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最近死ついて考えてしまいます。

こんばんは。看護学生です。 最近実習で病気により死が近い患者様を担当させていただきました。 死を間近にしいろいろと悩みながらも生きていらっしゃる様子を目の当たりにして何も言葉が出てきませんでした。そばで患者様の言葉をただただ受け止めるだけでもいっぱいいっぱいでした。実習したいは2週間とそんなに長いものではなかったのですが今もそのときのことが頭から離れません。人間はいつか死を迎える、わかってはいましたが最近知らない人の死でも耳にすると涙が止まらなくなってしまいます。知り合いの方には重い相談と迷惑がられるだろうとなかなか相談することが出来ません。死について考えたことのある方、ご意見ください。

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回答No.6

若いころより 死についてはよく考えました 死んだらどうなるだろうかと でも今、40代も後半になり 死という言葉は、心の中で現実的なものになりました。 実父が50代でなくなっているし、体質も性格もよく似てるといわれた私は、父と同じような寿命なら、あと10年ほどしかないのです 今、死を意識することは、生きるということにとても良い影響をもたらしてくれます。悩み事が起きると、もう残りの見えてきた歳になって、こんなことで悩んでる場合じゃない、楽しい気持ちで生活していかなくちゃ、とか、人とトラブルが合っても、気分よく生きていかなきゃもったいない、と、人間関係良くするように心がけたり。幸せのイメージをとても大切にするようになりました。とにかく不幸な気持ち不快な気持ちですごすなんて、時間がもったいないのです。 歳をとると、若いころには想像もできない体の衰えを感じます。娘に、自然というのはこういうものだね、生きて、体がだんだん衰えて、ぼろぼろになって、死んで、朽ち果てていくんだよというと、哲学的な彼女は、そうだねぇと感慨深げに聞いてくれます。若くして亡くなる方は本当に無念と思います。 私も人の死に会うと、もう自然に涙が出てしまうほうですね。周りに感受性が強いといわれますが、貴方も死という現実にあい、心が敏感になってるのではないでしょうか? 看護婦さんの友達、何人かいますが、皆さんタフです、精神的にとても強い、きっと仕事をつずけてこられたなかで、培われていったのでしょうね。 死ぬということがあるから、幸せに生きられるというのが、私の実感です。 一粒の麦、もし死なずばという言葉ご存知ですか 私は、クリスチャンではないけど、あの言葉は心理だと思ってます

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回答No.13

はじめまして。看護師をしております。 私が初めて「死」を間近に見たのは、看護学生になる前の事でした。 昨日まで普通に話をしていた友人や隣人が震災で亡くなられた時です。 「人は死ぬ」頭では理解していたと思っていたのに。 突然訪れた死は、本当に怖く悲しく。そして理不尽で。あなたと同じように感情を抑える事ができず、ただ涙を流し続けていました。 それでも、残された私たちは生きていかなくてはならないのです。 死の重みも悲しさも、生きていく事の重さも責任も、そのとき学んだように思います。 そして、生まれてきた私たちも、何時かは必ず、病気や事故や老いて死ぬのです。 患者さんの死は、何時か私たちの上にも必ず訪れる死、それは通常の日常の延長上に必ず訪れる事なのです。 私たちは仕事上、多くの死に立ち会います。 その中で、多くの事を学ばせていただいているのです。 今回、あなたが「死ぬ事」について学ばせていただいたように その方の人生の最後のひと時の、大変貴重な時間に関わらせていただく事は、大きな意味のあるものなのです。 亡くなられた患者さんを見送るとき、「ありがとうございました」と、感謝の想いをこめて礼を尽くします。 それは、学ばせていただいた事を、今後の自らの看護に生かせるようにしますとの誓いでもあるのです。 看護は生涯が学びです。それは机上の知識だけでなく、患者さんから教えていただくことが多くあります。 私たちは、患者さんの教え子でもあるのです。 その教えに報いるには、いま、目の前の患者さんに、少しでもより良い看護を提供する事です。 そうしながら、また、その方から何かを学ばせていただくのです。 あなたはまた、患者さんの死にかかわります。 そのときに今回学ばせていただいた事が、あなたの大きな手助けになるでしょう。 そうして、私たちはこれからも学ばせて頂くのです。

mo8
質問者

お礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。ありがとうございます。これからも患者様への感謝の気持ちを忘れずにがんばっていきたいとおもいます。ありがとうございました。

  • winngu11
  • ベストアンサー率20% (169/810)
回答No.12

くだらない話しだと思って聞いてください。 私は、輪廻転生をかなりの範囲で信じています。 魂というのは永遠で、自分の課せられた課題に従って、生まれてくるものなんだと思うんですね。そして、亡くなっても、人生はひとつじゃない。亡くなった瞬間に、次の人生が用意されている。 それまでの、人生で経験するすべてのことは、もっといい心を持てるための訓練だけのために生まれてくるんだと思ってるんです。 哲学的な本など見ても、こういった感じの本はありますが、私がどうしてそういう考えを持っているかというと、私が日本人なのに、うめぼしと納豆が大嫌いだからです。単純だけど、凄く何故って思うんですよ。うちの家庭って普通にみんな私の嫌いなものを食べてたし、それで嫌いっておかしいって思って。きっと外国で前の余生は生きてたんだなって勝手に思ってます(笑) 人間て、生れ落ちた瞬間にもう死が用意されています。 これって凄いことですよね。 生きる限り、自分のその死に様も、人それぞれ。けれど、最後まで生きる瞬間まで生きること、そして自分が自分である最後の瞬間まで、自分らしく生きる人って素晴らしいと思います。 そして、私も死にます。質問者さんもいつかは死ぬのです。 それは、早いか、遅いか。それに過ぎません。 だから、私は、周りに亡くなる人がいたとしても、その人が辛い症状で苦しいのは私も辛いと思っても、死ぬことについては、それほど関心がないかもしれません。私も死ぬのかなって思うから。 人間て、明日自分が死ぬと思わないと、生きることに関しての未練を感じにくいけど、明日あなたも私も死ぬかもしれないのだから、そうすると、明日死ぬ私やあなたのために毎日涙を流してなきゃいけませんよね。そのうちにそんな暇はなくなります。だって、早くやりたいことたっくさんやらないと死んじゃいますよ。色々人生めいっぱいやらないとね。本当、忙しいです。 けれど、質問者さんは職業柄、これから死にゆく人が人生をかけて頑張って生きる姿をたくさん見ると思います。けれど、そういう人から、その生き様から、いろんなことを教えられると思います。生き方も・・支え方も。 素晴らしいお仕事ですね。 どうしても辛くなった時は思い出してください。 「私も、いつか、あなたと同じ。死ぬけど、今一生懸命生きてます。」

  • acuna
  • ベストアンサー率14% (319/2259)
回答No.11

死ぬまで生きる。 いつかはみんな死ぬ。これは紛れも無い事実。 だから、精一杯生きる人は徳が産まれる。徳には幸が後からついてくる。 だから尊厳死や、ホスピスの大切さが謳われる。 妹も、高等看護学生時代、実習は物凄く衝撃的で辛かったそうです。 人の死に涙するのは、人として当然の感情です。 否、まっとうに生きる為には、人の死に涙し、不遇を言い訳にせず、必死に今を生きる人に感動し、涙する。 死や、死へ至る孤独感を思いやれるからこそ、やさしい思いやりが、心から湧いてくる。 心の交流は、こういった部分の気持ちの共有から生まれるのです。 必死に死を考える事は、必死に生きる事につながります。 みんな通った道です。 あなたもこれから通る。 そういうことです。

  • forever116
  • ベストアンサー率32% (485/1473)
回答No.10

30代♂です。 あなたの仕事上、避けられない事でしょうね。昔は家で最後を迎える人が多かったと聞きますが、今では殆どの方が、病院で亡くなっています。 看護師という職業は、本当に大変な仕事です。私も近親者が長期間入院したりして、看病していた事もありましたから、その時の看護師さんの仕事を見ていて、本当に頭が下がる思いでした。いくら仕事とはいえ、あそこまで過酷な労働時間や精神的労働を課せられても、笑顔で接していました。あなたの言うように人の生死を目の当たりにする世界です。昨日笑顔で話していた人が今日はもういない、という事もあります。 しかし、あなたのような人達がいてくれるからこそ、幸せな最後を迎える事ができる人達がたくさんいるという事は覚えておいて下さい。今では希薄な家族も多いですから、ろくにお見舞いにも来てもらえず、たった一人で最後を迎える方も見えると思います。そんな時、いつも接してくれるあなた達看護師さんの笑顔にどれだけ救われる事か。 今は、そうして悲しむ事もいいと思いますが、患者さんの前に出たら、最高の笑顔で接してあげて下さい。ドクターだけが患者の病気を治すのではありませんよ、むしろ看護師さん達の献身な看護が患者を救うのです。 あなた達のような医療関係者の人達には、今のあなたが傷つき、悩む気持ちが必要です。死を真っ直ぐに受け止めるその心があればこそ、死を迎える人達の心に寄り添う事が出来るのですからね。 これからも思い悩む事はたくさんあると思いますが、どうか笑顔の素敵な看護師さんになって下さいね。応援していますよ。

  • worldkun
  • ベストアンサー率32% (40/125)
回答No.9

こんにちは。 「死」は「生」の対極にあると考えると、いろいろ考えてしまいます。 そうではなく、「死」は「生」に含まれていると考えてみてはいかがでしょう??

  • KappNets
  • ベストアンサー率27% (1557/5688)
回答No.8

66歳の男性です。高校のクラスメイトも少しづつ目減りし始め、私も何時死んでもおかしくない年齢になったと自分に言い聞かせています。 (夢ある若い人とは違って)もう何時死んでも自分はよいと思えるようになりましたし、先に死ぬ方が勝ちなどと言いながらも、しかし自分が死ねば家族は話し相手も車の運転手もいなくなるし、年金も減るし、迷惑をかけると思うとそうやすやすと死ねない気はします。むろんチュウブでつながれて迷惑かけて生きるのはイヤだし、介護で長い間迷惑かけるのもイヤだし、ピンピンコロリと早めに行きたいとは思います。 日本って死ぬ話題はご法度みたいな雰囲気がありますが、私はもっと議論した方が良いように思います。米国では鳥インフルエンザが流行ったら病院では誰から救うかとか決めているそうです。

noname#53063
noname#53063
回答No.7

ショックでしたね。仕方ないですよ。 あんな絶対的恐怖は他の追随を許していませんから。 だからと言ってそれに飲み込まれる必要はないです。 繊細で優しく想像力も豊かな方なんでしょうね。 職務として割り切ることはできそうですか? 私は死というものに直面するのはダメですね。 出来る限りは避けたいと考えています。 亡骸であっても怖いのです。畏怖の念といったほうがいいのか。 現実から目を背けて逃げていると言われても。 以前、知人が無理をしているのではないかと心配になり 声を掛けたところ「もう慣れた」との返事に驚きました。 それがプロなんでしょうね。 だって看護師も亡くなりそうな人を前に 泣きじゃくったり倒れそうになったりはできません。 生きてる人も死に逝く人も 自分に出来ることを精一杯するしかないのです。 笑って死にたいという言葉はありますけれど 笑って死んだ人は聞いたことがありません。 がんばってください。

  • jin2jin2
  • ベストアンサー率11% (9/78)
回答No.5

「死」を考えるということは、 「生きる」ということを考えていることと 同義的だと思います。 「死」は「生」の中の一部であり、全ての人が経験することです。 そしてたくさん悩んで、たくさん笑うのも「生」の一部です。 「死」を意識して悩んだあなたはこれからの人生に何があっても 前を向いて行動が出来ると思います。 がんばってくださいね!

noname#254711
noname#254711
回答No.4

良い経験をされた(ている)と思います。 普通の人は「死」についての知識はあっても 「死」に直面するような機会は少ないと思いますので あまり「死」について考えるような事はないのでしょうね。 最近では、ほとんどの人が「病院」で死んでいかれるので 身内や医療関係者ぐらいしか「死」に直面する機会が無いからだと思います。 大切なペットなどの「死」を体験されても それは、やはり「人の死」とはどこか違って感じるのかも知れません。 人の苦しみや心の痛みを感じることのできるような 素敵な看護師さんになれるように頑張って下さいね!

  • Riki2007
  • ベストアンサー率52% (30/57)
回答No.3

初めまして。 私は33歳の♂です。 mo8さんは看護学生だそうですが偉いですね。 最近はその手の仕事に付かれる人が少ないと聴きますが、毎日大変な勉強をなされて、またその中で色々と悩まれる問題に当たるのもあるかと思われます。 その中で今回の質問ですが、率直な感想としてはmo8さんはこころが優しい方なのだと思いました。 知らない人の死を耳にしても涙が止まらないなんて、なかなか人として出来ない事だと思います。 身近な友達、知り合い、肉親ならともかく、知らない人は知らない人であって、そこに悲しみを感じる事は難しいものですから。 心理学の言葉で、「人は悲しい事があるから泣くのではなく、悲しいと感じたからこそ泣くのだ」と言うものがあります。 解りやすく言うとこんな例があります。 会社の重役でとても嫌われていた人が亡くなり、家族が泣き声が聞こえるお葬式の場の裏で参列した部下の方々が口をこぼした言葉が、「亡くなって良かった」と言うものでした。 つまり重役の家族としては家族が亡くなった悲しみで涙を流し、今まで嫌っていた重役が亡くなった事で胸のうちが楽になった部下は安堵した、というものです。 同じお葬式の場でも、この様に感じ方が違えば悲しむこころも違うのです。 そういった意味でmo8さんはこころが優しい方なのですねと感じたのですが、かなり前置きが長くなってしまいましたね・・・。 死については私はいつも考えている内容の1つでもあります。 生まれた以上、必ず死は訪れるものです。 それは紛れもない事実です。 色々な楽しい事、夢、考え、そして今まで生きてきた全ての「自分」というものが無くなってしまうもの。 それが死です。 それは凄く怖くて辛くて悲しいものです。 自分自身にとっては。 しかし、mo8さんの質問の観点が若干私には解りにくかったので、自分自身の死なのか、それとも知らない他人の死への観点なのかによって話す内容が変わるのですが、とりあえず自分の死についてです。 私にとって死は昔はとても怖いものでした。 それは上記に書いた通りで、そこで人生が終わってしまうからです。 そう考えたら暗く未来の希望が持てない自分でしたが、最近は考えを一新して死があるからこそ、やりたい事をやろう!と思い始めました。 死んでしまえばそこで終わり。 なら生きている間に自分の思った事、やりたい事、考えた事全てを実行し、悔いの無い人生を生きよう!と考えて、今はそれを実行してます。 無論そこには他人には迷惑を掛けない事が前提ですが、かと言って自分を押し殺しては死を迎えるその時、多分私は笑みでそれを迎える事が出来ないと思えたからです。 何故この様な考えにいたったかは、33年の人生で色々体験した事もありますが、私も色々な死を見たからかもです。 ただ、それは殆ど架空の死で漫画や小説等ですが、それだからこそ子供の頃の私でも解りやすく死を受け入れられ、それを迎える彼らの生き様を受け入れられたのです。 mo8さんと違って実際の死は数人にしか出会ってない(言い方があまり良くないですが。)のですが、もしこれからも知らない人の死でも悩まれる様なら、その人達がこれから迎える死を悲しいものにしない様にしてあげられる事が出来ればいいかと思います。 今まで学んだ勉強を生かし、最後の時まで看護してあげたり話を聴いてあげたりして安らかに死を迎えられる努力が出来るmo8さんなのですから。 最後にその悩みで耐え切れないのであるならば、一度カウンセリングを受ける事をお勧めします。 mo8さんのその知らない人の死をも悲しまれる清いこころが壊れてしまう前に。 そのこころ持ちはとても大事なものですから。 あまり役に立たない駄文長文でしたが、参考までに。^^;

mo8
質問者

お礼

ありがとうございます。質問わかりずらくてすみません。死を考えると自分でも人でもただただ涙がとまらなくて困っているという意味合いでした。いままでほとんど死について考えることがなかったもので自分でも驚いています。それほど実習が有意義なものだったのだと思います。 これから看護師として働く上で人の死を受け止めていく自信はまだないのですが、そのときの自分にできることを精一杯できるように頑張りたいと思います。少し落ち着きました、ありがとうございました。

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