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平和主義?効果があるんでしょうか?

平和主義について質問させてください。 ※これは私が勝手に思っているだけです。 憲法9条ってそんなに大切なんでしょうか? 私は日本の平和主義というものがあまり意味がないような気がするんです・・・ こちらから攻めないからといって相手も攻めてこないとは限りませんよね? それに日本のそばには危険な国(不快に思ったらすみません) 中国・北朝鮮・ロシアがあるのにあまりにも無防備すぎるような気がするんです。 私は国際情勢については全く知りません。 だからこのような感情的な考え方をするのかもしれません。 何か意見をお願いします。

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  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.11

> 平和主義?効果があるんでしょうか?  とても有効ですよ。  非共産圏の国家が平和平和と言って平和ボケしている間に、共産圏の国家が軍備を蓄積するために。  ソ連は無事に崩壊してくれましたが、中国はまだ残っていて、アメリカと覇権を争う気が満々ですからね。隣の経済大国が軍事的に弱くあり続けてくれないと、追い越して侵略することが大変困難になります。  なお、平和を、「主義」として維持することの無意味さは、国際社会では既に実証されているという共有認識が、ほぼあります。西側でそれが国民によく教育されていないのは、日本くらいでしょう。  平和主義が戦争を招いた例。  ヒトラーに対し平和主義を望んだ第一次世界大戦後のヨーロッパ諸国(第一次大戦の戦勝国)の国民と、それに迎合したイギリス首相のチェンバレンは、ヒトラーのポーランド侵攻を黙認し、その後のドイツの拡大を座して見守りました。  アメリカが参戦していなければ、そしてソ連侵攻が例年にない激烈な冬将軍の到来によって失敗しなければ、ヨーロッパには第三帝国が出来ていたでしょう。  平和主義などクソ食らえという毅然とした姿勢により戦争を回避した例:  キューバ危機において、第三次世界大戦(=核戦争)もやむなしとのケネディの決意が無ければ、ソ連はキューバに強力な橋頭堡を築き、ラテンアメリカにも共産化の余波は及び、自国民大量虐殺をする独裁者たちを輩出していたでしょう。  ちなみに、戦争の方がマシな状態もあるのです。それは、共産主義革命が起きることですね。毛沢東やスターリンやポル・ポトが殺した自国民の人数は、第二次世界大戦の戦死者をはるかに越えるのです。  以上の例から、平和主義は戦争を招き、時には戦争も辞さない覚悟が、平和を築くということです。  逆説的に聞こえるかもしれませんが、ちゃんと考えれば当たり前の話です。身近な例で言えば、凄んでくるヤンキーにへいこらしていれば、与しやすしトと見られて毟られ続け、いずれ飲み込まれるでしょうし、抵抗できるだけの準備を持って毅然と対決し続ければ、いずれこちらを難敵と考えて侮らなくなります。それと同じですね。  なので、軍備をすること自体をどうこう騒ぐ人間がいるのは、世界広しと言えど、日本ただ一国のみです。例外は、ありません。  憲法第9条(序数には、「第」を付けましょう。それが日本語のルールです)が大事なのは、日本ではなく、日本を侵略しようとしている隣国です。つまり、憲法第9条を大事にしている人は、それらの国の手先だと思って間違いありません。  チャーチルは言いました。「アカを知らない奴は、それだけでアカの手先だ」と。同じことですね。  なお、あなたは知らないかもしれませんが、尖閣諸島、春暁ガス田、竹島、北方領土の領海の漁業権、悉く特定アジア(中国・韓国・北朝鮮)やロシアに侵略されている事例です。  日本への侵略というのは、将来の想定ではなく、現在進行形で行われている現実です。  単に、チェンバレン以下の腰砕けの姿勢で、日本政府や日本のマスコミや日本国民が黙認しているに過ぎません。  憲法第9条を条文解釈でどうこうしようとするのは、平和ボケとしか言えません。そういう人が、他者を「平和ボケ」と呼ぶ末期症状まで呈しています。こういう人は、どんなに精緻に考えられた再軍備論も、ただの安易な再軍備論も区別できません。なぜなら、軍事的知識が皆無だから、区別できないわけですね。となると、こういう人にできるのは、あらゆる再軍備論を「安易な」という一言で片付けて聞こえない振りをすることだけです。実に安易な行動ですが。  が、そもそも、議論が起きるような状態になっている条文があること自体が問題なのです。その点を、平和ボケした人は理解できません。理解できないから「ボケ」なのですが、こういう人が目覚めるのは、なかなかに難しいでしょうね。

e-e
質問者

お礼

パソコンが使えなくなってしまいお礼が遅くなりました。 申し訳ありません。 「憲法第9条(序数には、「第」を付けましょう」 はい。 お恥ずかしいところをお見せしました。 平和主義が戦争を招いた例、平和主義などクソ食らえという毅然とした姿勢により戦争を回避した例とてもよくわかりました。 学校で習うよりわかりやすいです。 「時には戦争も辞さない覚悟が、平和を築くということです」 これは私もとても大事な事だと思います!! 「なお、あなたは知らないかもしれませんが、尖閣諸島、春暁ガス田、竹島、北方領土の領海の漁業権、悉く特定アジア(中国・韓国・北朝鮮)やロシアに侵略されている事例です。」 これは北方領土問題と竹島しか知りませんでした。 このままでは、どんどん侵略されてしかも永遠に返還されなさそうで怖いです。 「日本政府や日本のマスコミや日本国民が黙認している」 なんでマスコミは報道しないのでしょうか? それが仕事だと思うんですが・・・ Roman0さんの意見はとても興味深いものでした!! ありがとうございました。

その他の回答 (12)

  • Stiltzkin
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回答No.2

国家は国民の生命と財産を守る義務と責任があります。これが大前提です。 私は自衛のための戦力は必要だと思っています。憲法9条は確かに理念としては美しいと思いますが、e-eさんのおっしゃるとおり他国に侵略される可能性が将来に渡ってゼロだとは誰も保証してくれないわけで、その時に「憲法9条」は国民の生命も財産も守ってはくれません。侵略してくる他国には憲法も何も関係ないわけですから。 私は戦争を肯定するものではありませんが、せめて日本は国民の生命と財産を全力で守ってくれる国家であってほしいと思っています。それが実現されるなら、私は憲法9条を見直してもいいと思っています。もちろん憲法の規定する民主的手段によってですが。

e-e
質問者

お礼

意見ありがとうございます。 私もStiltzkinさんのように戦争を肯定しているわけではありません。 日本がアメリカの州の1つだったら今のままでもいいと思いますが、 日本は1つの国として独立しているわけですからやはり自国民を守る力は持っていて欲しいと思います。 9条・・・これからどうなるのか気になります。 ありがとうございました。

  • sugar0111
  • ベストアンサー率31% (57/182)
回答No.1

唯一の核被害国として憲法9条をこれからも維持し続けることに意味があるのだと私は感じています。 核被害にあり、日本もさらに核をもってして相手国に対応することがあったとすればどうなりますか? 暴力に対して暴力に対応したりすることは、またさらなる悲劇を呼ぶと感じませんか? 相手が攻めてきた、だから私達も攻めたと言えば、暴力、戦争は肯定されるということではないのだと私は思います。 周りに危ない国があるからといって核を保有したり、自衛隊で守り固めたとしたら、それは戦争を肯定することにもなるのではないかなと思います。 どこかで誰かが断絶しなければならない"争い"を自分たちから始めることができるとすれば、"平和主義"だと思います。

e-e
質問者

お礼

意見をありがとうございます。 sugar0111さんは立派な方ですね 悲劇と暴力の連鎖を自分たちから断絶する・・・ 私にはとても出来そうにありません。 悲劇を自分たちに置き換えてみればみるほど無理でした。 もし私の大事な人が奪われたらと考えると頭に浮かぶのは許しよりも復讐、憎しみです。 悲劇を自分で終わりにするというのは素晴らしい事ですが私には耐えられません。 それに私は戦争に巻き込まれる事が怖いのです。 それと私はひねくれているようで人がいる限り世界に平和は訪れないと思っています。 優しさで戦争がなくなるのなら戦争なんて初めから起こさないし、戦争はとっくに無くなっていると思ってしまうからです。 本当に争いが無くなるといいですよね。

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