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自分の好きなものたちが、この世界から消えていくかもしれないという不安。
ときどき、どうしようもない不安にかられることがあります。 たとえば、自分の行きつけの大好きなサイトが閉鎖していたり、 お気に入りのテレビ番組や漫画が終わってしまったり、 または好きな作家さんなどが亡くなってしまったとき…。 そんなショックをうけた時、ふいに不安に襲われます。 「私の好きなものがこの世界から消えていっている…?」 もしくは 「私の好きなものたちが、このまま消えていってしまったらどうしよう…」 といった不安です。 この世界から、自分だけおいていかれるような気もします。 そこから更に思考が発展してしまい、 「明日急に、大好きな友人と連絡が取れなくなってしまったらどうしよう?」 「今パソコンの電源を落とした後、パソコンの中のデータが全部消えてしまったらどうしよう?」 などというような気持ちになります。 どちらかというと、手に取れない、形のないタイプのものを失うことに不安があるようです。 (↑これはけっこう普通のことかもしれませんが) 永遠なんてないということは、嫌だということ分かっていて、 だから悔いの残らない生き方をしたいと思っているのですが… それを毎日常に実行することは難しいです。だから不安になるのでしょうか? とんでもなくマイナスで、くだらない思考だとは分かっているんですが、地味に辛いです。 1、皆さんは、このような気持ちになることがありますか? 2、どうしてこのような感情になるのでしょうか? 3、どうしたらこんな気持ちにならなくてすむのでしょうか? 「こうじゃないか?」という推測でもかまいません。(その際はそう記してくださると嬉しいです) よろしくお願いいたします。
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- himawari00
- ベストアンサー率20% (169/818)
1、ありますよ。私は情が深いので卒業式やお別れ会などの前後、激しく落ちる人でした。 2、自分にとって良いこと、快適なこと、手に入ったものは当たり前になるからだと思います。 保持していくのが安心だから自然と人間の感情に備わっているのだと考えます。 3、出会いがあれば別れもあって当たり前。それがこの世の中のしくみだと気づいたら少しは不安から解消されますか? 結局のところ、出会った人やモノ、時間を大切にすることで、サヨナラする時の後悔は減るのでは、と考えます。 もっと言うと、起きているのはただの現象で、心持一つ、捉え方で悲しみではなくなると思います。 失うものへの執着を減らすことも手段の一つだと 考えます。 始まるものは必ず終わる 生まれたものは必ず亡くなる 出会った人は必ず別れる 形あるモノは必ず壊れる この世の摂理を知ったら諦められるのでは? 諦めた中で精一杯それらを大切にしていくしかないと考えます。
- orange0601
- ベストアンサー率13% (9/67)
1、この世界から自分だけ・・、とまでは思わないです。でもここ数年、家族や友人など思い入れのある人の死が続いていて、そのときの喪失感がいつも胸の奥にあります。なんとかくいつも寂しいです。 2、期待感があるからかな? そこにいつまでもあると期待していたものが、あるとき消失したから。 3、一度覚えた気持ちは何度も去来すると思います。 でもなぜそう思うのかなど気持ちを整理することができれば必要以上に落ち込むことはないのではないでしょうか。
お礼
>なんとかくいつも寂しいです。 それはお辛いですね…。 >2、期待感があるからかな? >そこにいつまでもあると期待していたものが、あるとき消失したから。 そうですね。 突然の別れというのに、なかなか対応できないです。 思いっきり楽しめば別れが怖くないのでしょうか。やっているつもりですけど出来ていないのかな、って思いました。 >3、一度覚えた気持ちは何度も去来すると思います。 そうなんですか…。確かに毎回のように、この気持ちは出てきます。 それならば、いちいち不安にならないように、落ち着いて対処出来るようになりたいです。 >でもなぜそう思うのかなど気持ちを整理することができれば >必要以上に落ち込むことはないのではないでしょうか。 感情を理屈で考えしまえということでしょうか。 その方法はけっこうやります。(気持ちが落ち着きますので) そう考えると、結局は自分の心の狭さなどが原因だったりして、少し恥ずかしくもあります。 心を広く持ちたいです。 ありがとうございました。
- hamakkotarou
- ベストアンサー率24% (222/908)
1.普通に起きています。 2.自分の所有物、支配(コントロール)できるもの、依存しているもの だと思っているからでしょうか。 それがなくなってしまえば寂しく感じるというか不安になるのは 仕方がないかもしれません。 3.一時的に自分のそばにいるだから自分のそばから離れていくのは 自由なことだと思うこと、そして気持ちよく認める(許す)。 一時的に協力してくれていることだと思うこと。 だからそのときを十分に楽しんでおく。 今はそのときではないと楽しむことを先送りしない。 そして、自分の出来ることをいま楽しむことです。 いつまでも引きとめようとすれば束縛するために多大なエネルギー を使ってしまい疲れてしまうだけです。
お礼
>1.普通に起きています。 普通に起きますか!そういった方はけっこう多いんですね。 >2.自分の所有物、支配(コントロール)できるもの、依存しているもの >だと思っているからでしょうか。 そうですね。心の置き所にしているんだと思います。 それが無くなると、(自分の所有物で無かったにもかかわらず)ふと手を離されたような気がしてしまうのかな、なんて思いました。 >3.一時的に自分のそばにいるだから自分のそばから離れていくのは >自由なことだと思うこと、そして気持ちよく認める(許す)。 >一時的に協力してくれていることだと思うこと。 はい。私は「縁」という言葉が好きで、普段から、何でも"たまたま出会えた"と思うようにしています。 でも、だからこそ、別れがさみしいと感じます。 「ああ、もうこれとは一生会えないんだ…」と泣くこともあります。 それがいけないんですよね。 思い切り楽しんで、ふいに別れが来ても、気持ちよく別れられるようになりたいです。 ということは、まだ私は心の底から楽しめてないのかな? もっとがんばりたいです。 >いつまでも引きとめようとすれば束縛するために多大なエネルギー >を使ってしまい疲れてしまうだけです。 そうですね!ほとんどのことは、自分の力ではどうにもならないのですから、 ちゃんと気持ちを割り切ってお別れした方がいいですよね。 思い出すと泣いてしまうこともありますが; 早く「楽しかったなあ」と思いだせるようになりたいです。 ありがとうございました。
- megumi1
- ベストアンサー率28% (57/200)
どうもこんばんはw 1.しょっちゅうですw 2.親友だと思っていた人が実は自分のことをそう思っていてくれなかったことに気付いたとき、みたいな感じです。 3.諦めと、相手の事情を理解してあげることでしょうね。 3についてもうちょっと補足しますが、 もともと人なんていろんな思考で動いています。 だから考え方も違うし、相手がなに考えてるかわかんない分、すれ違いなんてもう普通に起こってしまうわけです。 私もどうしてもそういった裏切りにあったとき、ひどく落ち込みました。 どうしても立ち直れないときはしょうがないでしょう。 そういう時はだれか話しを聞いてくれる人に全部話して心を開放するしかないです。 そこまでしなくても自分で解決できるレベルのときは (例えばお気に入りのお店が閉店してしまったりしたときなど、友人の裏切りよりはまだwwwww) 『諦める』です。 その分、人には『希望』が新しくやってきます。 友人をなくしたり、楽しみにしていたサイトが閉鎖したり、好きなテレビ番組が終わってしまったり、落ち込むときもあるでしょう。 しかし、何かをなくしたら、何か別の、今の自分には想像もできないすばらしい何かに出会えるんです。 例えば、新しい趣味に目覚めるとか、新しく面白そうなサイトを発見したとか、新しいテレビ番組が新鮮で面白いとか。または自分の人生を変えてしまうほどすばらしい出会いがあるかもしれませんよ? なにかお気に入りのものが無くなれば、その分、これからあなたが夢中になる何かがどこかで始まっているんです。 そのことを心に刻み、期待して、今まで親しんできた何かに、お別れするってことも大事だと思います。 何か自分のお気に入りのものがなくなってしまうということに、負の感情ばかり抱いてしまわないように、このように考えるとちょっと気持ちの持ち方も変わってくると思います。 すくなくとも私はそうしてます。
お礼
>1.しょっちゅうですw しょっちゅうですか!なんだか安心しました。って安心しちゃ駄目か。 けっこう辛いですよね、これ。 >2.親友だと思っていた人が実は自分のことをそう思っていてくれなかったことに気付いたとき、 >みたいな感じです。 ああ、そういうのは辛いですよね。 相手に期待しすぎちゃったということでしょうか。 私はもう、そういうことが怖いので、気持ちを確かめるような言動や行動をしないようにしています。 信じているときが1番幸せな気がして…。 >3.諦めと、相手の事情を理解してあげることでしょうね。 その対象が好きだともちろん許すことは出来ますが、自分の中の寂しさや不安を無くすのが難しいです。 諦めるっていうのは必要ですね!自分の力じゃあどうすることも出来ませんし; あーそれがまた寂しいですね…。早く割り切れるようになりたいです。 >なにかお気に入りのものが無くなれば、その分、 >これからあなたが夢中になる何かがどこかで始まっているんです。 >そのことを心に刻み、期待して、今まで親しんできた何かに、 >お別れするってことも大事だと思います。 本当にそうですよね…! また嬉しい何かが来るって、そう信じたいです。 この、楽しいことが見つかる前の時間が辛いですね。ぽっかりとあいた心の隙間がなかなか埋められないです。がんばります。 ありがとうございました。
- tobaitiro
- ベストアンサー率24% (20/82)
納得いくまで目をつぶってから、開けてみてください。 世界がまだそこにあればOK 力の限りジャンプしてみてください。 地球があなたを置いていかなければOK もし世界が、地球がなくなっていたら、うーん、どうしましょうか。 私のおすすめは、自分が好きだった人やモノを延々と思い出して一人でニヤニヤする、です。幸い周りに人はいないので、変な人と思われる心配はありません。
お礼
>納得いくまで目をつぶってから、開けてみてください。 >世界がまだそこにあればOK >力の限りジャンプしてみてください。 >地球があなたを置いていかなければOK ポジティブでシンプルで…私にとってとても素敵な回答でした!!! シンプルな考えが、力強く沁みこんできます。 本当に不安になったときは、このように前向きになるのはなかなか難しいですが… (地球への不安ではなく、対人間への不安など) なんとかセルフコントロール出来るようにがんばりたいです。 >私のおすすめは、自分が好きだった人やモノを延々と思い出して一人でニヤニヤする、です。 ああー実はこれ、私がやると余計にさみしくなってしまうんです…。 「でも今はもう無いやー」って。 せっかくいい思い出があるのにもったいないですよね。考え方を変えなくては。 ありがとうございました。
- matrix256
- ベストアンサー率24% (171/708)
私も20歳の時に母親を亡くしました。 この時に「失う」ことへの「あきらめ」みたいなものが 生まれたような気がします。 いずれは自分も含めてこの世のどうせ何もかもがなくなってしまうんだ。とむなしくなるときがあります。 さらに言うと人類もあと10万年後には絶滅することが わかっています。 いくらインターネットや科学が発達したところで いずれ全部滅ぶと思えば なんだかむなしい気持ちになります。 ↓人類の行く末 http://www.sado.co.jp/usami/ginruinomirai.htm 間氷期の温暖化時代は4000年~5000年で終り、それに続いて、10万年サイクルの氷河期が、9万年続くのである。そしてしぶとい人類も、その氷河期を生き残れることはほとんど不可能であった。 今から1万年後にやってきた氷河期は、人類にとって厳しいものとなった。 北アメリカのほとんどは氷の下になった。北ヨーロッパ氷の下になり、その氷の厚さは、3キロであった。アマゾン川流域にあった緑の鬱蒼とした熱帯雨林は、乾燥した草原に変わった。大量の水が氷になり、海面は150メートル低下した。 人類のエネルギー消費が、地球を揺るがす壊滅的な結果をもたらしたため、生態系がずたずたになった。冬の夜は気温は摂氏マイナス60度を下回った。表土の下にある、永久凍土層は、1年中凍ったままで、水を通さなかった。 北ヨーロッパにも春は訪れる。表土はゆるみ、ツンドラは水溜りが点在する、湿地となった。 このような厳しい環境が続いたため、人類は作物を作ることができず、飢のために次々に死んでいった。また食用の動物、たとえば牛とか、豚とかあるいは飢えと寒さで死滅し、魚類の大半は、氷の海に閉じ込められ、死滅していった。このためい人類は、食用の植物群、食用の動物群を失い、絶滅の道をたどっていった。 100万年の間に、間氷期と氷期が10年サイクルで10回も訪れたため、この繰り返しで、人類のみでなく、人類とともに同期に生存した、動物たちや植物群も死滅してしまった。 人類は絶滅したが、生命が絶滅したわけではない。滅んで言った生物の代わりに、環境に適応した別の動物や植物が誕生していくのである。 今後500万年の早い時期に、人類は滅亡すると予測するものがいる(ドウーガル・ディクソン)。 筆者は、1万年から始まる氷河期から人類は死滅への道を歩み、氷河期のピークの来る10万年後までには全人類は死滅すると推測する。 人類が現れたのは、せいぜい400万年前で、長い地球の歴史から見れば、ほんの一瞬である。そしてこれからの地球は、大陸の移動、火山活動、凍結、氷河期を繰り返しながら、50億年というとてつもない年月を刻み続けることになる。
お礼
>この時に「失う」ことへの「あきらめ」みたいなものが >生まれたような気がします。 何かを失うと、感情を眠らせたくなりますよね。 失うことを知ると、今まで世界はあんなにまぶしかったのに、今はとても小さく思えます。 世界は自分の物じゃないと知ったからでしょうか。 matrix256さんは、失うことをそのまま受け入れるということでしょうか。 あるがままに受け入れるというのは、何というか…何かを超越した感じがします。 >いずれは自分も含めてこの世のどうせ何もかもがなくなってしまうんだ。 >とむなしくなるときがあります。 ありますねえ…。 >さらに言うと人類もあと10万年後には絶滅することがわかっています。 読みました。 あらら…。がっかり…かな?正直よく分からないけれど、さみしい気持ちです。 積み上げた物ってあっさり無くなるんですねえ…。 でも、10万年後のことにがっかりする自分は、もしかしたらすごく欲張りな気もしてきました。 関係ないですけれど、未来の人類や生物の姿を描いた「アフターマン」っていう本が面白いです。昔話題になったそうですが。 (私は実物を持っていませんが、内容の一部がネットでも見られます。検索するとすぐ出ます) 「人類の行く末」という言葉を見たら、ふと思い出しました。 ちょっとグロいので注意ですが、よろしけば見てみてください。 ありがとうございました。
- 1person
- ベストアンサー率0% (0/9)
1、自分は、地元と呼べる場所がありません。 ですが、その地、その地での思い出は、 計り知れないものが残っています。 その度に何度も泣きました。 (一人だったり、友達に打ち明けたりして) 2、それだけ、充実かつ、幸せだったから。 3、いずれ無くなるものでも、自分の思い出は 消さない!! そして、新たな出会いを見つける楽しさを 持つ。
お礼
>その度に何度も泣きました。 自ら好きなものから離れねばならなかった、ということでしょうか。 それはさぞかしお辛いことだろうと思います…。 >2、それだけ、充実かつ、幸せだったから。 ああ~~!その発想はとても素敵ですね。 いつでも、心の底からそう思えるようになりたいです。 >3、いずれ無くなるものでも、自分の思い出は消さない!! >そして、新たな出会いを見つける楽しさを持つ。 言葉がガンガン響いてきました。 あまりに辛くて、いっそ忘れてしまいたいと思うのですが、それは難しいですしね… 思い出を悲しみにしないで、たまに取り出しては楽しめるようになりたいです。 今はまだ辛いですが、少しずつがんばりたいです。 ありがとうございました。
- _-Mirai-_
- ベストアンサー率33% (1/3)
私は小学校の頃に母を亡くしています。 だから思い出したときにものすごい不安に襲われます。 1.eda_mamedaさんのように不安感に襲われることはあります。 2.自分に自信を持てていないからではないでしょうか? 人は簡単には自信は持てないものです。 ですが、自分の好きなことをすることによって その気持ちは少しでも減ると思います 3.2にも書きましたが、自分の好きなことをやるのもいいと思います。 そういう気持ちは誰にでもあります(少なくとも私は) 友達とかに相談してみてはどうでしょうか? 友達を遊ぶのもいいでしょう。 参考までですがお役に立てればうれしいです。
お礼
>2.自分に自信を持てていないからではないでしょうか? そうかもしれません。確かに私は自分に自信がないです。 自分磨きなどもしているのですがなかなか…本当に、自信は急につくものではないですよね。 >3.2にも書きましたが、自分の好きなことをやるのもいいと思います。 他の方も、私と同じような気持ちになるのですね。 こんな大げさな気持ち、なかなか分かって貰えなさそうで、それが余計に不安でした。 実際、前に友人にちょこっと話したら「?」と困らせてしまったことがあります。 それ以来この話をしたことはありません。 やはり_-Mirai-_さんのおっしゃるとおり、自分の好きなことをやって気を紛らわすのがいいのでしょうね。 (そういうときに限ってなかなか紛れないですが;) ありがとうございました。
お礼
>私は情が深いので卒業式やお別れ会などの前後、激しく落ちる人でした。 なるほど。 好きな人との別れは辛いですよね。分かります。 >2、自分にとって良いこと、快適なこと、手に入ったものは当たり前になるからだと思います。 >保持していくのが安心だから自然と人間の感情に備わっているのだと考えます。 ああ、人間の感情として備わっているという考えは新鮮です。 確かに、人間は「慣れる」動物ですよね。(環境や物、相手) それで助かっていることも多いですが。 >3、出会いがあれば別れもあって当たり前。 >それがこの世の中のしくみだと気づいたら少しは不安から解消されますか? そうですね…。 そうして納得するしか無いですよね。 いつも失った後に気づくので、そこから気持ちをなだめます。 普段から覚悟しておくべきなのでしょうが、それも少し寂しい気もします…。 悔いが残らないようにしたいです。 >失うものへの執着を減らすことも手段の一つだと考えます。 すばらしい考え方ですね。真理というやつでしょうか。 こんな風に自分の感情をコントロール出来たらいいなと思います。 (出来てるつもりでも、失うとやっぱりショックを受ける私…) まだ、心が弱いのかもしれませんね。 世の中の大人が案外あっさりしているのは、もうこの考えが分かっているからでしょうね。 私も諦められるよう頑張りたいです。 お礼が遅くなってしまってすみませんでした。 ありがとうございます。