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真に正しい、とは?
カテゴリがここでいいのか分かりませんが、ここで質問させていただき ます。 少し前、大学でレポートが出されました。 内容は、その講義に沿った事柄で自分の興味の持ったものについて調 べ、レポート用紙1枚程度にまとめること、ということです。 普段のレポートのように書いて提出すればいいだけと思って、ネットで 調べてレポートを書き上げました。 しかし後日、講義中に1人が指名され(自分ではありません)、レポート 内容を発表するように促されていました。 そしてレポート発表後、教授がその学生に対し、以下のような内容の やりとりをしました 教授「そのレポートはどうやって書いた?」 学生「ネットで」 教授「じゃあ、どれくらいのサイトを覗いたの」 学生「2、3ヶ所」 教授「たったの? それで、そのサイトの内容が正しいという証拠は?」 学生「……ない、です」 教授「ネットなんて無料で情報を公開しているから、嘘が書いてあるか もしれないよね。嘘が書いてあったとしても誰も責任は取る必要はない し」 学生「そう、ですね」 つまりは ・レポート作成を(「無料」で情報が手に入る)ネットのみに頼ったこと ・ネットで調べたサイトの数が少なすぎたこと が問題だったと思うのですが、では有料である本などに記述されている 事柄ならば真に正しいといえるのでしょうか? あるいは、論文に書か れていることは真に正しいといえるのでしょうか? また、ネットで調べたとしてもかなりのサイトで同様の記述が書かれて いれば真に正しいといえるのでしょうか? そもそも、真に正しいとは何なのですか? (やはり、百聞は一見に如かず。現象を直に見たもの以外、真に正しい とはいえないのでしょうか)
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要は,「レポートに書く(間違っていたら単位が貰えない)」というリスクを冒すに足りるだけ「十分な確からしさ」があるか?です. 書籍は,出版社の執筆者も明示されているので,間違ったことを書くと訂正するとか,回収するとか,恥をかくとか,いろいろなリスクを背負って発行します.なので,インターネットの誰が書いたかわからない記事よりは信頼性が高いと考えられます.もちろん,学術書でない本は,意図的に嘘を書いてある本が多数ありますよ.「アガリスク茸でガンが治った」って本とか. インターネットの記事でも,他人のもたらした情報をただ転記しているだけのページ(二次情報)が多いのでこれらは100あっても1000あっても無意味です.一次情報の数を数える必要があります.たとえばゲルマニウムやマイナスイオンが体によいと書いたWebページは何万ページあるかしれませんが,嘘ですし. 科学では検証可能性が重視されます. Webの記事でも,記事の裏を取るための情報がちゃんと書かれているものは信頼度が多少高いと考えられます. ・どこの誰がいつそのような調査したのか書いてある. ・情報源が明記されている (「○○省委託研究『□□に関する調査』XXXX年,○○法人□□」,とか 「理科年表2007年版○○ページ」とか) ・著者が自ら実験したのなら,他人が再現実験できるだけの実験状況や実験手法をちゃんと書いてある などなど.このような「確からしさ」の判断基準は書籍の確からしさの判断基準としても共通に使えます. もちろん,有りもしない本をでっち上げて参考文献に挙げることが無いとは言えませんが. 論文に書かれたことの信憑性か高いです.ただしここで言う「論文」は著者が勝手に書いた「自称論文」ではありません.査読つきの学術雑誌等に掲載されたものに限ります. これらは,その分野の専門家が何名かで読んで「ある程度の信憑性はある」,「掲載して学会員に知らせる意義がある」と認めたものです. 正しくないことも多いですが,「そのような学説も『有り』だ」と専門家が考える程度にはもっともらしいです. 論文というものはそれぞれの学問分野の最先端の新発見を報告し合うものですから,いろいろな意見がでます.その学会でだいたいこれが正しそうだとなると,教科書に載ります.
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- mojitto
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『真に正しい』ことは難しいことです。 直視したものですら、実は怪しいと言えば怪しいです。 真に正しいことが存在するとすれば、それは公理から理論が出発する数学くらいでしょうね。(それでも誤りはある) でも正しさを高めることはできます。 まずは情報を多元的に取り入れること。その点においてはその学生がネットを使うのも正しいとはいえますが、2、3ヶ所では教授が『たったの?』というのも仕方ないと思います。 次に書籍を使うのも正しさを高めます。ネットの筆者は大多数がアマチュア、書籍はプロの割合が圧倒的に多いです。 「肩書き」はレポートや論文の信頼度を高めるためには重要です。 買うのがイヤなら、図書館を活用しましょう。 せっかく大学にいるのですから、使わないのは損です。 場合によっては新聞も有効です。 そして、質問者さまの言うように実際に見ることができれば、それに越したことはありません。 大学はプロの研究者養成所です。 プロを目指す人がアマチュアの人の意見を2、3聞いてレポートを書くことに違和感を感じませんか?(あまりにプロ意識に欠けている) おそらく先生はそのレポートの引用がネットで、しかも引用サイトの数も少ないと判断されたのでしょう。 レポートは報告書ですから、せめて自分の文章で書かないとお話にならないのです。 (疑問なのが、そのレポートに引用文献の記述はなかったのでしょうか?普通は引用した書籍名やURLなどは、レポート末尾か文中に記述するのがルールなのですが…)
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- marumets
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学会誌や著名な論文誌であれば、掲載する前に、複数の学識経験者が選考を重ね、それにパスしたものが掲載されるという手順を踏みます。 ですから、ネットでの情報に比べればその情報の確度は高いといえるでしょう。 ネットでの情報は、そのような手順を踏んでいないため、極端にいえば全くのでたらめである可能性もあるわけです。 このような、不確実な情報に基づいてレポートをまとめる場合には、元となる情報の数を増やすことで、各情報の整合性を取ることによって、そのような誤った情報を排除するべきだということが教授の言いたかったことではないでしょうか。
お礼
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一般論になりますが、正しいというのはある前提がいくつかあって結論が、これらの前提と食い違っていないことを言うと思います。サイトを使うとき問題となるのは一つしか使わなかった場合にはその記述の前提が明確でない場合文面だけからは正否の判断がつかないことだと思います。これは本でも同じで著者が採用している前提がはっきりしないものもよくありますから有料無料とは別に本とし後の間に区別はないと思います。次に」複数のサイトを利用した場合では各サイトで用いられている前提があい異なる場合が問題です。こういう場合各サイトが正しいとしてもただこの二つをひとつの物にした場合どこかで食違いが出てくるので一つに書かれたレポートは正しくないということになります。 それでは自分で実験した観察は正しいかというと、実は観察についてもやはりいろいろな意味で前提が用いられています。観察にどのような機器を用いたかというのも大切な前提です。また観察が行なわれた条件は言うまでもありません。この意味で「真に正しい」というのは他の前提を無視したとき以外にはありえないことになると思います。他の前提が存在することを許さないということは人文科学でも自然科学でも真に(?!)非科学的ということになると思います。しかし本当にとか真にという言葉は妙に使ってみたくなる言葉です。この文章を書いていて私も一体どのような前提を用いて書いているのかはっきりしないのですが、そういうときに「真に」という言葉を使いたくなるのかもしれないと思いました。
お礼
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- koko_u_
- ベストアンサー率18% (459/2509)
単純に、最近ではインターネットで検索した結果をそのまま引き写しただけのレポートが多いのにうんざりしているだけでしょう。 自分の頭で多少なりとも考えてレポートを書けば、質問文にあるようなやり取りにはならないはずです。
お礼
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