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働くと宗教
- 新興宗教に力を入れる夫婦が派遣社員で働き、仕事以外の時間を宗教活動に当てている。
- 親戚に対する勧誘活動がしつこく、苦情の電話がかかってくることがある。
- 新人社員も宗教活動があり、仕事を優先せずに定時に帰り、飲み会やリクリエーション大会などに欠席することが多い。
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質問者が選んだベストアンサー
まず、最初に 宗教・信仰は 勧誘されたりするものでは、無いと思います。 特に、新興主教は 殆どがマインドコントールに 洗脳されている人が多い気がします。私の周りにも、ある有名な新興宗教の人達がいますが~! いつも ひつこく誘いの訪問を受けます。 私は、いつも・・健康でそんな余裕があるなら 仕事をした方が 良いと思うのですが。私は体を 壊して、働きたくても 働けないです。仕事に比重を置いて、人に迷惑をかけないのが、本当の 信仰の教えではないでしょうか? 勤めている以上、会社の方との 親交を深めて・・自分の出来る範囲で 宗教の活動をするのが、真実の信仰だと、私は思います。
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- maremare
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“ドン引き”されるのを覚悟で言ってしまいます。 私は正統的なキリスト教(プロテスタント)の信仰を持っていますが、 聖書には「この世の権威にも従いなさい」という趣旨のことばが 書かれているんですね。このことばの意味するところは 「市民・国民としての義務や務めを果たし、法秩序も行政の制度も しっかりと守りなさい」ということです。 信仰の良心に大きくかかわるようなこと(倫理観など)には いち個人としてNoを言うことはありますが、例えばいち国民として 税金を納め法律を守る、学校や職場などに属する者として 自分の本業はきっちりと果たし、遅刻やサボりなど一般的に見ても 自分に責任がある事柄に「神様」「信仰」を決して言い訳に 使ってはならない、ということです。だから、例えば 会社の方のお葬式が仏式ならば、合掌は難しいけど葬式の手伝いを したり献花と香典を捧げて、ご遺族に精一杯の哀悼の気持ちを ハッキリ言う、飲み会で酔っ払いはしないが、自分なりに場を 盛り上げる努力をするなど、宗教と実社会とのいい意味での 「折り合い」をつけることが求められている、としているんですよね。 無宗教の方には「当たり前」だと思われることですが、自分たちの 教義や権威のためなら、何をしても許されるとするのは、 それは教義や権威を利用した自分たちの欲望を満たす 「エゴ」でしかありません。「この世の権威に従う」という ことばには、秩序や社会常識と良心を守るバランスをうまくとり、 人間が一方的にエゴをむき出しにすることを抑制するねらいも あるわけです。 イスラムの国の常識は我々や欧米社会とはまるで違ったものに なっていますが、社会構造そのものがイスラムの戒律に合わせた ものだからだと思いますよ。ただ、イスラム教の信者の中にも、 テロに宗教の大義名分を利用してはならない、と解釈する人々も います。我々も、宗教のために人を殺してもいいとは 全く思っていません。話が少々ズレてしまいましたが、 生活の全てを自分たちの活動で拘束する新興宗教団体の狙いは、 一人一人の良心を育てるのではなく、締め付けることで 自分たちの権威や組織を守り大きくしようとしている本末転倒な 目的があるとしか考えられないんですよね。 純粋に良心を育てるだけなら、本や教典になるものを配り、 それを日常生活で毎日10分程度読む習慣をつけたり、祈るくらいで ほとんど済みます。キリスト教では 「日々の生活態度も“証し”としなさい」と言われますが、 強引な勧誘活動を別に行わなくても、日常生活の学びや仕事などの 務めに対する姿勢を正すことも、他の人や社会、神様への貢献に 十分つながる、としているんですよね。そういう意味では、私も 宗教活動で手一杯になっている人たちのことは 「いい加減なものにコントロールされた可哀想な人たち」 とししか思えないです。 社内行事には少々目をつぶるとしても、会社としての業務効率に 影響を及ぼすようなことは、残業や休日出勤なども一度話して お願いしたっていいと、私個人は考えてしまうんですよね。 ただ、そういうことも彼らにとっては「良心にかかわる」 のでしょうから、正直なところ厄介ですよね。 ただ、職場や取引先などに勧誘活動を行うようなことがあれば、 そこだけはしっかりと一線をひかせるべきだと思います。 人間関係や会社のイメージの問題になりますからね……。
- mimika5223
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勧誘してくるような人はいましたね。 わたしは宗教には入っていないのですが きっとそういう人たちにとってはそれが 救いなんだと思います。 そういうものにすがったり信じることで安心したり 自分に自信がつく人もいるでしょう。 外国では宗教戦争が絶えませんよね。 宗教を信じない人や、それ以外のことが重要な人には 分かりにくいことですが。 ただ、仕事に臨機応変に対応するのは普通というのは 違うと思いますよ。 確かに生きていくうえで大切なことですが、例えば家庭が ある人や子どもさんがいる人はそちらを第一に考えます。 趣味や好きなことがあればそのために有休をつかったり 休みをとる人もいます。 恋愛や友人を優先する人もいますよね。 もちろん、相手に迷惑がかからない程度にですが。 それも彼らにとっては仕事よりも大事なのだと思います。 残業をせずに誰かに負担がかかってしまうのは良くないなと 思いますが、わたしは仕事を一番に考えないことは悪いこと ではないと思いますよ。 きっちり自分の仕事をしていたら会社から文句を言われる ことはないでしょうから。 ただ、嫌われることもあるでしょうけどね…。
- pixis
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おっしゃるとおりですね、 私も特別な宗教を信仰しているわけではありませんから あなたの意見に賛同出来ますし、理解も出来ます。 でも、よく考えてみると、 その人は定時までは仕事するんですよね? あなた(我々)は、忙しい時や大事な仕事がある時は その定時を越えて働くのが常識だろう!といいますが はたしてそうでしょうか?もちろん我々の感覚では当然なんですけれど 法治国家という日本において(労働法というものがある中で)、 定時で帰る方が常識はずれ、あるいは悪いことだ、 というのは正論なのか?と考えてしまいます。 話変わりますが、スーパーマーケットでたくさん買い物した奥さんが おつりが1円違うとレジの文句言って、レジで数人が並んで待たされている時その人達は怪訝な顔して、文句言ってる奥さんが悪いような目で見ますが ほんとはおつりを間違えたレジのパートの人が悪いんであって 文句いってる人は悪くはありません。 ちょっと例えが違うかもしれませんが、常識だからといって それがほんとに正しいかは疑問です。 仕事途中で帰ってしまうんだったら、定時までに終わらない仕事を与えた 会社が悪い、ということだって考えられます。 全員が定時で帰ってもちゃんと会社が回るようでなければ 健全な会社経営とはいえないのかもしれません。 (実際にはそんな会社はないでしょうけど) 定時で退社し、後は宗教活動をしようが、宗教、信仰の自由を保証されている日本なら仕方ありません。だからといって首には出来ないですよね。 只、確かに私の感覚ではあなたと同じように理解できません。 宗教信仰者は、仕事どころではなく、なによりも宗教を大事にします。 宗教は非常に強い心の支えらしいです。 だって、自爆テロをも進んでやってしまう程の強い意志を持ってしまうのですから・・。 私の知り合いにもそういう人はいます。 (自爆テロはやりませんが) 会社の慰安旅行で京都へ行くことになったのですが、 一緒についてはくるのですが、神社仏閣には入りません。 何故?と聞くと宗教違うし、だいたいそんな宗教(浄土宗とか、神道とか)まやかしだと思ってるから・・。といいます。 「こいつあぶねーなぁ・・」と思うようなヤツです。 サリンを撒く宗教もあるし、自爆テロやっちゃう宗教もありますから 悪い方に向くと本当に怖いです。 近所のねーちゃんは、腕を切断するような怪我をしても 「腕は生えてくる」と言い張ってました。 私も若かったので、そんなバカな事があるはずねーじゃん。 生えてきた人がいたらここへ連れてきて腕見せてみな! とか喧嘩になったことがありました。 20年以上前そんなことを言っていましたが最近再生細胞とかいって これを使うと失われた耳や鼻、あるいは内蔵などが再生できるというもの がテレビで紹介されてました。 それをみたそのオバさん(20年経ってますから)は、ウチに飛んできて ほら!生えてくるでしょ!といっていました。 まぁ、信じてると何でもかんでも宗教に結びつけたくなるようです。 話変わりますが 多かれ少なかれ我々も宗教に洗脳されているんですが、気が付かないだけで 実は潜在意識というのはみんな持ってます。 あなたはお寺の本堂にある仏様を 許可するから頭からナタでかち割って見ろ!といわれても 嫌ですよね。 だけど、某テロ集団の頭領の写真焼いても別になんとも思いませんよね。 神社のお賽銭全部やるからこれでソープランド行って来いよ といわれてもちょっと行く気になれません。 でも、競馬で一発当てたやつが、これで行って来いよ! といってくれれば喜んで行きます。(俺だけかな?) ま、そんな風に何となく信仰してても結構洗脳されていることは多いです。 それが完璧に宗教にはまってしまうとなによりも大事になってしまうのは よくわかります。 私はわかるだけにちかよらないようにしています。 いつだったか若い頃、エジプトエアーの飛行機に乗ったことがあります。 びっくりしたのは定時になると基調が出てきて小さい絨毯床に敷いて お祈りはじめちゃったことです。 おいおい!飛行機はだいじょうぶかよ!とおもいましたが お祈りのおかげか墜落せずに帰れました。 エアフランスの操縦室にスッチー(当時はまだスティュワーデス)が ワインのボトルとグラスを持って入り、1時間後からになった ボトルを持って出てきた時よりもっと驚きました。 シンガポールでもオートバイに乗る時はヘルメット着用が義務づけられています。 しかし、ターバンをまいたインド系の人たちはそのまま乗ってます。 一応警察も注意するのですが、「我々は神のご加護があるから事故っても 怪我しない」と言い張り、ターバンをとってヘルメットをかぶることはしません。やはり宗教信仰は自由ですから。 日本の場合はどうなんでしょうね? 宗教と憲法と、道交法。どれを優先させるんですかね? ま、そんなこんなで、宗教を強烈に信仰してるヤツは強い!ということですね。