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中村獅童主演の「私は貝になりたい」について

中村雅俊がトイレの水を流した後、布団に入って自分の故郷の話を 中村獅童に話をするシーンの時にお経が聞こえました。 しかしながら、このお経に二人は一切触れず話が進んでしまったのですが、これはその日に死刑が執行された方の供養として お坊さんがお経を読んでいたという事でしょうか? 一瞬「このお経は他の視聴者の方の耳にも入ってるのだろうか・・・」と 心配にもなりましたが・・・

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noname#41146
noname#41146
回答No.1

中村獅童の「わたしには想像できません」 という台詞終わりから 間違いなくお経が入っています このお経の演出をどう受け止めるかは あくまで視聴者の自由ですが 私はこう解釈しました ドラマを作る側の意図としては ご質問のシーンでお経を挿入させることにより 二人のうちどちらかの命がもうすぐ途絶える悲劇を 想起させる目的があったのだと思います もっと言えば、中村獅童の台詞終わりに お経を挿入することにより 視聴者は、二人のうち先に死に直面するのは 中村獅童ではないか?という予感を感じます そして、その夜のシーンに続けて 朝が来て、尚、語らいを続ける二人の間には 戦争へのやるせない、やりばのない思いを 共有する関係が構築され始めます ここまでのバックに流れ続けている 穏やかな音楽の挿入も手伝って 二人の心に芽生えた共感がピークに達しようとした まさにその瞬間 看守の不気味な足音が近づき 廊下を見据える二人に緊張が走ります その二人の緊張した表情を見た視聴者は 看守の足音の意味する不幸を確実に感じ取ります この時点で 「中村獅童の台詞中」にお経を聞かされていた視聴者は 看守の足音が運んできた不幸が 中村獅童へ降りかかるのではないか?と ハラハラします と、同時に、ここまでの展開で 戦争の理不尽さを説く中村雅俊に対しても 視聴者は少なからず共感の念を抱いていますから 看守の運んでくる不幸が できればどちらに降りかかるものでもあって欲しくないと ドラマに感情移入している視聴者としては きっと願う気持ちになるでしょう そこで、看守が二人に向かって 中村雅俊(吉川)の名を告げます …… 私はここまでの展開の複線として お経は非常に効果的な演出だととらえました 更には、ドラマは 死を覚悟し、己の運命を受け入れていたかに思えた 中村雅俊が死の恐怖と戦争への怒りを 爆発させるシーンへと続きます この展開により、このドラマの核ともいえる 「戦争は絶対によくないのだ」という強いメッセージが 視聴者へと力強く伝わるとともに この出来事が主人公(中村獅童)に 生きる事への執着心を取り戻させる大切な契機となっており この後のドラマ展開に対し 視聴者の興味を強烈に引きつける重要な場面として 成り立つ効果的なエピソードとして成功しています その意味でも 質問者さんがおっしゃるお経のシーンは このドラマ全体にとって 大変、意味のある演出だったと思います ※ 以上はあくまで個人的見解です また、私は原作は読んでいません

haguredono
質問者

お礼

早速のご丁寧なご返答有難うございます。 大変参考になりました。 ビデオに録画しましたので、pendenteさんの 意見を参考にもう一度観てみたいと思います。 有難うございました。

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