• ベストアンサー

身内を殺された遺族は、どうして立ち直ることが出来るのですか

大切な家族や、大好きな恋人を、他人に殺されてしまったかたは、その怒りや悲しみをどのように癒すのでしょうか? 私の主人はテレビでその様なニュースを見ていると、もし私が他人に殺されたら、その犯人が死刑にならなかったら自分が殺すとまで、言います。 本当にその様な辛い事件にあってしまったご遺族はその犯人に仕返しをしないようにカウンセリングなどを受けるのでしょうか? どのようにしたら、罪を憎んで人を憎まずのような気持ちになれるのでしょうか? 今まで仕返しをした身内の事件を聞いたことがないように思いますが、実際はその様な仕返しの事件はあるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#53250
noname#53250
回答No.3

こんにちは。 No.2さんが大変的確な回答をされていますね。 立ち直ることなど出来ないでしょう。 周囲から見たら、表向きは日常に戻っている、立ち直ったかのように見えるだけです。 自分自身に置き換えてみると、ご主人と同じ気持ちになると思います。 光市の母子殺人事件のご遺族の本村さんの立場だったら、どう思いますか。 すみません、逆に質問してしまいました。 犯人が死刑にならなかった場合、もし自分が殺してしまったら「犯罪者」になります。 犯人と同じ「犯罪者」になりたくはありませんから、必死で気持ちを抑えるのではないでしょうか。 同じレベルの人間にはなりたくありません。 (犯人は人間とは言えないかもしれませんが。動物以下です) カウンセリングは、仕返しをしないために受けるのではありません。 大切な人を犯罪で失った心の傷を、少しでも回復させるために受けるのです。 >その怒りや悲しみをどのように癒すのでしょうか? 怒りや悲しみは一生癒えることはないでしょう。 時間の経過が必要だと思います。 もう一つは、自助グループのような同じ立場になった人との交流で癒されるのではないでしょうか。実際に犯罪被害者の会もありますよ。

noname#61623
質問者

お礼

>自分自身に置き換えてみると、ご主人と同じ気持ちになると思います。光市の母子殺人事件のご遺族の本村さんの立場だったら、どう思いますか。 私も実行は出来ないとは思いますが、殺してやりたいと心から思うと思います。 私の主人がその犯人が死刑にならなかったら自分が殺すとまで言ってくれる気持ちは嬉しいと思っています。 でもやはり殺人者にはなって欲しくはありません。 自分が一番愛している人を奪われてしまった。二度と会うことが出来ないとしたら、犯人を殺して自分も死ぬという選択もあるかなと思いますが、そのようなニュースは聞きませんね。 >怒りや悲しみは一生癒えることはないでしょう。 そうですよね。でも時間が経過すると許すことが出来るようになるのでしょうかね。 回答有難う御座いました。

その他の回答 (5)

noname#53284
noname#53284
回答No.6

こんにちわ ご質問者のご主人の言葉や誠意を疑うわけではありませんが、もし不幸にしてそのような事故があなたに起こった場合、本当にご主人は報復殺人をするでしょうか? 今現在、お二人が難なく暮らしている中で、あくまで仮定として「それほど自分は君を愛しているんだよ」という意思表示であって、本当に愛し合っているもの同士が片方を殺されて、報復に走るとしたら日本中仇討ちだらけになってしまいます。 しかし、現実世界でそのようなニュースを聞かないのは、人間には理性というものがあるからです。 理性と月日によって、人間は憎しみも悲しみも乗り越えていけるのだと思います。 心の片隅にトラウマとして残ったとしてもカサブタのようなもので、意識的に掻きむしれば血がにじむかも知れませんが、そこに触れないような意志の強さと、理性で人間は新たな報復殺人という仕返しを自分の心から遠ざけているのだと思います。 しかし、中にはカウンセリングを受けなければ立ち直れないような人がいることも事実でしょう。

回答No.5

アメリカ映画で死刑執行に被害者の遺族が立ち会っている場面を見たことがあるような気がしますが、そんなことで気が晴れるのは狩猟民族だけかな?日本人は犯人が死刑になることぐらいしか恨みを晴らす方法がないと思いますが、死刑への道って意外と遠いんですよね。  後は周りの人のいたわり位かな・・・。 仕返しって、日本には仇討ちという制度がありましたが、あれって仕返しの権利でなく義務だったようだし、仕返しって殺人者よりエネルギーが必要な気がします。

  • googahaku
  • ベストアンサー率17% (43/242)
回答No.4

 犯罪によるのも以外に、身内を殺された人は、戦争=それも戦場ではなく、無差別爆撃で=は、大勢おられます。  戦時中、関東方面を爆撃して帰るB29を小笠原守備隊が撃墜、降下したパイロットを憤怒に絶えず「敵討ち」として殺し、その肝臓を食べたという日本人兵士がありました。一方、敗戦後の東京では身内を殺されながらも、敵討ちどころか、「パンパンガール」になって、憎いはずの米兵に身をゆだねた日本女性も数多くいました。悲しく、惨めな歴史のいったんです。色々ありました。これからも色々あるでしょう。  「ひとたび生を受け、滅せぬもののあるべきや・・・」理由は如何であれ、人間は必ず死ぬもの。あまり凝り固まった死生観を持つことは、却って不幸を招くもののようです。愛する人を失うことは悲しいことです。しかし、人間(生き物)しばらくそれに耐えれば、やがて時間がその気持ちを癒してくれ、穏やかに暮らせるようになるものです。 惚れぬいた相手と結婚しても、些細なことが我慢できず、離婚してしまう人があるように・・・それが生き物の本性でしょう。 もちろん、例外的に一時の激情に駆られ、抑えきれずに「敵討ち」に走るのもひとつの方法でしょう。  

  • simakawa
  • ベストアンサー率20% (2834/13884)
回答No.2

時間の経過しかないでしょうね. その辛さは一生背負っていくのでしょう. 日本の裁判は,被害者に対しては冷たいです.加害者の人権ばかり保護されます. 裁判官や弁護士には,恐らく人の心を持っていないのだと思えます. 一般人が裁判に加わるようになると判決も少しは変るのかも知れません.

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.1

> 大切な家族や、大好きな恋人を、他人に殺されてしまったか > たは、その怒りや悲しみをどのように癒すのでしょうか?  時間が経てば、どんな感情も薄らぎます。  日々生活のために働いている人は、なおさらです。  どれほど大切であったとしても、所詮は過去の話ですから、現在には勝てません。  第一、大切な人を他人に殺された人など、人類の歴史を見れば掃いて捨てるほど居ます。特に特別な存在でもありません。そして、その特別でもない人たちが働いて、人類は社会を運営してきたのです。マクロに見れば、怒りや悲しみは、あったとしても生活の前にはどうということもない要素です。 > どのようにしたら、罪を憎んで人を憎まずのような気持ちに > なれるのでしょうか?  座禅でも組みましょう。もともと執着を捨て去って解脱するための修行の方法です。

関連するQ&A