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創価学会・・・一体、何が真実なのでしょうか?

また、知人に創価学会に誘われた。 10人に1人が会員って何でこんなに増えるんでしょうか? みんなで一緒に願望をイメージしながら拝むことで、実行力が沸いて望みが叶うって聞きました。確かにみんなで集まって悩みを打ち明けたりすれば孤独感が和らぎ、安心できて心が強くなります。そこは共感できます。だけど集まるなら別に宗教でなくても、野球とか趣味の集まりでも出来る事だと思うし。もっと身近な集団なら、仕事。さらに身近なら家族。つまり念仏とか仏壇にパワーがあるのではなくて、集団になれるから強くなれるという事でしょうか? 中には知人の勧誘で入った人もいるでしょうが、本当に自ら進んで入った人って、もしかして身近な集団(家族とか仕事)に上手く溶け込めないとか、家族が崩壊している為に、別な集団を求め、それが宗教だったのでしょうか? しかし、芸能人にも多数信者がいる以上、何が正しくて、何が正しくないのか本当にわからない。誰かこの世の真理を教えてください。 あと、いろんな人にも相談してみたいと思っているのですが、職場とかで気軽にあなたは宗教どこ?とか聞いても良いのでしょうか?

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  • hyakkinman
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回答No.6

NO3です。 お礼、ありがとうございました。 会員でありながら、勧めないのは・・・ 「常軌を逸した勧誘行為」「反逆者や脱会者に対する、汚い罵り」「必要のない表彰制度」「人間教育とは言えない、試験制度」「いい加減な人材育成」「無くてもいい会館」「高額の寄付金」など、【宗教者としてあるまじき行為】が多々見受けられるからです。 それについては、池田先生にも抗議をし、「副会長」ともお話しをしましたが、「納得のいく答えはいただいていません。」 「頼るべきは自分の心」というのは、日蓮さんの教えにもあります。 私たちは日々、「努力しなくても、祈っていればうまくいくよ。」とか、「後でやればいいよ。」等という「マイナスの心」(魔)と戦うために、「勤行」をし、「よし、やるぞ!」という「プラスの心」を引き出しています。 その繰り返しで、「強い心を養っているのです。」 「どのような困難にあっても、良いほうに解釈し、解決する方向へと努力する」という「強さ」が身につくはずです。 が、今の学会員は・・・、どうも「マイナスの心に負けてしまっているように見えてなりません。」 「組織の浄化」を図る必要があると思います。 あと、「なにが正しいのか」は、私も勉強中です。 「人を殺す」のは「間違い」か?と言われると、「正当防衛行為」などがあって、「間違いとは決め付けられなかったりするからです。」 「真理」とは、「多数決」なのかもしれません。 より多くの人間が「正しい」とすることが「常識となる」からです。 「宗教どこ?」は、危険ですね。「個人情報保護」もありますし。 「日本宗教辞典」で調べて、興味を持ったところに「話しを聞きにいく」ほうが良いと思います。

HALASHO
質問者

お礼

再び、ご意見有難うございます。 私も詳しくわかりませんが、つまり当初の教えから、今の考えや方針が ずれていると言う事でしょうか。 入っても3,000円くらいの仏壇の代わり?を最低限買うくらいで他にはやることは大して無いように聞いていますが、やはり入るといろんな規制やノルマがあるみたいですね。地域によって差があるのでしょうか? 郷に入りては郷に従えという言葉もありますが、確かに常識とはそこでの多数決であり、必要以上に既成概念に囚われすぎず、自分の考えを信頼することも大切ですね。 いろいろ有難うございました。 私もまだまだ未熟ですが、今回の件については、自分でハッキリと決着をつけます。

その他の回答 (5)

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.5

はじめまして。 まずはテーラワーダ(上座・原始)仏教を学ばれてみてはいかがでしょう。仏教系の大元でもあります。 スマナサーラ長老の書籍はどれもオススメです。 今度二月にサンガから発売される「仏法」は自費出版版を持っているのですが、かなりオススメです。 私たちの行為(心・体・言葉)の整え方・扱い方・人格向上法、が誰にでも出来る形で順序良く語られたものが仏法だと考えています。 しかもこうだからやれ!と押し付けられる類のものではなく、語られたことを事実かどうか確かめて、苦しみを減らし、幸福平安になる方法を見つけていく道です。 心の法則性を用いた知性的理性的な実践の道です。 一人一人が試行錯誤しながら確かめる道です。 こちらの徹底的な理性の道の基本を知れば、他の宗教がどのような性質をもって、どのような考えを持った人がその宗教にいるのかが見えてくると思います。 論拠・根拠なしに信じることは危険かと… 理性の道をオススメします。 僕の勧めた書籍が理性的かどうかもあなたの理性によって確かめてくださいw では、 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

HALASHO
質問者

お礼

ご回答、有難うございます。 何か初めて聞く言葉がいっぱいです。 手塚治虫のブッダという漫画なら見てますが・・・。

  • hRundy
  • ベストアンサー率60% (3/5)
回答No.4

はぅ ^_^; 学会員です。 1)何でこんなに増える? 良くも悪くも布教活動の結果ですね。仏教の布教は対話オンリーです。学問的回答は歴史を見守るしかありませんが、25世紀くらいに世界宗教になっているならば、”増えた理由”を述べられるようになると思います。現段階では”対話重視による布教活動の結果賛同者が増えた”以上の発言は「それは個人的な見解だ」との批判には反論できないと考えます。また、信仰をしているものには、それぞれ自分が信仰をした上で思うことを語ることは可能ですが、このような場で「個人的な体験の上での話」は意味を成さないと考えられるので控えます。 2.みんなで…望みが叶う これは信仰の感得に属する話であるため、例え同じ信仰をしている者であっても、一概にどうこう言える問題ではないと考えます。信仰は自分が感得するものであり、彼はそう思っているという事実があった。しかし、同じ体験をしていない者は理解できないことですし、納得できない事が多い。ただ、信仰とはその人を強くするということは論理的に正しいと言えると思います。 3.自ら進んで(学会に)入った人(の理由) さまざまです。自ら進んで入った方も、そのほとんどの人は半信半疑で入ったと思われます(今まで見てきた経験上)。青年時代に入った方は純粋に「生き方」を求める方が多かったように思うし、壮年や夫人の方は「のっぴきならない生活上の理由や病気など」今日明日どうにかなりそうという方も多かったりしました。理由に関しては、本当に千差万別です。 4.この世の真理 …ですかぁ ^_^; 仏法理論を展開するわけにも行かないし、価値論を展開するわけにも行かないし、ちと困りましたね、だって、ここは一般的な道理でお話をする場だと思いますしねぇ。 あなたが真理を求めたいのであれば、経験を通じて感じた事から理性的な判断を行い、真理を判断しなければあなたが求めている真理はたぶんわからない。とお話しすることが良いような気がします。 西洋哲学的には、真理とはたぶん多くの経験の積み重ねからある法則が間違いなくそうと言えるという結論として導かれるものである(帰納法)。 東洋哲学的には、○○○が真理である。この真理を証明するものは…である(演繹法)。仏法とは演繹法であり、学会(日蓮大聖人)の哲学も演繹法で始まります。 学生、および、現代人にとっては帰納法は容易に理解し易く、演繹法は理解しがたい。演繹法は信じることに始まります。 5.職場とかで気軽に…宗教どこ?…良いのか? 仲の良い人には聞いても良いのでは?そうでない人は、それなりの準備的対話が必要でしょうねぇwただし、外国人に対してはいきなりこの質問を発することはデンジャラスです。いきなり攻撃をしてくる方もいます(まあ、めったにいないでしょうが ^_^;)。

HALASHO
質問者

お礼

ご回答、有難うございます。 私は、まだまだ未熟なようです。

  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.3

学会員です。 なんで増えるか?「心の弱い、困ったちゃん。」がいっぱいいるからです。 「願望をイメージしながら拝むと、実行力が湧く。」というのは、「洗脳されるくらい信じていれば」の話しです。 中途半端に「拝むだけ」とか「強引な勧誘をするだけ」とか「集まりに参加する」だけでは、だめです。 「趣味の集まり」や「会社」で、「悩み」を言うと「なかなか、相手にしてもらえません。」 「家族に言えない・言ってもムダ」という悩みもありますしね。 「信じる」ことが「力になる」ということです。 「気持ちの問題ですね。」 ですから、学会員とて「洗脳されていない人」は、「弱いです。」 なぜ、日本人は「困ったら、宗教に頼る」のでしょうね・・。 「楽」だからです。きっと・・・。 「祈れば、努力しなくてもかなうと思っているからでしょう。」 「学会」の教えは、「本来は、日蓮さんの教えを信じて勉強し、自分の力で行動し、幸せな境涯を切り開いていく。」というものですが・・、 今は、会員の中にも「楽をしようとして、祈っているだけ」の人が増えているようです。 学会員になるということは、「自分のことだけを考えるのではなく、全ての人の幸せを考え、環境・教育・福祉などの諸問題にも、前向きに取り組んでいかなければいけないのです。 「集団になると、強くなる」ものは「ウソ」です。 「信は力なり」という、「個人が強くなる」のが、本当の「人生修行」です。 どうか、いろいろなことを勉強されて、「信じるもの」(宗教にかぎらない)を見つけて、それを極め「宗教などに頼らない」「強い心」を磨かれますよう、祈っています。

HALASHO
質問者

お礼

ご回答、有難うございます。 不思議な感じの、文章ですね。 会員さんなのに、私に勧めないような文章。 頼るべきものは自分の中にある?という事でしょうか。

  • gungnir7
  • ベストアンサー率43% (1124/2579)
回答No.2

>野球とか趣味の集まりでも出来る事だと思うし それは到底無理でしょう。 趣味の世界は楽しみです。つまらなければ止めればいい。 気にくわない奴がいたら話をしなければいい。 宗教はそういう世俗を超越したところにあるから尊いのです。 >集団になれるから強くなれるという事でしょうか それも一理あります。一言で言えば信ずるものは救われるです。 例を出しますと、例えばある人がプロ野球選手になりたいと思います。 すると本人は当然猛練習をしますが、同時に周囲の時間もそれを助ける方向に動き出します。 親、教師は勿論、その家庭で様々なライバル達と出会うでしょう。 接する時間が長ければ長いほど経験、人脈が増えます。 >家族が崩壊している為に、別な集団を求め、それが宗教だったのでしょうか? それはあながち間違いではないのですが、宗教も本物を選ばないと失敗します。 本物とは一般社会と同化している、物欲に執着しない、過度のお布施を強要しないです。 とにかく一般社会から孤立するようでは困ります。 >しかし、芸能人にも多数信者がいる以上 創価学会の話でしょうか? こう書いておいて申し訳ないですが、私は創価学会に否定的なものです。 理由は反日政策を支持しているからです。 公明党が議席を伸ばすことは在日朝鮮人、ひいては朝鮮に有益になります。 東海の呼称の問題、親日法など21世紀に入っても日本を敵視することしか考えていません。 そんな国と波長が合う宗教なんぞ願い下げです。 事実についてはあなたがネットで検索するなりして判断して下さい。

参考URL:
http://www.tamanegiya.com/hannnitisoukabuta.html
HALASHO
質問者

お礼

ご回答、有難うございます。 私の知らない事が、まだまだたくさんあるようです。

  • morino-kon
  • ベストアンサー率46% (4176/8936)
回答No.1

小室直樹著「日本人のための宗教言論」をおすすめです。 http://www.geocities.jp/swingi70/komuronaoki.html とてもわかりやすい内容で、すぐに読めます。 いままで、不可解だったことが、納得いきます。

HALASHO
質問者

お礼

有難うございます。 探して読んで見たいと思います。