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死刑制度廃止派の方の考えが理解できません
私は死刑制度に賛成している者です。もちろん反対派がいるのは知っていますし、それはそれで結構なのですが。 最近、OKWeb上で、この論争が火を吹いているようなので、ちと覗いてみましたが、賛成派の意見には『うんうん、そうだよ』と思える所があります(そりゃ私自身が賛成派なのだから当然っちゃぁ当然ですが)。 しかし、反対派の方の意見には首を傾げるところが多いので以下の質問をしてみる事にしてみました。 ・何で死刑制度に反対なんですか? 以上 『○○国では廃止されているから』『海外の友達が言ってるから』等、無責任なもの。『理由も無く殺された方もあの世で犯人の更正を願ってるはず』等、都合の良い解釈をもった詭弁的なものではなく、『私はこう思う!こう思うんだ~っ!』というものがいいです。 ∩ ∩ (^仝^)よろしく ※ちなみに、ちゃんとお礼等書くつもりですが時間がかかる場合があります。ご了承下さい。 また過去に同じような質問があるから過去ログ見ろ!ってゆーのもカンベンっす。
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毎回ご回答されて、お疲れさまです。 強い正義感を持った方だと想像します。または、これだけ、熱心に死刑制度を肯定されているところを見ると、身内の方にさぞ、無惨に殺されてしまった方がいらっしゃるとお見受けします。もしそうだとしたら、大変にお気の毒なことと思い、申し訳ございません。また、犯人と思われる人に対する、検察の求刑ないしは、裁判所の判決が不十分に感じられていらっしゃることと想像いたします。 さて、私、司法権に携わる者ですが、ここは職務を離れたところで発言させていただきます(法律上死刑があるので、個人的な主張で死刑を現段階においては認めないということは無いのでご安心ください)。 まず、「絶対に誤判ではないと確信がある場合(現行犯等)に死刑判決がでるのだから、『もし、間違っていたら』を根拠とする反対意見は当たらない」とおっしゃってますが、絶対に誤判ではないと「確信がある」のと、誤判「ではない」のとは違いますよ。「絶対に誤判ではないと確信」してしまうから誤判というものがあるです。 また、現行犯であるとされても、犯人は別のところに存在する可能性はあるのです。死刑相当の犯罪ではないのですが、痴漢という卑劣な犯罪に特に多く見受けられます。現行犯逮捕というのは被害者もしくはその現場に居合わせたものが、被害を受けたその瞬間ないしは直後に犯人と思われる人を取り押さえるというだけのことです。たとえば暗くてよく見えなくても、隣の人の腕をつかんで犯罪行為をしたと言えば、現行犯で逮捕できます。 ですので、「たとえ現行犯であっても冤罪の可能性を視野にいれている事は非現実的である」、ということはありません。また、あってはならないのです。 「捜査方法の発展等含め、死刑判決がでる時は冤罪の可能性は無いとはっきり断言できるからだと思いますけどね」。そう信じていただければ、うれしいのですが実際にはそうはいきそうにありません。と言うのは、犯罪の関係者(加害者、被害者、捜査官、マスコミ、国民)が増えてくれば増えてくるほど、それぞれの利害が絡んでくる可能性が高いので、何が真実かということを見極めるのに大変に困難になるからです。たとえば、加害者であれば自分の自由を確保するためにうその供述をするかもしれませんし、被害者のほうはとにかく早く加害者の刑の確定を求めるためやはり信憑性の低い証言をしてしまうかもしれません。マスコミはスクープのために犯人とおぼしき人物をねつ造する可能性もありますし、国民は興味本位で事件の本質を見ないままに世論を形成してしまう可能があります。このように、何が真実かを見極めるのは、非常に困難であり、科学的な方法で検証された証拠と言われるものでさえも、そうした声によって調べているうちに重要に見えたり、または軽く見えてしまったりもします。 また今度は、完全に予防するとなると、監視体制を常に強いておく必要ができてしまいますので、プライバシーをはじめとする人権を「善良」な市民から奪ってしまうことになってしまいます。 それに、くどいようですが、「死刑判決がでる時は冤罪の可能性は無いとはっきり断言できるからだ」だから冤罪というのです。誰も冤罪にしようとしているのではないのです。 冤罪をなくすことができれば、それに越したことはありません。ですが、人が有史以前から犯罪を犯してしまうのと同様に、やはり間違いは犯してしまうものです。ちょっとした誤解・間違い(たとえば言葉の意味を間違えたり、機械の操作を間違えたり)は、さらに大きな誤解に発展します。こうしたことの積み重ねが、憎むべき冤罪というものを作り出してしまいます。 冤罪は、刑の軽重に関係なく、1.無実の人の人生を奪ってしまう、2.真犯人を取り逃がしてしまう、という二つの大きな罪を作り出してしまいます。もちろん死刑以外の刑であってもこれは変わりませんが、死刑で命を奪ってしまっては、ほんとうに真相の究明の機会を失ってしまうのです。これでは、社会の真の安定は図れないと個人的に思っております。 我々が享受している自由というのは実にあやういものです。それは命の上に成り立っているものです。そのためにも、誰の身にも起こってしまう可能性がある誤認逮捕からの冤罪による死刑をなくさなくてはいけないのではと思います。それには、結局、死刑制度そのものを廃止する必要があると感じています。 くどいようですが、冤罪というものが発生するのは、そのときは冤罪だと思わないからです。 本屋さん行けば、冤罪について書かれた本がたくさんでていますので、是非、読んで冤罪とは何かについて考えてみてください。また、同時に我々の自由とはどういうものかについても考えてみてください。 偉そうなことを書いてしまいましたが、冤罪に対して誤解があったようなので書き込ませていただきました。 あえて言うことではないのですが、もちろん、冤罪をなくすために日々努力はしておりますし、市民生活を脅かすことの無いように心がけて職務には従事しております。 ちなみに、私も学生の頃は死刑制度に対して賛成でした。 追伸 人生において一度も、誤解を受けたことは無いのですか。親、兄弟、先生、恋人から無実の罪で追求されたことありませんか。多くの犯罪の捜査とはこんなところから始まったりするものです。それに、死刑とは何もセンセーショナルな事件にのみ適用されるわけではありません。
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- HINOMIYA
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わたくしは、反対ですね。 ひとつには、何度か書かれていますが、死刑執行人の問題です。 あえてくどくどしく書くつもりはありませんが、死刑という制度を存続させるために、刑務官に加わる重圧は、やはり大きすぎないでしょうか? すくなくとも、わたくしが刑務官だったら、「なんでオレがボタンを押すんだよ! 裁判長でも検察官でも法務大臣でも、決定した連中がここに来て、このボタンを押して、こいつを殺せばいいだろ! 他人に押しつけるな!」と思うでしょうね。 どうですか、みなさんなら「仕事だからな、社会のためだし」と、納得して押せますか? わたしなら嫌ですね。 もちろん、好き嫌いの話であって、論理的にどうとかの問題ではないです。 自分が嫌なことを、他人に押しつけたくないだけの話で。 呉智英さんがおっしゃるように、被害者の遺族による仇討ちが、実は妥当なのではと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 『死刑執行人の問題』ですか。確かに現場の方が実際に執行するわけですし、『この指で、この自分の指で』ボタンを押すというのは決して気分のいいものではないですよね。
- esnobismo
- ベストアンサー率13% (6/44)
以前回答したものですが、もう少しはっきりとした考えが浮かんできたのでもう一度回答させて下さい。 「もしあなたが~」「私が~」の話では一般性を欠くので、議論の上ではあまり有効ではないかと。 国がなんらかの権利を行使する時、国が個人の集合体である限り、個人の持つ権利を超えてしまう事に違和感を感じるのです。明らかな犯行と、細かな状況を設定したところで、冤罪は起こり得るのです。個人はだめだけど、集団なら人を殺せる、というのは明らかな矛盾であるとは思いませんか。正当防衛ならまだしも、すでに拘束してその人間の暴力を奪っているのですよ。 そもそも、復讐という社会にとって非生産的な行動を抑制する為に、法があり罰があるのではないでしょうか。遺族の復讐の念を、「犯罪者の死」というかたち以外の方法で晴らす事ができるのか?難しい問題だとは思いますが、模索していく努力は、まだ充分になされていないと思います。更正など望めなくとも、刑務所のなかで生涯、生産的な活動をさせる事は、不可能ではないわけですし。 蛇足ですが、「もしあなたが~」の話では普遍性を欠くので、議論の上ではあまり有効ではないかと。
お礼
再びの回答ありがとうございます。 客観的なご意見ありがとうございます。 確かにesnobismoさんの回答にあるような考えが一般的になっていくと死刑制度そのものを見直そうとする動きが活発になっていくかと思います。 反対派の考え方としてわかりやすく参考になりました。
- captain-sunshine
- ベストアンサー率6% (1/16)
条件付きで賛成です。 (1)現行犯逮捕など、当人の犯行であることが 動かせないこと。 (2)被害者側に全く落ち度がないこと(通り魔、 愉快犯等)。 (3)被害者側の遺族が、復讐を望んでいること。 反対派の方々、どうか考えてみて下さい。 貴方の愛しい幼い娘が、学校の帰りに誘拐され、 犯人の手によってむごたらしい拷問を何日、何ヶ月 にも亘って受け、挙句に殺される。 貴方にとってかけがえのなかった、無垢の少女は 長い長い時間の苦痛と恐怖に蝕まれ、それでも 最後まで貴方が助けにきてくれるのを信じて そして無為に死んでいきます。 警察は、現行犯でその犯人を自宅にて逮捕しました。 さあ、こんな場合です。 貴方は、愛する娘の仇を討たずにいれらますか? 犯人は、勿論単に面白いから、そうしたいから、 この犯行を行ないました。 それでも犯人を許し、彼の更正を願うならば、それは それで結構なことだと思います。 然し、そうでない人のほうが多いのではないでしょうか。 法は復讐のためにあるわけではない、とはいうものの こんなケースで、個人に代わって復讐できないならば 何が『法』でしょうか。 上記のような場合は、死刑は賛成です。 誤審が恐ろしいというのであれば、こう答えましょう。 「それが発生しないように厳重に審議するのです」と。 死刑にせず、犯人が社会に簡単に復帰してきて、また 同じ犯罪を犯した場合、反対派の方々はどうしますか? 「それが発生しないように厳重に見張るのだ」と 答えるかもしれませんね。 それが理想論なのは誰でも判ることです。 そして勿論、「厳重な審議」も理想論です。 理想論と理想論。この点に関しては痛み分けですね。 それならば、遺族の意思を最優先すべきだと思うのです。 遺族が許す、というのなら、許せばよろしいと思います。 ちなみに、私だったら、自分の手で殺すことを要求する でしょう。認められないでしょうけど。 又、現行の無期懲役という形には、大反対です。 実際には、早くて十数年で出所します。 決して『無期』などではありません。 本当の終身刑が将来制定されるのであれば、死刑を 廃止しても良いかもしれません。 (それでも上記のような悲惨な事件の場合は、私は 死刑を切に望みますが)
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、私も冤罪の可能性がなく、被害者に何の落度もない場合厳しい司法判断を望みますね。 captain-sunshineさんの書かれた上記のような事は現実の事件として似たようなのが起きてますよね。 自分が起こした行為に責任をとらせる。『死刑だけが責任の取らせ方ではない』と言う方がいます。それはそれで賛成です。しかし、『死刑も責任を取らせる方法の一つ』だと思うのですが。
No12で回答したものです。 質問です。 ・死刑制度を存続させるために、仮に、賛成者の方が冤罪で死刑判決を受けても文句を言わないんですね? ・冤罪が理由で反対されている死刑制度を存続させるために、冤罪防止用監視カメラを背負って歩いたり、1分おきに職質されてもいいんですね? ・やってもいない犯罪を犯したとして、マスコミ、世間の声によって告発されて、司法試験に合格したというだけの元ガリベンの裁判官の下した死刑判決には従うんですね? おれはイヤだね。そんなに、人間なんて信じられないね。大学の時の「優秀」な同窓生たちが、いっぱい司法関係に進んだけど、おれは完璧には信用しないね。 汚職議員や、腐敗した警察機構や、未成年者を買った判事や、捜査情報を漏らしたというニュースがこれだけ出るんだから、なおさら信用しないね。おれの自由はそんなに安くない。 要するに、下で書いたことを簡単に言うとこういうことです。 別に、凶悪犯罪の犯罪者の人権なんてものを守ってやろうとは、思わないし、むしろ死刑なんて、生ぬるいと思うけどさ。
お礼
再びの回答ありがとうございます。 あれ、、、本当に♯12で回答された方ですか(同じ方でしょうが)?ずいぶん文体が変わってしまったような、、、。 質問:死刑制度を存続させるために、仮に、賛成者の方が冤罪で死刑判決を受けても文句を言わないんですね? 私の答え:いいます。 質問:冤罪が理由で反対されている死刑制度を存続させるために、冤罪防止用監視カメラを背負って歩いたり、1分おきに職質されてもいいんですね? 私の答え:いやです。 質問:やってもいない犯罪を犯したとして、マスコミ、世間の声によって告発されて、司法試験に合格したというだけの元ガリベンの裁判官の下した死刑判決には従うんですね? 私の答え:いやです。 質問に答えるとこうなりますね。 冤罪の可能性を無視して死刑制度に賛成しているのに何だその答えは?言っている事と答えが矛盾してるじゃないか!どうなんだこの野郎! との声が聞こえてきそうですが、死刑制度に賛成、反対の立場を問わず同じ答えになると思います。 回答を締め切ってしまっている以上、この回答に対する反論ができない状態になってますので、長々と書くのはやめます。 ただ、途中で締め切ったのは単に『お礼が回答に間に合わなかった』からであり、決して『回答できない状態にしてから、好き勝ってな反論をする』というセコイことをするためではありませんので誤解のないようにお願いします。
- naqik
- ベストアンサー率22% (17/76)
とても極端な私見ですが、述べて見ます。 死刑反対派と言っていいのかわかりませんが・・・現代における死刑制度にはふに落ちないところがあります。 (加害者、被害者の感情などはあえて無視させていただきます。) 死刑は国家的私刑に他ならないと思っているからです。 個々による私刑が禁止されていて、国家による私刑は受け入れられる、というのが納得いきません。 古代からの歴史に於いて、一貫してこれは正しいと常に受け入れられてきたものは、理論上に於いてはあっても、現実的なものとしてはないと思います。 現代の国家が正しいとは決して誰にも言えないはずです。 その国家が堂々と私刑を決行してしまってよいのでしょうか・・・? どうしても死刑を実行する・・・それならば、個人による私刑も認めて欲しいですね。 暴論ですみません。
お礼
回答ありがとうございます。 死刑とは公の『恨み(この場合、“不利益”か)』、私刑とは個人の『恨み』が根本にあると思うので『国家的私刑』なるものは存在しないと個人的には思います。 『死刑は国家的私刑に他ならないと思っているからです』 ただ、こうゆう考えもあるでしょうね。
- h13124
- ベストアンサー率29% (172/591)
お礼のメール拝見しました。 確かに人間のやることに間違いは絶対ないことはないと考えると死刑反対になると思います。 有罪の心証は、合理的な疑いを超える確信が必要です。団藤先生の書かれたことは、有罪の心証はあるが、果たして死刑を宣告できるか、本当にこれでよいのかということだと思います。 団藤先生は、最高裁判事もされていました。最高裁だと事実調べは、しないんですよ。ですから、この段階では、何とも苦しい立場に立たされるみたいです。 なお、団藤先生は、長年東京大学で刑法を担当され、日本の学説の主流を長く形成された方です。いまも、実務は、団藤先生の考え方を身につけた人が主力として検察庁などで活躍されています。最高裁に入られたときには、期待する向きも多かったのです。退官後に死刑廃止論で活躍されているようです。 これは、別に団藤先生の権威付けをするためではなく、このような経歴の先生の意見だから、社会的に影響も強いと思ったから、付け加えたまでです。 3番で書いておられるharisenbonさんのえん罪の危険と同じことでしょう。
お礼
再びの回答ありがとうございます。 名前は忘れていたのですが、元最高裁判事で死刑反対の立場をとられる方の新聞記事を読んだ事があります。 h13124さんの回答を拝見しその記事の方は団藤先生の事だろうと推測いたします。 『有罪の心証はあるが、果たして死刑を宣告できるか、本当にこれでよいのか』 実際に己の責任において判決を下す立場と無責任な立場 から意見を言う(私みたいに)のとは、その重圧(言葉、判断責任等)においてまったく異なる世界なのかもしれませんね。
- musikayo
- ベストアンサー率40% (170/416)
私は死刑制度反対派です 理由は、死刑になるほどの罪を犯した人が、一瞬で死ねるんですよ、しかも自分で死ぬんじゃなくて、人の手に死刑執行のボタンがゆだねられてるんです 「死ぬ」ってことは、現世における罪からの解放になります。死ぬことにより自由になるんです。 死刑が執行されたから、加害者が死んだ。これにより殺されるという心配(懲役何年かなら出てきますから、逆恨みで殺されてしまうかもしれないですね)は無くなったけど、死んだ人は戻らない(被害者側の)。殺されたことに対する恨みは対象がなくなってしまいます。 だから、死刑という魂の解放は与えずに、終身刑とかアメリカのように懲役100年とか死ぬこともできない、牢屋からも出れないというもので死ぬまで自分の罪を償うべきです 別に人間が殺人によって殺されるのが反対というわけではありません
お礼
回答ありがとうございます。 他の方も同じような意見でした(見ればわかるか、、、)。 いわゆる『生き地獄』ってやつですね(言葉は悪いですが)。 そうゆう考えもありますね。
反対派の意見を求められていらっしゃるので、 私には、書く資格が無いのですが・・ 私は大賛成です!! 殺される時の苦痛よりもその無念さの思いは地球の重さ大きさの比では無いと思うからです。 でも、3択の場合 1.さんせい ← 不人情 非情 2.反対 ← 人道主義者 心ある人 3.どちらとも言えない ← 優柔不断 (賛成とも反対) ともどちら共とれる ---------------------- で、此処の回答者以外のギャラリーの目も気にしながら 1.2.3.を選ぶとしたら2.かな~
お礼
回答ありがとうございます。 確かに、3択でのイメージではそうなりますよね、、、。 とすると私は血も涙もない冷徹人か、、、? ああ、、、こんな非情な人間になってしまいました。(涙)
- BRANDX
- ベストアンサー率32% (16/50)
死刑制度を必要としない社会が構築できること。私の文書が、あくまでもこれを理想とした物である事を前提に読んでいただきたい。 池田小学校の事件については、皆さん記憶に新しいと思います。おそらく、現在拘留(法律用語的には間違った使い方かもしれませんが・・)されている容疑者の男が真犯人である、というのが大方の意見でしょう。この事件について、新たな犯人が浮上したりすることは無いと思います。 この、人間とは思えないような短絡的かつ自己中心的な男の為に失われた多くの幼い命は何をもって贖えばよいのでしょうか?。 私の三歳になる娘は、お化けや怪物の存在を信じていて、夜、寝付くときに泣くことがあります。そんな時、「お化けも怪物もいないんだよ。もし、そんな物が出てきても、お父さんが必ず助けてあげるから。」 そう言って寝かしつけると、安心したように眠ります。 池田小学校の犠牲者のご家庭も、事件の前はきっとこんなふうだったと思います。しかし、実際に化け物のような男が学校に乱入し、逃げ惑う子供たちを手にかけているとき、それをしてあげることはできなかった。この無念を刑法の罰として犯人に課すとすれば、どれ程になるのでしょうか?。 逃げ惑う子供たちが感じた恐怖や痛みや絶望は、懲役にして何日分を犯人に課すれば妥当なのでしょうか?。 一概に死刑に相当する犯罪行為といっても、それは範囲が広すぎます。殺しても(死刑)余りある犯罪があっても、最高刑が死刑である以上仕方が無いのではないでしょうか。 しかし、このような事件(池田小学校の事件)報道に接し、私が思ったことは、法律が、個人の復讐を禁止している限り、少なくとも遺族の方々が納得(何をしても無理なのは分かりますが)できるだけの厳しい沙汰を言い渡すのは司法の義務であろうということです。 この事件の犯人に死刑を適用することが残虐で非人道的だと思う方、少なくとも小さなお子さんをお持ちの人たちの中には、ほとんどいないと思います。なぜなら、この犯人が何かの理由で短期間に娑婆に出てきたら、次に死ぬほどの無念を噛締めて、幼子の慰霊の前で涙するのが自分になるかもしれないからです。そして、その事を考えたとき、実際に犠牲になられたご家族の心中が、及ばずながら察せられるからです。
お礼
回答ありがとうございます。 死刑制度がなくなる事は必要な事と思います。しかし、それは人々が死刑をもって処罰すべきと判断する事件が起こらない事が必要だと思います。 『死刑制度を必要としない社会が構築できること』本当にそうなって欲しいですね。 池田小学校の事件は本当に許せない事件だったですね。まだ幼い子供を失った方々の心中を思うと言葉がありません。何より被害者となった子供達は一体何の為に生まれてきたのでしょうか? その命と引き替えに、歪んだ精神を持った被告を刑務所の中で更正させる為? 罪のない人々の命を軽く扱う犯罪者の命は、一体どれ程重いのでしょうか? 『…できるだけの厳しい沙汰を言い渡すのは司法の義務であろうということです』 同感です。
- sakeko_ya
- ベストアンサー率40% (16/40)
こんにちは、私は死刑絶対賛成派です。 確実にその人がやった。と分かっているのであれば。ですが 無期懲役とか、だらだら生きていられると遺族の苦しみ・悲しみ は何十年にも渡って続きます。 被害者の遺族に、死刑の方法は選ばせるとして、この制度は無くさないで 欲しいです。 または、加害者の親族が賛成であれば執行するとか、そういう制度には 出来ないものでしょうかね。 ちゃんと回答になってないかもしれません、すみません。
お礼
回答ありがとうございます。 私もその人がやったとわかっている事を前提として賛成です。 廃止してしまったら、どんなに悲惨で許し難い事件が起きても死刑判決は出せなくなるわけですから。 やたらめったら『死刑!死刑!』と騒ぐわけではありませんが、その選択肢は残しておいてもらいたいと思うわけです。
お礼
回答ありがとうございます。 まず、最初の五行は嫌味でしょうか?違うなら申しわけありません、私の勘違いです。幸い身内に殺された者はいません。御心配ありがとうございます。 それでしたら以下の文章は飛ばしていただいて結構です。嫌味のつもりでしたら読んで下さい。 以下 最初に誤解があるようなので書いておきます。 私は強い正義感を持った人間でも、熱心に死刑制度を肯定しているわけでもありません。 私も質問に対し何度か回答していますが、中には何も返事を書かない方もいます。そういうのを見ると『何だ、コイツの質問には回答しなければよかった』と思ってしまう偏狭者です。『何でもいいから一言位書けよ』と思うわけです。 この質問に回答をくださった方々が私のように感じるかはわかりませんが、何らかの返事をするのは礼儀ではないでしょうか。 そして質問の性質上『死刑賛成派』である私と『死刑反対派』である回答者。というのが最も多い形でした。 私は回答者一人一人の内容に応じた私なりに真面目に考えた返事をしたまでであって、特別の熱意と決心を持って日々死刑制度存続の為に努力しているわけではありませんし、あなたから嫌味や皮肉を書かれる筋合いはありません。 司法という人間の考え、行動等に密着した業務に携わっている『専門家』であるあなたが、その位の事が判断できない程の洞察力では、さぞかし日々の業務に多大な支障をきたしているものと御心配申しあげます。 職務上、多くの資料を読んだり多くの人と会いインタビューをされている事と想像します。一体何がそこにはあるのかを間違えない様、普段から本を読まれる事をお勧めします。『素人』である私が『専門家』であるあなたに、こんな事を書くのはさしでがましいとは思いますが『人生日々是勉強』と申しますし。 無意味な嫌味は以上で終わりです。 『冤罪』についてわかりやすく回答頂きありがとうございます。 私も誤解を受けた事もありますし、誤解した事もあります(今回の嫌味も誤解?)。 死刑賛成派=冤罪甘受派 ではありません。冤罪とは何か?zabelさんの回答を読めば、『まぁ、そう言われりゃ、誰も冤罪を意図的につくっているわけじゃないわなぁ』と思います。 『死刑とは何もセンセーショナルな事件にのみ適用されるわけではありません』 承知してます。しかし廃止になるとその『センセーショナルな事件』にも適用されなくなるんですよね。 zabelさんの回答とは直接関係ありませんが、、、。 オ○ム真理教の各事件、山口県の母子殺害、埼玉東京幼女連続誘拐殺人等々(まだどのような処分になるか確定していませんが)。 山口県の母子殺害の遺族が記者会見までして犯人への死刑判決を望みました。その時流した涙はどんな涙だったのでしょうか? あれは『人を殺せ!』と叫ぶ殺人者の涙?『敵を戦滅しろ!』と指令を下す司令官の涙?それとも人間として当然の涙? ああいうニュースを見ると、死刑制度廃止には抵抗がありますね。そしてその気持ちは非人間的なものなのか、悩むところです。
補足
-この場を借りて- たくさんの方に回答をいただきましてありがとうございます。 毎日セコセコと返答してますが、このへんで締め切りたいと思います。締め切った後もお礼欄の記入は可能だったはずなので、返事はちゃんとする予定です。 私の返事を見て、『そうじゃねぇんだよ!』と思う方もいらっしゃるとは思いますが、それは胸の中にしまっておいて下さい。 『死刑』という重いテーマにおつきあいくださりありがとうございました。勉強になりました。