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参選は国民の義務だけれども
ごめんなさい。違法行為かも知れないけど、正直に書きます。 私は、今まで、とりあえずの参政権を行使して参りましたが、 一度だけ、市長選で、地元を本当に愛する知人が当選できた経験以外には、 投票して良かったと実感できた記憶がありません。 話題の年金問題。 母親に言わせると(真偽はともかく)何十年か昔、年金手帳が交付される前の時世に、 国から『あなたの年金記録を、今一度、ご確認ください』 と、書面で通達が郵送されてきた時期があり、 母はその際に確認を取ることで、何とか、記録漏れに気付くことが出来たようです。 今、社会保険庁も、彼らなりに、懸命に対策を練っておるのに 政党こぞって、しつこく『年金、年金、年金』連呼。 『投票すれば功徳がある』と、選挙のたび色めきたつ知人もいます。 期待より、憂鬱先立つ、投票日。 あなたは、投票に行きますか?行かない方針ですか?
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投票には行きます。批判する権利を得るためです。投票に行きもしない人間が政治批判をするのは問題ありだと思います。 大きな変革を期待しすぎなのではないでしょうか。そう簡単に大きく政治が変わるわけではありません。ただ、少しずつ変化はしていきますし、無党派層が投票しないと、その少しの変化すらさらに少なくなっていきますし、庶民にとっての悪い変化も多くなりかねません。 投票すれば功徳があるのですと、一所懸命になって依頼してくる人がいるほど、選挙は政治にとって影響力が大きいのです。一人一人の影響力は大したことありませんが、それが積み重なって影響力が強くなります。個々十数年は無党派層をどうやって取り入れていくかということが政党にとって大事になってきました。有権者の意識が変われば政治家もそれに応じて意識をある程度は変えざるをえません。政権が変わらなくとも無党派層の投票行動次第で変わる部分はあります。 民主主義政治はその国民の民度を表します。変わらないからと言って、投票に行かないと政治はますます変わりづらくなります。
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- miina02
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投票は済ませました。 私も質問者さんと同じで、年金のことなんて今まで取り上げていなかっただけで問題はずーっと前から起こっていた。それを今更「自○党が悪い」と責めている。けど、責めている政党だって今まで放置してきた責任もあるのではないか?と思っています。 責任追及も必要だけど、何年も待っていられる事例ではないので、間違っていても進むことも必要ではないかなとも思います。 Yahooのマニフェストからみるあなたに合っている政党(?)なるものをやっていみましたが、どの党も45~60%で、飛びぬけないんですよね。 実は、今回の選挙って、政党の意見が分かりにくいものなんですよね。だから、どこが一番かが分かりにくい。 それでも、何か違うよな~と思いたくないので、選挙に行きました。
お礼
仰せの通り、政党ごとの意見表明が、何となく不透明な選挙戦でしたよね。 どなたも、一斉に言葉尻を合わせて、 『大変、厳しい選挙戦となっております。私にご賛同頂けるのなら、ぜひとも…!』 だって、その公約の意図した要点が、今ひとつ見えにくいのに。まるで、机上の空論。 理想より、ともかく、それを実施して、具体的な展望はあるのかまで補足してほしい。 論点が判りにくいのは、私の頭が悪いせいだろうと、自分の知能の低さを懸念してました。 あなた様のご意見お伺いして、少し安心いたしました。 同じように感じたのは、自分だけじゃなかったのかな。と。 あなたが回答文に書いて下さったように、国民が何より期待するのは、『責任追及にこだわるより、進むこと』。 問題解決に対して、協力的で、前向きな姿勢を求めてるんですよね。 冷たい云い方でしょうが、例え、責任の在り処が明確になろうが、 どなたが退陣されようが、庶民の明日の生活に、直接的な利害が及ぶわけではない。(一部の人を除いて) 決まり文句のように“責任を取るための辞任…”などと神妙に語られたところで、 今までのボタンの掛違いが、すぐに元通りになるわけでもなければ、 民間人に課せられたリスクが、全てチャラになるわけではないのです。 >それでも、何か違うよな~と思いたくないので、投票に行きました。 あなたも前向きですね。私も見習わないといけません。 どうも、ありがとうございました。
補足
>投票は済ませました。 ありがとうございます。 私がこの質問を投稿した日は、参議院選挙の投票日当日でしたが、 私は投票に行く前の段階で、この質問を作成いたしました。 (ここで四の五の云わず、まず投票に行ってから書けよ…って感じですよね。すみません。) 投票後のかたが目にするには、ちょっと不快に感じる部分のあるアンケート内容だったかも知れないと思います。 申し訳なかったです。 この質問を出した時は、正直言って、≪行きません≫の一行即答が沢山返ってくることも予測していました。 日曜の昼間ですし、同じ投票なら、選挙に出向くより ‘参考になったボタン’で一票投じております。みたいな状況もありかな…と。 巷では、近頃とりわけ、国民の政治に対する関心度の低さが、問題になってきていると聞きましたが、 ここは、まじめに考えてる人が多いんだなぁって、感心してしまいました。
行ってきました。 >今、社会保険庁も、彼らなりに、懸命に対策を練っておるのに そうでしょうか?総理大臣が5000万件の件について、早急な精査を求めているにも関わらず、7月26日現在、社会保険業務センターは、社会保険庁からの指示がないという理由で、一切着手していません。 これに対し、総務省の年金業務・社会保険庁監視等委員会は強く批判しています。本当にやっていると思われますか? これについては社会保険庁は反論してはいますが。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070726-00000199-jij-pol 私は、私の持つ権利を行使する為に投票しました。日本国民も政治を考えるきっかけになったと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 長文になって申し訳ないですが、せっかく、年金問題に絡めたご意見を戴きましたので、 何故、この質問に年金の連呼への批判を加えたのか、私なりの意図を、申し上げておきます。 もう、全面解決が着いており、法的にも時効が成立した経験談を書かせて下さい。 前の職場に居た頃、雇用主が社員への扶養手当の誤支給問題を起こしたときがありました。 私がその会社に入社させて頂き、最初に命ぜられた仕事が、 手当誤支給者のデータの洗い出しと、その犠牲となった社員へのお詫び、 そして、未支給分の追加支給並びに、過剰支給分を返還してもらうよう、お願いして廻ることでした。 正直、思いました。『えらいとこに来てしまった』 日頃、温厚な人徳者でも、“金の切れ目が縁の切れ目”とはよく言ったもので、 金銭が絡むと、途端に人格が変わるものです。 私の知らない先人の犯したミスで、随分、叱られ、睨まれ、 胃が痛い思いをする毎日に悩む日々が続きました。 パソコンが流通しない世代の人間がなされた仕事に遡るわけですので、 手書きの台帳をめくりめくり、その筆記から記録を照合させていくのは、手間ひまかかる作業でした。 『会社のミスなのに、何故、一度貰ったお金を返さないといけないんだ?』と訴える社員。 それに対し、『社内規定と毎月の給料明細とを、きちんと確認しておれば、支給額がおかしいことに気付けたはず。 貴方だって無責任じゃないか?』と居直って反論する会社側。 年金記録の紛失・混濁の有り様と、責任を追及し合う光景を見るにつれ、そうした自分の苦い経験と重なります。 大抵、一番貧乏くじを引くのは、過去の産物の後始末に追われる、下っ端の人々。 日頃は、ただ傍観しているだけで、問題が生じた時だけ 『困るんだよね。とんだ恥さらしだ』と冷や汗を拭うのが上役。 そして、マスメディアの情報は、政治関連でも、アイドルネタと同様、 面白おかしく脚色し、情報操作を加えるのが普通だと、経験から解っているので、 テレビ・ラジオの謳い文句は、私はあまり信用しません。 年金問題が、当面の重要課題であるのは確かなので、 井戸端会議を盛り上げるネタにはして頂きたくないなぁ~って、思いますね。 でも、URLの記事は参考になりました。生意気書いて、すみませんでした。
補足
URLのご紹介ありがとうございました。 >本当にやっていると思われますか? はい。年金払込記録の領収書等、証憑が見付からない場合の容認策を考慮されたり、 再調査のための書類送付を検討するなど、それなりの対策は練られておると信じています。 私の職場にも、保険事務所の指導で、記録期間の確認に訪れる元社員のかたがいます。 もちろん、記録はきちんと保持してあるので、調べることは可能でした。 私としても、社保庁を弁護するつもりで、提言したのではありません。 自分だって、厚生年金や民間の年金保険料、銀行預金等の払戻しが一切停止になるなんて、嫌ですし、許しがたいですから。 問題が起きた後になって、あぁだこうだと正論を述べるのは、誰だってできます。 『お前が悪い』『いや、悪いのはあんただ』と水掛け論をしたところで、何の解決策にもなりません。 顎をしゃくって命令を下すだけなら、 何も総理大臣さまでなくとも、小学生だってできると思うんですよね。 連合(日本労働組合総連合会)さんは、 ご丁寧に、【ずさん・デタラメ・無責任】の三拍子を でかでかと印字したリーフレットを発行され、 問題意識を呼びかけておられます。 組合員の生活を守るための責任追及、ご立派だと思います。 国会議員だって、議事堂で居眠りしたり、議会でけんかごしの醜い罵声を飛ばしたり、 そういう環境を許してきた一員であるにも関わらず、 他人の犯したミスに関しては、鬼の首を獲ったかのように、 正義感を燃やして正論を述べるのは、ちゃんちゃらおかしいです。 『年金、年金』と唱えながら、 実は問題意識よりも、国民にとっての死活問題に擦り寄って、 庶民のご機嫌を伺いたいようです。 いざ自分の背広を汚してまで、清掃作業に遁走する度量はない方々に比べれば、 社会保険事務局のお兄さんお姉さんの方が、よほど、お仕事しているように、私には映るのです。
- tky-ny
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行きます。 現状の選挙制度に不満がある、もしくはどこにも投票したくない、のであれば、選挙に行かないのではなく、行って白票を投じるべきではないかと思っていますので、その場合もいきます。
お礼
ご回答頂き、ありがとうございます。 例えば、原発賛成・反対といった明確な主張が存在しうる場合ですと、 当然、自分の意思決定もはっきりできますので、投票しやすいのですが、 立候補者の主張を拝聴していて、 どなたのご意見も、“そんな都合の良い方策ありえないよ。”って思わざるを得ない場合は、困ります。 突き詰めて考えると、 あの人には良くても、あの人は困るんじゃない? それに、今は良くても、その先は?といった疑問が生じてしまうような場合。 それにせっかく、信頼して投票しても、 政治そっちのけで、マスコミからの出演依頼には意欲満々。 重要な式典行事は、副職の人間に代行させるわりに、 見栄えの良い名誉ある行事の際にだけ、顔を出して、 現実には、公式書類に名を載せる人となるだけで、 任期を終えてゆく姿を、目の当たりにした場合。 こういったタイプの政治家を(噂だけでなく現実に自分の眼で)直視せざるを得ない状況が続けば、 政界に立候補する資金も色気も力も頭もない、一般庶民の私なりに、 自分たちの未来を真剣に思案するがゆえに、 次からは、絶対、この政治家には投票しないぞ。と、決意するしかありません。 街頭演説で熱弁を振るっているのを観ても、 きっと、本気で政治を案ずるがゆえの公約など頭になく、 単に国民の心証を良くするための詭弁を弄するに過ぎないのだろうな…。と、しらけてしまいます。 しかしながら、白票を投じるにも、 ひとまず妥協して『まし』と思える人や政党に肩入れするにも、 どっちに転んでも、“自分は一体、何のために投票しに来たのかしら?” という自己嫌悪を禁じえない状況になってしまう私です。 それなら、初めから、投票に参加しない方が、まだ正直で良いのかな? 世間一般の皆はどのように考えるんだろう?と思っていました。 白票でも投票した方がいいのだと判り、すっきりしました。 ありがとうございました。
補足
私が、どの候補者を支援すべきか判らず、選挙に参加するのをしぶっていた時、 家族・友人・同僚から、 取り敢えずは、投票会場に足を運び、 白票でもよいから一票入れるべきと、説得されたことがあります。 そして実際、候補者の氏名は書き、政党の名前は空欄にするなど、 故意に無効票を投じた経験もあります。 でも、そうした場合、私は、投票箱に票を投函する際も、会場を後にする際にも、 やはり、後ろめたい気持ちが拭えませんでした。 それなら、もっと気楽に身構えて、 思いつく候補名を、そのまま記せばいいじゃないか。とも思うのですが、 これは、市民の、県民の、国民の未来を担う大切な選挙なんだと考えると、 気軽に妥協案に走るのも、やっぱり、いけない気がしています。
私は投票に行かない派です。 所詮、政治家は金を貪る族であり、どこでも同じだからです。 不祥事は腐るほどのマスメディア見せてくれますし、 投票という都合の良い時だけ国民に良い顔しておいて、 後は税金だの、憲法改正だの、空港設置だの、 やりたい放題でさんざんと負担を増やしてくれてます。 投票なんて時間の無駄って思うクチなので、ハナっから期待はゼロです。
お礼
辛口コメント、ありがとうございました。 お気持ちは解ります。 私の地元の現職知事も、数年前に不祥事を起こしたことがありました。 私が東北地方へ出張した際、そこの地域住民のかたと親しくなり、 出身地を訊かれたので、お答えしたところ、 『あら。あの、知事が大チョンボ起こした所じゃない??』と笑われました。 県民としては非常に情けない、恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。 誰だって間違いは起こすし、時には魔がさすこともあるでしょう。 しかし、県の代表が県の名を汚す行ないをした(疑惑が発生した)ことについて、県民に、ただの一度も謝罪の言葉はなく、 『県民は自分を信じてついてきてくれる』…と、言葉巧みに居直った態度には 心底、あきれてしまいました。 ですが、(自分は支持しませんでしたが)結果的に、自分達が選んだ知事であるのだから、 自分達も愚かなのだと、認めるより仕方ありません。 ※私の、このコメントは、2007年7月時点の物です。
補足
回答者さまは、既に退会されてしまわれたようですね。 このお礼メールが送信されないことを思うと、残念ですが、 お礼の気持ちを込めて、感想を書かせて頂きます。 私の周囲にも、投票に行かない派は、たくさんいます。 中には、有権者となって30年近く経つにも関わらず、投票には絶対行かないと決めている人もいます。 政治的無関心というわけではなく、 例えば、環境に配慮したマイカー規制の推進とか、行政に対する具体的な要望はあるものの、 地元住民の要望を一向に聞き入れない政治家の姿勢を今までずっと見て来ており、投票意欲をすっかり失くしているようです。 >政治家は金を貪る族であり、… 皆が皆、ではないでしょうけれど、自分の身包み剥いでまで、 地域のために尽くす。という政治家は、居ないに等しいでしょうね。
- yosiigawa
- ベストアンサー率9% (44/485)
国から『あなたの年金記録を、今一度、ご確認ください』 と、書面で通達が郵送されてきた時期があり 有りましたよ 行かなかったけどちゃんと貰ってます 義務だけれども 義務とは思っていません 権利です 当然選挙には行って投票してきました
お礼
>義務とは思っていません 権利です ご指摘ありがとうございます。 そうですね。確かに、一般庶民にとって、国政選挙へ参加することは、格別、義務化されてはいませんよね。 あなたの仰る通り、法律的にも、参選は義務ではなく、政治に庶民の意思を反映させられる『当然の権利』という詞が、ふさわしいです。 この質問タイトル…子供の頃よりずっと、両親から “大人になったら、選挙に参加すること。それは、国民にとって、税金を納めるのと同じぐらい、大切な義務なんだよ。” と、聞かされて育った、私の生活環境を示しています。 でも、冷静に考えると、『義務』だと定義しちゃうと、 投票は自分の意志ではなく、第三者に強要された行為。 …って雰囲気を、自ら認めてしまうことになりそうです。 潔く、『当然たる権利の行使』ですね。 年内に、知事選・市長選が予定されています。権利行使しようと思います。 ありがとうございました。
補足
>有りましたよ 行かなかったけどちゃんと貰ってます ご返答ありがとうございます。 世間の報道や、母以外の人間の口からは、その様な通知が届けられた話題を耳にする機会がなく、 母の証言が、果たしてどこまで本当なのか、疑問でした。 事実だと判り、安心いたしました。 母には“通知が来た人、他にも居たみたいだよ~。年金も、きちんと貰えてるようだし。” と、報告してあります。 男性の場合は、女性に比べ、姓を変えたり、職を転々とする機会が(昭和初期~中期は)少ないため、 払込記録の混乱や紛失は、比較的、少ないようですね。 “確認依頼の通知は、年金をかけていた全員に、恐らく届けられたはず。 その時に『お役所のやる事だから、まず間違いはないだろう』と油断し、 確認を怠ったまま、年金を受給する直前になって、マスコミが騒ぎ始めたことで、 初めて、慌てて『我も!我も!』とばかり確認に走り、ようやく異変に気付いた人が多いのでは?” …と、母は主張します。
- kitkat77
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投票 ぴったん のサイトでクリックしてみるとやる気に少しはなりました。 今回は、どこの政党にも入れたくないのが本音です。まだ行っていません。 14時までには決めたいと思います。
お礼
戴いた回答を拝読しながら、高校生の頃、生徒会役員を経験したことを思い出しました。 スカート丈は床上何センチ。前髪は眉にかからないように。鞄は必ず学校指定の物を使用し、リュックは禁止。 (…今、こんな学校あるのかな?) 無意味に校則が厳しい学校で、私が居た生徒会には、その厳格な歴史を塗り変えたい想いがありました。 全校生徒にアンケート用紙を配布し、校則で改善したい要望点を列挙してもらったのですが、 アンケート結果を集計していて、印象的だったのは、用紙の隅に 『ここまでやるなら、必ず実行して見せてくれ』という、生徒からの言葉添えが多かったことです。 ですが、自分たちの手で、学校を変えてみせると意気込んだものの、 校則ひとつ変えることは、自分たちの想像以上に、大変な作業でした。 先生達の理解を得ることは難しく、情熱だけでは太刀打ちできない壁が、 いくつも待っていたように思います。 学校の生徒会と、日本の行政とを、一緒にしてはいけませんが、 公約を実現できないまま、任期を終えてゆく政治家の無念さは、 少し解る気がしました。 政治活動の経験のない私が、生意気にも、政治家を見限ったかの如く台詞を口にするのは、 おそらく百年早いでしょうね。 (ご回答頂いた内容とは、逸れたお話になりました。ごめんなさい。) だけど、私も、今回は、どの政党も支持する気持ちになれませんでした。 候補者よりも、むしろ、現在、問題視されている投票率の低迷に関し、 一票の私見を投じたい気持ちのほうが、強かったです。 他人には打ち明けにくい内緒話を、この場で告白させてしまい、申し訳ございませんでした。 でも、とても、ありがたかったです。
補足
投票ぴったん…初めて聞く名前です。 なるほど。そのようなタイトルのサイトを、確かに見付けました。 ▼ http://www.votematch.jpn.org/ (日本版ボートマッチ『投票ぴったん2007』) 私も、一問一答形式を試してみました。 結果がどう出たかは明かせませんが、楽しかったです。
- mat983
- ベストアンサー率39% (10265/25670)
>期待より、憂鬱先立つ、投票日。 こんな気持ちになったことがないので、正直理解できません。 もちろん功徳があるなどと感じていません。 いつも気軽に行っています。 要は、今後、政治はどうなって欲しいかで投票すれば良いのです。
お礼
人生で初めて『投票』を行なったのは、小学生の時。クラス委員を選出する場面だったと思います。 もちろん、クラスのためとか、立候補者の人望まで考えが及ばない子供の頃の話なので、 ただ単に好き嫌いで投票を決めていた部分が大きかったですが、 正直で純粋な気持ちが込められていました。 社会の時間に、三権分立の仕組みだとか、国政投票について勉強して、 大人になったら、自分も政治に自由な意見が加えられるようになるんだ…と憧れる気持ちが強かったですが、 実際、いざ有権者になってみたところで、 自由意思を活かすことができる機会に恵まれたという歓喜より、 何だか、余計な心労が増えただけのような気がしてなりませんでした。 “要は、今後、政治はどうなって欲しいかで投票すれば良い” ありがとうございました。 自分が、投票用紙を初めて手にした時、親からあなたの言葉と同じ説明を受けたのを思い出します。 今後も、そのつもりで、気持ちを楽にして、投票に出かけます。
補足
日本は、国民主権の民主国家であり、 投票は、自分たちの生活基盤となる政治作りを担うかたへ託す いち国民としての意思表明の機会だというのが、私の考え方です。 政権与党と、その他野党の担う権限の違いから、票数確保に懸命になる人々の気持ちは、解るつもりです。 どなたでも同じだと思いますが、知人や職場から、 『○○党の後援会に入ってくれ』と頼まれることは、年々、増えています。 『たとえ会社の命令でも、私は、支持する気のない政党の支援はできない』 と、私は初めから上司に打ち明けています。 査定に影響が出てもかまわないと思っていますし …といっても、誰も、投票の無理強いはしてきません。 後援会は、入会書類を書かないことで、自分の意思表示は、まだ気楽に行なえますが、 一番困るのは、本音の付き合いを続けたい(と自分は思っている)知人などから、 『○○○は絶対だから、信じて』と度々、お願いされてしまうことです。 知人は、私を大切に想ってくれているからこそ、本気で誘います。 私は、大切な知人の思いを真剣に受け留めるがため、本気で断ります。 しかし、多分に挨拶でしょうが、 投票後には、『投票してくれてありがとう』と、必ず電話が入ります。 お互い、嘘と判りながら、毎回、偽の会話をするのは気分が滅入ります。 私の憂鬱の第一の原因は、そこにあります。 一時期、私の父親は、知人から “うちに入れば、(私が)失業しても、政治家への口利きで、将来は安泰だよ。娘さんに、そう話してみて”と、誘い話を受けました。 田舎者の父は、それを真に受け、私に、上機嫌で話を持ちかけてきました。 私が怒ったため、父は、妄信を改めたようですが、 生活を向上させたい。少しでも幸せな暮らしをしたい。と願う国民の気持ちを逆手にとるかの如く、 そういう偽の情報が、当然の知識として堂々と語られる世の中は、おかしいと思います。
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お礼
ご回答頂いてから、お礼が随分遅くなってしまいましたが、ありがとうございました。 初めは、この質問、『政治』もしくは『社会問題』カテゴリーへの投稿を予定しておりました。 何故、アンケートに切り換えたかというと、 意見募集的な色合いが濃い内容を配慮したためだけではなく、 お恥ずかしながら、政治に関する知識がまだまだ乏しい自分には、 専門カテゴリーへ投稿するのに、ちょっと、恐れ多かったためです。 質問を作成する前から、社会・政治欄はたびたび、閲覧しており、 (質問を書ける程の知識もない私ですが) あなたのご回答にも、度々、お世話になっておりました。感謝しております。 “変わらないからと言って、投票に行かないと政治はますます変わりづらくなります。” …本当に、その通りですよね。 あなたの仰るように、有権者の意識の持ちようが、 政治家の活動意欲に影響を与える世の中になってほしいと願います。 選挙が多数決制度である限り、少数派の意見は、その他大勢として度外視されてしまうという失望感が強いのです。 現実的には、人手が多くかかり、とても実現不可能な要望だと思いますが、 …投票用紙に有権者からのひとくちコメント欄があり、 それがなんらかの形式で公表される機会が設けられれば、 もっと投票し甲斐があるのになぁ…と、ずっと思っていました。 本来、庶民の意見を政治に活かすための機会である選挙なのに、 開票結果にだけ目を奪われる、今のやり方では、 投票活動そのものが、今後の政治活動の動向への貢献とはなりにくく、 とにかく、『結果よければ全てよし』。 …当選結果こそが民意を掌握する。と、勘違いされた儀礼的なものに過ぎなくなるような気がしてなりません。
補足
批判する権利を得るため、投票に行く…。はい。確かに、その通りだと思います。 まず、やるべきことをきちんと成し遂げる。 その上で、出た結果に対し、自分の見解を正々堂々と述べる。 それが、一人前の大人として採るべき手段だと思います。 テレビやラジオのニュース報道では、何かしら重大事件が起こるたびに、 その道の専門家を招き入れ、彼らのご意見を拝聴する光景が多く見られます。 でも、いくら学問知識に強い専門家とはいえ、関連者でもない人間が、 その現場を見聞きしてきたかの如く、事件の当事者に対して、もっともらしい批判を述べ、 また、そうした意見を世間に公表したがるのは、無責任な言動じゃないか?と、 私は、報道番組で、その場面を観るたび、ずっと不愉快に感じてきたものです。 でも…、きちんと住民票が在り、投票券を持った人間が、選挙の際には行方不明者となり、 そのくせ、政治批判に参加したがるのも、同じく、無責任な話ですね。 母親に欲しいものをおねだりし、買って貰えないと駄々をこねる子供の心理と、同程度かも知れません。 申し訳ありませんでした。 今回、私の地元での第21回参議院選挙開票結果は、 無党派層からの支持に、大きく左右された形となりました。