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韓国事情に詳しい方(地域感情について)

韓国大統領選を見ていると、地域間対立の問題について取りざたされることがありますよね。 私は、「関東と関西ほどのものだろう」と思っていたのですが、 少し本を読むと、そうではないようです。 長年、支配者の嶺南と被支配の湖南の構図があった(金大中の時に変化はあったものの)というのはわかったのですが、もう少し詳しく知りたいので、歴史的起源(百済、新羅とのかかわり等)や、どのようにして対立が深まったか、など事例とともに教えていただけませんか。よろしくお願いします。

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  • omeger
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回答No.2

私は韓国社会に詳しいわけではないので参考程度に。 こういった地域対立・差別を「歴史」で捉えようとするのは、 対立を正当化する後付けとして歴史が「シンボル」に掲げられた 面があるのではないかと思っております。 百済と新羅という分け方なら、ソウルだって百済の首都でしたし、 旧百済地域と全羅道の地図は必ずしも重ならないように思えます。 ソウルでも全羅道に対する差別問題は存在していたはずです。 前近代の歴史では、「国民」が主導して対立していたのではなく、 政治や戦闘を行っているのは支配階層と傭兵集団ですから、 近代国民国家とは構造が異なります。 朝鮮時代(李氏朝鮮)でも、先祖のマジョリティを占める庶民階層で どうだったのかという点まで踏み込む必要はあるはずです。 韓国の歴史の特異的な部分は、 戦後に異常なスピードで発展した点にあります。 喩えに問題もありますが、分かりやすいように言うなら、 戦後当初の韓国の所得水準は日本の明治維新初期程度、 小学校就学率は日本の1890年程度、中等教育はほぼ0でした。 どこの地域でも非常に貧しい状態にありました。 現在では、所得水準は日本の1980年代後半で、就学率はほぼ完全です。 つまり、韓国の地域成立には戦後史の役割が大きく、 この時期の政治経済構造が、地域対立を増長した という説明でいいのではないかと思っています。 南東部は造船・自動車・鉄鋼などの重工業が集積していますが、 南西部は農業人口がまだ多い状況です。 (ただし必ずしも韓国の地域格差が諸外国よりも大きいわけではない)

share777
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