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人と会うのが怖い
最近、生身の人間と接触する機会が少ないからなのか 人と会うことや話すことが億劫で怖くなります。 ハローワークで書類を提出しないといけないのですが、受付の人に 「何か変なことを言われないか」「怖くてパニックにならないか」と 取り越し苦労ばかりしてしまいます。 ネットを使うことが多いので、人と話す免疫力が落ちているのかと 思っているのです。 家族や友人や従姉妹、メンタルクリニックの先生や受付の人は大丈夫 なのですが他の人は怖くなることがあります。 元々人見知りなのですが、どうすれば克服できるでしょうか? このままだとバイトの面接を受けるのも書類を提出するのも怖くて 外を出歩けなくなるかもしれないと思うと悲しくなります。
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♯4です。タイトル≪私の“反省”論≫≪“感情”論≫ 私たちは、失敗をしたとき「反省」します。そして、反省していると、自分を責める気持ちが自然に沸き起こります。私は、この「自責の念」という感情は、記憶をとどめる為に在るのだと思っています。幼い頃の思い出の中で今も憶えているのは、強い感情と結びついた記憶ではありませんか。喜んだ、怒った、悲しかった、驚いた、恥ずかしかった…強い感情と結びついた記憶は、脳に強く刻まれるのです。だから、『二度と同じ過ちは繰り返すまい』と真剣に反省していると、自分を責める気持ちになるのではないでしょうか。そうであるなら、記憶にとどめる役割を超えてまで自分を責めるのは無駄であり、意味が無いのではないでしょうか。ちなみに、体に染み付いた記憶、例えば<自転車の乗り方>や<泳ぎ方>も、忘れにくい記憶ですね。 「不安」と「恐怖」の違いは、「恐怖」には対象物があるが、「不安」には対象物が無いということです。恐怖はその対象物が去ってしまえば消えます。一方、不安の対象は漠然としていて明確な相手がありません。では何故このような不快な感情があるのかというと、これは一種の“警報機”であると解せます。高い所は危ないよ、暗い所には危険が潜んでいるよ、…人それぞれ、警報機の鳴り出す状況が違っているのでしょう。質問者様の場合は、「人と会うと自尊心が傷つけられるかも知れないよ!」という警報なのでしょうか。でも、しょっちゅう鳴っていたのでは、せっかくの警報機もその役割を果たせませんね。ちなみに「怒り」は他者に対する“警告”と解せます。 心は言葉ではありません。でも、それを敢えて“言葉”で表現し、“言葉”で把握するのは、大脳の前頭葉左脳の協力を得るためです。「感情」に振り回されるのも≪自分≫ですし、『そんなのは愚かだ』と「理屈」で批判するのも≪自分≫です。どちらも切って捨てる訳にはいきません。<左脳は村長>、<前頭葉は指揮官>、そんな感じが私はしてならないのです。駄々っ子だったり、臆病だったりする、構成員(感情を発生させる脳の部位)の意思を尊重し、なだめながら、同じ方向に向かう時、最大限の力が発揮できるのではないでしょうか。 これらは、私の私見です。一般的な考え方かどうかは関知しておりません。
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基本としてこうした精神的な問題は素人が具体的な事は言えないものですね。メンタルクリニックというのは「精神科」のお医者とは違うのですか? その先生に相談するのが先でしょう。。。 無理をしてはいけない場合、一歩踏み出してみて様子を見る場合、その人の状態によって方向は様々です。 無理な事は無理です。 頑張るとかの次元では無いですから。 下手すると余計酷くしてしまうかもしれませんよ。 自分の悩みを口に出してみるのは良いことですが、「どうすれば克服できるか」は専門のお医者さんでなくては判断出来ません。 まずは良い医者にかかって判断を仰いだ方が良いです。 これだけの情報では誰も判断は出来ません。 ネットの依存が原因かもしれませんし、もっと別の病気かもしれません。 本当に苦しくなったら良い医者を捜しまわって下さい。 医者の善し悪しも重要な判断です。 その方によって思いも寄らない解決が見れるかもしれません。 また、下手をすると薬を大量に売りつけられるヤブに当たってしまうかもしれません。 慎重なご判断を。。。 冷たい文章でしたが、本当に深刻な場合、言葉綺麗なアドバイスは何の解決もみられませんから。 この類の病は「頑張って」という言葉一つでも相手によっては重りになりますからね。
お礼
回答ありがとうございます。 現在、メンタルクリニック(心療内科)に通院しています。 そこで人と会うのが怖い旨を先生に今度話してみることにします。 幸い薬は適量で処方して頂いてますので。
40代男性です。 思いますに、あなたは責任の持てないことにまで責任を持とうとしているように見えます。人があなたのことをどう思うか、どう反応するかは、基本的にはその人の自由です。何が「自分マター」で、何が「相手マター」なのかは、重要な問題です。相手に決定権がある事柄を、自分に決定権がある「自分マター」だと考えると、思い煩うことになります。自分を良く見せようと働きかけることは出来るでしょうが、依然として「相手マター」の決定権は相手にあります。 物事を目的に適(かな)っているかどうかという視点でみることです。書類を提出するのが目的、面接を通過するのが目的です。その時に怖くならないこと自体は、目的ではありません。つまり、怖くなったり緊張したりしても構わないということです。 “感情”は自然に発生し、自然に変化するものです。そのままにするしかありません。一方、“行動”には意思の自由があります。なすべきことを行ってしまえば、感情はその衝動を満足し、頓挫し、消失するものです。「理解してから」「納得できてから」取り組もうという態度ではなく、「とりあえず始めてみよう」「まず行ってみよう」という態度が好ましいでしょう。その嫌な“感情”が<放物線を描いて消失していく感覚>を体感できれば、その嫌な感情の発生は、それほど怖いものではなくなるでしょう。その時に、「不安になってはいけない」「怖くなってはいけない」とアタフタしていると、<放物線を描いて消失していく感覚>を見逃してしまうのです。そのまま「不安」を味わう位でいいのです。また、「不安」に慣れるのも一法です。 「○○すべき」「○○であるべき」「○○しないといけない」…という「べき」「must」が多いときには、どうしても緊張してしまいます。ならば、「べき」「must」を減らせばいいのです。つまり、自分の責任の範囲を絞るのです。「相手マター」には責任を持たない、「感情の発生」には責任を持たない、ということです。 下記URLも参考にしてください。
お礼
回答ありがとうございます。 「○○すべき」「○○であるべき」「○○しないといけない」は 私の中で結構使っています。余計不安になるから怖いと思っていたの ですが、不安は誰にでもあり起こりうる感覚の一種なのですね。 怖くなったり緊張したりしても構わない―それならば少し楽に なれそうです。頑張ってみます。
>最近、生身の人間と接触する機会が少ないからなのか・・・ 生身の人間と対峙すると時として自分自身が傷ついたり凹んでしまうことがあります これを恐れて避けて通ると益々生身の人間との接触が怖くなります ぶっきら棒な回答で申し訳ありませんが 傷ついて這いつくばって苦しくてのた打ち回るのが普通です 上司に怒られる、失恋する、友人ともめる、好きな人に告白できない、事故って煩わしい事務作業に追われる、お客さんに罵倒される、酔っ払いに絡まれる・・・・ 面倒な事ばかりですが自分可愛いさに避けて通るとロクな事がありません
お礼
回答ありがとうございます。 人は何かしらの形で傷ついたり苦しんだりする、それを避けてしまうと かえってロクなことにならない―私はそこから逃げていたのでしょう。 傷つくことも人生経験として必要なのですね。つらいですが・・・。
- blazin
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急には変われませんよ。 無理の無い範囲で例えば入ったことの無いお店に入ってみるとか、 自分なりに出来る自己練磨をすべきでしょうね。 プラスして貴方が良い方向に行くように、しっかりメンタルの診療も大切にしてしっかりアドバイスを貰って実行していく事ですよ。 焦らずにね☆
お礼
回答ありがとうございます。 入ったことのないお店―クラブやバーでしょうか? どんなお店がいいかはよく分かりませんが、がんばってみます。 あとは人に会うとき「怖い怖い」と思わないことでしょうか・・・。 何とか頑張ってみます。
- super_K
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今までと同じ生活していて、 急に話せるようになると思いますか? ネットばかり使っていて、明日から急にコミュニケーション取れるんでしょうか? あなたは、何一つ間違いない完璧な人間なのでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 今の生活習慣を変えたほうがいいということでしょうか? やはりそうしないと駄目なのでしょうね・・・。 残念なことにまだ医者から仕事に就いていいという許可が出ていない ので、ちょっと変えてみることで何とかやりくりしてみます。
お礼
回答ありがとうございます。 失敗したとき、私は自分を心の中で責めることが多いですね。 反省して次に生かすことが上手くできないでいることもあります。 次に生かすことを考えるようにすれば、人との係わり合いも適度に うまく行くのかもしれませんが・・・。 頑張るよう心がけます。