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夢をみるということは残酷なことではないだろうか・・?

タイトルのようなことを、今日、ふっと思いました。 人は誰しも、年齢には関係なく一度は夢を抱いたことがあると思います。 ああいう生活をしよう、ああいうふうになろう、ああいうことをしたい・・・ しかし実際、抱いた夢を実現している人はほんの一握りではないかと思います。 多くの人々は金銭や家庭や、そのほかやむを得ない事情で夢の実現を断念していることでしょう。 そしてそのまま年を取っていき、不完全燃焼のまま人生を終えてしまう・・ それならば、 夢を抱くということは実はとても残酷で無常なことではないのだろうか、 と今日ふっと思ったのです。 勝手に夢を抱き期待して、夢破れて地に堕ち、人生に失望して・・・ それなら夢など抱かないほうがいいのでは・・? 最初から何も考えず、無為無策に日々をすごした方がラクなのでは・・? 等と今日思ってしまいました。 私は実際夢に向かって会社を退職し単身渡米、 あと一歩のところで夢破れ日本に帰ったものの、 諦めきれずに今また実現のために(大回りになってしまいますが)活動を開始しましたが、 だからと言って私の求める夢が実現するか否かはまったくわかりません。 分の悪い賭けです。 むしろ一度敗れているので、どちらかというと悲観的な見方をしてしまいます。軽度の欝症の可能性もあります。 だから余計にこのようなことを考えるのかもしれません。 「いや、そうではない」とお考えの方、ご意見をお聞かせください。

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  • ken0321
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回答No.5

20代の頃いろいろなテーマについて「自分の答え」(人の意見、歴史上の偉人の回答ではなく)を探していた時期がありました。 そのときのテーマの1つが「人は何故、人を殺してはいけないのか」でした。 出した答えのひとつが ・人だけが未来に向かって夢を持つ事が出来る。 ・殺す事によって「その夢を断ち切る事」が「罪」である。 というものでした。(きわめて短い表現なので誤解されかねませんが) つまり、私は「夢を持つ事こそが人間の証」であると考えました。 無為無策ならば、牛や豚と変わる事がない。 その頃に比べて年も取りましたから、ニュアンスは変わりましたが基本的な部分と して「夢を持つ事に肯定的」に捉えています。 あなたの表現で言えば、私も敗れた経験を持ちます。しかし、「敗れた」と言うの は、チャレンジを止めたとき決まる事であり、チャレンジを続ける限り「敗れた」 とは言わないのではと考えます。 北壁から山頂を目指して途中下山したなら今度は南壁からチャレンジしたらよいし 酸素不足で後戻りしたのなら今度は酸素ボンベを用意してチャレンジすればいいと 思います。 1度や2度の失敗位で「へこたれない」で下さい。 文中から最初の挑戦で完全燃焼し切れなかったので、再度チャレンジしようとする 気になったように思えます。そのような状態で、中途半端に断念してしまう方が 後に大きな後悔を残すと思います。 「いや、そうではない」の意見の持ち主として、少しでも勇気を差し上げられたら と思い、回答しました。

その他の回答 (12)

noname#4284
noname#4284
回答No.2

希望に向けて ・努力する・・・・夢 ・何もしない・・・空想 では?

ki61
質問者

お礼

そうですね。同じようなことを私も人に言ったことがあります。 一度は夢破れましたが、また活動を再開しましたし、 今度こそは空想に終わらせたくないと思います。 ありがとうございました。

  • marimo_cx
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回答No.1

CMのキャッチフレーズでもあるんですけれど、 『宝くじ、買わない人には当たらない』 です。 そして、ジャンボを買おうとminiLOTOを買おうとLOTO6を買おうと、それは買う人の自由なわけです。買わないのも自由です。ハズレ券を眺めて“宝くじの収益は公共の……”の部分を読んでしんみりするのもまた自由。

ki61
質問者

お礼

う~む、申し訳ありません、 意味するところが今ひとつわかりにくいのですが・・ 何事もチャレンジするからこそチャンスもある、ということでしょうか? ありがとうございました。

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