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グループ授業(発表形式)について
私の体験談で、ある大学市民講座を受けました。 そこで、わりとグループ形式のなんやかんや素人がテーマを話し合って どうこうやって発表するというようなものをいい年こいてやらされたことがあったのですが、まったく感心しませんでした。こんなことやっているんならば、先生が専門的講義をもっとしてくれよと。 それで、私は教育界のことはまったく知りませんが、子供の学校教育でも、こういう形式が増えているのでしょうか?これはあまりいいやり方ではないと思います。その理由は ○孤独で勉強するという姿勢が崩れる ○おのおのの関心テーマがひとつに集約されてしまう ○身体障害その他を持った子に対して配慮がない(難聴とか弱視あるいは性格の病的特性) ○結局は自力で物事を成し遂げられない ○「私」を出さないで無責任な匿名性に終わってしまう のようなことが少なからずいえると思います。 これを是とするということは、ゆとり教育の影響もあるのでしょうか?その概念と関係あるのかどうかわかりませんが、このことも含めて、なにか、独学の意思がないものを無理やり共同作業の「強調の美徳」というような無責任な波に乗せてしまう、そんな気がするのですが。どうなんでしょうか? そもそも、こういうことは、学ぶ意思のある人間にしか向かないのではないでしょうか。ゆとり教育が失敗したとすれば、それはそもそも、学ぶ姿勢がない、一人で知識の大海原に立つ気概のない(これは家庭教育の問題でしょう)子供を、そもそも扱うものではないのではないか?そんな気もします。
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お礼
どうも、遅くなりました。 もっともな事だと思います。うまく運べば意味があるのですが、どうも滑らかでないですね。 障害者については考慮がないのが気になりました。