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悔しさをバネにして頑張ったり、見返してやろうと頑張るのは素晴らしいことですか?
よく成功者の成功談など読んだり聞いたりすると、悔しさをバネにして頑張ったとか見返してやろうと思って頑張ったという話があります。 いじめられたからとか、冷や飯喰わされたからとか、そういう話です。 しかし、それって結構ネガティブな感情になりませんか? 究極的には復讐心ということですよね。 私の周りには単に面白いから頑張るとか、人のためになることをやりたいから頑張るというポジティブな人が多いです。 人を見返すために頑張るのと、人を喜ばせたいから頑張るのでは正反対ですよね。 前者は成功した時に「してやったり」とか「ざまあ見ろ」という気持ちになりそうな感じがします。 別に動機はどっちでもいいんでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
後者が良いですよね。 前者は誰かが居ないと頑張れない人ですから、 後者は正しいこと、信じることを行うのですから素晴らしいと思います。 尤も、前者でも頑張って成功すればそれはそれでしょう。 「あいつでも出来るんだからお前もやれ、俺もやる」では相手が居なかったしない事ですから・・・・ 後者、誰がどうしようと自分の判断で頑張ることを絶対積極と言われます。 前者は相対積極でしかありません。 確かに動機はどうでも良いことですが絶対積極が良いと思いますよ。
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- carots
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これ、面白いテーマですね! 「結構ネガティブな感情」という発想もなかなか面白いです。 私の人生は、見返そう~、悔しさをばねに、の連続ですね。で、実際に自分がそれをクリアしたときに、自分に言ってきた方が「小さく」見えますし、その方々の反応を見るのが好きです。 例をだすと、自分を肥満と指摘してきた人は今、メタボ。自分の職業を軽く見ていた人より、現在私は年収は数倍で、毎日本当に充実した人生を送っています!など、もっともっとたくさんありますが。ただ、そういう「いやなやつ」が居てくれるから、人間って成長できるのかも知れません。とはいえ自分は、何か一つ一つの課題をクリアするたびに、もっともっと周りに貢献しよう、人のためにがんばろう、ってなりますね。今、毎日が充実し、だからこそ、世のため人のために尽くそう、と本気で思います。でも、実際、質問者様のおっしゃるとおり、成功した時に、ついつい、してやったり、ざまあみろ、という気持ちに正直なってしまいます(笑)。今となってわかったことは、冷や飯を食わせるやつ、いじめるやつ、ってこの世に必要なのかな~って思いますが、現実、そういうやつは、世の中に出てから、社会で成功せず、結局、不幸な人生を送っていることが多いですね。そこのあなたはどうですか?
お礼
ありがとうございます。 そういうもんですか。
きっかけは悔しさをばねにしても 達成したときはしてやったりとかざまあみろとかは超えると思います 「昇華」ですね 復讐心とはすこし違うと思います 自分がひとまわり成長したときには、そういったネガティブな気持ちを変えることができると思います もし成長の糧にしないと、いつまでもグズグズした気持ちになりそうです 人生、楽しくてぐんぐんできて成果があがることばかりじゃないですよね 人のためと思ってやって逆にうらまれたりだとか、ありますよね 挫折が人を強くすると思うので・・・・そういうことも必要かな。
お礼
ありがとうございます。 確かにグズグズして何もしない人よりはよっぽどいいですね。
- ness2007
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悔しさをバネに努力して成功した、いじめられっこだったから体を鍛えて強くなった、ネガティブという思考とはちょっと違うと思います。 悔しい、いじめられた、という単語だけ取ればネガティブですが、それをバネに「努力すること」はネガティブでも何でもないからです。 理由やきっかけではなく、その思いを昇華している先は自分の努力の結果です。決して人をだましたり、陥れたりしてその地位を得たのではないですから、一概にネガティブだとは言えないかなと思います。 自己実現できれば、最初のきっかけはどうであれ、些細なことは気にしなくなると思います。 >悔しさをバネにして頑張ったり、見返してやろうと頑張るのは素晴らしいことですか? その結果自分自身が成長するのであれば、素晴らしいことだと思います。少なくとも、軽蔑するようなことではないと思います。
お礼
ありがとうございます。 結果を出せばいいんですね。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 「絶対積極」という言葉があったんですか。 おかげで知識が増えました。 成功は尊敬に値しますが、絶対積極のほうがより尊敬できますね。