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自殺した人の人生は不幸だったと決めつけられるでしょうか?

自殺にもいろいろなケースがあると思います。 なので、自殺した人に対して一律に、 不幸な人生だったと言うことはできないと思うのですが、 どう思われますか?

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noname#2629
noname#2629
回答No.7

いろいろなケースがあるにしろ、生きていく事を自ら放棄してしまう心理状態というのは、やはり不幸な事だと思います。人生の幕引きがそんな精神状態である、というのは、不幸な人生と言っていいようにも思えます。途中経過がどうであれ、やはり悲しい人生だと思います。 不幸な人生だった、なんていう評価は、当人のものではなく、残された者の心象ですよね。当人は、死んでしまった後には幸福も不幸もなく、不幸だと言われたところでそれに感応する意識さえなくなっているわけですから。自殺する当人は、不幸にも幸福にもなり得る結果を放棄した人だ、っていう気がします。 何かを自らの死をもって訴える、なんていうのは、実にリスクの大きいことだと思います。 真意が伝わればまだ幸いと言えるのかもしれませんが、誤解や黙殺もなく訴えた事が受け入れられたとして、その結果や反響・効果を知ることはできません。自らの思想や訴えが受け入れられたとしても、満足感や達成感を感じる意識そのものが失われているのですから、当人にとっては心やすらぐ快感は永遠に得られないまま、という事です。あの世で喜んでる、なんて事は当人にとっては無意味な事だと思います。なにせ、あの世ではすべての煩悩から解き放たれているのでしょうから。愚かな人々をにこにこ上から眺めてるのが天上人でしょう。 生きる意味、とか、存在価値、とか、思春期の自殺を考える人たちなどはそのような事を深く掘り下げて考えているように思いますが、関心事は自分の事ばかりですよね。結婚や子を持つ事などで、自分の命を投げ出してでも大切にしたい、と感じるものが生まれる事には考えが及ばないようです。そういうものについての想像があまりにプアで、結局自分の事しか見つめられないのでしょう。 だれもが経験する挫折感、自己嫌悪などにどっぷりハマって抜け出せずに自殺に至ってしまうようなら、客観的に不幸な事だと思います。その当人の人生が不幸、というのではなく、そんなところで視野狭窄に陥ってしまって抜け出せない事が、傍から見ていて不幸だ、という意味です。 自分が死んだら親が悲しむのはわかっているけど・・・などと言う割には、親の気持ちについてはまるで理解できていないのでしょう。 愛する者の為に、自分は生きている事が許されない、なんて事もあるかと思います。また、我が身を盾にして愛する者を守る、という事もあるでしょう。 場合によっては、当人は安堵して納得して満足して死んでいく事もあるかもしれません。 しかしながら、そんな場合でさえ、不幸でないとは言い難いでしょう。 そういう状況に陥ってしまった事は、やはり客観的には不幸というべきだと思います。 残された者にも深い悲しみが消えない傷として残るのではないでしょうか。 積極的に死ぬ事は、主観的(当人)には幸福感を感じる事があるかもしれませんが、評価は残された生きている者にだけ可能なのであって、それはおよそ歓迎されるものでは無いでしょう。 従って、すべての自殺は不幸だ、といえると思います。 全ての煩悩を振り払い、生きる事への執着さえ捨て去る事が出来たというお釈迦さまは、恐らくとても無感動でつまらない後半生だったと思うのですが、それでも自ら死のうとはしなかったですよね。すべてやり尽くして目的も達成して、もうこの世になんの未練も無い、という、すべて満ち足りた上での自殺でさえ、そこにはやはり虚しさ、哀しさが漂っていて、少しも羨ましくは思えず、なんだか可哀想な人生、っていう気がしませんか?

horeee
質問者

お礼

ありがとうございます。 >なにせ、あの世ではすべての煩悩から解き放たれているのでしょうから。 >愚かな人々をにこにこ上から眺めてるのが天上人でしょう。 >全ての煩悩を振り払い、生きる事への執着さえ捨て去る事が出来たという >お釈迦さまは、恐らくとても無感動でつまらない後半生だったと思うのですが、 死後の意識とか、お釈迦様の境地ということに関しては、種々の解釈があるところなので、 共通概念とはなりにくいものであると思いますので、あえて私は言及しないようにしたいと思います。 >積極的に死ぬ事は、主観的(当人)には幸福感を感じる事があるかもしれ >ませんが、評価は残された生きている者にだけ可能なのであって、それは >およそ歓迎されるものでは無いでしょう。 >従って、すべての自殺は不幸だ、といえると思います。 評価は残された生きている者によってのみ捉えられるものであるという観点ですと、 自殺に限らずあらゆる死というものは、周囲の人間におよそ歓迎されるものでないことになると思いますので、 そうなりますと、死すべき運命にある人間は一律に不幸である――ということになってしまわないでしょうか? やはり私は、他者の幸不幸について思考を及ばす時には、当人がどう思っていたかという観点抜きでは 語ることはできないように思えてなりません。 かといって、他者の観点を全く顧みる必要はないとは思いませんが。 例えば、親が望む一般的なエリートとしての人生を放棄して、ヒッピーまがいの人生に価値を見出し、 そんな状態で生涯を過ごし、一応自殺以外で生を全うした人がいるとします。 周囲の人間は最後まで彼を快くなく思っていたとします。 こんな、周囲から評価されない、悲しまれるような人生であっても、やはり肝心なことは、 当人がどう感じていたかということだと思いますので、この、ヒッピーまがいの人生を全うした人は、 当人が満足していた限りは、私は不幸とは思えないのです。 ただ、独裁者がある民族を皆殺しにするようなことに、使命感・充実感を持って実行し、 そのままの境地で他界したというようなケースなら、さすがに私は、その独裁者が幸福だったとは見なせません。 が、しかし、当人が満足感を持って及んだ自殺に関しては、先ほどの例の、 ヒッピーまがいの人生を送ったケースに限りなく近いように思えるのです。

その他の回答 (6)

noname#6071
noname#6071
回答No.6

私は、決められないと思います。 少なくとも死の瞬間には、そこまで追い詰められた苦痛や悲しみから解き放たれるので、本人は幸せだと(楽になれるのだと)思います。 しかし、人生の終え方を神に委ねず、自分で選択したが為に、その人の人生そのもの全てを否定してしまうのは、気の毒だと思います。 すみません・・・勝手な見解です。

horeee
質問者

お礼

ありがとうございます。 >人生の終え方を神に委ねず、自分で選択したが為に、その人の人生そのもの全てを否定してしまうのは、 >気の毒だと思います。 ちょっと感じたことを言わせて下さい。決して反論とかそういうことではないです。 もし神というものが存在するとしたら、人が何を選択しようが、結局は神の手のひらの上で踊らされているの に過ぎなくて、自殺も神のプログラム通りの行動に思えてならないのですが……。 暴論かも知れませんが、私にはそう思えてしまいます。

  • Kan-Nagi
  • ベストアンサー率8% (3/35)
回答No.5

 一般的には。  自殺した人間というのは大概が不幸を儚んでの自殺、というケースが多いので、「自殺した人=不幸(な人、な人生)」という認識が染み付いているのでないでしょうか。  個人的には。  逆説的ですが、自殺した人の人生が不幸でなかったというケースを想定出来ないので、不幸だと思っています。

horeee
質問者

お礼

ありがとうございます。 >逆説的ですが、自殺した人の人生が不幸でなかったというケースを想定出来ないので、不幸だと思っています。 例えば、とくに社会的にも経済的にも愛情的にも苦難といえる状況下でないにもかかわらず、 己の主義主張を世に知らしめたいがための自殺などはどうでしょうか?。 また、同様の状況で、生きることそれ自体が無意味であるという結論に到達し、その結果としての 自殺などはどうでしょうか?

  • tomoji
  • ベストアンサー率26% (182/678)
回答No.4

幸か不幸かは本人しか決めることができません。価値観はそれぞれですからね。 ただ、自殺した人については私は不幸だと推測してます。 自分がこの世に生を育んで、生きるという一番根本的なものを否定?して、自らその命を絶たねばならない事に幸せは存在しないような気がします。価値観以前の問題のような気がしますね。 その人の人生を振り返ると幸せな時期もあったでしょうけど、結果的にそうやって自殺で幕を自ら閉じてしまう事は、過去のどんな幸せでも影を落としてしまう程の事だと思ってますから、価値観云々ではなく、自殺すること自体で自分の人生を不幸色に塗り替えていることでしょう。 私は自殺は不幸だと考えます。

horeee
質問者

お礼

ありがとうございます。 自殺は一律に不幸な人生とお考えになるようですね。 私も、不幸な人生と推測せざるおえないケースが多いとは思います。 ただ、自らの主義主張を知らしめるための自殺などもあるわけで、 私にはそのようなケースは、不幸と見なすことはできないように思えています。

  • choco87
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回答No.3

確かにおっしゃる通り一概に人生そのものが不幸だったとは 言えないと思います。 誰しも、それなりに人生には輝ける時期があったはずですから。 ただ死を選ぶに至ったであろう晩年に関しては やはり不幸だったのではないでしょうか?? 幸せ過ぎて自殺を考える人はいないでしょうから。 その人の人生そのものを不幸だと決めつける必要はないと思います。 これはあくまで個人の意見としてですが。 ご参考になりますでしょうか??

horeee
質問者

お礼

ありがとうございます。 >その人の人生そのものを不幸だと決めつける必要はないと思います。 私もそのように思います。

回答No.2

本人が不幸だと思っていたのなら不幸だったんじゃないでしょうか。 他人が判断できるものではないですし。

horeee
質問者

お礼

ありがとうございます。 >他人が判断できるものではないですし。 確かにそうですね。 ただ、他者が推測とか想像をすることは可能だと思います。

  • blue_leo
  • ベストアンサー率22% (541/2399)
回答No.1

うちの親族で高齢で自殺した人間がいます。 病気に苦しんだ上での判断だったようです。 生前は好きなことをたくさんしていたので幸せだったのではないでしょうか。 自殺は肯定しませんが人間はよかったことより悪かったことの方が強く覚えているものではないでしょうかね。

horeee
質問者

お礼

ありがとうございます。 >生前は好きなことをたくさんしていたので幸せだったのではないでしょうか。 そういう見方ができるかも知れないですね。