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旧友との腐れ縁
小学生の頃からもう長いこと(20年近い)ツキアイのある親友5名のことで質問です。 互いに長所も短所もよく知っていて、相性も悪くないからこそ、 長続きしているのでしょうが、皆別々の道を歩み、別々の世界で生きていますから、 気がついてみたら趣味が合わないとか、5人の中であまり関係のよろしくない奴も出てきたりとか、 枚挙に遑が無いほどの齟齬が積もり積もっていたという感じです。 しかし本末転倒なことに、依然として「俺たちって親友だよな」的なノリが第一にあるために、 そうだ、そうあるべきだ、と口には出さねど、めいめいがちょっとずつ無理して齟齬を埋め合わせながら 付き合っているようなそんな違和感があります。 先日、久しぶりに皆で集まろうという話になったのですが、ふと考えたら、 「(集まってもどうせまた話が合わないんじゃないか?)」 「(俺ってこいつらと会うときには我慢ばっかり強いられていたんじゃなかろうか?)」 とか思えてきて、そうしたら、連中と顔をつき合わせている時間が恐ろしくなってきて、 適当な理屈を拵えて参加をドタキャンした、というようなことがありました。 気の合う良い奴らだという好意的感情が依然ありますから今後も関係は維持して行きたい。 しかし集まれば集まったで上に書いたような違和感が感じられて、時に辛ささえ覚える。 実際、もうすこし冷静に付き合えたら良いなと、すこしずつ距離を取ったりしてはいるのですが、 それを裏切りと誤解して取られてしまうのも困る。大切な存在であることには変わらない。 まさに腐れ縁というか、身動きの取りづらい状況に陥っております。 長たらしくなりましたが、自分自身で身のふりかたを決めにゃしかたのないことですから、 アドバイスというよりは、似たような体験をお持ちの方などに経験談を伺いたく思います。
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- gonzui
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いやあ、全く同感なので、思わず書き込みしたくなりました。 別々の世界、それも、住む所も遠く離れてはなおさらですね。 たまに会って、「よお、元気か!?」くらいの言葉のやりとりでもあれば まだ、いいのでしょうけど、それも無い。 賀状なども送り続けていれば、良かったと後悔もしています。 何人かとはメールのアドレスを以前もらったことがあるのですが、 いざ、書くとなると、何から書けばいいのかわからなくなる。 会って昔のように、親しくしたいけど、ほんと、住む環境が変わってしまったのだなあって気がします。自分の置かれている社会のことだけで精一杯になってしまいます。なんか寂しいけど、いつか会って語らえることを期待しています。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 それが私どもの場合は御互い住んでいる場所は近いんですよね。 だからタマにとは言っても会う頻度は高いと思います。 でも心の距離はゆっくりとしかし確実に遠ざかりつつあるようです。 近いんだけれど遠い、そのギャップが苦痛だという感じでしょうか。 私個人としてはただ惰性的に引き摺っている感覚が強いのですが、 中にはこの関係をなんとか維持しようと、一人気を使って 皆との連絡を絶やさないよう、折に触れ電話やメールを 送ってきてくれる奴なんかもいて、内心 「(オマエもうそんな気つかわずに放っておけよ・・)」 とか思うのですが、親切心が痛切に感じられるから咎めるというわけにもいかず、 また、相変わらずこの関係が心の大きな拠り所になっているらしい奴もいるかと思えば、 お呼びが掛かればとりあえずは参加しているけど、あまり関心の無さそうな奴も居て、 実質的に考えれば、一緒に顔を突き合わせているのが不自然ですね。 もうコレっきりだとむげに突き放すような理由は全く無いのですが、 ひょっとすると私の場合、開放されたいという思いが強いのかもしれません。