- ベストアンサー
1985年阪神優勝時の投手について
阪神ファンですが、比較的最近からのファンです。1985年(昭和60年)のときは、打撃陣はよく覚えているのですが(バース、掛布、岡田、真弓など)、投手陣のことはよく知りません。エースピッチャーは池田だったのでしょうか。1985年優勝時の阪神の投手陣について詳しい方、いろいろ教えてください。お願いします。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
先発は 14 野村収 18 池田親興 20 伊藤宏光 26 工藤一彦 28 中田良弘 45 ゲイル 48 仲田幸司 中継ぎ 12 福間納 ダブルストッパー 19 中西清起 25 山本和行 という布陣でした。 絶対的エースといってよいかは分かりませんが、ゲイルよりはここぞというところで耐えた池田をエースとしたいと思います。中田は球宴前までは数年越しで連勝記録を伸ばし、ラッキーボーイといわれていましたね。伊藤はブルペンエースと呼ばれていました。年に一回むちゃくちゃよいピッチングをするんですよね~。仲田もペーペーでしたが、未完の大器を感じさせていました。 個人的には先発では池田、工藤が好きですね。 ただ、知っているとは思いますが、鉄腕福間、ダブルストッパー山本&中西なくしてこの年は語れません。特にこの時代中継ぎで福間を超える選手はいません。記録的には平凡に見えますが、実にありがたい選手でした。
その他の回答 (4)
- subaru361
- ベストアンサー率19% (55/283)
No.2です。 No.4さん。虎キチさんでしょうか。私は東京でしたので、中継等を見ることはできませんでしたので、はっきりしたことはいえませんが、少なくとも中西-山本という継投は少なかったように思います。バックスクリーン三連発も中西にセーブがついていたかと(あの試合は圧勝のように思われてますが、結構リリーフに立った中西がばたばたしてすっきりした勝ち方ではなかった)。また、吉田監督が1985年を述懐した際、「継投の体制が確立されたのは、山本がアキレス腱を断裂してから。それまでは、山本と中西をどちらを持ってくるかに迷い、失敗することがあった。中西も役割がはっきりしていい仕事ができるようになった。」といっていたようです。 ただ、前年度までの実績、迫力を考えるとリリーフエースをどちらとするかというと、私としても山本和ですね。ピンチでも動ぜず、ポーカーフェイスでずばっと見送り三振、みたいな選手でした。 http://www.webmie.or.jp/~m-yama/player/sportsyamamotoka.htm 中西は今年の久保田の使われ方に近いかな。そういう意味ではセットアッパーともいえるか。残した成績は悪くはないんだけど。。。 1985年で投手としての白眉はやはり日本シリーズ初戦の池田が思い出されます。正直戦前は圧倒的西武有利。短期決戦で阪神先発陣が西武打線を抑えられるわけはなく、後ろがいくら良くても・・という評価でした。 ところがふたを開けてみれば、池田が抜群のピッチングで完封し、伊湖の流れをぐっと引き寄せました。 ・・・ただし、あとは先発が光った試合を思い出せない。 とても蛇足ですが、この年は脇役もすばらしかった。はっきり言って岡田あたりよりは、「1番ライト真弓、2番センター弘田」がすばらしかったのが、優勝の要因でしょう。代打も現代まで伝わっているのは川藤ですが、実は長崎、永尾、佐野がすごかった。
お礼
No.2・5さん、No.4さん、ともに感謝いたします。いろいろよく分かります。 「中西は今の久保田みたいな使われ方」だったのですか。久保田というと、そのあとの藤川につなぐため、8回くらいに出てくる投手ということでしょうか。何となく雰囲気が分かりました。 日本シリーズ初戦の池田投手は、そんなに素晴らしかったんですか。 それから、真弓・弘田や、長崎・永尾・佐野もすごかったということですね。この中で、私は「永尾」という選手は初めて聞いたのですが、字の間違い等はないですよね。そんな選手がいたんですか。 よく分かりました。ありがとうございました。
- toro321
- ベストアンサー率29% (1222/4138)
蛇足ながら。 山本和行がストッパーでした。中西はセットアッパー的使われ方だったのです。いまいちいいピッチングはしてなかったですけど。 ところが、7月だったと思いますが、山本和行がアキレス腱を切るという故障をおこします。これで、阪神の優勝は危ないとまで言われたのですが、中西が大奮起!素晴らしいピッチングで、ストッパーを務めました。 当時の上岡竜太郎氏の名言。 投手陣の勝ち星を数えていくと、どうやっても優勝できない。 でも、バースで10勝、掛布で10勝、岡田で7勝とは計算できんかった。 しかし、#1さんの成績見れば一目瞭然ですが、ひどい防御率ですね。 それでも、中継ぎ陣が10勝してるわけですから、いかに逆転、打ち勝ったことが多かったかを物語っています。今年ならば、最下位に近い成績になってるでしょうな。
お礼
ご回答ありがとうございます。 いろいろと当時のエピソードをありがとうございました。私の知らないことばかりでした。中西は、7月まではセットアッパー、という使われ方だったのですね。済みません、念のため、「セットアッパー」の定義を教えてください。「中継ぎ」とは完全にイコールではないのでしょうか。私の抱いているイメージは、「ワンポイントの中継ぎ」ということですが、セットアッパーとは何か、ご教示いただければなおありがたいです。 上岡龍太郎の名言、いかにも上岡さんらしい言葉ですね。「バースで10勝、掛布で10勝、岡田で7勝」、なるほどと思いました。 また、No.1さんのお書きになった成績からも、「いかに逆転、打ち勝ったことが多かったか」が分かる、ということですね。納得できます。しかし、あのときの打線がすごかったことを差し引いても、今年の打線はふがいない、と思うのですがいかがでしょうか。金本と林がよく頑張っていると思いますが、金本もおととし優勝したときに比べれば物足りないです。 いろいろありがとうございました。感謝いたします。
下記で当時の全試合のスタメンが分かります。 http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/3320/order/1985tigers.html
お礼
ご回答ありがとうございます。サイトを見ました。「スタメンデータベース」なんてあるんですね、大変参考になります。こんな情報、どうやって仕入れるんですか。ありがとうございました。
こんにちは 確かにあの年はバックスクリーン3連発に代表される強力な打線で優勝したイメージが強いので 投手陣はあまり印象に残っていないですね。 そごちょっとネットで調べたところ1985年の投手陣の成績は下記のようです。↓ R・ゲイル 13勝8敗 4.30 中田良弘 12勝5敗 4.23 中西清起 11勝3敗19セーブ30SP 2.67 最多救援投手・最多セーブポイント 池田親興 9勝6敗 4.45 工藤一彦 6勝3敗 3.84 福間納 8勝5敗1セーブ 山本和行 5勝6敗11セーブ16SP 2.70 伊藤宏光 5勝5敗 4.51 仲田幸司 3勝4敗 4.38 活躍度では中西投手が一番といったところでしょうか? あと下記もご参考まで。↓ http://anafremoukokai.tblog.jp/?eid=126440
お礼
早々の詳細なご回答、誠にありがとうございます。 私は投手の成績は、勝利数と防御率で見るものだと思っているのですが、そのバランスを見る限り、おっしゃる通り中西投手がエース、ということになるのでしょうか。ただ、確かリーグ優勝だったか日本シリーズだったか、最後に中西投手がピッチャーゴロを処理して一塁に送球して試合終了、というシーンがことあるごとに映し出されますので、何となく「中西投手は押さえ投手だったのかな」、という気がして、最初のような質問をしました。池田投手は、勝利数から見ても防御率から見ても、他に何人も上回る投手がいますね。「池田投手がエース」、ではなかったのですね。それにしても、よくこんな昔の数字を調べられましたね。感服いたしました。大変感謝いたします。誠にありがとうございました。
お礼
よくぞご回答下さいました。No.1さんのご回答も大変参考にはなったのですが、「先発は誰々、中継ぎは誰々、押さえは誰々」という布陣についてしりたかったのです。それらの記録に現れない情報も踏まえて、エースピッチャーは誰だったか、を知りたかったのです。誠にありがとうございます。 ほかにもいろいろ裏話などはないでしょうか。長文になっても構いませんので、書き忘れたことなどありましたら、なんでも教えてください。打者のことでも構いません。 ご回答ありがとうございました。