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自分を受け入れるということ
「自分を受け入れること」どうすれば受け入れることになることなのか。 嫉妬心や自分を卑下する心でいっぱいになっていることを逃げずに受け入れる。 受け入れることは、認めることだと言われます。 けれど、自分が嫉妬心に駆られて、心を醜い感情で巣くっているという事実は嫌と言うほど認めています。 認めているからこそ、その醜い感情をどうしていいかわからず、辛くなるのです。 自分のダメな部分や弱い人間であること、誰よりもよくわかっているし、認めています。 だけど、「受け入れる」ということがわからない。 受け入れれば楽になれる・・・どうすれば受け入れられるのか、自分のことなのにわかりません。 心が苦しいです。生き苦しいです。
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- purupurumo
- ベストアンサー率14% (4/28)
そもそも、 受け入れることは重要ではありませんし、 認めることも重要ではありませんし、 嫉妬心に駆られるのも重要ではありませんし、 つらくなることも重要ではありませんし、 楽になることも重要ではありませんし、 自分のことなのに判らないことも重要ではありませんし、 楽になることも重要ではありませんし、 幸せになることも重要ではありません。 おわかりでしょうか? それらは実際に存在しているでしょうか? 全てが妄想なのではないでしょうか? 受け入れようと努力することは妄想を助長させるだけです。 それが完全に判ったときに、安心と幸せはやってきます。 ただ、それだけですよ。
- emuco
- ベストアンサー率28% (115/397)
嫉妬心を持つことはいけないこと? ダメな部分がある人間はダメ人間? 弱い人間は、強くなくちゃいけないの? 嫉妬心を持っても、ダメな部分があっても、弱くても、別に良いんですよ。 そう、思うことが「自分を受け入れること」だと思いますよ。 嫉妬心やダメな部分や弱さを、誰かと比較したりする必要もないんです。 天使のような神様のような人間である必要なんていうのもないんです。 自分は自分。 ただそれだけです。
- hamakkotarou
- ベストアンサー率24% (222/908)
とりあえず、今の自分でいることに問題は何もないとすることです。 もちろん改善することがあれば、今の自分ができることから 徐々に改善していけばいいだけのことです。 いきなりすべての問題が改善しなければ、本当の自分ではないなどと 思わないことです。 いつでも本当の自分は今の自分しかいないのです。
- katyan1234
- ベストアンサー率18% (347/1849)
自分のダメな部分や弱い人間であること、誰よりもよくわかっているし、認めています。 それが受け入れると言う事 これをスタート原点にして何をすればいいのか?を考える事です。だめだ!ではなくどうすれば、どこが違うのかを見極める事、 人を見ても変わりません、今の自分を好きになること 無理に変わろうと思っても変われるものでもありません これを受容といいます 本を読んだわけではありませんが http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4569654371.html http://www.iii.ne.jp/usami/essei1999-1.html 宇佐美さんのHPには元気になれる自分を好きになれるものがたくさんあります。時間をかけて読んでください。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
嫉妬心や自分を卑下する心と、それを見て受け入れなければと思っているものとは別々のものでしょうか。 私たちは善悪という価値基準で、心理的な事象を不都合な部分(悪)とそれを何とかしようとする(善)とに分けてしまったのではないでしょうか。 その後この2つを「受け入れる」という手法を用いて融合させようとしていないでしょうか。
- iroha333
- ベストアンサー率44% (20/45)
自分自身の至らなさというのは目を背けたいものだと思うので、 しっかり見つめておられる質問者様、素敵だと思います。 でも、至らないところばかりを見つめていると心が苦しくなってしまいますよね。。。 なんて、自分は悪い人間なんだ!と自分を責めてしまったり。。。 だからこそ、前に進みにくくなったりするかもしれません。。 質問者様の心は、醜い感情ばかりではないと思います。 良い部分を見つめてみませんか? 誰にでも、至らない部分もあれば、良い部分もあると思うのです。 至らない部分も自分のもの。良い部分も自分のもの。 ”自分”を受け入れるというのは、その両方を見つめ認めていくことだと思います。 「あめとムチ」というのか、自分を褒めてあげるというのも、実はとても大切な事のようです。 そして至らなさに気付いた時も、そんな自分を”否定”するでなく、そのままに見つめることも大切だそうです。 質問者様は至らない部分はしっかり見つめられていらっしゃると思います。 今度は良い部分に心を向け、それを自分自身で褒めてあげて下さいね! 必ずあると思います。
- hosikage
- ベストアンサー率36% (92/250)
質問者さんは自分のことが好きですか?愛せますか? 自分を受け入れるっていうのは、猜疑心や嫉妬心でいっぱいの醜い心をも含めた自分というものを、丸ごと好きになることだと思います。 人というものは、ああなったりこうなったり・・・・心の向きようひとつで生きているものだから・・・質問者さんが抱いている感情や悩みは誰でも持っているものです。 また人は、心のもちかたでひとつで、善人になったり悪人になったりするものなのです。 質問者さんも、ご自分の悪い心だけを取り出して悩んだり気にしたりするのではなく、もう一方の善い心も取り出してみるようにされるといいと思います。 どんなものにも光と影があります。 今、質問者さんは、影の暗闇のなかにいて、光を見失っておられると思います。 自分自身を受け入れるとは、自分の心の影の部分も光の部分もすべて自分なのだと認めて、そのすべてを愛することだと思うのですが、そう考えることはむつかしいですか?
- ponsuke01
- ベストアンサー率16% (21/125)
許す、じゃないかなと思います。 「嫉妬心や自分を卑下する心」は、なくせるものではないです。 それよりは、思う存分そういう感情に浸って、そうやって感じることも、今の自分には必要な感情なんだ、と思うことが受け止めるってことなのではないでしょうか。 その感情は否定する必要はないと思います。 大切なのは、その先にある感情だと思います。 「嫉妬心や自分を卑下する心」から、前向きに生まれるものは何もないです。でも、それらの感情を思いっきり満喫したその先には、前向きな感情が生まれると思います。 よしわかった、その気持ちはよーくわかった。でもそれじゃあ少しも前に進まないじゃないか。どうすれば改善できるのか、考えよう!ってな具合に。 中途半端な感情からは、改善策は生まれないと思います。落ちるところまで落ちましょうよ。必ず底はあるはずです。