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参選は国民の義務だけれども
ごめんなさい。違法行為かも知れないけど、正直に書きます。 私は、今まで、とりあえずの参政権を行使して参りましたが、 一度だけ、市長選で、地元を本当に愛する知人が当選できた経験以外には、 投票して良かったと実感できた記憶がありません。 話題の年金問題。 母親に言わせると(真偽はともかく)何十年か昔、年金手帳が交付される前の時世に、 国から『あなたの年金記録を、今一度、ご確認ください』 と、書面で通達が郵送されてきた時期があり、 母はその際に確認を取ることで、何とか、記録漏れに気付くことが出来たようです。 今、社会保険庁も、彼らなりに、懸命に対策を練っておるのに 政党こぞって、しつこく『年金、年金、年金』連呼。 『投票すれば功徳がある』と、選挙のたび色めきたつ知人もいます。 期待より、憂鬱先立つ、投票日。 あなたは、投票に行きますか?行かない方針ですか?
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質問者が選んだベストアンサー
投票には行きます。批判する権利を得るためです。投票に行きもしない人間が政治批判をするのは問題ありだと思います。 大きな変革を期待しすぎなのではないでしょうか。そう簡単に大きく政治が変わるわけではありません。ただ、少しずつ変化はしていきますし、無党派層が投票しないと、その少しの変化すらさらに少なくなっていきますし、庶民にとっての悪い変化も多くなりかねません。 投票すれば功徳があるのですと、一所懸命になって依頼してくる人がいるほど、選挙は政治にとって影響力が大きいのです。一人一人の影響力は大したことありませんが、それが積み重なって影響力が強くなります。個々十数年は無党派層をどうやって取り入れていくかということが政党にとって大事になってきました。有権者の意識が変われば政治家もそれに応じて意識をある程度は変えざるをえません。政権が変わらなくとも無党派層の投票行動次第で変わる部分はあります。 民主主義政治はその国民の民度を表します。変わらないからと言って、投票に行かないと政治はますます変わりづらくなります。
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- kaputun
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功徳があるから投票に行こうと思ったことはないですが、 自分の投票が生きないなと感じていても、 投票しなければもっと意味がないので、行っています。 ただ、どのマニフェストにも賛同できないのにどこかに入れなくてはならない時は、 家族が引っ張っていかない限りは足が向かない程度の志です。。。
お礼
最近、ご入会されたかたのようですね。 この質問が投稿されてから、幾分か、日にちが経過してしまいましたが、 こうしてご回答下さるかたが、おいでたこと、本当に嬉しく感じています。 ありがとうございます。 私の場合、‘補足’&‘お礼’欄の使い方が、 当サイトの定款から、かなり外れておりますが、 回答者さまに届くお礼メールの文字数の負担を、極力、軽減させるため、 補足欄も併用し、双方に感謝の気持ちを投稿させて頂いております。 あなたのお時間が許せば、是非、そちらもご覧頂ければ、幸いです。 特に賛同できるマニフェストがない場合、 家族に連行(?)されないと、投票会場まで足が向かない、あなたのお気持ち、 私も共感できます。 投票会場と家は、歩いて10分程度の距離という立地条件なのに、 ひとりで投票に出掛けるとなると、ついつい、足が遠のきそうになる自分です。 私の場合も、仕事等で時間が合わない、特殊な状況を除いては、 家族一同が揃って投票に出かけることが、お約束になっております。 7月29日の投票日、自分は休日でしたが、 つい、朝寝坊したため、家族から置いてきぼりを喰らってしまいました。 せっかくの日曜、投票だけで帰宅するのは、何だか惜しい気がして、 (どちらが「ついで」か本当は微妙なところですが・・・) 「ついでに」買い物・友達と遊びに行くなどの行動パターンも、お約束となっています。 時間(歳?)の流れは、皆に平等。 あなたも今は、家族に引っ張られる立場でしょうけれど、 いずれ、今とは反対に、 今度は自分が家族を連れて、投票に出掛ける日が訪れることでしょうね。 ありがとうございました。
補足
>自分の投票が生きないなと感じていても、投票しなければもっと意味がない ありがとうございます。 はい、本当に、その通りだと感じました。 元来が、大人数を相手取る選挙戦であるだけに、 自分ひとりの投票は、果たして何処まで生きておるのか、 自分にも正直、判らないです。 先日、会社で、職場委員を選抜するための投票作業に協力しました。 何十人かごとのグループ編成で行なわれる、こうした小規模な選挙戦だと、 誰が誰に投票したか、有権者個人の筆跡が、開票者にはバレバレです。 ですが、少人数体制であるがゆえ、 1票の価値が、本当に活かされやすい環境にあると言えます。 当選者から‘何故、俺に投票したー!?’と、叱られるリスクも大ですが。 私には、著名人を輩出したと噂の地に、住民票を置く姉妹がいます。 その著名人が、晴れて知事に就任された当初、 知名度が先行するが如く当選結果を、姉妹は心配していました。 確かに、今でも事あるごとに、マスコミから一挙一動を追い回され、 面白おかしく祀り上げられてしまう風にも見受けられますが、 県民に郷土愛を示すべく、謙虚に頑張っておられる政治家は、 私の眼には、少しもイヤミに見えません。 当選理由が何であれ、その候補者の努力が県の活性化に繋がるのならば、 それも結果的には、自分たちの投票結果が、良い方向に活きたことになると思います。 とはいえ、本当の意味での幸せな環境とは、 誰かから受け継いだり、 何かの行動で即、手に入る安直なものを指すのではなく、 自分達の手で努力して造り、育て上げ、 その苦労を笑って振り返ることができた時に生まれる価値にこそ、 幸せと呼べる値打ちがあるのではないかな?…と思う、今日この頃。 私はそう信じています。 (^-^m)
違法行為? 投票を日本国民に義務づける法律はありません。 世界の民主主義国家の中でも、義務にしている国はオーストラリア(棄権は罰金50豪ドル≒5000円)くらいです。 義務ではありませんが、私は欠かさず投票しています。それは、権利を放棄するのがもったいないから。それだけです。 しかし義務でも何でもないのですから、質問者さまは堂々と放棄なさればよいだけだと思います。
お礼
興味深い情報をご教示下さり、ありがとうございます。 投票を法律で義務化している国が、 この地球上にあるとは知りませんでした。 オーストラリア国民…5,000円…。ちょっと可哀想。 日本とは物価の違いもありますが、これは痛い話ですね~。 投票に来なかった有権者の家に、罰金支払命令の通知等が、送られるのでしょうか? 徴収された罰金が、どの分野の資金源に活かされるのかも気になるところです。 投票の他にも、国内の法律では義務付けられていないが、 何となく、義務という認識で捉えられている話は、あるように思います。 思いつくまま、列挙しますと…。 自分が稼いだ給料の一部は、世帯主の家計の足しにすること。 独身かつ親と同居の私は、給料日のたび、これを実行しています。 知り合いには、新婚当初から、奥さまに財布ごと没収され、 自分名義のカードすら持たせて貰えない男性もいます。 これは義務ではなく、当然のようです。 夜道では、男性が女性の帰路のお供をすること。 宴席からタクシー乗り場まで付き添うとか、ですね。 日頃、ちゃらんぽらんな素振りを見せる男性でも、 そういう場面で騎士道精神を発揮されると、ぐっときちゃいます。 公共の乗り物の車内では、高齢者・身障者・妊婦さん等、 歩行が困難なかたに積極的に席を譲ること。 これは最近、義務と思ってないかたが多いようですね。 優先シートを独占し、子供やお年寄りのかたがふらつきながら脇に立っていても、 自分が降りる停留所まで、知らない振りをする人も少なくないです。 社会人になれば、自発的に生命保険に加入すること。 職場では、毎日のように、生保会社からの勧誘活動が盛んで、困ります。 丁重にお断り続けた同僚が、 『働き始めたら保険に入るのは、当然の義務でしょっ!!』 と、コンサルタントから説教され(逆ギレ?)お気の毒でした。 話を戻しますが、日本でも、5,000円の権利行使だと仮定すれば、 投票を放棄するのは、勿体無い話ですね。 あなたは、この権利を大切に、欠かさず投票なさっておられる御一人なのですね。素晴らしいです。 ご指導通り、堂々と放棄してもよい話かも知れませんが、 いえいえ、どうか私もお仲間に加えさせて下さい。投票には行きます。 ありがとうございました。
補足
#17さん お気遣いありがとうございます。 私が質問文にて記載いたしました“違法行為”の言葉ですね。 私の説明不足でした。 国政選挙に参加しない、投票しない行為は、憲法に対する「違法行為」では…との意図で、この表現を用いた言葉ではありません。 この質問内容自体が、当サイト内における違法行為に該当するのではないかと危惧したため、この言葉を添えさせて頂きました次第です。 パソコンを開く時間が少なく、お礼が大変、遅くなっております。 お待たせして、申し訳ございません。 せっかく戴いたご回答ですので、ひとつひとつ大切に、プリントアウトして読ませてもらっております。
私も、取り敢えず、義務を果たす為に投票しますけど、立候補者全員、 みんな同じに見えて、誰に投票したって一緒なんじゃないかと感じて 来ました。 もちろん、投票してよかったと実感できた記憶はありません。 >政党こぞって、しつこく『年金、年金、年金』連呼。 大問題ですから、それはしょうがないです。 むしろ、そこに何も言及しなかったら、「この人やる気あんのか?」 って思います。 >『投票すれば功徳がある』と、選挙のたび色めきたつ知人もいます。 そういう知人はいません。 >あなたは、投票に行きますか?行かない方針ですか? 行きましたよ。
お礼
お礼がすっかり遅れてしまい、申し訳ございません。 愚問のひとつひとつにお答え下さり、ありがとうございます。 候補者全員、同じに見えるお気持ちは解りますね。 ご意見の主旨からは外れますが、候補者からも、有権者は同じ顔に見えるようで、 私が地域の選挙演説会に参加した時は、30分おきぐらいに、 同じ候補者から“初めまして、宜しく”と、機械的な握手を求められます。 相手が誰でも猿でもかまわないから、とにかく顔を売らねば!という気迫が感じられます。 票を取りたくて、一生懸命なんでしょうけどね。 投票して良かったと感想を持つ機会など、やはり滅多にないものでしょうね…。 自分は、政策の結果はともあれ、庶民のために必死になってくれる誠実さが伝わるだけで、 この人を信頼し、推して良かった。と思えそうなのですが、 最近、地元では、そうした政治家の姿を報道してくれません。 有権者の意識も変わりつつあるようで、 政治経験の有無に関係なく、知名度の高い候補者が、当確を出すようになっています。 誰が当選しても、結果は変わらない。 だったら、テレビや新聞で顔や名前を見かける人に、投票するのが面白い…といった感覚なのかな?と思います。 国も財政難で、先立つものがないことには、 国民の期待に沿える変革など、なかなか実行できないのは仕方ないことですけどね。 明治生まれのひばあちゃんは、若い頃からの掛け金は一切なしに、老齢年金を受給していました。 戦争時代の貧困を潜り抜けてきた人たちなので、国からそれなりの恩恵を受けるのは当然とも言えますが、 自分の懐は痛めず、国から援助が受けられる。そういう時代もあったみたいです。 「これも御国のおかげ、実にありがたいことです」と、よく呟いていたのを憶えています。 私の場合、老後が訪れたとしても、第三者からの生活保障など、期待できない世代。 それに対して不満があるわけでもなく「ない袖は振れないだろう」と諦めた状態で、 求められるがまま、給料から税金を納め、投票券が郵送されて来るから選挙に参加して…、 日々の暮らしに押し流されている状態です。 こんなことでいいのかな。皆はどうなのかな。って、ふっと疑問に思い、 この質問を書きました。 ご参加頂きまして、ありがとうございました。
補足
>大問題ですから、それはしょうがないです。 むしろ、そこに何も言及しなかったら、 「この人やる気あんのか?」って思います。 なるほど…。国民の大問題に言及してみせることで、 俺はこれから国民のために頑張る!気合は充分!! という姿勢を見せなければ、自分の面子が立たないっていう部分は確かにあるでしょうね。 他所の政党が叫んでいるのに、自分のとこだけ沈黙しているわけにはいかない部分もあるでしょうね。 候補者の心理状況を思い描いてみれば、何となく納得できます。 もっとも、あまりくどくど言い続けているのを聞くと、 逆に、この人ホントにやる気あるの?形だけじゃないの? …という懸念を抱いてしまうのが、私の正直な感想ですが。 有言実行型のかたが好きです。 ありがとうございました。
- neko_noko
- ベストアンサー率45% (146/319)
投票行って来ました。 > 政党こぞって、しつこく『年金、年金、年金』連呼。 > 『投票すれば功徳がある』と、選挙のたび色めきたつ知人もいます。 気持ちは十分すぎるくらい分かります。 が、それで選挙に行かない、というのとはちょっと違うかな、と思います。 行かなければ、こういう場でも文句ですら言うのもどうかと思う。 さらに、無党派層が選挙に行かなくて得するのは、「年金、年金」と叫んでる 人たちであるかもしれないのですから。 ※個人的には無効票でもなく、棄権票でもなく、「拒否票」があるといいのですが。 (まあ、そんなモンが必要な国、ってのもどうかと思いますが) > 一度だけ、市長選で、地元を本当に愛する知人が当選できた経験以外には、 > 投票して良かったと実感できた記憶がありません。 何かずいぶん不満そうですが、この国に、選挙において InTheLifeさんと同じような経験をしてる人がどれだけいるでしょうか? 有権者の大部分は自分の身近な人が選挙に出て、しかも当選する、 なんて経験してるでしょうか? 個人的には、それだけで今後も選挙を続けていく動機にはなりそうな気がしますが。 本音を言えば、自分の一票が政治を変えることにつながった! と言えることなんて最近では少ないと思います。 選挙に関してInTheLifeさんはずいぶん恵まれてるような気がしますが。
お礼
参院選の開票作業と、当選者の万歳三唱が終了したあとの深夜に戴きました、ご投稿へのお礼です。 ご回答頂き、ありがとうございました。 >気持ちは十分すぎるくらい分かります すみません。文章能力に乏しい質問文から、こちらの心情を汲んで下さり、嬉しく思います。 ご指摘頂きました通り、選挙活動に対して持つ個人的感情と、 自分自身の投票参加の可否とは、別々に切り離して考えるべきですね。 投票に限らず、どんなことでも、自分にとって協力できることを、何ひとつ実行せずにいながら、 野次や苦情を飛ばすことに解決策を委ねる姿勢でいてはいけないと、私も思います。 また、意見を訴えるべき相手や手段を間違えては、駄目ですよね。 『投票して良かったと実感できた記憶がありません』…。 うん。確かに、この質問文、憮然とした雰囲気を漂わせていますね。 ごめんなさい。 自分に限っての話ですが、憂鬱の原因を要約すると、 “約束守ってあげるから、とりあえず私達のいうこときいてみて”と誘われること。 “ノルマ達成が大変だから、あなたもひとまず、私に協力して”とお願いされること。 或いは、信頼を託した政治家が、 その公約とは裏腹に、民意を無視した政治活動を展開する姿です。 その影響で、投票意欲が段々と失われてしまう心境を、 質問文にて、示唆したかったんだと思います。 世の中の有権者のかたの殆どは、 私生活、または職場上などで付き合いのある人間が、 選挙戦に出馬する経験は、されていないのでしょうか。 この質問を立てた際には、すっかり忘れておりましたが、 そういえば、自分のパート先の会社役員が、 近隣地にて、県議会議員当選を果たしたことがありました。 格別、良い思い出ではない。(勤め人、失格…) 知人なら、誰でもいいわけでもないですね。 投票結果は民意の反映…とはいえ、 自分の一票が政治の変化につながった!と実感できるのは、 極めて珍しい現実であることを、私は認識しておくべきですね。 >選挙に関してInTheLifeさんはずいぶん恵まれてるような気がしますが。 そうですね。 あなたの仰る通り、自分はまだ恵まれている方なのだと、感謝すべきなのかな…と思っています。
補足
おおぉっ(><。。)←失礼な表現、申し訳ありません。 ちょっと子供じみた質問してしまった…と後悔しつつ、 この質問ページにログインしたところ、 思いがけず沢山のかたのお手を煩わせてしまっていることに、びっくりしました。 2007年7月30日午前4時、回答者さま#1さんから#15さんまで、有難く読ませて頂きました。 今後、じっくり感想を書かせて頂きます。 どちらが回答者さまか判らない位、 補足・お礼が鬱陶しい長文で申し訳ない(*^_^*) >個人的には無効票でもなく、棄権票でもなく、「拒否票」があるといいのですが 同感です。 でも、自分が仮に立候補者なら、多分、拒否票ばかり集まって、 ショックを受けて寝込んで、それが記事になるだけで終わりそうです。 あとひとつ、どうにかして「同情票」も加えて頂けませんか。 あなたの清き一票で、政治は変えられなくても、私の立場は救われます。(冗談) >自分の一票が政治を変えることにつながった!と言えることなんて最近では少ない そうですよね。結局は、その場限りの人気投票に留まってしまっている気がします。 話術に富み、また、女性に根強い人気のある人が、わりと優勢かなと。 …と書きましたが、これらは総て、政治洞察力のない一般庶民の戯言です。すみません。
こんばんは。 投票、行ってきました。 >あなたは、投票に行きますか?行かない方針ですか? ・・・とりあえず行くだけです。田舎なのでご近所の目があるから。 誰が当選したって結果は同じ。今まで、何度となくそうでしたから、今回も誰が当選したって同じって思えてしまって・・・。一番落ちそうな人と、一番選ばれないであろう政党を記入してきました。 選挙運動中、候補者を見ることはありませんでした。 選挙カーは、風のように通り過ぎただけで(それも2人だけ)、こんな田舎には来てもしょうがないんだろう・・・と思っています。 地域格差をなくす・・・嘘ばっかりです。誰しも、票数を多く取れる人口密度の多い都会に重点を置くだけです。 余談ですが、こうしてみると・・・我が県の前知事は、県民の多くから指示されていなかったけど、行動力はあった気がします。都市部ではない地域、山村や過疎の進行している地域で、住民と直接話をしていました。話を聞いて、聞き入れてくれた事例も多くあります。 結局、住民・市民・県民・国民・・・のために、親身になってくれる政治家は、力のあるものに押さえ込まれてしまうんじゃないでしょうか・・・。 余分な話が多すぎましたね、ごめんなさい。
お礼
8日遅れのこんばんは(投稿作成 8月6日AM2:15)です。 ご回答ありがとうございます。 そして、お礼が遅い上、自己主張をだらだらと並べてごめんなさい。 ページもすっかり重くなり、ご迷惑をおかけしておりますでしょうが、 どうか、ご一読頂けたら…と願います。 そういえば、私は今年、有権者となったばかりの者でした(←しつこい)。 ともあれ、正直に書きますと、一番、落ちそうな人。選ばれそうにない政党。 私も、過去に一度、そうした投票を行ないました。 ねこの首に鈴を付けるのを怖れるねずみになった気分でした。 今の政治家。政権与党・野党に係わらず、 面倒な法案は、自分が引退した後の就任者に任せればよい。と皆が思っているように見えます。 議論も、国民が直面する危機に対する善処のためではなく、政権の舵取り合戦のように感じました。 とはいえ、選挙カーは、私の街でも、殆ど見かけなかったように思います。 いつになく、静かな選挙戦のまま、あっさりと当確が決まりました。 庶民のため献身的に尽くしてくれる政治家は、不思議と権力の前には脆いです。 前述の元市長も、同じでした。 あるべき政治の姿を追求しても、県の勢力がそれを阻むため、 政治家生命をかける形で、県知事選に出馬しましたが、結果は実りませんでした。 落選に涙ぐむ市民に気付き、車を降りて『ごめんね』と声をかけた姿が印象的でした。 当選しても落選しても、有権者への態度がまるで変わらない。こんな人もいるんだなと。 以来、その人は一切の政治活動から身を退きました。 残念だけど、考え様によっては、政界に長居して汚れるよりは、幸せかも。と思います。 私も、余計な話が多すぎです。ごめんなさい(*^_^*)m
補足
過疎地まで出向いて住民の話を聞き、意見を採り入れてくれるなんて、 あなたの県には、素敵な知事さんが、いらっしゃったのですね。 知事が郊外まで足を運ぶのは、選挙活動期間を過ぎれば、ありえないと思っていました。 私が住んでいる県も、県の中心部の平野部では発展を遂げ、 末端の山間地域では過疎進行が見られる状態です。 昔ながらの山の幸、海の幸に愛着を持ち、郷土に誇りを持つご年配の方々が、田舎で安住するには、 県民の足である公共交通が切り離せない存在でした。 しかし、過疎地では就職口がないため、 前途有望な若者は、東京、大阪といった大都市に働きに出ます。 当然、彼らが納める税金は、地元地域に還元されないため、県の財源は圧迫されるばかり。 今、我が県は、慢性的な予算不足に泣いています。 県民が安価で利用できる公共交通機関への県からの補助金も縮小し、 県民の足である有数の路線が、次々と廃止されています。 県内の郡部では、比較的、知事を支援する住民の声が強いです。 しかし、最近になって、県は、その地域区間内での1日僅か数便の公共交通路線への援助金を、 全面廃止する法案を出しました。 公共交通とはいえ、鉄道会社は、全国的に赤字経営だといわれております。 県の補助が受けられなくなれば、鉄道会社の運営自体が困難となり、 過疎地域の利益に乏しい路線が、ますます優先的に打ち切られる事態は、目に見えています。 県民からは“知事選挙には用済みとなったから、我々の生活なんかどうだっていいのだろう” と、県に対する不信の声が漏れています。 高齢化社会に向けて『老人に優しい街づくり』が、目標だったはずの我が県。 “行政は嘘付き。バスや電車の走らない街で、年金暮らしの年寄りにどう生活しろと云うのか? これでは病院にも出かけられやしない。我々を見殺しにする気か?”と、過疎地の県民は、怒り心頭です。 一方、市街地では、真昼間に、乗客ガラガラの低床式バスを何台も走らせています。 あなたのご指摘通り、住民が密集する発達地域には、県も機嫌よく補助金を出しやすいので、 ガソリンの無駄遣いとなる非生産的な路線でも、廃止されないまま残っているのです。 せっかく戴いた予算が有効に活かされない。企業にとっても、燃料費・人件費の浪費。 まったく道理に合わない話なのですよね…。 地域格差をなくす…私も、選挙戦では、その台詞を聞きました。 自分たちの暮らしは自分たちで守るしかないのでしょうね。 地域住民は、公共交通路線維持のための署名運動を始めています。
- グイン リアード(@guin_riard)
- ベストアンサー率43% (401/924)
私は、行ってきました。 しかも、わざわざ無効票を入れに行って来ました。 焦点とされている年金問題。 本来は、超党派で取り組んでも、解決するかどうかわからない所まで来てると思います。 それが、選挙の争点になる事自体、終わってます。 重要法案を、十分に審議をせず、中途半端のまま強行採決する与党。 審議拒否しておいて、十分な審議をしてないと叫ぶ野党。 政権運営能力があると思えない与党。 どうせ参議院選、与野党逆転しても政権が変わると思ってないような、具体性に欠ける野党。 与党も、野党も政治のために政治をしているのではなく、選挙のために政治をしているようです。 だから、どちらも指示しないという、意思表示のために、あえて無効票を投じてきました。 投票に行かないのは、意思表示にならないと考えます。
お礼
書きにくい内容を、まっすぐご回答下さり、ありがとうございました。 私も、無効投票者のひとりです。 与党側は、国権を担う旗手として、使命感を持つことが必須。 野党側は、与党の提示法案への冷静なチェック機能が必要。 >どうせ参議院選、与野党逆転しても政権が変わると思ってないような そんな印象を私も受けました。 選挙期間中、私の職場に訪れた候補者は、 “有権者の方々から、あなた個人は好きだが、政党が嫌いだから、投票したくないと言われる…” といった演説が中心。述べた公約は、どこの政党にも共通する内容でした。 次に訪れた、別の政党の候補者のかたも、ご挨拶は同様でした。 選挙のために政治をする議員たちも、その議席確保の争いに便乗し、 後援会への加入を社員へ強要することで、自分の顔繋ぎを企む、うちの経営者も、いい勝負といえます。 だからといって、 >投票に行かないのは、意思表示にならない そうですよね。 投票用紙を書く意志は、ちゃんとあるが、記すべき候補者がいないぞ…という気持ちを、 身をもって証明してみせることが、肝心ですね。 私の職場の労働組合は、従来、決算書の中身より労働者の財布の厚みを重視した方策を優先させ、 会社もまた、組合側の要求を無視できない時代背景がありました。 バブルが崩壊した後も、好調期と変わらない状態で、従業員の昇給を優先させてきたため、 古き良き時代からのシワ寄せは、これからの労働者である我々の肩に、圧し掛かって来ています。 そうした現実を、近年、組合も認めざるを得なくなっています。 今までのように、論争しておる余裕など既にない、崖っぷちの状況を。 年金問題も、これと中身は全く違えど、事態は類似していると、私は考えます。 >それが、選挙の争点になる事自体、終わってます。 同感です。“歴史的な敗北”も何も…ねぇ。
補足
いやはや、この投稿に関しまして、ずいぶん、ご心配おかけしましたようで、誠に申し訳ございません。 Internet Explorer 画面上メニューバーから 【ファイル(F)】→【名前を付けて保存(A)】をクリックで、 この質問ページが簡単に丸ごとデータ移送できるのですね。 FD保存、完了です。 ♪~(^^;)p◆ …ドキドキ ここは、投稿者同士の気軽な意見交換を目的とし、 皆が楽しい気持ちで閲覧すべく開設されたであろうアンケートの場ですのに、 提議したテーマがテーマだけに、お礼内容も、段々と、堅苦しい雰囲気になりつつあることを、お詫びいたします。 自分でも、お礼を記述するにあたって、これだけ頭を悩ませたのは、 今回の質問が初めてです。 お礼の筆の鈍さからしても、私が、どれ程の政治音痴か、どなたにも、すぐ見て取れると思います。 といっても、こうして戴きましたご回答の内容が、 自分にとって解り辛いのでも、納得できないわけでもありません。 感想として述べたいことが、胸中に沢山あり過ぎるため、頭の整理に時間を要するのと、 また、そこには、個人的感情を交えて言及すべきではない側面も混在するため、 果たして、言葉として、どう表現すべきか、想いをどう伝えるべきか。 他人の眼には、自分の本音がどう映るんだろう。 投稿時間の許す限り、書いては消し…。を繰り返して参りました。 昔の人は、“善は急げ”と言いますが、 私は、他人さまに手間ひまかけさせて戴いたご回答に対し、 『ハイ、ハイ。ありがとうございます。また今度!』 と、お礼感想を済ませることが、今ひとつ出来ない頑固な性分のようです。 今まで記載してきた内容の詳細につきまして、 自分の意見が絶対という確証など、勿論、ございませんが、 自分の思想を、故意に偽ったり、己の空想に過ぎない情報を、誇張して表記させたつもりも、一切ございません。 政治関連に疎い私ながら、ご回答の内容を、今の自分の頭で自分なりに消化し切った上で、 誰かから聞いた噂話ではなく、自己の実体験に即した話を、自分の目で、耳で、確かめた情報を基盤に、 今の自分にとって、記述できるだけの術を尽くした素直な気持ちを、ここに遺してゆきたいと願っております。
- arayata333
- ベストアンサー率30% (35/113)
私は「年金」問題に切実な思いを持たざるを得ない60歳になろうとしている肉体労働者の一人ですが、 選挙制度の中途半端さには、驚異とか不思議な思いをいだいてしまうほどの疑問を持っていますので、民主主義の一員としての責任からその疑問をすこし書いてみますね。 まず、選挙の時にしか公開論議をしない(できない)という仕組みが、ことの不備を作っています。 これですと、多くの利益の衝突という面は資本主義社会にての当面はくずれそうにない面ですから、口のうまい人が「朝の味噌汁の具は わかめだ。」 「いや、朝はだいこんだ。」「いやだいこんは夕餉の味噌汁に!」と どちらでもいいことを「月の満ち干から言っても朝のリズムは海のもの‥‥」とかとかそれらしいさらに意味の無いことばであやつって自分と関わる利益団体とかの主張を簡単に押し通せたりしますから、 これはどうしても長い議論の場がないとそうなりがちなんです。 政治家がキャッチコピーみたいな言文で人を操るなんて恥ずかしいですよね。 でもそれがまかり通ってしまっているのが現状です。 私のことを言えば、それでもしかたなく友人関係とかでだれかを無理して選ぶしかないときには、選挙にも行きますが、内心は自己の無責任さに恥ずかしい思いをつねに持っていました。 形上は義務を果たし権利を行使したにもかかわらず、この無責任な行為を心の中ではいつも恥ずかしく思ってきました。 戦争論についてはここでは筆を伸ばしませんが、昔、反戦のために命を捨てて戦った人たちがいました。 ちょうど何十人かが皆殺しにされた現場にあと一日というズレで助かった政治家の事を私はよく知っています。彼の 娘である人から「私は政治家の娘だけには、生まれたくないと思ってきた。そのぐらいいつも貧しかった。全部、その仕事のお金が回ってしまった。」という話を聞いています。 そういう政治家現在いますか。 またそのよう全体をつねに考えて深く大勢の人のコンセンサスをとるべく日々一日も休まず闘い続けている本物の公僕たる政治家を知っておられますか? もし、知っておられるというのならば、なぜこのネット時代にたとえばこのQ&Aのような場とかで質疑応答の激しい激戦をリードするといった活動をなさっていないのでしょう? キャッチ言葉で、『年金、年金、年金』連呼をしたところで、長い目でみた今後のこの競争社会の中での老後のあり方保証、それでも生き抜くための教育のさらなる進化と機会均等の仕組みとかとか、本当に庶民に必要なことがどのようにどんな形でビジョンが描かれてるのか解る人いますか? わたしは、 (たぶん質問者様も同じ気持ちなのでしょうが)早く、心の底から堂々と胸を張って、選挙の権利を行使できる日を願っています。 でも、そのためには、まず本物のネット時代の政治家が現れて欲しい。そういう若者たちが生まれ育っていって欲しい。と心の底から願う者です。 肉体労働者ではあっても、ワードは打てる私です。 私は老人の一人として、若者たちがネットにもっと希望と価値を見出し、すぐれた哲学者となり すぐれたあらたなネット教育の場を開拓していってくれるように そのためのコンセンサスなら自分の役割であり責任範囲として、ここにこうしてキーを打ち始めた者なんです。 現在の時点では、投票に方針はありません。まるで木の葉みたいです。 そういう庶民の一人です。 でもいつか来るべき本物の民主主義と言いえる民主主義の日に堂々とその義務を果たしその権利を行使する事の出来る日に向かって、 私の出来るかぎりにおいての責任は現時点でも こうしてけして忘れたりはしないというのが、このことに答えられる現時点での私の方針です。 期待より、憂鬱先立つ、投票日。 なるほど同感です。 でも その続きを私のほうからは書かせてください。 ワカメより(利益団体等へのひにくです。)希望を訴えたい(将来に望みをたくすしかない)老人の投票日。 全体がひにくっぽいですが、以上です。
お礼
政治家が、キャッチ言葉の“年金、年金”で庶民を操る恥ずかしい光景。 ありがとうございます。私は、それが言いたかったのだと思います。 政治家が、選挙の時にしか公開議論をしない仕組みは変です。 質問文の(現在は一般市民)元市長の奥さまも『政治家の嫁は大変』とこぼしていました。 旦那さんは、自宅通勤を貫き、奥さまも24時間体制で、市政に付き添う生活を余儀なくされていました。 旦那さんと一緒に早朝から真夜中まで、足を棒にして西へ東へ遁走し、やつれていました。 一般大衆に対して瞬時、かつ公平に同一情報を一括配信するネット政治家の登場は、画期的ですね。 話し言葉では不明瞭な点を、活字では明るみにできます。 口頭より、中身の濃い、高度な質疑応答が期待できそうです。 一方で、大切な内容の話ほど、こうしたネット上の利便性に頼ることなく、 心から信頼できる知人・友人に直接声をかけ、目を見て話すことが重要と、私は考えます。 ひとりひとりに呼び掛けるより、効率よく労力をかけず、大多数の人間に、お題目を発信できる。 それが自分の欲望達成に繋がると信じる団体もいます。 価値観や思想は個人の自由ですが、特定活動絡みの目的達成のネット活用には反対です。 味噌汁の 具より大事な 器かな(飾りの見事さより、その器をまず磨くべし) 私も、本物の意味での民主国家の到来を、心から望む一員として、 あなたから頂戴しました一言一句を忘れることなく、 今は木の葉に過ぎない投票が、いつか良貨と成り得ることを信じ、政治を見届けてゆきます。 追伸:今年58歳となる父が、肉体労働を張り切り、腰を痛めました。 今年は残暑が厳しくなると予測されていますが、ご無理なさらないよう、 健康面には充分、ご留意下さい。
補足
先進国と呼ばれる諸国の内、 国内平均所得者の年間総収入に対する税・社会保険料負担率の世界最高クラスはデンマーク。 そして世界最低クラスは日本という統計調査を目にしたことがあります。 デンマーク在住の労働者は、毎月総収入額50%程度の税金が、給与額から天引きされ、 本人が自由に使えるお金は、実際に稼いだ給与額の半分以下となるようです。 大学で福祉学を専攻した頃、 福祉先進国と呼ばれるデンマークの一般国民が、この様に語る場面に出逢いました。 「私はクラシック音楽が好きなのだけれど、CD一枚すらなかなか買えない。 なにしろ、この国は福祉に私達の沢山の税金を使っているものだから。 でも、自分が病気になったり、いずれ歳をとった時のことを考えると、 今の税金は多すぎるとは言えません。 学校の入学金や塾の月謝の心配もいらない。 手取り金は、何の憂いもなく使いきれる。」 デンマークでは、体の不自由な無一文の高齢者でも、 日本のワンルームマンションの2~3倍の広さの住宅地に住むことができ、 1日に1回は必ず温かい食事の配達を受けられる。 必要に応じて24時間いつでも、ヘルパーやナースのケアを依頼できるといいます。 デンマーク国民の声を聴いていて、自分たちの現在や将来の生活を 世界最高級の安全保障システムで守り合う自負心を感じました。 日本に比べると経済が発展しておらず、また、税率も目をみはるほど高いのに、 国民の間では、日本のように、税を払うことを恐れる感情が、 あまり見受けられないことが驚きでした。 彼らの間では‘ゴムひも税金’と呼ばれており、 税金という名の安くない掛け金で、 質の高いサービスと年金が、 老後には自分の手許に間違いなく戻る保証が目の前で展開されているがゆえ、 安心して納められるのでしょう。 現地の福祉担当市長(デンマークでは、担当別に複数の市長、その上に総市長がいる様です。)によると、 「今の税率は高すぎる。という市民は沢山いる。 内閣からも『これ以上、税金を上げないように』との通達が来ておるものの、 近年、福祉の手を必要とする高齢者の比率は、爆発的に高くなってきた。 今までの予算限度額内で、今後の高齢者社会に対応させてゆくためには、 行政のポリシーを、従来の『与える福祉』から『自立するための福祉』へと切り替える政策が必要。」 「レストランに行き、ボーイが何でも世話してくれる様な生活ばかり堪能していたら、 誰しも、家事の能力は衰えてしまう。 本来、自宅に客を招き自分で料理を作って持て成せるような、自立した生活の維持が重要。 これからやるべきことは、老人が出来るだけ永く住めるような住宅作り街作りです。」 市長の真摯な取組みにより、お年寄り向けケア付き住宅地が設立された映像を観たことがあります。 部屋のあらゆる所に、緊急用のナースコールが配置され、 寝室・シャワー・トイレ付きの他、自炊をしたい人のための、廊下に面した出窓風台所。 車椅子で自由に利用できるカフェテリア・体育館・会議室・工房がある。 お年寄りの孤独感や痴呆、 そして、寝たきりを回避させるための工夫や配慮がなされていたように思います。 デンマークでは『寝たきり老人』に相当する言語がないようです。 日本の老人病棟のように、12時間以上ベッドに寝たまま、オムツ交換は定時。 徘徊予防のため睡眠薬を与えるといった光景も、全くないようです。 日本の特別擁護老人ホームや一般の病院では、ひと部屋につき4人程度の相部屋が良い方と云うと、 福祉先進国のかたは“日本人はお気の毒…”と同情を示すと聞きました。 日本人は福祉を自分とは無縁の救貧装置ぐらいにしか考えない。 政党も労働組合も、北欧のような社会福祉システム導入のための想像力を働かす気もなければ、 誰しも遠からず訪れる老後問題を、自分の身に置き換え、真剣に勉強する気まではない。 大学教授は、そう語っておりました。私も、その意見に同感です。
行くのが当たり前でしょう.......、あくまでも義務は義務なんだから、やるべきことはキチンとやるのが当然のこと。 最近はとかく、権利権利とうるさく言いながらも義務や責任を果たさないヤカラが多すぎる。 投票して良かったと実感できた記憶......なんかがあろうが無かろうが、結果は民意の反映、そして民意を正しく反映させるには投票しかない、それが民主主義の原則。あなたの好みに合わなかったからといって、だから一票を投じるのに憂鬱になることもないでしょう。 まして.......投票なんて時間の無駄って思うクチなので、ハナっから期待はゼロです.......なんて、エラそうなことを言う人もいるけれど、行きもしないで理屈を並べるのはやめてもらいたい。 こんなのに限って政治がどうの政治家がどうのと、さも分ったようなことを言うけれど、なんのことはない、ただ面倒なだけで行かないんじゃないの。どだい、時間の無駄.....というほど社会に貢献しているはずがないんだから。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 そして、申し訳ございません。 私は、自分の好みに合わなかったから、投票が憂鬱というわけではございませんが、 投稿が削除されるのを恐れるあまり、 その理由までは、質問文にて明確に記載するには至りませんでした。 あなたが仰せの通り、開票結果が自分の意図通りでないから選挙に行かないというのは、わがままだと思いますね。 このサイトに例えると、自分に賛同してくれる回答者さんが見付からないから、 次回からは、もう、質問したくないと、ふてくされるのと同じです。 私も子供染みたところの多い性格ですが、そこまで分別の付かない人間ではないつもりです。 しかし、私の質問文の書き方が曖昧だったため、あなたに不愉快な思いをさせたことを、お詫びします。 もっともなご意見、ありがとうございました。 今後、選挙に参加する上で、今回、あなたから戴きました言葉を忘れることなく、 理由はどうあれ、国民としての義務を、憂鬱などと考えていた自分への反省点にしたいと考えております。 民主主義の原則を支持する一員として、投票には、今後も参加したいと考えております。 貴重なお時間を割き、この質問に付き合って頂けましたこと、心から感謝申し上げます。
補足
はい。私は、酒税もタバコ税も納めない、実に社会貢献度の乏しい女性です。 申し訳ございません。 このたび、あなた様から戴きましたご回答、最近の当サイトに対する私見に照合し、 以下の通り、読み換えさせて頂きました。 最近はとかく、御礼お礼とうるさく要求しながらも、 回答者としての義務や責任を果たさずに終わる回答者さまが多すぎる。 質問文の内容が、あなたの考えにそぐわなかったからといって、 一方的な決め付け発言だけで、回答を終わらせることもないでしょう。 まして、他の回答者さまにまで難癖付けて、偉そうなことを述べたがるかたもいるけれど、 指摘された回答者さまが、果たしてどのようなかたなのか、人格も生い立ちも知らないくせに、 真意を確かめもしないで、自分の偏見だけで、理屈を並べるのは、やめてあげて頂きたい。 このような回答者さまに限って、質問者の補足にも、お礼にも、ろくに目を通さないまま、 さも分かったようなことを言い、攻撃的な投稿を投げかけるだけのことが多いけれど、 なんのことはない、他者の考えを受け容れるのが、面倒なだけじゃないの。 ※あくまで当サイトに呼びかけたい言葉であり、 あなた様や当質問を指して、記述したわけではございません。ご了承下さい。 私がこのサイトを利用してから、ずっと感じていた疑問点を、 あなたのご回答が、まさしく代弁して下さったように思い、こうして記してみました次第です。 私は、回答者としての立場になることが多い者ですが、 自分が回答に立ち会った、その質問が締め切られるまでは、質問者の動向には関心を持ち、 自分の回答の間違いや、的外れな部分に気付いた時点で、即、お詫びを込めて再回答することにしています。 こうした行為は、特に法律(当該利用規約)で義務付けられているわけではなく、 時には、皮肉にも、ストーカー呼ばわりされる参加者もおられるようですが、 私の中では、それが一期一会のお付き合いの中で、 縁あって巡り会い、回答させて頂けた立場としての、義務であり、責任と考えております。 しかし、こうした考え方の参加者はあまりおらず、 むしろ、そ知らぬ顔でいるのが当たり前のようで、 当節では自分の考え方が間違っているのかも知れないと、反省しておるところです。 質問とは全く関係のないお話を延々と、申し訳ございません。 今後とも、このダメ会員を宜しくお願いいたします。
行っても変らないかもしれないけど、行かなければ絶対に変らない。 爆弾作ったり人を殺したりせずに、世の中を変えられる唯一の方法が選挙です。 「変らないから行かない」というのは間違った考えです。 「行かないから変らない」のです。 行かなければ、結局は宗教団体や特定業界の組織票だけで当選が決まり、彼らに有利な政治になります。 行っても変らないかもしれないが、行かない人に意見を言う資格は無い。
お礼
ご回答下さり、ありがとうございました。 先日の参議院選挙は、いわゆる組織票を抑え、 無党派層の支持が圧勝(勝ち負けの表現はあまり好きではないですが)する形となりました。 私の地元では、事前の意識調査では、全く無名に過ぎなかったらしい候補者が、 開票後、すぐに当選確実が出る形となったようで、 地元のマスメディアも首をひねっておりました。 意識調査がデタラメだったのかも知れないし、 投票会場で、目についた名前を書いた投票が多かったのかも知れません。 私の居住地は、雨がよく降る気候で、 元来、平均50%前後といった、投票率の低い地域ではあるのですが、 雨の日には、より一層、投票率が低下してしまいます。 何かしら理由を付けて、投票会場に行きたがらない有権者が多い県民性を示すものでしょうか。 投票する気がないと、こうしたデータに関心すら持てなくなるでしょうが、 社会に対する無関心の徴候を、自身が認めてしまえば、 結果的に、自分で自分の首をしめる結果を招くだろう…と思います。 政治に関心を持たないのは、自分の日々の生活基盤がどうあるべきかすら、関心がなく、 自分ひとりさえ良ければ、あとはどうでもいい傾向を許してしまうからです。 同じ社会の中で、お互いに助け合い、見えないところで支え合いながら生きている我々なのだから、 自己中心で成り立つ王国を築いていてはいけないと思います。 >行かなければ、結局は宗教団体や特定業界の組織票だけで当選が決まり、彼らに有利な政治に なりますよね。 『どこに入れる気もなければ、うちを支援して下さい。』 という投票勧誘の言葉が飛び交う辺りが、その現実を指し示しています。 細かいことを考えるのが億劫で、会社等が推薦する政党に、票を投じる人々が、 本来あるべき投票の姿勢を崩し、そうした誤った認識の流行に、追い風を与えているのでしょう。 初めから選挙に参加する気がある人は、投票日に都合が付かなくても、何のかのと理屈を述べず、前以て不在者投票をしています。 それが、自ら勧んで投票を行なう姿勢の顕れだと思います。 どなたかもここに回答して下さいましたが、正々堂々と意見を述べる資格を手にするためにも、 憂鬱などと逃げ口実を作らず、自分から投票に参加したいと思います。
補足
>行っても変らないかもしれないが、行かない人に意見を言う資格は無い。 はい。仰る通りです。申し訳ございません。 結果が出ないからと云って、努力を怠っていては、いつまでも成長できないのと同じですよね。 私も、戦争など、人命を犠牲にしてまで、世の中を変えることには、絶対、反対です。 それは『民意の集結・反映』ではなく、武力でもって相手を服従させるだけに過ぎません。 それが当たり前の世の中になれば、この社会から自由は消え、牢獄のようになるでしょう。 優雅にネットなんて出来なくなりますよね。 共存社会である以上、皆が平等に満足できる国家の設立は、理想論に過ぎないでしょう。 それでも、権力で支配されるような社会に比べたら、今の日本の世の中は、ずっと幸せと云えますよね。 何年か前、九州の知覧で、若くして日本のために命を投げ打った特攻隊員の写真を見たことがあります。 兄を戦死で亡くした経験を持つ祖父が、どうしても行きたいと希望しての旅行でしたが、 写真を見た後、館を出てから、せきを切ったように泣き出したのを思い出します。 祖父も、今の世の中の平和をありがたいと言い、その恩恵を忘れないがためと、戦争に関する書物をよく読んでおりました。 国家から身柄を束縛され、自由意思が許されなかった戦時中の世の中を想えば、 こうした場で、政治について語り合い、意見交換を満喫できる現代に生きる私たちは、随分と恵まれてます。 祖父は今、私の顔を見て『どこの子?』と尋ねるようになっています。 投票に出かけることもできなくなっています。 祖父の代わりに、自分達が、今後の日本の動向を、しっかりと見届けなくてはなりません。 国政に意見を加えられる権利が与えられているのにも関わらず、 投票が憂鬱なんて、甘えに過ぎないですね。 議題が、質問内容から、かなり逸れましたね。すみません。
これから投票に行ってきます。 前の統一地方選はうっかりしてて行けなかったので、今回が初めての選挙です。 >期待より、憂鬱先立つ、投票日。 前から政治には興味があったけど、こう思ったことはないです。 選挙は、一般人が唯一政治にちょこっと参加できるので、必ず行きたいと思います。 どの政党も同じなんてことはありません。 日本の未来を真剣に考えるなら、選挙は行って当然、国民の義務だと思います。 とりあえず、投票しない人は政治を批判するな、とは思います。 年金については同じこと思いますね。 政党もマスコミも年金年金って言い過ぎで、他は?と思うし、 野党がこぞって与党を批判してるけど、最近問題になったのではなく 前から起こっていたことなんだから、J党の責任だ!!っていうのもちょっと変。 今後6年の参院議員を決めるのに年金だけに目が行ってていいの?って思いますけどねぇ
お礼
ご回答ありがとうございました。 そうです。政党もマスコミも、年金、年金…って、ちょっと大袈裟なぐらい騒ぎ過ぎましたよね。 犠牲者のかたにとっては、まさしく悠長に解決を待っていられない重大事故だとは思いますが、 こうした事態は、本来、避けて通れないミスではなかったはずです。 質問文中に書きましたが、母親が通知を提げて、 年金記録を確かめに、役場の窓口を叩いた際には、 『通知がどうだか知らないが、 貴女がかけた年金のことで、 何故、うちがわざわざ手間かけて確かめなきゃならないの。 余分な仕事を増やさないでほしいなぁ~』 …と言わんばかりの、かなり横柄な態度を取られたようです。 “それはおたくの仕事。ほっといても、誰かが何とかしてくれて当然。 何かあっても、それは私の責任じゃないから。”といった、危機管理体制の脆さ。 長年の職務怠慢の積み重ねが招いた失態とも云える、この問題は、 経済大国と呼ばれた先進国の日本、勤勉家で知られる日本人が起こした事件としては、 諸外国に対しても、顔向けができない、通常なら、口にするのも恥ずかしい事件なんですよね。 国民の信頼を背負うべく、国政を担う代表者として 『まず、自分達から、なんとか改善しなきゃ』 という意識の高い政治家が、 あれほど軽々しく、流行語大賞を狙うかのごとく、 しきりに口に出来るものなのかしら?って、私は、甚だ疑問でした。 これから年金暮らしを迎える国民を、路頭に迷わせない危機回避策を、 自己責任として謙虚にうけとめ、そして請け負うべく熱意が、あまり伝わって来ないんです。 年金だけに目がいってていいの?と思いますよね。やはり。 少子高齢化社会に突入する日本が抱えた問題は、まだまだ沢山あります。 国の抱えた赤字問題を尻目に、増税反対と嘯いて、有権者のご機嫌を伺うのもいいですが、 将来的に何が大切なのか、そのために今、何をすべきかをしっかりと見据えた指揮を執って頂きたいですよね。 これからも、そのまま欠かさず投票を続けて下さい。 2007/08/04
補足
ようやくお礼が書けたところですが、先日、退会してしまわれましたようですね。 回答者さまが、ここを読んで下さることを願っております。 >今回が初めての選挙 有権者になられたばかりのかたが、 これから希望に燃えて国政に参加するところに来て、妙な質問をお見せしてしまいましたね。 お詫びしないといけません。申し訳なかったです。 そうです。憂鬱なんて、思ったことないままで良いのです。 このような書き込みや、他人からの意見に思考を惑わされることなく、 日本の未来のために、あなたが信じた候補者を支援して下さることを、願っています。 >投票しない人は政治を批判するな 本当に、仰せの通りです。すみません。
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お礼
ご回答頂いてから、お礼が随分遅くなってしまいましたが、ありがとうございました。 初めは、この質問、『政治』もしくは『社会問題』カテゴリーへの投稿を予定しておりました。 何故、アンケートに切り換えたかというと、 意見募集的な色合いが濃い内容を配慮したためだけではなく、 お恥ずかしながら、政治に関する知識がまだまだ乏しい自分には、 専門カテゴリーへ投稿するのに、ちょっと、恐れ多かったためです。 質問を作成する前から、社会・政治欄はたびたび、閲覧しており、 (質問を書ける程の知識もない私ですが) あなたのご回答にも、度々、お世話になっておりました。感謝しております。 “変わらないからと言って、投票に行かないと政治はますます変わりづらくなります。” …本当に、その通りですよね。 あなたの仰るように、有権者の意識の持ちようが、 政治家の活動意欲に影響を与える世の中になってほしいと願います。 選挙が多数決制度である限り、少数派の意見は、その他大勢として度外視されてしまうという失望感が強いのです。 現実的には、人手が多くかかり、とても実現不可能な要望だと思いますが、 …投票用紙に有権者からのひとくちコメント欄があり、 それがなんらかの形式で公表される機会が設けられれば、 もっと投票し甲斐があるのになぁ…と、ずっと思っていました。 本来、庶民の意見を政治に活かすための機会である選挙なのに、 開票結果にだけ目を奪われる、今のやり方では、 投票活動そのものが、今後の政治活動の動向への貢献とはなりにくく、 とにかく、『結果よければ全てよし』。 …当選結果こそが民意を掌握する。と、勘違いされた儀礼的なものに過ぎなくなるような気がしてなりません。
補足
批判する権利を得るため、投票に行く…。はい。確かに、その通りだと思います。 まず、やるべきことをきちんと成し遂げる。 その上で、出た結果に対し、自分の見解を正々堂々と述べる。 それが、一人前の大人として採るべき手段だと思います。 テレビやラジオのニュース報道では、何かしら重大事件が起こるたびに、 その道の専門家を招き入れ、彼らのご意見を拝聴する光景が多く見られます。 でも、いくら学問知識に強い専門家とはいえ、関連者でもない人間が、 その現場を見聞きしてきたかの如く、事件の当事者に対して、もっともらしい批判を述べ、 また、そうした意見を世間に公表したがるのは、無責任な言動じゃないか?と、 私は、報道番組で、その場面を観るたび、ずっと不愉快に感じてきたものです。 でも…、きちんと住民票が在り、投票券を持った人間が、選挙の際には行方不明者となり、 そのくせ、政治批判に参加したがるのも、同じく、無責任な話ですね。 母親に欲しいものをおねだりし、買って貰えないと駄々をこねる子供の心理と、同程度かも知れません。 申し訳ありませんでした。 今回、私の地元での第21回参議院選挙開票結果は、 無党派層からの支持に、大きく左右された形となりました。