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家族の死。でもほとんど孤独を感じない私は変ってる?

女性です。まだ学生ですが、ここ二年の間に両親をたてつづけに亡くしました。しばらく悲しみ、まだ悲しみはありますが、なぜか寂しさはあまり感じません。仲が悪かったわけではないです。むしろ仲良しで両親とも大好きで尊敬していました。死後の世界を信じているほうなので、そこで幸せにやってるといいなあといつも祈っています。自分はこれからは自分らしい生き方をして人生を輝かせようと前向きに考えてます。 もともと一人の時間が大好きで、さびしがり屋ではないのですが(かつ人づきあいも好き)、親を亡くしてもこんなに平静でいられる自分に正直びっくりしています。もともとドライなほうとは思っていましたが、ちょっとドライすぎなんじゃないかなと考えるときがあります。今まで、誰かに精神的に依存しないで生きることをポリシーとしてきたので、知らず知らずのうちに精神的に強くなっていたのでしょうか。 家族や大切な人を亡くして、何年たってもいつまでも悲しんでいる人って多いですよね。そういう人たちと比べると、自分は情が薄いのかなって考えてしまうときがあります。でも親のことはほんとうに好きで大切で、亡くなる前にそれなりに親孝行もしたつもりですから、親への愛情はとてもあったと思います。 愛している、というのと、いなくなっても大丈夫、というのは 両立すると思いますか? できれば、大切な人を失った経験がある人に答えてほしいです。 (それ以外の方でも結構ですが)

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  • Tori_30
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回答No.4

僕は高校の時に父親を亡くした。 そして、僕も貴方と同じように平静だった(そう装ってた部分はあるかもしれないけどね。ただ、涙は出なかった。)。亡くした後も嘆き悲しむわけでもなく、今じゃすっかりその事を考える事はなくなった。 でも・・・貴方と僕とでは決定的な違いがある。僕は両親が好きではなく、貴方は両親が好きだって事。 だから、僕の回答は参考にならないかもしれないね。 とりあえず僕の場合は・・・ハッキリ言うと情が薄かった。ただそれだけ。ここが貴方と違うところだね。 僕は”悲しむ”とかそういう事に対しての反応が薄かったんだ。それは父が死ぬ前からもそうだったし、父が死んでからはなおさら加速していったように思う。自分の事なのにどこか他人事というか。むしろ、僕は本当は父が死んで悲しかったのかもしれない。「父が死んで悲しい」と自分が思っているのを認めたくなかったのかもしれない。まあ、僕の場合は装ってた部分が大きかったのかもね。うそっぱちの人間もどきだったわけだ。 (今は違うよ。今は感情を取り戻せたと思う。それはまた別の話になるんだけど・・・) 対して、貴方の場合は真に自立出来てたんじゃないかな?それは自分で稼ぐとかそういう事じゃなくて、精神的な自立。 ”愛する人”ってのは”必要な人”って事じゃないんだと思うんだ。僕はむしろ愛する事と必要である事は反比例すると思ってる。愛してる事と、いなくなっても大丈夫ってのは両立すると思うんだ。 だっていなくなって困る、ってのは単に困るってだけの話だろ?自分の寂しさを埋められない、とかそういう事。でもさ、それって愛してる事と何の関係があるの?一緒にいてもいなくても愛してる事に変わりはないはずなのに。それとも、愛してるってのは方便で、寂しさを埋める手段が欲しいのかい?って訝ってしまうんだな、僕なんかは。 本当はいてもいなくても大丈夫なはずなんだ。その上で愛してるってのがあるんだと僕は思う。拠り掛かりじゃなくて自立した上で自分の自由意志で愛してるってのが尊いと思う。これは僕の主観だけどね。 まあ、色んな愛してるがあるからね。僕の考えは僕の考え。自立してなくても人を愛する事はあると思うし。 貴方はきっと両親の事を愛してると思う。それは誰にも否定出来ない。 他の誰が何を言おうが関係ないんだよ。他の誰がどうだろうと関係ないんだよ。 いなくなって困る愛もあるのかもしれない。いなくなって悲しくて、ずっと涙を流す愛もあるのかもしれない。でも、いなくなっても大丈夫な愛だって在る。少なくとも、僕はそう思う。

noname#39312
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 愛する人と必要な人ってイコールじゃないですよね。 近くにいなくても、愛情は変わりません。 もう親はこの世のすべての苦しみから解放されてる、天国で幸せにいるんだと信じているので、かえって祝福したい気持ちになります。 Tori_30さんがおっしゃってるとおり、私は精神的な自立はものすごくしてるのだと思います。経済的には自立してませんけどね・・。自立っていってもいろいろ種類がありますよね? >他の誰が何を言おうが関係ないんだよ。 関係ないのは頭ではわかってるんだけど。私、仏壇に花を飾ったりとか儀式的なこと面倒でほとんどやりません。だから親族には「ほんとうの思いやりがない」とか罵倒されます。てか亡くなった親の幸せ願ってる気持ちがあればそれでいいじゃん。そう思いながらも、親族の言葉に傷ついてしまう自分がいます。

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  • sakura-333
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回答No.6

ここ3年で家族を2人亡くしました。 私も仲が悪いわけではないのですが、悲しみはあっても寂しさってないんですよね。 質問者さんと同様に一人の時間も大好きですし、人付き合いも嫌いというわけでもないです。 最近は周りに心配されることが、逆にお節介に感じる程です。 やはり、精神的に依存している人だと「逝かないでほしい」という気持ちが強くなって寂しさを人一倍感じてしまいますが、自立しているから自然に受け入れて、見送る事が出来たのではないでしょうか? 人は生きていれば、いずれにせよ必ず死が訪れます。 その死の受け止め方も、死後の世界があると考える人とないと考える人とでは、少し感覚は違ってくるとは思いますが・・ なので「愛している」と「いなくなっても大丈夫」は両立すると思いますよ。

noname#39312
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分と似たような人がいて安心しました。 私もまわりにやたらと憐みの目でみられるのがうざったいです。 自立しているから自然に受け入れられたんでしょうね。 死後の世界を信じている人と信じてない人とでは感覚がかなり かわってくると思います。 死後の世界を確かめることはできませんが、信じることで悲しさがやわらぐのであれば、信じたほうがいいのだと思います。

  • n_wind
  • ベストアンサー率47% (48/102)
回答No.5

>愛している、というのと、いなくなっても大丈夫、というのは >両立すると思いますか? 両立します。 といっても人それぞれですからね。 人は悲しめと言って悲しめるモノではないし、 逆に悲しんでいる人に悲しむなと言っても無駄でしょう。 多分こうあるべきという型にはめる事自体が間違いなのだと思います。 御両親の死を冷静に受け止めているのならそれで良いじゃないですか。 質問者さん自身が自分らしく生きていけば良いことだと思います。 きっと、その強さだって御両親から受け継いだものなのですから。 そういう強い人間に育ててくれた御両親に感謝し、 その強さに自信と誇りを持ってください。

noname#39312
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 はい、自分のこういう強さが自信であり、誇りです。 >多分こうあるべきという型にはめる事自体が間違いなのだと思います。 納得です。

  • forsan
  • ベストアンサー率27% (3/11)
回答No.3

悲しみ方というのは人それぞれですし、いつまで引き摺るかもそれぞれです。 いつまでも引き摺る人もいれば、ぱっと悲しんで、じゃああの人たちの分まで頑張って生きていこう。と考える人もいます。 そういったものは自分の経験や考え方が生む価値観なので、悲しむべきだ、一週間は泣き暮れるべきだ、なんて言う意見が絶対というわけでもありません。 自分も5年ほど前に父を亡くしましたが、そんなに悲しむということもなかったです。事前にもう長くないことを知らされていたので覚悟できていたというのもあるでしょうが。 情が深いというのは、ある意味で依存しているということです。誰かに依存しないように生きてきたと仰るように、貴方は両親への依存が薄かった。そういうことでしょう。 依存できなくなった。自分の拠り所がなくなった。 そういった意味での悲しみがない分、あなたは悲しみというものをしっかり受け止めているのではないでしょうか。 親は子の幸せを願うものです。 自分の死のせいで子がいつまでも落ち込んでいるというのは辛いでしょうから、あなたは気に病む必要もありません。 それが貴方の価値観なんですから。価値観なんて違って当たり前。他人と比べる必要もありません。

noname#39312
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 親は子の幸せを願うもの・・私もそう思います。私がいつまでも悲しまずに幸せでいるのがなにより親の供養かと思ってます。 他人と比べる必要はないのですね。どうも、まわりには自分と似た考えの人がいない気がして、自分の考えは変じゃないかどうか気になってしまうようです。

noname#49626
noname#49626
回答No.2

>>愛している、というのと、いなくなっても大丈夫、というのは >>両立すると思いますか?  子どものほうが先に死ぬことを「逆縁」といいます。幸いにして、子どもを亡くしたことはありませんが、そんなことになったら、たぶん、一生悲しむだろうと思います。  親が先に死ぬのは「順縁」です。歳の順なので、当然といえば当然です。悲しくないことはないですけど、当たり前のことが当たり前に起こっただけなので、そんなに悲しくないです。私の場合は祖母ですが。家族の中で唯一情をかけてくれた人なので、いなくなられて打撃でしたが、悲しいとは、あんまり感じませんでした。  ただ、まだ、お亡くしになってからの期間が短いので、これから何年もに渡って、ふと、何かの拍子に思い出しては悲しむ、ということが起こるかも知れません。  いずれにせよ、私の娘、息子も、私が死んだときは、flash26さんのように受け止めて欲しいなと思いました。

noname#39312
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 親を亡くすのはほとんどの子供にとって当たり前のこと、さけられないことですね。 何かの拍子に思い出しては悲しむ、よくありますよ。ドラマでお葬式の場面をみたときとか。そのうち受け止められるようになるんでしょうけど、いまは親を亡くしてから日が浅く、なまなましいのでそういう場面はみれませんね。

  • toshipee
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回答No.1

 私は、母を交通事故で突然亡くしましたが、自分に理屈をつけて自分が傷つかないようにしてるんでしょうねぇ、嫁姑問題で苦労した母は、「自分が老いて姑側で苦労をかけさせることが余程イヤだったんだろう、まだ老いた姿を見せぬまま、うまいこと死によったな」と思えました。また、自分が死んだときにあのまま(の姿で)で会えるから、死期が来て死んでいくのも怖くないか、とも思えました。ちと我が子には悪い考えかも知れませんが、純粋たる感です。

noname#39312
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は、年老いてボケた両親の姿をみなくてすんだことに安堵してます。

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