• 締切済み

カッコつけてしまう自分が嫌い

はじめまして、 都内の大学へ通う22歳の女です。 タイトルの通り、 ・人目を気にしすぎる→常に無意味にカッコつける ・人をうらやむ、格付けしたがる ・でも実は、自分の核が何なのか分からない こんな自分が嫌で仕方ないのに、どう抜け出していいのかわかりません。なぜ、こんな狭い心しか持てないのか、自分を変えるには何が必要なのか、皆様のご意見をお伺いしたく質問いたしました。

みんなの回答

回答No.3

結論からいいます 自尊心が強いからだと思います 理由をいいます 良い評価、名誉、地位が欲しいからだと思います それが強いということは他人よりも上のそれらが欲しいからだと思います 自分の核がわからないという意味がよく分かりませんでしたが おそらく上に書いたような欲求に対して 今のあなた自身がそれに対して満足していない状態という意味だと思います 一般大衆の幸せ、成功の価値観として以下の3つがあります 多ければ多いほどよい資産があり(金) 社会的な地位が高ければ高く(地位) 後世にできるだけ大きな名を残せす(名誉) ということは そこには必ず比較する対象(人、基準)があるわけです ならば当然 羨ましくもなるでしょう、 格付け(比較)をするでしょう、 自分が至らなければ悔しいでしょう、 自尊心が強ければもっと差を感じるしょう ただ一般大衆の幸せの価値観が全てではないと私は思います ただ普通に生きいるだけで幸せと感じる人もいれば、 死ぬまで楽しむことが幸せと感じる人もいれば、 一つの好きなことだけを続けることを幸せと感じる人もいれば、 人の道を学び死ぬまでに悟りを開けば幸せと感じる人もいれば… なので正しい「幸せ」の定義なんてありません ただ一つ分かっていることは 「人生は一度きりで一瞬です」 その人生で他人と競い合っても虚しいだけだと私は思います

  • Coronbo
  • ベストアンサー率20% (2/10)
回答No.2

その気持ちよくわかります(笑) 周囲を気にするということは、非常にいいことで、 きっと周りの人たちの良い所に気づけているんだと思います。 抜け出すには、その良い所を頂いちゃえばいいと思います。 真似するんです。 話し方、仕草、格好、それを自分の環境に合わせて使い分ける。 実際真似する人の前ではしないでもいいですが(笑) そうすると真似でも自分の形になっていって、 気が付けば、どんどん魅力的に成長していって、余裕もでき、 あなたの思う「狭い心」などなくなっているかもしれません。 1つの方法として参考までに。

valtan1
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 周囲を気にする、というより、私には気にしすぎる点があるようです。 どんどん成長して、余裕もできて、「狭い心」がなくなる日が来たら、 どんなに素晴らしいかと思います。そうなるための努力が、私に足りなかったのかもしれません。幸い、真似したくなるような素敵な人達が私の周りにはあふれています。そういった人達を羨んで自己嫌悪の日々から、学ぶ姿勢を持つことで抜け出せるように努力したいと思います。 どうも、ありがとうございました。

  • kirara-ki
  • ベストアンサー率31% (520/1650)
回答No.1

初めまして。 人目を気にしたり、上手くいっている人を羨ましいと思うのは極普通の感情なんじゃないかな。 上手くいっている人みたいになりたい、頑張ろうというプラスの感情に変えていくといいと思います。 ただ、自分の核がなんなのか分からないという点が気になります。 子どもの頃、姉妹で比べられたとか何か寂しい思いをしていませんか? 私の勘違いでしたらごめんなさいね。

valtan1
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 誰かと比べて、自分に足りないものが見えても、 自分にしかないものがあるから大丈夫、という人たちのなかで、 私にはそう言えるようなものはないと、さらに不安→羨む・・・ と悪循環です。 子供のころ、カッコつけたがる性格から、 周りの大人に褒められるよう演じ続けてきました。 なので、比べられることはあっても、私が褒められたという状況です。(私が比べたがっていたのかもしれません) ですが、義務教育の成績は、教科書を暗記すればだれでも取れるもの、私が頭がいいわけではありません。むしろ、思考力は乏しいと思います。そして、周りの発言や振る舞いにハッとさせられると、そこに気がつかなかった自分の小ささをまた思い知るのです。 ダメですね・・・。 長くなってすみません。どうも、ありがとうございました。