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昭和54年の異種格闘技戦
昭和54年のアントニオ猪木、異種格闘技戦で対ミスターXの ミスターXの正体と彼がその後どうゆう人生を歩んだのかご存知の方 おられましたら、私に教えて下さい。
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昭和54年の異種格闘技戦は、確か大山茂氏(極真空手)と梶原一騎、そして新間寿氏が動いていたはずです。 真樹日左夫さんの話によると、本当はアメリカで流行していたプロ空手(マーシャルア-ツ)の選手が来る予定だったそうです。そいつは、ヘビー級で強いことは強かったそうです。 当時、マーシャルア-ツは日本進出をねらっていて キックボクシング界にアプローチをかけていました。 黒崎師範(極真)をはじめとする日本のキック界も、対決にまんざらではなかったのですが、ムエタイとの対決に忙しかったので新間寿氏と梶原一騎が新日プロを担ぎ出したのです。 当時、猪木はアリの用心棒という肩書きで来日したモンスターマンに勝ち、アメリカのプロ空手に対し客の興味も充分あったので、商売になったのです。 しかし、その肝心の選手が来日寸前に新間と梶原のケチケチ交渉に怒って来日しないとゴネだしました。 しかたなく、梶原がNY支部の大山(茂、泰彦)兄弟にすがりつき、大男の空手家を探してもらったのだそうです。 その時、見つかったのがミスターX。 しかし、ただのデブの大男で、とても空手家なんて言えない。確か、極真の人が技を教えたと思いますよ。 そこで、なぞの空手家としてリングに登場させたそうです。 だから、むちゃくちゃ弱かった・・・ 梶原一騎も、途中でやる気をなくしたそうです。 真樹日左夫さん、いわく 「金をけちったのがいけなかった。梶原もいざとなって、惜しくなったんだろうね。」 ということです。 その後のミスターXの話は全く聞かないので、彼はそのまま 失意?のうちにアメリカに戻り、表舞台には出てこずに、どこかでひっそりと生活しているのだと思います。
お礼
異種格闘技戦最弱の対戦相手でしたが、 山本小鉄氏が「彼はレスラーだと思うんだけどね」と言われていたので そんな彼でも、アメリカでは活躍したのかなと、思っていたのですが やっぱりそうでしたか。 本物のミスターX?が、来日出来なっかった理由が、よく言われている 足の故障ではなく、新間氏と梶原氏のケチケチ交渉(笑)に 怒ってだったとは・・・・・・。 本当にありがとうございました。