• ベストアンサー

死刑制度廃止派の方の考えが理解できません

私は死刑制度に賛成している者です。もちろん反対派がいるのは知っていますし、それはそれで結構なのですが。 最近、OKWeb上で、この論争が火を吹いているようなので、ちと覗いてみましたが、賛成派の意見には『うんうん、そうだよ』と思える所があります(そりゃ私自身が賛成派なのだから当然っちゃぁ当然ですが)。 しかし、反対派の方の意見には首を傾げるところが多いので以下の質問をしてみる事にしてみました。 ・何で死刑制度に反対なんですか?                    以上 『○○国では廃止されているから』『海外の友達が言ってるから』等、無責任なもの。『理由も無く殺された方もあの世で犯人の更正を願ってるはず』等、都合の良い解釈をもった詭弁的なものではなく、『私はこう思う!こう思うんだ~っ!』というものがいいです。      ∩ ∩     (^仝^)よろしく ※ちなみに、ちゃんとお礼等書くつもりですが時間がかかる場合があります。ご了承下さい。  また過去に同じような質問があるから過去ログ見ろ!ってゆーのもカンベンっす。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • zabel
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.23

毎回ご回答されて、お疲れさまです。 強い正義感を持った方だと想像します。または、これだけ、熱心に死刑制度を肯定されているところを見ると、身内の方にさぞ、無惨に殺されてしまった方がいらっしゃるとお見受けします。もしそうだとしたら、大変にお気の毒なことと思い、申し訳ございません。また、犯人と思われる人に対する、検察の求刑ないしは、裁判所の判決が不十分に感じられていらっしゃることと想像いたします。 さて、私、司法権に携わる者ですが、ここは職務を離れたところで発言させていただきます(法律上死刑があるので、個人的な主張で死刑を現段階においては認めないということは無いのでご安心ください)。 まず、「絶対に誤判ではないと確信がある場合(現行犯等)に死刑判決がでるのだから、『もし、間違っていたら』を根拠とする反対意見は当たらない」とおっしゃってますが、絶対に誤判ではないと「確信がある」のと、誤判「ではない」のとは違いますよ。「絶対に誤判ではないと確信」してしまうから誤判というものがあるです。 また、現行犯であるとされても、犯人は別のところに存在する可能性はあるのです。死刑相当の犯罪ではないのですが、痴漢という卑劣な犯罪に特に多く見受けられます。現行犯逮捕というのは被害者もしくはその現場に居合わせたものが、被害を受けたその瞬間ないしは直後に犯人と思われる人を取り押さえるというだけのことです。たとえば暗くてよく見えなくても、隣の人の腕をつかんで犯罪行為をしたと言えば、現行犯で逮捕できます。 ですので、「たとえ現行犯であっても冤罪の可能性を視野にいれている事は非現実的である」、ということはありません。また、あってはならないのです。 「捜査方法の発展等含め、死刑判決がでる時は冤罪の可能性は無いとはっきり断言できるからだと思いますけどね」。そう信じていただければ、うれしいのですが実際にはそうはいきそうにありません。と言うのは、犯罪の関係者(加害者、被害者、捜査官、マスコミ、国民)が増えてくれば増えてくるほど、それぞれの利害が絡んでくる可能性が高いので、何が真実かということを見極めるのに大変に困難になるからです。たとえば、加害者であれば自分の自由を確保するためにうその供述をするかもしれませんし、被害者のほうはとにかく早く加害者の刑の確定を求めるためやはり信憑性の低い証言をしてしまうかもしれません。マスコミはスクープのために犯人とおぼしき人物をねつ造する可能性もありますし、国民は興味本位で事件の本質を見ないままに世論を形成してしまう可能があります。このように、何が真実かを見極めるのは、非常に困難であり、科学的な方法で検証された証拠と言われるものでさえも、そうした声によって調べているうちに重要に見えたり、または軽く見えてしまったりもします。 また今度は、完全に予防するとなると、監視体制を常に強いておく必要ができてしまいますので、プライバシーをはじめとする人権を「善良」な市民から奪ってしまうことになってしまいます。 それに、くどいようですが、「死刑判決がでる時は冤罪の可能性は無いとはっきり断言できるからだ」だから冤罪というのです。誰も冤罪にしようとしているのではないのです。 冤罪をなくすことができれば、それに越したことはありません。ですが、人が有史以前から犯罪を犯してしまうのと同様に、やはり間違いは犯してしまうものです。ちょっとした誤解・間違い(たとえば言葉の意味を間違えたり、機械の操作を間違えたり)は、さらに大きな誤解に発展します。こうしたことの積み重ねが、憎むべき冤罪というものを作り出してしまいます。 冤罪は、刑の軽重に関係なく、1.無実の人の人生を奪ってしまう、2.真犯人を取り逃がしてしまう、という二つの大きな罪を作り出してしまいます。もちろん死刑以外の刑であってもこれは変わりませんが、死刑で命を奪ってしまっては、ほんとうに真相の究明の機会を失ってしまうのです。これでは、社会の真の安定は図れないと個人的に思っております。 我々が享受している自由というのは実にあやういものです。それは命の上に成り立っているものです。そのためにも、誰の身にも起こってしまう可能性がある誤認逮捕からの冤罪による死刑をなくさなくてはいけないのではと思います。それには、結局、死刑制度そのものを廃止する必要があると感じています。 くどいようですが、冤罪というものが発生するのは、そのときは冤罪だと思わないからです。 本屋さん行けば、冤罪について書かれた本がたくさんでていますので、是非、読んで冤罪とは何かについて考えてみてください。また、同時に我々の自由とはどういうものかについても考えてみてください。 偉そうなことを書いてしまいましたが、冤罪に対して誤解があったようなので書き込ませていただきました。 あえて言うことではないのですが、もちろん、冤罪をなくすために日々努力はしておりますし、市民生活を脅かすことの無いように心がけて職務には従事しております。 ちなみに、私も学生の頃は死刑制度に対して賛成でした。 追伸 人生において一度も、誤解を受けたことは無いのですか。親、兄弟、先生、恋人から無実の罪で追求されたことありませんか。多くの犯罪の捜査とはこんなところから始まったりするものです。それに、死刑とは何もセンセーショナルな事件にのみ適用されるわけではありません。

nii2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 まず、最初の五行は嫌味でしょうか?違うなら申しわけありません、私の勘違いです。幸い身内に殺された者はいません。御心配ありがとうございます。 それでしたら以下の文章は飛ばしていただいて結構です。嫌味のつもりでしたら読んで下さい。       以下 最初に誤解があるようなので書いておきます。 私は強い正義感を持った人間でも、熱心に死刑制度を肯定しているわけでもありません。 私も質問に対し何度か回答していますが、中には何も返事を書かない方もいます。そういうのを見ると『何だ、コイツの質問には回答しなければよかった』と思ってしまう偏狭者です。『何でもいいから一言位書けよ』と思うわけです。 この質問に回答をくださった方々が私のように感じるかはわかりませんが、何らかの返事をするのは礼儀ではないでしょうか。 そして質問の性質上『死刑賛成派』である私と『死刑反対派』である回答者。というのが最も多い形でした。 私は回答者一人一人の内容に応じた私なりに真面目に考えた返事をしたまでであって、特別の熱意と決心を持って日々死刑制度存続の為に努力しているわけではありませんし、あなたから嫌味や皮肉を書かれる筋合いはありません。 司法という人間の考え、行動等に密着した業務に携わっている『専門家』であるあなたが、その位の事が判断できない程の洞察力では、さぞかし日々の業務に多大な支障をきたしているものと御心配申しあげます。 職務上、多くの資料を読んだり多くの人と会いインタビューをされている事と想像します。一体何がそこにはあるのかを間違えない様、普段から本を読まれる事をお勧めします。『素人』である私が『専門家』であるあなたに、こんな事を書くのはさしでがましいとは思いますが『人生日々是勉強』と申しますし。 無意味な嫌味は以上で終わりです。 『冤罪』についてわかりやすく回答頂きありがとうございます。 私も誤解を受けた事もありますし、誤解した事もあります(今回の嫌味も誤解?)。 死刑賛成派=冤罪甘受派 ではありません。冤罪とは何か?zabelさんの回答を読めば、『まぁ、そう言われりゃ、誰も冤罪を意図的につくっているわけじゃないわなぁ』と思います。 『死刑とは何もセンセーショナルな事件にのみ適用されるわけではありません』 承知してます。しかし廃止になるとその『センセーショナルな事件』にも適用されなくなるんですよね。 zabelさんの回答とは直接関係ありませんが、、、。 オ○ム真理教の各事件、山口県の母子殺害、埼玉東京幼女連続誘拐殺人等々(まだどのような処分になるか確定していませんが)。 山口県の母子殺害の遺族が記者会見までして犯人への死刑判決を望みました。その時流した涙はどんな涙だったのでしょうか? あれは『人を殺せ!』と叫ぶ殺人者の涙?『敵を戦滅しろ!』と指令を下す司令官の涙?それとも人間として当然の涙? ああいうニュースを見ると、死刑制度廃止には抵抗がありますね。そしてその気持ちは非人間的なものなのか、悩むところです。

nii2002
質問者

補足

-この場を借りて- たくさんの方に回答をいただきましてありがとうございます。 毎日セコセコと返答してますが、このへんで締め切りたいと思います。締め切った後もお礼欄の記入は可能だったはずなので、返事はちゃんとする予定です。 私の返事を見て、『そうじゃねぇんだよ!』と思う方もいらっしゃるとは思いますが、それは胸の中にしまっておいて下さい。 『死刑』という重いテーマにおつきあいくださりありがとうございました。勉強になりました。

その他の回答 (22)

noname#4242
noname#4242
回答No.12

長くなってしまった・・・。でも、気力・体力があれば読んでみてください。 以前に書いたことと重複してしまいます。 死刑囚がかわいそう、執行人がかわいそうという、感情的なところでは、やはり死刑反対という訳にはいきません。でも死刑には原則的に反対です。裁判というものが人間の手で行われて、冤罪がなくなることがないということであれば、死刑は刑として実に危険きわまりないものだといえます。 また、一部の人の主張する、税金の投入に問題があるという意見もありますが、確かに、受刑者の生命を維持するために使われるのは税金ですが、死刑にするために使われる税金と、一生生かしておくために使われる税金と大差ないんですよ。死刑判決を出すまでにかかる、裁判やらなにやらの手続きというのが、これが意外とかかるのです。それに、求刑が死刑の場合、だいたい、裁判の期間が長くなり、拘留が長くなってしまいます。拘留中というのは、懲役と違って、労役がないので生産はゼロです。懲役による生産というのがどの程度の生産性があるかということは、ともかくとして、拘留中はたとえ有罪が有力であっても拘留にかかる費用というのは税金です。ですから、意外と死刑判決を下すのにも大量の税金が必要となるのです。 さらに、死刑制度があるから、とか、刑罰が厳しいというのはさして犯罪の抑止力になるものではないのです。たとえば、アメリカなどは州によって死刑があったりなかったりしていますが、死刑制度を残している州が廃止した州よりもずっと治安がいいということはないのです。また、世界には軍事政権下のとても厳しい法律制度を布いてる国々もありますがそういう国で犯罪がないと言うこともありません。過去の歴史において、時の為政者によって都合よく法運営されているときですら、犯罪はなくなったということはありません。つまり、極刑とは期待されているほど抑止力にはなっていないのです(それほど、人間というのは愚かな者なのかもしれません)。 また、死刑というのを、国家が犯罪の被害者に代わって仇討ちをするという風に考えられている人も多いようですが、これは実に危険な発想です。 江戸時代、仇討ちが認められていましたが、仇討ちをするためには申請しなければなりません。そして、仇討ちを果たすまでは脱藩し、藩からの禄をはめなくなるのです。つまり、仇討ちという殺人罪を犯すことには目をつぶっておいてやるが、そのかわり、おまえも人権(江戸時代のレベルですが)はないんだよ。ということなんです。仇討ちに関しては、感情的には認められるけど、社会のシステムとしては認められないよ、という風に解釈されていたそうです。 ところで、殺人というのは、重たい犯罪のなかで、一番誰もが、起こしてしまう可能性がある犯罪だって、知ってますか? だから、思ったよりもすっと、刑が軽く済んでしまったりもするんです。 ということで、とにかく、捜査、裁判、法律の運用などと言ったことがミスを犯す人間によって行われている以上、死刑というのは危険すぎる、刑だと思います。 もしも、本気で、冤罪というものをなくそうとするとなれば、常に監視機関に四六時中、監視させるという手もありますが、これでは自由がありません。やはり、この場合、より大事なのは、死刑を完璧に間違いなく執行するというよりも、日常生活の自由のほうが大事なのではと思います。上にも書いてあるとおり、為政者がどのような政策を持って、国を統治する(民主主義の世になっても、治安に対する政策はいくらでも変わります)か、常に不明である以上、いつ、何時、我々のほうに適用されてしまうかを考えると、ある程度の安全を考慮に入れておく必要があるのではないでしょうか? そもそも、法律というのは、あまり細分化したり、厳密にしたり、厳しくしすぎるというのは、人が日常生活を送る上で不便この上ないものです。ということで、弾力性を持たせるということが、重要なことだと思います。そういった意味では、死刑制度を存続させるというのは、生命を奪う訳ですから危険ではないかと思います。 ただ、死刑制度ということに関しては、否定的なのですが、死刑制度が現行法上存在している以上、妥当と思われ、死刑に値すると判断できるのであれば、死刑は適用、執行するべきだと思います。これが法律というものなのですから。勝手に法律の運営を司法が変えてしまってもいいと言うことは決して許されるものではないのです。 確かにある部分においては、犯罪の被害者の感情に対する何らかのケアは必要かもしれません。その方法がかならすしも、死刑である必要なないし、考えられるだけの重たい刑ということでもないと思います。 逆に質問です。死刑制度を強力存続させておくだけの理由が、よく挙げられている、抑止力としての機能と被害者感情の救済以外にあるのですか? これでは、死刑制度は残酷、かわいそうという主張している、廃止論者と何ら変わるところはないと思いますが(失礼ですが、ここで答えられていることも感情論の域をでていないと思います)。制度上の問題として、どれほどの妥当性があるのか、未だ納得のいく考えを聞いたことがありません。法律を細分化、厳密にして不自由なことになることのほうが価値があるのでしょうか? 個人的にはないと思いますね。結局、何を重要視するかの問題だと思います(死刑制度に限りません)。 凶悪な犯罪者を外に出さないということを念頭に置けば、終身刑(とまではいかなくとも、服役年数を累積させる方法)を導入してもらいたいとは、思います。 長々と書いてしまいましたが、いかがでしょうか?

nii2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 え~、ものすごく簡単にまとめてみました。『そ~じゃねぇよ!何言ってんだよ!そんな事書いてねぇだろう!』と思うかもしれませんが。 1.人間がかかわる以上冤罪は起こりうる 2.死刑も終身刑も費用は結局同じである 3.死刑(又は重い刑)に犯罪抑止力は無い 4.死刑を国家が代行する仇討のように考えるのは危険だ 5.法律には弾力をもたせるべきで厳しすぎるのは良くない というところでしょうか。 私なりの考えを書きますが、『~である。~だ』調で書いたのは、その方が説得力があると学生時代習ったからであり、決してえばって論弁しているわけではありません。 1.数学的な確率の面で100%というのはありえないが、それは計算上の問題である。他人と指紋やDNAが一致する事は現実的に0といえるが、計算上0はありえない。 もちろん冤罪は許されるものではない。しかし、たとえ現行犯であっても冤罪の可能性を視野にいれている事は非現実的である。 2.費用に焦点を当てた場合、差がないなら死刑を否定する理由にはならない。 3.死刑(又は重い刑)に犯罪抑止力がないなら、軽い刑もまた然り。 抑止力にもならない、(犯した罪に対して)罰にもならない刑よりも、抑止力にはならずとも罰にはなる刑の方が存在価値がある。 4.愛する人を理由もなく殺された人が、加害者の死を望む事は当然の権利であり非難されるものではない。また多くの遺族が極刑を望んでいる事実がある。 江戸時代にも死罪は死罪として存在し、仇討ちとは別のものとして認識されていた。 現在の日本には江戸時代の死罪に相当する死刑は存在するが、仇討ちは存在しない。 5.法律の弾力ある運用は必要である。弾力性があるというのは適用の選択肢が多いという事でもある。 『死刑制度を強力存続させておくだけの理由が、よく挙げられている、抑止力としての機能と被害者感情の救済以外にあるのですか?』 刑罰の根本は犯した罪に対する報いであり、抑止力や被害者感情の救済はそれに伴う副産物のようなものである。 懲役刑を受けた受刑者が、服役中に工芸製品の製造など生産活動を行うが、彼等が刑務所に居るのは生産活動を行う為ではなく、あくまでも懲罰を受けているからであるのと同様である。 死刑が刑罰の一つである以上その目的の根本は報いを与える事であり、刑の執行そのものが目的である。 また、死刑が執行されても本来救済すべき被害者は戻っては来ない。そして、その事実を国民は当然承知している事である。その上で死刑存続を望む声は依然として大きい。 もちろん、社会の認識、宗教、道徳、倫理等によって時代時代で変化していく価値観が死刑の存廃を決定する事は当然の事である。 しかしながら、今現在の社会においては死刑という懲罰が相当であると社会が判断する犯罪が発生している以上、それを廃止する必要はないと考えられる。 以上です。

  • ottoxxx
  • ベストアンサー率19% (14/72)
回答No.11

No.6で回答したものです。 他の方の回答を見て補足なのですが、 もちろん私も現行法のままでの廃止は反対です。 「一生かけて償う」というところがポイントだと思います。 簡単には死なせないという感じで(死が簡単なことだとは思っていませんが)。

nii2002
質問者

お礼

再びありがとうございます。 「一生かけて償う」というのも一つの選択肢なのかもしれませんね。 償うって一体なんなんでしょう。 毎日写経するとか、遺族に土下座するとか、、、。 一生後悔の念にさいなまれるとか(改心すれば)。でもこれって一種の復讐? この質問をして、予想外に多い回答を頂いたため、まだ全員の方にお礼が書けてません。回答を読み、自分なりに解釈し毎日可能な件数セコセコと書いているのですが、考えさせられる事が多いですね。

  • esnobismo
  • ベストアンサー率13% (6/44)
回答No.10

 死刑制度に、反対する立場の者です。  その根拠は、例え国家権力であっても、人権を奪うような行為はしてはならないという事です。人権の例外を設けると、解釈次第で、犯罪者でない人々の人権まで蹂躙される可能性が出て来てしまうので。    こちらは余談ですが、個人的な感情の面からいうと自分を含めた国民全員が、犯罪者にたいするリンチに関わらされている、という気がしてあまりいい気持ちがしません。国家の意志とは一応、国民の総意ですから。

nii2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 人権。難しい言葉ですよね。 毎日、家族の為、社会の為そして自分の為に平和に生活している人と、己の欲望だけのために他人を殺害する人とが同じ人権しかないというのは大変な不平等な気がしてなりません。 最大の人権侵害は生命を奪われる事。その生命を奪った人は、国や社会からその人権を保証される??? 賛成派にとって反対派の意見のなかで、最も理解し難い論理の一つですよね。 もちろん、言いたい事はわかります。しかし納得できないんですよ。何か不平等、不条理な気がして。 『自分を含めた国民全員が、犯罪者にたいするリンチに関わらされている…』 なるほど、そうゆうものですか。そこはあまり考えた事はなかったですね。

  • q-type
  • ベストアンサー率17% (437/2543)
回答No.9

死刑は無くなっても構わないですが、それに変わる罰が無いと・・・。 今のままでの廃止には反対です。 終身刑とか累積禁固200年とか作らないと無期懲役なんて軽すぎです。 (確か最長で20年くらいだったっけ?) 無期懲役って言っても早い人は7年ぐらいで出所してるの反対派の方 ご存知なのかな? 何かにつけて恩赦恩赦で減刑されてますもん。 ナ~ンか極端過ぎ!って感じです。 日本の法律ってON、OFFしか無いのか?って思っちゃいます。 犯した罪の累積禁固年数じゃない今の状態ではしたもの勝ちの状態 のように思いませんか? 人のお金を盗んだ(詐欺も)人も全額返済終ったら罪を償ったと 思うんですが・・・。 何億も税金くすねたヤツも7、8年位で出所すれば年収幾らの計算かな? 使い切ったと言い張れば返さんでもEんだョ 時代が変わったら法制度も見直す必要が有るように思いますが、それらを 審議する先生方が自分が捕まった時の事考えてるので甘くなるのは仕方 無い事かもしれません。 くどいようですが今の日本、無期懲役=終身刑ではございません

nii2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 終身刑は私も必要だと思います。で、死刑も存続させる。 無期懲役って、名称は重そうだけど名前程じゃあないんですよね(ある意味名前負け?)。 何億円も税金をくすねたというニュースを知って、一体何人の日本人が『あっ、いいな俺もやりたいな。まず海外、チリがいいのか、、、そっかそっか。そこに恋人つくって結婚して、金渡して、いつ捕まってもいいように離婚して、え~捕まったら何年間か我慢して、出所したらチリに行って豪邸暮らし!最高じゃないか!!』と現実の自分の年収を考えながら思った事か。

  • heichan
  • ベストアンサー率39% (41/104)
回答No.8

No.3の方と同様、本来私も反対派の心情を代弁できる立場ではないのですが、 ご参考までに、ここまでの回答とはまた少し違う典型的な見方を2つ提示させてください。 一つの典型的な考え方として「死刑という殺人行為は人道に反するから」という考えはありうると思います。 もっと詳しく表現すれば、 「私たちの社会は、死刑を含む殺人は全て人道に反すると信じる。理屈抜きに許されないと信じる。だから仮に凶悪犯が私たちの社会の誰かを殺しても、私たちはその凶悪犯を殺さないことを選択する。何人殺されてもそれは変わらない」 といったところでしょうか。 実際市民社会全体がそこまでの覚悟をすればその国民の、生命と名誉をかけた選択と言えます。筋は通っています。犯罪者は市民を殺せるけれど、市民は犯罪者を死刑にできないというのは不公平な話です。しかし「不公平でも構わない。その不公平を受け入れるだけの価値はある」と信じるならば、それはアリでしょう。 キリスト教社会には特に、本来そういう考えがあるかもしれませんね。右のほほを打たれたら‥という奴ですね。 もちろんこれと対照的な考えもあります。例えば、 「人間は本来自分たちや社会を守るために殺し合いをする権利があると確信する。だれもその権利を奪う権限はないと信じる。しかし私たちは市民同士では、あるいは善良な相手にはその権利を行使しない。だが社会に重大な害をおよぼす相手に対しては必要に応じて、極力公正にその権利を行使する」 という考えです。「仕方が無いから犯罪者を殺す」のではなく「それは悪いことではない。本来ある正当な権利だ」という考えですね。(私自身のことを言うと、割とこちら寄りの考えです) 私の考えでは、死刑に対するもっとも根本的で対立的な考えを突き詰めれば以下の2つに集約されるような気がしています。いずれにせよ信じるかどうか、という話です。 もっとも一般に日本の死刑論議では「誤審で人を死なせる可能性があるから反対」「遺族が納得しないから賛成」というような考えが割と前面に出てくるようです。もちろんこれはこれで大切な見方です。しかしこういった考えのみを土台にして、死刑制度を維持したり廃止できるものかは、少し疑問に感じています。 まして「犯人や執行官がかわいそう」「被害者がかわいそう」というような事は理由にならないと、個人的には思います。 事は人の生き死にですし、突き詰めれば「何人死のうと死ぬまいと、これが絶対に人間社会のあるべき姿である」というような、ある種宗教的な信念がどこかで入ってこざるを得ないと思うのですよ。「宗教的」などと言うと警戒されそうですが、逆にそれ無しに人の生き死にをどうこうするという問題に結論は出ないはずだと、私はそう思っています。 だからこの問題に客観的な正解はなく、この先も永久にないのかも知れません。 なんだかまとまりのない回答で恐れ入ります。

nii2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 興味深い回答ありがとうございます。そうですね、死刑に賛成するにしろ反対するにしろ、どこかで割り切った判断をする事は必要かもしれませんね。 『だからこの問題に客観的な正解はなく、この先も永久にないのかも知れません』 ああ、そうですね。 私がこの質問をしたのは、『賛成派の一人として反対派の人と議論をし、それを論破する』ためではなく(もともとここは議論する場ではありませんし)ただ、単純に『何故反対なのか?』が知りたかったからです。 ですので、回答された反対派の方の意見を否定するつもりは全然ありません。 お礼欄の中で、回答された方の意見に対する意見を書いている部分もありますが、それは『私はこう考えている』という対比を表わしたかったからです(“それが議論というものだろう”と思う方もいるとは思いますが)。 日々変化していく生活の中で、考え方も同様に変わっていくものです。10年20年後、私が賛成、反対どちらになっているかはわかりませんが、死刑の存廃を考える時、ここに回答してくださった方々の意見は参考にしていきたいと思っています。 賛成、反対。こっちが正しいというのは無いんでしょうね。自分が正しいと思っている方が正しいのでしょう。

  • crimson
  • ベストアンサー率40% (900/2202)
回答No.7

実を言いますと、小生は「消極的廃止派」なのです。 どういう意味かと言えば、現在の死刑は「最高刑」と しては生ぬるいものである、という思いがどうしても 拭い去れないのです。 「終身刑」の新設とともに、以前にも書きましたが、 究極の刑として「人権剥奪刑」を設けるのが理想だと 思います。 ただし、適用の絶対条件として (1) 当人の犯行である事が明白であること (2) 被害者には一切の落ち度が無いか、または無差別 の犯罪であること (3) 被害者、ないし遺族の意思が反映されること を求める、と。 解説しますと、まず(1)は現行犯か、それに近いレベル の動かし得ない証拠が存在すること、ですね。 池田小学校事件・日航機ハイジャック事件の犯人らが これに相当するでしょう。 (2)は、例えば被害者の側にも「殺されても仕方無い」 ような要素があった場合。悪徳商法とか詐欺の犯人な どですね。テロリストは…動機が正義であったとして も、無関係な人間を巻き込んだらそこでクズです。 そして(3)。ここがキモですが、被害者サイドに犯人の 「命」を預ける、という刑です。 これは必ずしも「殺す」事を意味しません。 「死んだ方がマシと思える終わりの無い生き地獄」に 叩き落す事もできる、というものです。 カンナで1ミリずつ削るもよし、「ヘルレイザー」の ピンヘッドのごとく顔面針山状態にするもよし、 あるいは生きたまま病院に献体して医学の発展に貢献 させるもよし。 もちろん、普通の(?)終身刑を求めてもいい。 ただし、自ら命を絶つ事は許されない…。 …どうですかねえ、そんなの。

nii2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 正直申し上げまして、私には「人権剥奪刑」がいいのかよくわかりません。すみません。 後でよく考えてみます。

  • ottoxxx
  • ベストアンサー率19% (14/72)
回答No.6

死刑制度反対派です。 私はどんな理由があろうと人が人を殺す権利はないのではないかと思います。 また、死を持ってつぐなうという言葉がありますが、 私は死では何もつぐなえないと思うのです。 いつ死刑が執行されるかという恐怖はあるかもしれませんが、 死んだらそこで終わりです。 何もかもから解き放たれてしまいます。 後悔することも、罪の意識にさいなまれることもなくなります。 死ぬより罪の意識を持ち続けて、後悔しながら (しない人もいるのかもしれませんがそれはどうにかして) 一生をかけてつぐなう方が過酷なのではないかと思うのです。 私なら絶対その方が辛いと思うのです。 また、先日「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(違うかもしれません)の ビデオを見て思ったのですが、冤罪だったらとりかえしがつかないということ、 また、死刑は犯人以外の人、つまり犯人の家族や友人にとっても 相当、辛いものであるのではないだろうかということです。 もちろん被害者の家族や友人もとてつもなく辛い思いをすると思いますが、 だからといって、犯人の家族や友人を苦しめていいという理由には ならないのではないでしょうか。

nii2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 『どんな理由があろうと人が人を殺す権利はないのではないかと思います』 私も賛成です。 また、賛成派と反対派の根本的違いの一つはここにあると思います。 『死刑と殺人は違うか同じか』 賛成派は殺人は罪であり死刑は罰である!と言います。反対派は死刑も殺人も同じではないか!と言います。 『死んだらそこで終わりです』 そうです、終わりです。それだけ重い罰という事だと思いますし、それが適用されるだけの罪を犯したのだと思います。 『何もかもから解き放たれてしまいます』 私はそうは思いません。『終わり』は『終わり』であって、解き放たれる事とは違うと考えています。 また、一生をかけてつぐなうのと、その場で終わってしまうのと、私は後者の方が過酷なのではないかと思うのですが(これはottoxxxさんの考えを否定しているわけではなく、私はこう考えているという事です)。 『冤罪だったらとりかえしがつかない』 これはも両派の争点の一つですね。 『犯人の家族や友人を苦しめていいという理由にはならない』 これは難しいですね。 ただ、死刑判決をもらう程の罪を犯したわけです。誰の意思でも都合でも無く、自分の意思と都合のみで罪の無い人の命を奪ったわけですから、家族や友人が苦しむからというのは、、、自分の子供や友人が一体何をしたのか。という事を受け止めてもらうしかないのではないでしょうか。 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」はビデオ屋で手には取ったんですが、ラストが何とも言えない気持ちになる。と聞いたのでまだ見てません。ハッピーエンド以外はあまり好きではないので。 ottoxxxさんの回答から想像すると冤罪を扱った物語なんですかね?

noname#6248
noname#6248
回答No.5

人の意見無視して主観で話をします。 お聞きにくい事もあると思いますが。ネットでの事と理解していただければ幸いです。 死刑執行は被害者の手によって行われるなら良いかもしれません。 首に縄をかけて床が抜けて瞬間で死ぬと言うのは犯した罪の重さと比べてどうなんでしょうね… 例えば足先からカンナで1ミリずつ削るとかならわかりますよ 多少でもがき苦しむわけですからね… 日本って「無期懲役」が無期でない事のほうが問題あると思うんですけどね。 懲役は安いですがお金になる。無期懲役、出れねぇんだから遺族に払えって感じ。 ん~どうせ死刑になるならとっとと殺せよ拘置所の運営費馬鹿にならないし… そうだ!死刑囚の臓器は全て摘出してドナーに提供とすると… 取り合えず人の役に立ちますね… そういうかんじの法整備って…やっぱり倫理的に無理なんでしょうね。 以上思っている事をつらつら書いてみました。

nii2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 『…やっぱり倫理的に無理なんでしょうね』 無理でしょう。 気持ちはわかりますが、、、。なかなかエゲツナイ事考えますねぇ。 遺族への何らかの救いが必要ですよね。

noname#4009
noname#4009
回答No.4

あまり詳しく話せませんが参考程度に。 人が人を殺しても(裁いていいものか)いいものか? これは絶対にいけません。 事実、死刑執行官のほとんどは執行後、キチガイ(言葉悪いですが)になったと聞いたことがあります。(職務である以上しょうがないのでしょうが) 最近ではボタン式で複数の執行官立会いのもと行われるそうです。果たしてここまでしてやる必要があるのか否か?です。 大事なのは(それ相応の罪でしょうから)人が人を殺すとどうなるかという教育ではないでしょうか? もっとも教育と共に宗教がからんできますが。 こういう簡単な道理や理屈がわかってる、わかってない・・・では結果がぜんぜん違ってきます。 殺す人も殺される人もそういう運命を背負い生まれてくるのです。(殺される人は過去世に人を殺している。殺す人はそれだけの因をつくってきた人) 現在の人生でも過去、現在、未来でここから先は信じる信じない自由ですが過去世、現世、来世がありつながっていると解釈すると、この世の不条理も多少なりともわかります。 後生善処と言葉があるように人間善いよい行い悪い行い如何でどうにでも変わるということですが。 悪人は成仏しない・・・これも違います、します。 海外ではわかりませんが無期懲役、終身刑がいいところだと思います。 本題からズレますが、よくいう「あの世」なんてありません。あるのは現実社会のみです。 人の命、生命が一番尊いのです。 神や仏ではありません。そこから発すれば戦争などもなくなると思いますがいかがでしょうか? 誤解、語弊なきよう申しておきますが決して無神論者、無宗教者ではありません。

nii2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに『人が人を殺してはいけません』その通りです。しかしその『人』とは誰を差すのか?ここが賛成派と反対派では意見が分かれる所ではないでしょうか? 私はご承知の通り賛成派ですが、何の落度もない人間を理由もなく殺す事には絶対に反対ですし、許せません。 昨日のニュースで『たまたまそこを歩いていた』女子高校生が誘拐され命を奪われるという痛ましい事件がありました。 はて?そこでその高校生と犯人の男とを同列の『人』として考えていいのか? その犯人の今後の処遇がどのようなものになるのか、現時点ではわかりませんが、少なくとも被害者と同列の『人』として扱われる事には抵抗があります(加害者を蠅や蚊のように扱えと言っているわけではありません。あくまで“同列”の人としてという事です)。 教育は大切ですね。 『簡単な道理や理屈がわかってる、わかってない・・・では結果がぜんぜん違ってきます』その通りだと思います。 ttsoさんの回答を読む限り、あなたが無神論者、無宗教者だとは思いませんよ。

noname#12673
noname#12673
回答No.3

私は賛成派なのですが、最近意外な人が死刑反対派であるということを知人から聞き、その理由もなるほど、と思わせるものでした。 その人とは警視庁出身の国会議員、亀井静香氏です。 彼は、元警察官という立場から、「あってはならない事だが、犯罪捜査を人間が行う以上、冤罪というものは決して無くならない。もし冤罪の人を死刑にしてしまえば、取り返しのつかないことになる。生きてさえいればいつかは冤罪を晴らすチャンスもある。だから死刑はいけないんだ。」 とのことでした。 私の抱く氏のイメージはゼネコン大王とかそういうので、日本を借金まみれにしそうな人ってことで良くないのですが、意外な一面を見た気がします。 冤罪が晴れても投獄されていた時間も、十分取り返しのつかないものだとは思いますが、氏の言わんとする事はわかります。特に警察という捜査する立場の人間として、冤罪というものが完全にはなくならないものだ、という言には重いものがあると思います。 賛成派の私が反対派の方の意見を書くのはあるいみ無責任かもしれませんが、反対派の意見は必ずしも詭弁的なものだけではないということを伝えたかったのです。 賛成派としての私の意見は、おそらく『うんいん、そうだよ』と思ってもらえるような内容だと思うので、質問の趣旨も鑑み、割愛させていただきます。

nii2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 亀井静香氏が死刑反対派だと知った時は、私も『へぇ~、あの人がねぇ、、、』と思ってしまいました。 私が氏に対して持っていたイメージもharisenbonさんと同じダーティーなものです。ということで、私は死刑反対は氏のイメージ戦略かも?と勝手に思い込んでます。 だってねぇ、、、警視庁出身の国会議員の反対理由が死刑反対の一般論そのものですもんねぇ、、、。警視庁出身なら、もっと発展させた亀井論というものじゃないと、ただでさえイメージが悪いのに。 以上、私個人の勝手な亀井氏への思い込みでした。支持者の方すみません、、、。 『賛成派の私が反対派の方の意見を書くのはあるいみ無責任かもしれませんが、反対派の意見は必ずしも詭弁的なものだけではないということを伝えたかったのです。』 全然無責任では無いと思います。ある意味?どんな意味でも。賛成だから反対の意見には耳を傾けない(又はその逆)という姿勢こそ無責任であり、自分と異なる立場に身を置く事はとても重要で大切な事だと思います。 反対派の意見は詭弁だ!とは決して思っていません。賛成派の中にも詭弁、暴論色々ありますよね。 質問で『詭弁』という単語を使ったのは、私がたまたま目にした反対派の意見がそうだったというだけで、そんな内容のものではない回答を下さいね。ということです。 ※亀井氏の言葉にもあるように『冤罪』この言葉は重要なキーワードの一つですね、やっぱり。