がって追いかけてきます。逃げずに真正面から闘う以外に方法はありません。妻が病気になり色々と病院を回りましたが良くなりませんでした。そしてやっとよい先生に巡り会うことができました。大阪谷町9丁目の高山直子(京大医学部精神科)先生でした。この先生のお陰で妻は快方に向かい普通の生活に戻ることができたのです。私は妻が錯乱状態等になって入院を勧められても決して入院はさせませんでした。病院に入院すれば本当の病人になってしまうからです。だから妻の病状が悪いときには私が仕事を休職して付きっ切りで看病しました。貴方も病名から妻の状態が想像できると思います。貴方も罪悪感を持っておられるということですが,貴方の心の切り替えをされたらどうでしょうか?今の高山直子先生が言っておられましたが,正常な精神を持っている者は誰もいない・ただそれが病気として表面に出ているだけですと。私にも出来ましたよ,貴方に出来ない訳はないと思いますよ,同じ人間ですから,持っている能力はみんな同じだと思います。ただ表面に出てくる形が違うだけだと思います。人生は勇気がなければ敗者になると思います。どうせ短い人生ですよ,前向きに勇気を出して自分に与えられた試練を乗り越えていってください。
お礼
アドバイスありがとうございます。 takashi-99様のご回答を拝読し、頭が下がる思いです。 私は精神科病院で働くことを選択しませんでした。 私は逃げてしまったのだろうかと思い、将来再び苦しむことになりそうな気がして、後悔しそうな気持ちでいます。 takashi-99様はお怒りになるか、愕然とするか、いずれにせよ、ご気分を害されるかもしれません。 私は逃げたのかもしれませんし、今は向き合うことができなかったのかもしれません。 ですが、私は今は、「心から自分のために働いている、自分のために生きている」という実感がほしかったのです。 私は20代です。精神疾患を抱えている本人のきょうだいです。 将来はどうなるか分かりませんが、本人を支えながら生活することになるだろうと思っています。 今は、自分のために生きたいのです。 私は今でも、自分のために生きることを選んだことに対して後ろめたさを感じてしまいます。これは、精神疾患を抱えて生活するきょうだいに対して私がまだ罪悪感を持っている証拠だと思います。 私がもし逃げたのなら、将来また直面することだと思います。 そのときに向かい合いたいと思います。 きょうだいとは、ほどよい距離を保ちたいと私は思っています。 それぞれがそれぞれの生活をする、そんな距離で支えられることがあるなら支えたいと思います。 そのために必要なことは、自分が自分の生活を楽しみながら、働いて自立することだと考えて、頑張っていきたいと思います。 貴重なアドバイス、ありがとうございました。
- syouko334
- ベストアンサー率30% (8/26)
同じ立場ではありませんが回答しますね。 本当に罪悪感だけで興味もやる気もない仕事や学校を選べますか? 少なくとも卒業するまで頑張ってこられた分野です。 他にやりたい事がありご兄弟への罪悪感でそれを選べないならそちらを選ぶべきですが そうでないなら今まで学んだことを生かせる職場です。 頑張ってみることに価値はあると思いますよ。 罪悪感だけでやりたくもない事を継続できる人は多くはありません。 その精神科病院で、福祉の魅力をもう一度探してみるのもいいかも知れないですね。
補足
アドバイスありがとうございます。 罪悪感だけでなく、きょうだいのように病気や障害に苦しむ人やその家族の気持ちを楽にしてあげたいという気持ちもあります。同じ立場のため気持ちがとてもよくわかる気がするので、支えになりたいという前向きな気持ちもあるのです。 前向きな気持ちもありますが、自分が罪悪感を持っていると気づいた時、自分が罪悪感だけで動いてきたのだという気がしてショックを受けたのです。自分が精神疾患を抱えた人やその家族の助けになりたいと思っているのは、思い込みだったのではないかと思ったのです。「私は罪悪感(だけ)で動いているわけではない。助けてあげたいと思ってるんだ。」と思い込んでいたような気がしたのです。 本当は罪悪感で動いてきているのに、罪悪感で動くことは悪いことだという考えを持っているために、助けたいという前向きな気持ちで動いているんだ!と自分でカモフラージュしているような気がしたのです。前向きな気持ちがあるんだから、自分が持っている罪悪感を軽くするために、精神疾患を抱えた人やその家族のために動き続けてもいいでしょう?と。 私は、罪悪感でいっぱいの時期が6年間続きました。 その間のことですが、夜中に一人になると、「自分があの時、~と言ったからだ。~をしたからだ。自分が悪いんだ」と自分を責めて2~3時間泣いていました。学校の授業中も通学途中の電車やバスの中でもいつも「自分が悪かったのだ。どうすれば償えるのか。元に戻らないんだから償いようがない。自分は幸せになるわけにはいかない」と考えていました。精神疾患発症の原因は不明にもかかわらずです。 腹痛が3年間毎日続いたり、気管支炎が半年間続いたりしました。病院を変えても薬を変えても治らなかったので、心身症だったのではないかと思います。心の中で自分を責めていて、それが身体の症状として表れるというものです。今では、それくらい、自分は罪悪感を持っていて苦しかったんだな、楽になりたかったんだなと思っています。 病院の内定は既に辞退しました。 他にも理由はありますが、今は罪悪感が前向きな気持ちよりも強くて、立ち向かえないと思いました。
お礼
アドバイスありがとうございます。 galedays様からのアドバイスを拝読し、自分がやはり精神疾患にこだわっているなと感じました。 私が精神障害者福祉を学んできたのも、人が音楽を好きになるのも、生活に深く関わる人から影響を受けたという点で同じなんですよね。 私は精神疾患を生活の一部として受け入れることができなかったのかもしれないと思いました。 実際に仕事が始まったら~というのは、確かにそうかもしれないと思いました。実際に働き始めたらどうなるか、仕事内容や職員さん患者さんとの関わりの中で自分が成長するという視点を持てていませんでした。つらいだけで乗り越えられずに、ずっとつらいだけだと思い込んでいました。 病院の内定は既に辞退してしまいました。 自宅から近い病院です。きょうだいが通うことになる可能性があり、もしそうなったら気まずいから…と自分に言い訳をしました。 自分がどのように働くことができたのか、患者さんやその家族の気持ちが楽になるお手伝いができたのだろうかと考えると、残念で後悔の気持ちでいっぱいです。自分の弱さが嫌になります。今、立ち向かわなかったことを将来後悔しそうな気がしています。 病院の内定は辞退しましたが、障害者福祉に携わる会社に就職することが決まりました。しばらくはその会社で頑張りたいと思います。 もし私が精神疾患を生活の一部として受け入れることができて、やっぱり精神障害者福祉の分野で働きたいという思いが強くなったら、galedays様のアドバイスを思い出し、自宅から離れたよい精神科病院を探し、自分のしたいことに立ち向かいたいと思います。 4月からは、会社で自分の経験を生かしながら、いろいろな考え方ができるように、少しのことには動じないように、強くなりたいです。 今はつらいことがあると、目先のことしか考えられなくなるけれど、自分を大切にして先のことを考えられるようになりたいです。 自分の話が多く、長文で申し訳ありません。 精神疾患を音楽と同じように、生活の一部として考えてくれている人がいることを知り、気持ちが救われたような気がしています。ありがとうございます。また、自分にない視点からアドバイスを下さいまして、ありがとうございます。とても勉強になりました。