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なんでwikipediaで削除を生き甲斐とする人が出てきちゃうのか

wikipediaの「初音ミク」のページが荒れてますが、どうして wikipediaではやたらとページを削除して、それを生き甲斐に してしまうような人が出てきてしまうのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • alpha123
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回答No.1

自分勝手な言い分広めたい人が多いからです(^^) ある程度安定した項目、意見が集約されたもの除けばWikipediaは「信頼性のない辞典」です。 自説補強するためにWikipedia引くおばかがいれば反対する人はすかさずWikipedia書き換えることが可能です。一方が書き戻せば削除、書換え、削除、書き換え、、の銀河大戦争です(^^) しつこい方が必ず勝つ(あるいは調停者装う仲間いる方が勝つ) ここの過去記事だが、(夏にしかないのでまだましな)近所迷惑な催しの項目は住民にも歓迎される風な記述あって住民はそうは考えていないがWikipediaはおかしくないかという質問があった。離れているので大音響もいいみたいな書き方です。 気になったので住民にはうるさいと感じる人がいるみたいと(他の記事削除せず)追記したらすかさず削除されたことがある。あほらしくてもう直さないが(^^)

bougainvillea
質問者

お礼

「初音ミク」の編集騒動を見て、本当にしょうもないところだと感じました。

その他の回答 (1)

  • parts
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回答No.2

これはwikiに限らないことですね。 物事の判断はより多くの人が介入すればするほど多くの情報を集約でき正しい方向に向かうという効果が期待できますが、逆に物事の判断は10人いれば10人が少しずつまたは全く違う場合によっては価値観が180度違う人もいます。3人寄れば文殊の知恵というが、100人寄れば支離滅裂になるかもしれないのです。 管理人が世界にいるwikiでは監視の目も厳しいように見えますが、関心の低いものや一部の人間のみしか閲覧しない特殊性のあるものに関しては、正しくないものや、個人の感情が多く含まれるケースがあります。 辞書では一般に個人の感情や意見はほとんど書かれず、そのものや現象の事実(言葉の説明)のみが書かれるのが一般的です。まあ、中立的で説明として妥当な書き方をするとでも言いましょうか?辞書は辞書ですから、辞書に感情があると評論になりますからね。 wikiの場合は個人の都合の良い意見(感情)が入る傾向があり、その結果読む人の判断がその感情に流される危険もあります。 その結果、修正や削除が頻発するのです。まあ、書いている本人は良いが、読む側には迷惑かもしれません。何せ、昨日と今日では違う解釈が書かれているケースもありますし、否定や肯定論が書かれていたりもするわけですからね。(もし書くなら両方の意見を同じようにまとめる必要がある。それは極めて難しい) 生き甲斐にしているという感覚が本人にあるかどうかは分かりませんが、そういう傾向があるのです。頻繁に関わり我を忘れると頼りにされているわけでなくとも、使命感が出てくるケースもありますから、そういう人が出てきてもおかしくないでしょう。まあ、愉快犯も多少はいるかもしれませんが・・・ これは、人の定ですね。

bougainvillea
質問者

お礼

どうも最終的に裁定する人が不在なのがwikipediaのしょうもなさの特徴だと感じました。文殊の知恵よりも衆愚ですね・・・

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