現代日本における「餃子ライス」問題
皆さん、実はややこれは深刻な話になってしまうのだが、
我が国の国民、特に男子の中に、かなりの高いパーセンテージで「餃子党、餃子派、餃子主義者」というのがおるという事はお気づきかとは思う。
今日ここで相談したいのは実はその事なのだが、現代日本の抱える深刻なる事態のひとつに「餃子ライスの失権」というのが挙げられる様になってしまった、という事なのである。
断っておくが、今でも餃子専門店ではそういう発注も成立しておるわけだが、ここで言うのはあくまで、街中の一般中華料理店ではたしてそういう発注が成立しうるか、という事なのである。
私が若かった時分などはそれこそ大出をふって「餃子ライス!」と製作指示が可能であったものだ。
ところが今じゃ、
「今日はエビチリにふかひれスウプとでも行くか、あ、それにいちお、餃子もね」
などと、いちいちめんどくさく見栄を張らねばならなくなっておる。
この「それにいちお、餃子もね」が実に腹立たしく思われんだろうか。
餃子は引き立て役か太鼓持ちだとでも言うのだろうか?
餃子の偉大さをもってすれば「白飯に餃子様」こそ正統であり、王権の復活が強く望まれるのじゃあないだろうか。
で、これについての対策を一応自分でも考えてはみた。
例えば、
二人組でおしかけてこれみよがしに大声でかけあいをする方法
「おまえあ~~んな分厚いフィレステーキたいらげたっちゅうのによくまだ入るな~~っ!」
「な~~~に、か~~るく餃子をつまもうってだけよっ、はっはっは~~っ!」
これは実に効果的な手法なんだが
必ず相方が必要になるし一店舗あたり二度使うのは明らかにリスクが高い。
どうしても使うというのであれば、必ず期間をおき更にいつも大風邪をひき大きなマスクで顔面封鎖をしておらねばならない。
二人組が双方そういう状態というのも考えてみるに、かなり異様ではある。
次に
ビールを使ったカモフラージュ、というのもとりうるだろう。
たしかにビールに餃子というのなら日本国では公認された発注方法ではある。
しかし、餃子主義者というのは必ずどこかの過程で「白飯と餃子」というプロセスをくぐらねばメンツが立たない、というのがやっかいなのである。
途中までは周囲の風景にとけこみ別段怪しまれるということもないのだが、ひとたび「ライス下さい!」と言い放った瞬間に起きるであろう光景があまりに悲惨である。
青白い燐光を放つ侮蔑の視線がいっせいに当人に注がれるであろう事は目に見えている。
恥辱のあまりはなはだしくうろたえ赤面したり、そこにもってきて店主の「餃子、ライス、ですか!」といった抗戦的な恫喝的な口調に青くなったりで、なかなか平常の黄色い顔面に戻すという事はほぼ不可能になるとさえいえる。
これではまるでカウンターに信号機がすわってるに等しいではないか、はなはだみじめなのである。
と、い、う、事で、
長くなったが結局何を相談したいのかというと、
こうなったらもう「自作」しかないかと思うわけで、
見栄も体面も捨ててお願いしようと思った次第なの。
あの~~、美味い餃子のレシピ
教えてくりゃれんかの~う。
お礼
御礼が遅くなってすみません。 キムチかあ。中国、韓国融合ですね。 キムチ餃子とかおいしそう♪ ありがとうございました。