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死刑制度廃止派の方の考えが理解できません
私は死刑制度に賛成している者です。もちろん反対派がいるのは知っていますし、それはそれで結構なのですが。 最近、OKWeb上で、この論争が火を吹いているようなので、ちと覗いてみましたが、賛成派の意見には『うんうん、そうだよ』と思える所があります(そりゃ私自身が賛成派なのだから当然っちゃぁ当然ですが)。 しかし、反対派の方の意見には首を傾げるところが多いので以下の質問をしてみる事にしてみました。 ・何で死刑制度に反対なんですか? 以上 『○○国では廃止されているから』『海外の友達が言ってるから』等、無責任なもの。『理由も無く殺された方もあの世で犯人の更正を願ってるはず』等、都合の良い解釈をもった詭弁的なものではなく、『私はこう思う!こう思うんだ~っ!』というものがいいです。 ∩ ∩ (^仝^)よろしく ※ちなみに、ちゃんとお礼等書くつもりですが時間がかかる場合があります。ご了承下さい。 また過去に同じような質問があるから過去ログ見ろ!ってゆーのもカンベンっす。
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毎回ご回答されて、お疲れさまです。 強い正義感を持った方だと想像します。または、これだけ、熱心に死刑制度を肯定されているところを見ると、身内の方にさぞ、無惨に殺されてしまった方がいらっしゃるとお見受けします。もしそうだとしたら、大変にお気の毒なことと思い、申し訳ございません。また、犯人と思われる人に対する、検察の求刑ないしは、裁判所の判決が不十分に感じられていらっしゃることと想像いたします。 さて、私、司法権に携わる者ですが、ここは職務を離れたところで発言させていただきます(法律上死刑があるので、個人的な主張で死刑を現段階においては認めないということは無いのでご安心ください)。 まず、「絶対に誤判ではないと確信がある場合(現行犯等)に死刑判決がでるのだから、『もし、間違っていたら』を根拠とする反対意見は当たらない」とおっしゃってますが、絶対に誤判ではないと「確信がある」のと、誤判「ではない」のとは違いますよ。「絶対に誤判ではないと確信」してしまうから誤判というものがあるです。 また、現行犯であるとされても、犯人は別のところに存在する可能性はあるのです。死刑相当の犯罪ではないのですが、痴漢という卑劣な犯罪に特に多く見受けられます。現行犯逮捕というのは被害者もしくはその現場に居合わせたものが、被害を受けたその瞬間ないしは直後に犯人と思われる人を取り押さえるというだけのことです。たとえば暗くてよく見えなくても、隣の人の腕をつかんで犯罪行為をしたと言えば、現行犯で逮捕できます。 ですので、「たとえ現行犯であっても冤罪の可能性を視野にいれている事は非現実的である」、ということはありません。また、あってはならないのです。 「捜査方法の発展等含め、死刑判決がでる時は冤罪の可能性は無いとはっきり断言できるからだと思いますけどね」。そう信じていただければ、うれしいのですが実際にはそうはいきそうにありません。と言うのは、犯罪の関係者(加害者、被害者、捜査官、マスコミ、国民)が増えてくれば増えてくるほど、それぞれの利害が絡んでくる可能性が高いので、何が真実かということを見極めるのに大変に困難になるからです。たとえば、加害者であれば自分の自由を確保するためにうその供述をするかもしれませんし、被害者のほうはとにかく早く加害者の刑の確定を求めるためやはり信憑性の低い証言をしてしまうかもしれません。マスコミはスクープのために犯人とおぼしき人物をねつ造する可能性もありますし、国民は興味本位で事件の本質を見ないままに世論を形成してしまう可能があります。このように、何が真実かを見極めるのは、非常に困難であり、科学的な方法で検証された証拠と言われるものでさえも、そうした声によって調べているうちに重要に見えたり、または軽く見えてしまったりもします。 また今度は、完全に予防するとなると、監視体制を常に強いておく必要ができてしまいますので、プライバシーをはじめとする人権を「善良」な市民から奪ってしまうことになってしまいます。 それに、くどいようですが、「死刑判決がでる時は冤罪の可能性は無いとはっきり断言できるからだ」だから冤罪というのです。誰も冤罪にしようとしているのではないのです。 冤罪をなくすことができれば、それに越したことはありません。ですが、人が有史以前から犯罪を犯してしまうのと同様に、やはり間違いは犯してしまうものです。ちょっとした誤解・間違い(たとえば言葉の意味を間違えたり、機械の操作を間違えたり)は、さらに大きな誤解に発展します。こうしたことの積み重ねが、憎むべき冤罪というものを作り出してしまいます。 冤罪は、刑の軽重に関係なく、1.無実の人の人生を奪ってしまう、2.真犯人を取り逃がしてしまう、という二つの大きな罪を作り出してしまいます。もちろん死刑以外の刑であってもこれは変わりませんが、死刑で命を奪ってしまっては、ほんとうに真相の究明の機会を失ってしまうのです。これでは、社会の真の安定は図れないと個人的に思っております。 我々が享受している自由というのは実にあやういものです。それは命の上に成り立っているものです。そのためにも、誰の身にも起こってしまう可能性がある誤認逮捕からの冤罪による死刑をなくさなくてはいけないのではと思います。それには、結局、死刑制度そのものを廃止する必要があると感じています。 くどいようですが、冤罪というものが発生するのは、そのときは冤罪だと思わないからです。 本屋さん行けば、冤罪について書かれた本がたくさんでていますので、是非、読んで冤罪とは何かについて考えてみてください。また、同時に我々の自由とはどういうものかについても考えてみてください。 偉そうなことを書いてしまいましたが、冤罪に対して誤解があったようなので書き込ませていただきました。 あえて言うことではないのですが、もちろん、冤罪をなくすために日々努力はしておりますし、市民生活を脅かすことの無いように心がけて職務には従事しております。 ちなみに、私も学生の頃は死刑制度に対して賛成でした。 追伸 人生において一度も、誤解を受けたことは無いのですか。親、兄弟、先生、恋人から無実の罪で追求されたことありませんか。多くの犯罪の捜査とはこんなところから始まったりするものです。それに、死刑とは何もセンセーショナルな事件にのみ適用されるわけではありません。
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- h13124
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死刑の犯罪抑止力については、見解が分かれるようです。 私が、死刑制度を廃止した法がよいと思うのは、誤判の危険の観点からです。 団藤先生の裁判官時代の回想に次のようなものがあります。 ある島で犯罪が起き、島の半分の人を調べた。その結果合理的疑いを超える確信を得た。しかし、島の残り半分の人を調べていないので、その中に犯人がいるかもしれない。有罪の要件である合理的疑いを超える確信はあるが、万一の疑いは残されている場合がある。このような場合に果たして誤判の危険なしといえるのかというような内容だった思っています。 この点誤判の危険は、何も死刑に限ったことではなく、懲役刑等の自由刑でも同じだという反論は、あります。でも、絶対的に生命を奪う死刑と曲がりなりにも金銭的に償えその後の人生もある自由刑とは、やはり違うと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに誤判の可能性というのはよく言われますね。 失礼ながら、団藤先生のことは存じあげませんが現場の方の意見ですので説得力がありますね、、、。と思う反面、素人考えで、『島の残り半分の人を調べていないので、その中に犯人がいるかもしれない。…』→だったら残り半分の人も調べたらいいのに、せっかく半分の人は調べたんだから、、、。とも思ってしまいます。 ただ、これはh13124さんが言いたい事では無く、あくまでも誤判の可能性がある限り死刑には反対である。とする意見の根拠となっているエピソードの一つである事はわかりますので、上の言いがかりのような感想は無視して下さい(じゃあ書くなって?いや、ちょっと書いてみたくなって、、、) 『もし、間違っていたら』ここをどう捉えるかによって死刑賛成、反対どっちを支持するかを決めるポイントの一つになっていますね。 死刑賛成派→絶対に誤判ではないと確信がある場合(現行犯等)に死刑判決がでるのだから、『もし、間違っていたら』を根拠とする反対意見は当たらない! 死刑反対派→人間の行う事に絶対は無い! 簡単に書くとこんなところでしょうか。 私?私は賛成派です。
- e33
- ベストアンサー率10% (25/241)
ちなみに、自分も死刑制度賛成ですが 反対派の意見としてこのようなものも有るのではないでしょうか ひょっとしたら冤罪かもしれないから なんかマヌケな意見で申し訳ないです…
お礼
回答ありがとうございます。 全然マヌケな意見なんかではありません。 『ひょっとしたら冤罪かもしれないから』 この点は死刑問題が議論される際、必ず争点となります。 『基本的に死刑には賛成だけど、もし冤罪だったら…』 との理由で死刑反対の方も結構いると思いますけど。 私自身としては、もちろん冤罪で死刑なんてとんでもない事だと思います。しかし捜査方法の発展等含め、死刑判決がでる時は冤罪の可能性は無いとはっきり断言できるからだと思いますけどね。
補足
-この場を借りて- 7月24日AM1:30現在、多くの回答有難うございます。 大変私事で申しわけないのですが、仕事から帰ってきたのがAM1時過ぎ。 今日は眠らさせていただきます。お礼は後日ちゃんと書きます。ごめんなさい。 ∩ ∩ ZZZ… (´仝`) おやすみなさい。
お礼
回答ありがとうございます。 まず、最初の五行は嫌味でしょうか?違うなら申しわけありません、私の勘違いです。幸い身内に殺された者はいません。御心配ありがとうございます。 それでしたら以下の文章は飛ばしていただいて結構です。嫌味のつもりでしたら読んで下さい。 以下 最初に誤解があるようなので書いておきます。 私は強い正義感を持った人間でも、熱心に死刑制度を肯定しているわけでもありません。 私も質問に対し何度か回答していますが、中には何も返事を書かない方もいます。そういうのを見ると『何だ、コイツの質問には回答しなければよかった』と思ってしまう偏狭者です。『何でもいいから一言位書けよ』と思うわけです。 この質問に回答をくださった方々が私のように感じるかはわかりませんが、何らかの返事をするのは礼儀ではないでしょうか。 そして質問の性質上『死刑賛成派』である私と『死刑反対派』である回答者。というのが最も多い形でした。 私は回答者一人一人の内容に応じた私なりに真面目に考えた返事をしたまでであって、特別の熱意と決心を持って日々死刑制度存続の為に努力しているわけではありませんし、あなたから嫌味や皮肉を書かれる筋合いはありません。 司法という人間の考え、行動等に密着した業務に携わっている『専門家』であるあなたが、その位の事が判断できない程の洞察力では、さぞかし日々の業務に多大な支障をきたしているものと御心配申しあげます。 職務上、多くの資料を読んだり多くの人と会いインタビューをされている事と想像します。一体何がそこにはあるのかを間違えない様、普段から本を読まれる事をお勧めします。『素人』である私が『専門家』であるあなたに、こんな事を書くのはさしでがましいとは思いますが『人生日々是勉強』と申しますし。 無意味な嫌味は以上で終わりです。 『冤罪』についてわかりやすく回答頂きありがとうございます。 私も誤解を受けた事もありますし、誤解した事もあります(今回の嫌味も誤解?)。 死刑賛成派=冤罪甘受派 ではありません。冤罪とは何か?zabelさんの回答を読めば、『まぁ、そう言われりゃ、誰も冤罪を意図的につくっているわけじゃないわなぁ』と思います。 『死刑とは何もセンセーショナルな事件にのみ適用されるわけではありません』 承知してます。しかし廃止になるとその『センセーショナルな事件』にも適用されなくなるんですよね。 zabelさんの回答とは直接関係ありませんが、、、。 オ○ム真理教の各事件、山口県の母子殺害、埼玉東京幼女連続誘拐殺人等々(まだどのような処分になるか確定していませんが)。 山口県の母子殺害の遺族が記者会見までして犯人への死刑判決を望みました。その時流した涙はどんな涙だったのでしょうか? あれは『人を殺せ!』と叫ぶ殺人者の涙?『敵を戦滅しろ!』と指令を下す司令官の涙?それとも人間として当然の涙? ああいうニュースを見ると、死刑制度廃止には抵抗がありますね。そしてその気持ちは非人間的なものなのか、悩むところです。
補足
-この場を借りて- たくさんの方に回答をいただきましてありがとうございます。 毎日セコセコと返答してますが、このへんで締め切りたいと思います。締め切った後もお礼欄の記入は可能だったはずなので、返事はちゃんとする予定です。 私の返事を見て、『そうじゃねぇんだよ!』と思う方もいらっしゃるとは思いますが、それは胸の中にしまっておいて下さい。 『死刑』という重いテーマにおつきあいくださりありがとうございました。勉強になりました。