この手の議論を高校生にさせる教師自体が「議論」の何たるかを分かっていないというのが本当のところですが、議論というのは「前提となる条件を明らかにしないとできない」です。
そこで「羅生門の設定」を「現在の日本の法制度に照らして」という前提条件が在るかどうかを明らかにしなければいけません。その前提条件がなければ、「適用すべき法制度が明らかでないのに有罪無罪を法律的に論じるのは不可能」だからです。
アメリカの教科書には「科学とは条件付である」という言葉が載っています。「無条件に成り立つものは神の領域で科学ではない」ということなのですが、同じことが「議論」「論理」というものにも当てはまります。
閑話休題。
さて、仮に「現在の日本の法制度に照らして」考えれば、「他人の財物を暴行脅迫を加えて相手の反抗を抑圧して奪った」可能性が高い(*)ので「強盗既遂罪の構成要件に該当する」可能性は十分ありますし、「喰うに困っているのは確かだが、今その老婆の着物を奪わなければ死ぬ」という状況にあるとは言いがたい(そこまで切羽詰ってはいない)ということを考えれば、特に犯罪成立を阻却する事由があるとも言えません。せいぜいが「情状の問題として量刑の資料となる程度」です。したがって、「一応は」強盗既遂罪としてよいです。なお、「老婆が死ぬ可能性」は強盗罪の成否には関係がありません。と言いますか、可能性だけなら「情状の問題としてはともかく成立する犯罪には関係がない」です。もし仮に、着物を奪われたために老婆が「実際に」死亡した場合には、強盗致死罪の可能性がありますが、議論としては面倒な部類なので「可能性がある」ということだけで十分でしょう。
(*)厳密に言えば、「羅生門」の描写からここまで読取ることができるとは思えません。「羅生門」の描写がどうだったかは忘れましたが、ひょっとしたら相手方の反抗を抑圧していない恐喝既遂罪かもしれません。あるいは、おぼろげな記憶では老婆は死んでいないことを示す描写があったような気がしないでもないのですが、もしかしたら老婆を「殺して奪った」のかもしれません。仮にそうだとすれば「強盗殺人罪」の可能性もあります。そう考えると「羅生門」の描写だけでは特定の犯罪の正否を論じるには不十分であり、法律的には「法的評価の対象となる事実関係に不明な点が多すぎるので正確な結論は出しようがない」のです。この「法的評価の対象となる事実関係」もまた「前提条件」の一つなのです。それを無理やり論じるのは、頭の体操としては意味があるかも知れませんが、「法律的な議論であると思ってもらっては困る」というのが正直なところです。
お礼
回答をして頂き有難うございます。 一応、現在の法律ではどうなるかとして考えています。 やはりいつの時代であっても、また、いかなる理由があっても罪を 犯してはいけませんよね。 参考にさせていただきます。