教会…キリスト教の教会で良いんですよね?。
キリスト教は古くより「効果」というものを意識しながら布教してきました。
教会はそういった「効果」を最大限発揮させる場所ですから、いろいろな仕掛けがしてあるのです。
ここから先は「私論」ですので「違うだろ!」って意見はご遠慮ください。
なぜ教徒は「膝まづいて、合掌し、仰ぎ見る」ポーズをとるのでしょうか?。
なぜ、教会の装飾物はあんなにも高いところについてるんでしょうか?。
人は真剣に考え事するとき、どんなポーズをとりますか?。
たいていの人は腕組みなんかしながら下を向いて考えるはずです。
あまり上を向きながら「うーん」ってやる人はいませんし、それで名案が出たということも聞きません。
一休さんだって「ポクポク」やってるときは少しだけうつむき加減で目をつぶっています。
上を向いていると、物事あまり深く考えられなくなるような気がしませんか?。
逆に言えば「うざったいことを考えられない」状態になってると思うんです。
上を向いて祈る、という行為は、自分がやっていることを冷静に捉えきれない状態になってるんじゃないでしょうか?。
いわゆる「ハイになってる状態」なんじゃないか、と。
教会のつくりは「擬似催眠効果」があるんじゃないか、と考えたんですね。
演壇でしゃべっている人は「何となく」えらそうですよね。
「何でえらいのか?」と深く考えられなくても、自然とそう思ってしまいます。
「理由は無いけど、高いところにいるから偉そうだ!」って、考えてみると、結構間抜けな考えです。
それに加えて高い天井は「開放感」があります。
空気もひんやりしていて、気持ちがいいです。
音の反響が少なくて、雑音がしません。
それらの「快感」が、効果をより高めてくれるんではないか、と。
…あと、なにも「効果」を狙って建築を考えるというのはキリスト教に限りませんからね。
宗教には「よくある話」だろうということです。