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悟りを開いたお坊さんはどれ位いるのですか?
仏教のお坊さんで悟りを開いたお坊さんはどれ位いるのでしょうか? 高僧と言われる人は悟りを開いた人なのでしょうか? 悟りを開いたお坊さんとそうでないお坊さんはどこでわかるのでしょうか?
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>仏教のお坊さんで悟りを開いたお坊さんはどれ位いるのでしょうか? ・一人もおりません。 >高僧と言われる人は悟りを開いた人なのでしょうか? ・違います。 >悟りを開いたお坊さんとそうでないお坊さんはどこでわかるのでしょうか? ・お坊さんは悟りを開いてはおりません。 ※ご質問の中に、「仏教」とありますので、仏教で言うところの『悟り』についての記述には、「物事の道理を明らかに感知すること。迷いを離れ真理・実相を証得すること。成仏の境地・仏果を得ること。」とあります。 そもそも、「僧」と言われる立場の方々は、古来より伝わる仏典、釈書によって仏教を研鑽し、その教えを行じてきました。あるものはその宗門に残り、あるものは独自の宗派を開いてきました。しかしながら、全てそれらの教えが、釈尊よりの教えを正しく理解し行じているかといえばそうではなく、独自の解釈や全く仏意を度外視した内容としてしまったり、また、時代の流れの中で、寺をその周囲の住民を管理させるもの(檀家制度)としてしまったり、仏の本意からは大きくかけ離れてしまっているのが現状です。 しかし、その中で、鎌倉時代の僧「日蓮」は、末法の世の中に流布するべき『南無妙法蓮華経』を御題目として世の中に取り出しただけではなく、御本尊として末法の衆生に曼荼羅として残してくださいました。 先に、「鎌倉の僧」と書きましたが、釈尊の法華経には「末法に於いて、上行菩薩を筆頭とした地涌の菩薩が出現し、末法の世に法華経を広めるであろう」との記述があり、「末法に法華経を広めれば数々の難が起きる」ということ、身をもって体験されたのが日蓮大聖人であり、まさしく末法の御本仏としてこの世に生誕され本懐を遂げられました。 そういった意味で、単なる「僧」というにはあまりにもかけ離れている為、上記の回答といたしました。
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- atyaatya
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先ず、居ないでしょうね。 開いたと自画自賛してるに過ぎないと思います。 何故なら、具体例が示されないからです。 このように云いますと、必ず、小人閑居して不善を為すと言います。 判らんから、判らんと云うのです、聖人なら教えて欲しいです。
- tooma37
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創価学会的には釈迦と日蓮(学会は日蓮正宗から破門を受けています)と池田大作(なりそうなだけ?)だそうです。
お礼
有難う御座います。 そうしますと、日蓮と池田大作は いつどういう形で悟りを開いたのでしょうか? どういった本を見ればそれがわかるでしょうか? よろしくお願いします。
お礼
そうしますと、お坊さんと民間人との差は お経とか仏教の実務についての知識が詳しいということでしょうか?