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年老いた母との関係をどうすればよいか(長文)

ひとりぐらしをしている75才の母のことです。母はもともと学歴も高く仕事もでき、周りの人々からの信頼のあつい自信家でした。良き妻、良き母、良き市民という感じでした。しかし数年前に夫(私の父)に死に別れ、その後自分の仕事を退職してからは、すっかり元気を失いました。最近では「死んだ方がましだ」とか「いつも泣きたい」「もう何の役にもたたないのだから生きていたってしょうがない」などと言います。 ささいなことで火がついたように激しく怒ったりとすこし前にかなり不安定になったので、落ち着いた頃をみはからってボランティア活動などすすめて、それをやりはじめてからなんとか精神のバランスは保てるようになりました。 しかしとにかく元気がなく、友達づきあいも好きで旅行も好きな人だったのに、今ではほとんど人とつきあいたがりません。旅行に誘っても、「どこへも行きたくない」と断ります。それでも昔の友達がたまに外食などに連れ出してくださるようなのですが・・・それもいやいやというかんじで行っています。 とにかくいつも不機嫌で、食事も適当にしかとっていないようです。私も遠くに住んでいるので、食事の世話などできません。食事のアドバイスなど電話でしても、食べたいものもないし、食欲もないと言われてしまいます。配色サービスなど頼んではどうかとすすめたところ、人が持ってくるのがうっとおしいと断られてしまいました。 二、三年前に孫が欲しいと言われたことがあったのですが(これも今から考えれば、プライドが高いゆえに相当我慢した末に言ったのだと思われます)それは断ってしまいました。しかしなにも楽しいこともないし生きる希望もないというそぶりをされると、なんだか良心がうずいてしまいます。 最近ではだんだん私のほうがまいってきてしまい、つい固い態度をとってしまいます。 今度どのように母に接していけばよいのか、どうしたら少しでも元気になってくれるのか、元気になるのはもう無理なのか、このまま放っておくしかないのか・・・などいつも考えてしまいます。 ながくてすみません。

みんなの回答

回答No.2

こんにちは。 ずいぶんがんばり屋さんのお母様だったんですね。 ちょっと共存症のケがあるかな。 人に頼られたり、世話をしてあげることで「私は必要とされてる」と感じた分、自分の中でパワーになるタイプの人です。 こういう人は世話を焼く相手がいなくなったり、周りが自立してしまうと自分の存在意義を見出せなくなって厭世観にとらわれ易いんです。 怠ける事に罪悪感を覚える時代に育ったせいもあるんでしょうね。 私の実母とちょっと似てます。 家族全員が元気なときは「身体がダルい」「どこが痛い」とかばかり言ってますが、誰かが病気したりトラブルになったりすると、とたんにイキイキと走り回っています。 ウチは姉が強度の依存症なので、バランスがいいようです。 できるだけ色んな所でお母様に頼ってあげてください。 「この子は、もういい歳なのに、私がいないと・・・」 って思わせてあげて下さい。 それが、ハリになります。

rmx830
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。回答者様のお母様のことも伺えて参考になりました。まさに私の母は、おっしゃるところの「共存症」と思います。人に尽くしたくてしょうがないみたいです。でも私が仕事上のことや人間関係など相談したり、ちょっとした用事を頼んだりすると、最初は喜んでいますが少しするとうっとおしがって不機嫌になります。口ではいかにも迷惑そう~な感じで対応されるので、私もイヤになってしまうんです。でもそこはくじけず適当に頼り続けるというのがよいんでしょうかね・・・夫は私が母を構い過ぎなんじゃないかと言いますが。。

  • mubuton
  • ベストアンサー率66% (6/9)
回答No.1

お母様を心配なさるお気持ちをお察しいたします。 お母様はご主人様を亡くされて相当につらかったのだと感じます。 お母様に元気になってもらうために・・・ 働きかけたりアドバイスなど言って聞かせてみても効果が無い様なので、 こんどは、お母様の気持ちに寄り添って同じ気持ちを共有してみてください。 つらいお気持ちを共有し、お母様がご自身の本当の気持ちを話してくれる迄焦らず待ちましょう。 そうしたらコミュニケーションもうまく行くと思います。 辛いお気持ちや出来事によって意欲が湧かなくなる病気がありますので、 衰弱してしまう様子でしたらお医者さまに相談された方が良いと思います。

rmx830
質問者

補足

ありがとうございます。たしかに母が父をなくしたつらい気持ちをきいてあげられるのは私の役目だろうとおもいます。私は最初にそれに気づくまで二年くらいかかってしまい、でもそれからは母の悲しみに寄り添おうとしてきたつもりです。でも父がなくなってもう7年たち、最近はつらいかなしいという生々しい気持ちじたいが母の中で渇いてきてしまっているような気もするのです。生きていくことじたいが虚しいという感じなのでしょうか・・・