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「主犯」は誰?
小学生のイジメのケースです。 以下のケースでは、このイジメ問題の「主犯」とされる子は誰になると思いますか? 仮に、イジメの標的になった子をA、結果としてそのイジメの原因をつくった子をB、Bの親友でクラスの中心人物的な子をCとします。 BはAの性格が苦手で、普段からなるべくAを避けていました。 ある日、BがCを含めた数人の友達と話していた時に、クラスメートの話になり、話題がAの事に及んだ際に、Bが「俺あいつ(=A)嫌い。だって~なところがあるじゃん。だから俺、普段からなるべくAの近くには寄らないことにしてるんだ」のような感じでAのことが嫌いなこともあってやや誇張した表現で言い、それを聞いたCが「俺はAのことよく知らないんだけど、そういうヤツなのか。じゃあ俺もあんまり近づくのやめておこうっと」と返しました。 このCの発言はC本人は軽い冗談のつもりでしたが、CはBと仲が良かったこともあり多少悪ノリ気味にBに話を合わせたので、周りにいた友人達は、そのクラスの中心人物Cの発言に少なからず影響を受けました。 しかしこれは、その時はまだ他の会話と同レベルのものに過ぎない単なる一会話でした。 その後、先日の会話の影響で、Cを含めたその会話に参加していた数人が"なんとなく"Aを避けるようになり、Cがクラスの中心人物的な存在だったこともあり、Cに近い子から順々にAを"なんとなく"避けるようになっていき、グループ分けの時などにAが余ったり、Aが入ることになったグループの子が少しいやな顔をするようなことが段々と増えていきました。 そして、いつの間にかクラスの8~9割がAのことを"避ける"から"無視する"ようになり、自然発生的に"菌回し"やAに「キモチ悪い」と言うような流れになっていきました。 残りの1~2割の子に関しては、イジメに参加こそしないものの「見て見ぬ不利」状態で、特にAの味方をするというようなことはありませんでした。 その間、BやCなどが「Aのことがムカつくからイジメよう」「Aは~だから一緒にいたくない」というようなことを周りの子に呼び掛けたことはなく、"菌回し"等を最初に始めたのもこの子達ではありません。 また、このイジメを行った中心人物といえるような子は特におらず(BでもCでもない)、クラスの中の性格が活発な子数人(これにはBもCも含む)がその時々によって代わる代わる周りの子を煽ってイジメを行っていた、という状態でした。 その後、Aはイジメの影響で登校拒否になってしまいました。 と、状況説明は以上になります。 前提条件として、BはAを避けてはいたもののそれはあくまでよくある個人的な好き・嫌いのレベルで、クラスでAがイジメられることを特に望んでいたわけではありません。 また、Aの性格もごく普通の性格で、あくまで「B個人が好きではない性格だった」だけです。 また原因所在として、 (1)Bが、原因となった会話の中で、Aの悪い点について誇張して言わなければこの問題は起きなかった。 (2)Bが(1)を言っていたとしても、クラスの中心人物のCがそれに乗って悪ノリした言葉を返さなければ、その周りにいた子達も影響されずにこの問題は起きなかった。 (3)もし(2)があったとしても、実際にCや友人達がAを避けるという行動に出なければ、クラスの他の子も影響されず、この問題は起きなかった。 以上が考えられます。 このイジメ問題、「主犯」は誰になるのでしょうか? 言い換えれば、自分がもしAの親だった場合、学校関係者等の他に、誰の親に謝罪に来てもらわないと気が済みませんか? 尚、対象は複数(「クラスメート全員」等の不特定多数も可)でも結構ですが、あくまで「子供」の中からでお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
現代の社会で 日常に起こっている問題ですね 自殺した高校生もこの1人だと 思います。 B迄は何処でも有る話しで Cから先が何時も問題なのですよね 悪のりに同調する人をDとしますと CやDが誇張すればする程 Aが抹殺されますね ここを面白がる社会になってしまっている構造だと思います。 私の子供の頃は CやD、勿論Bをも含めて Aのこの部分は悪いけど他の所は Aも良い所が有るよ と批判したものです。 「持ちつ 持たれつ」とか「互いに」とか等の思いやりが必要だと思います。 相手を懲らしめるだけの社会では 決して良くならないと思います。 私からしてみれば(A側の立場から) CもDも 勿論Bも含めて 主犯としたいです。 なぜなら Aの痛みがわからず 集団暴行とも同じで 見て見ぬふりをも主犯にしたいです。 謝ったから気が済む問題でなく Aといかに仲直りが 又は仲直りする気持ちが出来たが問題なのでは無いのでしょうか?
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- kmimtb389
- ベストアンサー率54% (12/22)
質問者の意見は 現実の過去と言え一部なりとも虐めに加わったと 言うことだと思いますが その呵責念が有り この場で 我々一般の人にもこの問題に質問されたのではないかと思います。 特に子供などにも問われたと思います。 私は過激かも知れませんが 虐める人を見たら先ず 「その様なことは 止めよう」とか Aさんの良い所を見つけてやって 「Aさんはここでは悪いかも知れないが こんな良い所もあるから 悪い所は注意してあげて みんなで虐めるのは止めよう」等と 虐めを CにしてもDにしても注意しないのは 主犯と決めつけても良いのではないか? みんなで攻撃するのは主犯では..... 昔は戦後間もない頃は 助け合わなければ生きて行けなかったから、、、、誰彼となく かばってくれたり 手を貸してくれた。 その部分に 力点を置かなければ 今みたいに 見て見ぬふりが 社会を良くしていかないから と思いますが 如何ですか?
お礼
現場には綺麗事はなく、タチの悪い生々しい現実があるだけです。 kmimtb389さんが仰っている指導を実践できる教師も確かにいるでしょう。 しかし、いくら自分なりに指導を徹底しても成果の上がらない教師も数多いのが現実だと思います。 ただし、これに関してはそれらの教師に非があるとは言い切れません。 大半の教師が「なぜイジメが起こるのか」の本当のメカニズムを理解できていないのですから、これはある意味仕方がないのです。 そのため、国の方針が専門家の意見に従って指導するというのであれば、 そういった専門家達が今までの自身の常識やプライドを捨てて、机上の空論ではない現場の状況を徹底的に再検証した上で、 どのような教師でも行うことの出来る実践的且つ本当の意味での「イジメ防止マニュアル」のようなものが ある程度定まらない限り、イジメは永久になくならないでしょう。 国が行える対策としては、まずはそれこそがイジメ問題解決への第一歩となるのではないかと思います。 前置きが物凄く長くなってしまいましたが、結論としては、 「現場の状況を"イメージ"や"理論"のみで捉え、現場の状況から遠く離れた理想論しか語らず、 一向に現実的・実践的な解決方法を見出そうとしない国・世間」に対してジレンマを感じ、 「理想ばかり追っていないで、もっと現実を見ろ!」という不満をぶちまけたかった、 ということなのかもしれません。 なので、大変申し訳ないのですが、文末にてkmimtb389さんの挙げてくださった事例に関しても、 私にとっては「具体的な解決策ではない理想論」ということで、批判の対象となってしまうかもしれません。 せっかくご意見いただいたのに申し訳ありません。
補足
再度のご回答どうもありがとうございます。 今回の私が質問させていただいた理由として、 「Bだけではなく、私も本当は犯人なのではないか。」という呵責念があったのは事実ですが、 それよりも単純に、この時の担任の判断が 「現在の私の判断基準では間違っていると思うのだが、世間一般の感覚ではどうなのだろうか」 という真偽確認をしたかったことが一番の要因です。 さらに、皆さんの意見の中で「"傍観者"達は主犯に含まれるか、否か」という点について 数多く語られていたので、それについての個人的見解を述べますと、 私は現実的にいえば「含まれない」と思います。 なぜなら、「イジメはいけないこと」というのは小学生でも理解はしていると思いますが、 いざそれが発生してしまうと、理屈ではわかっていても、それに従わざるを得ない、 従わなければ自分も対象になるかもしれない、という雰囲気にほぼ確実になります。 ただでさえ年が若い内は正義感・使命感・責任感というものが、年長者に比べて希薄且つ曖昧です。 加えて、小学生にとっての「学校」は、大人にとっての「会社」よりも遥かにウエイトの大きいコミュニティなので、 その自分にとっての居場所をなくすかもしれない危険を冒してまで他人を守るという行為を 小学生に対して強いるのはかなり酷というものでしょう。 そのような中では、「参加しない」ということだけでも、場合によっては勇気のいることだと思います。 極論として、実際現場を目の当たりにした者の立場から言わせていただけば、教育論者や心理学者が述べている ・"傍観者"が被害者を守らなくてはイジメはなくならない ・大人達がきちんと指導していればイジメは起こらない ・子供達にもイジメに対する加害者を持たせなければ etc. あたりの意見は、確かにいずれも正しい事ではありますが、実際のところは 解決策でも何でもない単なる既成事実や机上の空論を並べ立てただけの 美辞麗句・理想論に過ぎないと思います。
- projectA
- ベストアンサー率5% (12/222)
主犯はいません。 いじめに加わった子供すべて同罪だと思います。 自分がもしAの親だったら、加わった子すべてに謝罪してほしいと思います。 例えリーダー的な存在のCが<お前らもAに関わらないほうがいいぞ>と皆に言ったとしてもです。 いじめに加わるか加わらないかは自分の意志ですから。 直接の回答ではないですが いじめには参加しないが、見て見ぬふりをする子供が同罪とは思いません。 <いじめを>実行する、しないでは、格段の差があると考えています。 まるきり罪がないとは言いませんが。 年齢が下に行けばいくほどそう考えます。 これは自分がもしいじめられていたらと仮定しての考えですので、親の立場からすればその限りではないですが。 (自分の子供がいじめられていたら、見て見ぬふりしている子も憎しみの対象になってしまうと思います)
お礼
ご回答ありがとうございます。 projectAさんのご回答は、今回ご回答いただいた方々の中で最も私の考えに近いですね。 「見て見ぬふりも同罪」とはよく言われることですが、 実際その場にいたら、自らを犠牲にしてまで他人を守れる者が、 大人社会を含めても果たしてどれだけいることか…。 "加害者"の子達ですら罪の意識が希薄なケースが多いのに、 それを"傍観者"の子にまで求めるというのは、むしろ「見て見ぬふりも同罪」とは、 その言葉ひとつだけで子供に責任を丸投げしようとする大人のエゴにすら感じます。 確かに被害者の親御さんからしてみれば「見てみぬふりも同罪」という気持ちは理解できますが、 まだ年端もいかない子供達にそこまでの重荷を背負わせるのはあまりにも酷でしょう。 実際にその親御さんの立場になったらそんなことを考えている心の余裕はないとは思いますが、 冷静に考えれば、憎しみを向ける対象が「お門違い」とでもいうか、 もっと他に訴えるべき先があるのではないかと思います。
- kmimtb389
- ベストアンサー率54% (12/22)
私の小さい頃の話しは 戦後間もない頃の事なのですが それでもいじめっ子はいました。 それでも必ず自分の親も 他人の親も いじめっ子には同じように注意をしていました。 私の親はもう亡くなった有名な作詞家とは遊ぶなと言っていたことを今でも覚えています。実際 「はしかをうつすぞー」追っかけ廻されて「はしかが移りました」 私の子供を育てる頃に 参観日で父兄の話を聞いていると「虐められる方も悪い」などと言われることが大変多く見受けられます。 これは何も解決しないと思います。 寧ろ この人達は傍観者と同じだと思います。 私の近くの無認可の保育園では 並びなさいと言うと 子供同士で傍について行って並ばせるし 卒園までには 小学校高学年が飛ぶ 跳び箱など跳べるようになるし 運動会、発表会等では 両親やじいさん ばあさんは感動で目はぐしゃぐしゃになって見ています。 ここで言いたいのは 幼児でも 悪い事 良い事は解っているし、虐めをしてもこの園では誰となく注意して助け合います。(先生も少人数で済みますし多いから虐めは有りません ではないはずです) 質問者が子供に意見を求めていますが 子供同士での意見も大事です。 又 大人同士の意見も大事だと思いますし虐めはみんなで解決しない限り 傍観者とは加害者だと思わない限り 「虐め」は 昔のように少なくならないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >傍観者とは加害者だと思わない限り 「虐め」は 昔のように少なくならないと思います。 仰るとおりだと思います。 私はイジメの原因の根底にあるのは、参加者の「罪悪感の麻痺」にあるのではないかと考えています。 確かに子供でも善悪の判断はつくとは思いますが、それでもイジメが発生してしまうのは イジメの加害者側の心理ではこの「罪悪感の麻痺」、そして自己防衛的な正当化により、 「これ(イジメ)はそれほど悪いことではない」と考えてしまうせいではないかと思います。 これを防ぐためには、「イジメは悪いこと」という一般論や抽象的な言葉を語るだけではなく、 イジメに限らず善悪の正しい判断ができるよう普段の生活や教育の中で子供達を導いていくことが重要であり、 それこそが周りの大人達に課せられた使命であり、世の中からイジメをなくす根本的な解決方法なのではないでしょうか。
- sakura-333
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Bのような個人的な発言は誰にでもあると思うし、それを聞いた仲の良いCの行動もよくある事ですよね? 人の話に影響されていようと自分の判断でする事ですし、いじめていたのは結局BもCも傍観者を含むクラス全員なので、全員が主犯になると思います(傍観者は、いじめられているのを目の当たりにしていますし、手こそ下していませんが容認しているとみなされるので)。 謝罪は別として、関わった全て人が自分の事として反省しないと、この問題は解決しないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 実はこれは私の周りで10年以上前に起こっていた実話です。 私は8~9割の一人でした。 私もこのケースではBやCのような特定の個人ではなくクラス全体がイジメの犯人であると思いますが、 個人的には、傍観者の子に「ただ見てるだけじゃなくて、イジメをやめさせるように行動しなさい」というのは、 言うだけなら簡単ですが、実際に行動に移すとなると、 下手をすれば自身もイジメの対象にされるリスクもあるので、かなり難しいことだと思います。 世間的に「イジメを容認している」というレッテルを張られるとしても、 実際に「あなたがもしこの"傍観者"の立場だったら、自分のリスクも省みずにAを助けられますか?」 という質問があったとしたら、建前や強がりではない本音の回答をした場合は、 心から「YES」と答えられる人は大人も含めてほとんどいないと思いますし。 ただし、イジメに参加していた8~9割の子達に関しては、程度の差に関係なく、全てが同罪であると思います。 また、「イジメに参加はしていたが、中心的・積極的には参加していなかった」ような子には、 「罪悪感」というものがほとんどないというのが現実だと思います。 この時も私の感覚では「いつの間にかイジメが終わっていた」ような印象でした。 世間で心理学者等が議論しているイジメの原因・心理・解決方法と、 実際のそれとでは、やはり大きく異なる部分があるのではないでしょうか。
- yuna_po
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A避けていた人たち皆は当然いじめに参加しています。見てみぬふりをしている人も、同じです。 でも、特にBとCが悪いって分けではなりませんし、2人が日常会話で話していたのを、Cがクラスの中心的だというだけで、その話に流されてしまった周りの人々も、全員でいじめていた以上この子が悪いってのはありません。 私なら、親には絶対に言いません。負けた気がするので。
お礼
ご回答ありがとうございます。 実はこれは私の周りで昔実際にあったことなのですが、 当時の担任の判断では「Bが主犯」ということになっていたようです。 でも、私もこの件には「主犯」はいないと思います。 私の考えでは、「見てみぬふり」をしていた子達は、 当時の状況と小学生であるということを考慮すると同罪ではないという考えなのですが、 少なくともイジメに少しでも参加していた子に関しては、 頻度の大小に関わらずすべて同罪であると思います。 >私なら、親には絶対に言いません。負けた気がするので。 おそらくAもそう考えていたのでしょう。 実際、担任も含め、周りの大人達がこのイジメの存在を知ったのは、 Aが登校拒否になってからでした。 ただ、その後当時の担任は比較的短期間でこの問題を解決したので、 もしAが初期の段階でその担任に相談していれば、 ここまで問題は大きくならなかったのかもしれません。 少なくともこのケースに関しては、ですが。
>対象は複数(「クラスメート全員」等の不特定多数も可)でも結構ですが、あくまで「子供」の中からでお願いします。 「主犯」はそれを知りながら傍観していた周りの大人だと思います。 子供は何歳ぐらいかわかりませんが「世の中にはいろんな考えの人がいるんだよ」と教えるのが、大人でしょう。騒ぎが大きくなる前にホームルームを開いて、みんなの意見を聞くべきでした。 先の高校生の「うそをついたら1万円」の問題も、1年前に担任が知っていたと謝りましたが、生徒に指摘されてから認めた経緯がありますね。 おそらくこの文書は読んでもらえないと思いますが・・・。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今回の回答を「子供」限定にしたことには理由があります。 この件の詳細についてはNo.1の方の回答にて述べさせていただいているので割愛させていただきますが、この件に関して大人を対象外としたのは、当時の周りの大人達が「Aが登校拒否になるまで本当にほとんど何も知らなかった」からです。 このイジメは担任の目を盗んで休み時間等に主立って行われていた上、"仲間外れ"に関しても、グループ分けの時等に最後は傍観者のいずれかが嫌々ながらグループ内に入れていたような状態だったので、担任は怪しいとは思っていたかもしれませんが、"騒動"といえるほどのものではありませんでした。 また、イジメの段階が"菌回し"等までいってからAが登校拒否になるまでの期間が1ヶ月ほどであり、そのほとんどが先述の通り担任の目を盗んで行われていたこともあるので、相当注意深い教師でない限りは、このイジメには気付かなかったと思います。 それに加えて、Aも含めたクラスの全員が、担任や親にはこの件に関して一切話していないような状態だったようです。 また、Aが登校拒否になってから(つまりはイジメが発覚してから)すぐにホームルームを開き、1ヶ月以内でAを復帰させ、その後のイジメも防いだ点に関しては、当時の担任は、イジメを発生させてしまったとはいえ、教師としてはむしろ優れた方だったのではないかと今となっては思います。
お礼
また、世間の評価では「傍観者も含めたクラスメート全員が悪い」という意見が大勢を占めると思いますが、現場の雰囲気を経験した者の意見としては、「イジメの主犯」と定義されるべきなのは、実際にイジメを行っていた「8~9割の子(私も含みます)」であると思います。 当時の状況では、1~2割の傍観者の誰かがもしAを庇おうものなら、その傍観者もAと同じ運命を辿っていた可能性が高いことを、子供ながらに感じていました。 大人でさえもそのような危険を冒してまで行動に移ろうとする人間がほとんど見受けられない以上、「学校」というコミュニティ以外に行く場所の選択肢が無い小学生に、自らの危険を犯してまで(これには先生等の大人への報告も含みます)Aを守れというのは、実際にはかなり酷なのではないかと思います。 また、イジメが終わってAが復帰した当時、なぜか「罪悪感」や「仲直りしなくては」という感覚は全くありませんでした。 今となっては全く持って疑問に感じますが、そういった「罪悪感の麻痺」が、全てのイジメの根底にあるのではないかと思います。 今ではAに対して申し訳なく思っています。
補足
ご回答ありがとうございます。 実はこの話は、10年以上前になりますが、私が小学校高学年の頃の実話です。 私は「BとCの会話の時に一緒にいた友人達の一人」でした。 kmimtb389さんの表現上のDに該当すると思います。 先日Cと久々に会う機会があり、その時にふとこの話題になりました。 今回この質問をさせていただいた理由は、 この時にCから、当時問題解決にあたって「担任がBに対してAの家に謝りに行くように言った」ということがあったということを聞き、疑問に感じた点があったからです。 実際にはB以上に露骨にイジメを行っていた子もいたのですが、B以外に担任にそういったことを言われた子はいなかったようです。 つまりは、この件に関して当時の担任は「このイジメの主犯はBである」と判断したと考えられます。 この話を聞いて、「本当にこのイジメの主犯はBだったのか?」という疑問が沸いてきました。 Aは登校拒否になってから1ヶ月弱程で学校に復帰し、その後イジメはなくなっていましたが、Aが登校拒否になってからホームルーム等で「イジメをやめるように!」とは言われたものの、当時は「なんでイジメがなくなったのか。Aはなんで再び学校に来る気になったのか」ということは特に疑問に感じていませんでした。