• 締切済み

いらなくなった「いのち」のリサイクル・・・・

卒論のテーマに「自殺」を選び、 過去10年間精神科に通院している者としては、 どうしてもこのカテゴリーに足が向いてしまいます。 このジャンルを含め、過去何回か「お騒がせ」の質問(?)を発し、心有る皆さんの眉を顰めさせて来ました。 「荒らし」ととられて強制退去を命ぜられても仕方がない問題児です。 前置きはともかく・・・・ 世の中には、生きたくても生きられない人もいれば、 「こんないのちなんか要らない」と思っている(たとえば私自身)人間もいます。 わたしはよく自殺衝動に駆られますが、 そのときこんな風に思うのです・・・・ 「いのちはいのち。たまたまこのいのちはわたしのような 出来そこないの中に入ってきてしまったから罪もないのに 破棄されることになる。これじゃいのちだってたまったもんじゃない。このいのちをムダにせず、命を十二分に使いきってくれる人に譲ることができればどんなにいいだろう・・・・」と。 志半ばで病に倒れた人、 理不尽にいのちを奪われた人、 ・・・・この世の中には惜しまれつつ世を去らねばならなかった人がたくさんいる。 一方で、自分も周りも、「余計者」と認めている者(私自身)もいる。 臓器移植をするような勇気はありませんが←(いかにも(苦笑)) いのちを、それを真に必要としている人に差し上げることができたら・・・・そんなことを思うこの頃です。 埒も無い繰言です・・・・ 大変失礼いたしました。

みんなの回答

  • D_K
  • ベストアンサー率10% (2/19)
回答No.7

moonglowさん お久し振りです 友達できましたか? 気になってましたよ 書き込みもしてみたんですが勝手に削除されてるし…(個人的な書き込みだったからかな?) まぁ とりあえず 命を人にあげる事って簡単にできますよ 介護とかの免許を取って他人のために働けば十分その人達のために命をあげている事になりますよ がんばってください ボランティアとかは人の輪も広がるし充実した生活が広がりますよ そんな大きな事じゃなくていいんですよ 一ヶ月に一度公園のゴミを拾うだけでもいいじゃないですか

noname#2165
質問者

お礼

D_Kさん、またのお返事アリガトウございます。 わたしのことで書き込みをなされて削除されてしまわれたのですか? 本当にご心配とご迷惑をおかけしました。 この場を借りてお詫びさせてください・・・・ 『一ヶ月に一度公園のゴミを拾うだけでもいいじゃないですか』 いつもご心配いただき、本当にありがとうございます。 拝見はできませんでしたが書き込みが削除されようとD_Kさんのお気持ちは確実にわたしに届いています・・・・ 重ねて、ありがとうございました・・・・

noname#2165
質問者

補足

みなさん。こころのこもったお答え、アドバイス、感謝します。 お返事、お礼が遅れましたのは、この質問にたいする答えを読むのが怖かったからです・・・・ 質問の最初の前置きもその牽制でした。 わたしは前回似たような質問をさせていただいたときも、 ポイントをつけることが出来ませんでした。 今回も同様に、皆さんの答えに軽重をつけることはできません。 お礼は後ほど遅れましてもみなさんおひとりおひとりに 自分の気持ちを述べさせて頂きます。 いつもありがとうございます・・・・

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2208)
回答No.6

こんにちはmoonglowさん。何度か質問に回答させて頂いているものです。 >いのちを、それを真に必要としている人に差し上げることができたら・・・ その心意気は良し!だと思うのですよ。実際、九死に一生を得た生存者がその事件を境に、その後の人生を何かに捧げたというのは、割によく聞きますしね。 だけど、moonglowさんの場合は、自分で活かすことが出来ないからと言う理由で命そのものを譲ります。という事だと思われます。だけど現実問題、「げげげの鬼太郎」の世界では有りませんから、はいどうぞ!使ってと言うわけにもいきませんよね。せいぜいが「臓器提供意志カード」に署名するしか方法は有りません。 そして、通常の方の命を捧げると言うのは、自分の生活の目的をその対象に絞ると言う事で、自分の時間や資産を費やすと言う事で、命そのものを譲るものでは無い事は明らかですよね。 また、過去の質問において色んな方々から回答を寄せられています。その中にも似たような事を挙げられていると思いますが、人生をまっとうすると言う事は、その人とその人の与えられた役割を果たす事だと思います。 私の養母などは「おあたい(役割)を一生懸命させて頂けば、それが幸せに繋がる」と良く口にしております。 ですから、貴方はまだ自分の役割に気付いていらっしゃらないだけだと思うのです。もちろん、私自身も今していること(仕事など)が、真の役割かは判りません。こればかりは、誰にも判らない事ですから、盲信と言われればそれまでかもしれません。 しかし、何かを感じて今している事に意義を見出してやっていることは自信がありますから、貴方には自分の役割がこれだ!と、感じる事そのものを、これまでの経験を元にした思考パターンが拒否していたり、ご自身の体調などが雑音として存在しており、目の前にある役割に気付かないだけかもしれません。 実を申しますと、私はmoonglowさんの出される質問に惹かれます。今まで出された質問にはご自分で考え抜いた結果が一般社会通念とは違う事に戸惑っていらっしゃる姿が見えるからです。その姿は、私の中にも有ります。ただ、その姿はあまり外には出しませんから、人にはそれとは気付かれないだけです。ですから、質問を通して自分はどうだろう?と考えるのです。そして、こうやって回答するのだと思うのです。 そんなこんなで、私にはmoonglowさんはこのWebを通して、ご自分の役割を求めていらっしゃるように感じました。 それで、ご提案ですが介護福祉の関係のお仕事に目を向けられては如何でしょう。これから、高齢者が増えて衰え往く身体を憂い、それにどう対処したらばいいのか判らない方が増えていくようです。これまでは、その心のよりどころは宗教に求めるのが一般的でしたが、今の日本人の殆どが宗教との距離を保つ傾向にあり、ソーシャルワーカーに期待が高まっているようです。moonglowさんには、他者に対する豊な慈悲の心を感じます。貴方のその心の使いどころをそんな困っている方々に託してみるというのは如何でしょう? 最後に提案の形で終わる、全くお節介な内容となりました。でも、これが私の「いのち」のリサイクルという質問を読んでの回答です。答ちょっとでも考えてもらえれば、幸いです。失礼致します。

noname#2165
質問者

お礼

ginga3104さん。お礼が遅くなり失礼いたしました。 なによりもginga3104さんが、わたしの発する一連のなんというか、ある種の人たちにとってみれば苦笑ものの「質問」(?)に理解以上の関心・興味を示してくださったことに驚くとともにとてもうれしい気持ちです。 『質問を通して自分はどうだろう?と考えるのです。そして、こうやって回答するのだと思うのです』 そのように受け取っていただける人がどれだけいるでしょう? 質問者の投げかけた問いかけを自分と重ね合わせて「答えてやる」という姿勢ではなく、自分の問題として一緒に考える・・・・ 質問者としてこれほどウレシイことはありません。 『私にはmoonglowさんはこのWebを通して、ご自分の役割を求めていらっしゃるように感じました』 そうかもしれません。少なくとも色んなことを考える機会を与えてもらっていることは確かです。 『何かを感じて今している事に意義を見出してやっていることは自信がありますから、貴方には自分の役割がこれだ!と、感じる事そのものを、これまでの経験を元にした思考パターンが拒否していたり、ご自身の体調などが雑音として存在しており、目の前にある役割に気付かないだけかもしれません』 ご指摘の点、その通りだと思います。 自分の行為を通じて自信が持てるようになれればわたしも もっと違った人間になれると思います・・・・ 『最後に提案の形で終わる、全くお節介な内容となりました。でも、これが私の「いのち」のリサイクルという質問を読んでの回答です。答ちょっとでも考えてもらえれば、幸いです』 こう言うのを「お節介」とは言いませんね(笑) ginga3104さんをはじめお答えを頂いた皆さんのお気持ちを真摯に受けとめ、考えます。 不充分なお答えで申し訳ありません・・・・ 過去の質問まで遡って関心を示してくださったこと、重ねてお礼申し上げます。

  • salome88
  • ベストアンサー率26% (43/161)
回答No.5

こんにちは。 私も今は良くなって社会復帰も出来るようになりましたが 一時はうつ病のせいで「自分は存在していてはいけないんだ」とか 「自分が生きる事は許されないんだ」と思わされていた時期があります。 理性ではいけない事と判っていて、死にたくもなかったけれど 感情のコントロールが出来なくて常に自殺を考えていました。 助けて欲しいのに、病気が助けを求める事さえ許してくれず 自殺未遂をはかった事も何度かあります。 良い医者に巡り会ったおかげで、現在は心のコントロールを取り戻し 山のように呑んでいた薬も 再発防止の為の抗うつ剤だけになりました。 しかし自殺を考えていた頃、親友の父親や大好きな従姉などが 病気で亡くなる度にやはり同じように「どうして代わりになれないんだろう」と ひどく情けない気持ちだったのを覚えています。 テロ事件や事故でいろんな人が死ぬのを見るにつけ、自分が 誰か一人でもその代わりになれるならと、どんなに祈った事でしょう。 でも、結局私は誰の身代わりに連れて行って貰うことも出来ませんでした。 たとえどんなに大事な人の命でさえ、身代わりになんてなれないんです。 必要以上にそう考える事自体が、病気だったのだと今は思います。 moonglowさんが今出来る事は、病気を治してご自分を生かす事だけです。 あなたが今の苦しいあなたのままで、生きてても許されるんです。 そのまんまの自分として、この世に存在していていいんですよ。 自殺を考える事にも罪悪感を持ち過ぎないで下さい。病気のせいなんだから。 病気が「死ななければいけない」と歪んだ思考を生んでいるのです。 自分でもどうしようもないその怖さを私も身をもって知りました。 身体の病気や怪我で死にかけている人に対しては 誰もがどんな事をしても救おうとするのに こころの病気で死にかけている者に対しては、どうして 「傲慢だ」「罪だ」と責める人が多いんでしょうね…。 関係無い事まで長々と書いてすみません。 どうか信頼出来るお医者さまの元で治療に専念する事を考えましょう。 必ず自己否定の辛い波は引く時が来ます。ご自愛ください。

noname#2165
質問者

お礼

salome88さん。こころのこもったお返事を頂きました。 ご自身も苦しい体験をなされて来たsalome88さんの言葉には重みがあります。 お返事を拝読させていただきながら、「ああ、同じように感じてる人がいるんだ!」と驚きを隠せませんでした。 色々な関連書を読みましたが、このような心の在り様について触れられているのを見た事がありません。 salome88さんの病気が快癒されて、社会復帰されていること、我がことのようにうれしく思っています。 よかった。salome88さんは死んではいけない人です。 世の中にはこういう人がもっと増えなきゃ! そういう人こそ人の苦しみを理解出来るんです。 神様があなたを殺すもんですか(笑) でもsalome88さんとわたしは一緒ではありません。 salome88さんは「うつ」をご存知でしょう。 しかしsalome88さんは「ダメ人間」を知らない・・・・ 『こころの病気で死にかけている者に対しては、どうして 「傲慢だ」「罪だ」と責める人が多いんでしょうね…』 これは一重に日本の精神の病に対する無知・迷妄に他なりません。 しかしその「生」を糾弾してもいい人間もいるのですよ ・・・・ わたしは過去10年の精神科通いによって、自分がうつ病なんかじゃないという確信を持ちました。 salome88さん、世の中には救いようの無い人間が確かに存在するのだと言うことを知ってください。 いつまでもやさしい思い遣りの心を持ちつづけてください。 お話できてよかったです。 ありがとうございました。 MOONーGLOW拝。

  • c-chan
  • ベストアンサー率9% (28/307)
回答No.4

精神科にかかっているなら話は早い。先生に相談するのが最もいい結果を生むでしょう。ここでの相談はかえって迷いを深める気がします。適切でない相談相手を選ぶと適切でないアドバイスを得る結果となりがちですから。 ご存知と思いますが薬を変えると性格も明るくなったり暗くなったりと変わります。薬の種類は多いし、良く効きますからどうかすると自分の性格が分からなくなる事もあるでしょう。今の薬があなたに合っていないのかも知れません。

noname#2165
質問者

お礼

お返事アリガトウございます。 『ここでの相談はかえって迷いを深める気がします。適切でない相談相手を選ぶと適切でないアドバイスを得る結果となりがちですから』 やさしいお心遣い感謝します・・・・ 最後の補足にも書きましたように、こういう質問をしたものの、寄せられた回答に目を通す事に怖れがあったのは、 こういうご指摘のようなことを怖れたからです・・・・ でもわたしはもう精神科医にもカウンセラーにも期待はしていません。 わたしは過去10年で大学病院から個人のクリニックまで、場所として14ヶ所。医師の数としては20人弱の診察を受けてきました。 未認可の薬も試しました。 結局はこれは医療の領域ではないと思うのです。 でも、ほんとうにやさしいアドバイス、感謝しています。

  • nyozegamon
  • ベストアンサー率45% (895/1969)
回答No.3

私は、かつて恥を承知で、↓のような質問をしました。 死にたくなったら哲学をしましょう。 哲学とは積極的に「生きる」術を模索することだと思います。

参考URL:
http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=289230
noname#2165
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。 nyozegamonさんは「恥を承知で」等と書かれていますが、 この問いかけが恥ならわたしの全質問は恥じの集大成です(苦笑) 僭越ながらわたしは質問の欄にも書きましたように。 大学での専攻は「哲学」です。 本当は「中国哲学」専攻で、荘子の思想に惹かれていました。 しかし授業にはほとんど出ずに図書館に入り浸って哲学の本を読んでいました。 わたしが最も傾倒したのは、ニーチェやフロイトに多大な影響を与えた異端の哲人ショーペンハウエルです。 彼は「厭世主義者」でした。 「人生は生きるに価しない」これが彼の根本思想でした。 しかし一方でわたしはゲーテやエマソンなどの思想にも親しみを覚えました。 つまり生を肯定する考えです。 nyozegamonさんのお答えには本当に胸をうたれました。 最後にnyozegamonさんの質問に対する答えで、 「哲学は曖昧を排除する」・・・・というような回答があったようですが、それま全く見当違いです。 生とは?死とは?愛とは?・・・・そのような「正解」の無い根源的疑問を繰り返し考えることが哲学の基本です。 nyozegamonさんはあの回答者の中で一番の「哲学者」でした。 決してお世辞ではありません。 ありがとうございました。感謝しています・・・・

回答No.2

他人に命をあげることはできますよ。 自分の命がいらないと云うのであれば、自分のすべてを一度捨て去って、他人のためにひたすら尽くすのはどうですか?苦しんでいる人にあなたの心で救える人がいるかもしれない。生きる勇気を与えることができるかもしれない。そして、自分を消し去ってひたすら他人に尽くせば、あなたにも生きる勇気が湧いてくるかもしれない。

noname#2165
質問者

お礼

お返事アリガトウございます。 残念な事にあなたもわたしを誤解していらっしゃる・・・・ 自分を捨て去り人のために生きる。 これは本当に高貴なことで、 とても凡百の人間に出来ることではありません。 わたしにとってこのような行為は正にnevernevernever・・・・・ 全くしようのないはなしです・・・・

  • fuji31
  • ベストアンサー率24% (46/189)
回答No.1

その「いのち」もう一人の自分にあげたらどうですか? 今は「あなた」のために心の奥に閉ざされている「もう一人の自分」に。 その「もう一人の自分」のことを考えたことがありますか。 「あなた」は『自分は一人きりだ』と思ってはいませんか? 「もう一人の自分」の存在に気がつけば、「あなた」は彼に「あなた」の「いのち」をあげるべきです。 「あなた」はもう生きていても価値のない人間なのだから。 これからは「もう一人の自分」の時代なのだと思いますよ。

noname#2165
質問者

お礼

fuji31さん、真っ先のお返事ありがとうございました。 fuji31さんの言われる「もうひとりの自分」というものが どういうものなのか、よく考えてみたいと思います。 考える機会を与えてくださってありがとうございました。

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