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ゴダール映画について
ゴダールの「気狂いピエロ」と「ゴダールの決別」を見たのですが、 さっぱり理解できませんでした。 まず、物語のすじがわからない。 そしてテーマがわからない。 (「決別」の場合はパッケージの裏に、ギリシャ神話のゼウスの話を元にした・・・と書いてありましたが、一体どのへんが?!と思いました。) 極めつけは、誰が誰だか区別がつかない!! ゴダールの作品は一体どこが面白くて評価されているのでしょうか? こういう類の映画は感覚でみる映画なのかな、とも思いますが、 解説をしていただけると嬉しいです。 よろしくお願いします。
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すいません、歯痛のため、レスが遅くなりました。 >芸人が時事ネタを用いるとき、私がその事柄を知らなければ、「何をいってるん >だ?さっぱりわからーん、面白くない。」となってしまうようなものでしょうか。>(例えが単純かつ俗で、すみませんっっ) そのとおりです。ですからフランス人はあれほど大胆に有名な詩やら絵画を“引用”したフィルム・ノワールに初めて出会った時、その場面で笑ったのではないか、と思われます。まあ、これは推測ですが。 > > 娯楽小説に対する純文学といったところでしょうか。 > うーん、よくわかりません・・・。大変申し訳ないのですが、詳しく教えてく > ださると嬉しいです。 本題から少々外れますが……。 純文学については前回の回答の「映画に何が……」以降の文章の“映画”の部分を“文学”に替えていただければよいかと思います。 それに対し、娯楽小説は、何を描けば、どう描けば読者は喜ぶか、を第一義にかかれたものである。 と、これはあくまでわたしの見解で、実はこの問題に関しましてはこれまでにも文壇で何度となく議論が繰り返されてきましたので、以下にそこで提示された仮説を紹介します。 1) 娯楽小説は商品であり、純文学は芸術である。 2) 文章の質が高く、テーマが高尚なものが純文学、そうでないものが娯楽小説。3) 「オール読物」などの小説雑誌に掲載されるものが娯楽小説、「新潮」などの 文芸誌に掲載されるものが純文学。 4) 直木賞にノミネートされるのが娯楽小説、芥川賞にノミネートされるのが純文 学。 ……などなど。 以上は文芸評論家の福田和也氏が著作「作家の値うち」(飛鳥新社)の中で解説されています。またそこで、以上のものとは別の氏の見解が提示されていますが、著作権に触れるといけませんので、興味がございましたら是非ご一読を。 横レスですが……。 > なんだかゴダールは広義の「映画」というものに、ものすごーくこだわっている > ようなので。ichienさんが評価しておられる「中国女」も、(私は観ていないの > で恐縮ですが)「映画」の可能性を試しているところ、という感じがします。 > でもそれは「映画」の何たるかを考える人でないと面白くないんじゃないかな > ぁ? そうですね。まあ「映画」に限らず「表現」の何たるかを考える人でないと退屈なだけ、だと思われます。 以前友人宅にあったゴダール作品(何かは忘れました)のLDのライナーにゴダールが“フィルム”と“シネマ”という言葉を使っての自身の考え方を述べた文章が載っていました。この二つのフランス語は通常日本語に訳す場合、どちらも“映画”になるのですが、ゴダールはそれを区別して使っていました。残念ながら詳細は忘れてしまいました、ichienさん、御存知でしたら御教示くださいませ。
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- tgoda
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インディペンデントで映画を製作している者として発言させていただきます。 正直言って、ゴダール作品は退屈で面白くありません。 ストーリー展開やセリフ、キャラクターへの演出などは結構メチャクチャだと思います。 それでも僕はたまにゴダール作品を見る事にしています。 それは、面白くないけど「刺激」がいっぱいあるからです。 たくさんの映画作品を見ていると、ほとんどがお決まりのパターンで論理的に説明できる事に気がつきます。 人に見せるために起承転結をしっかり考えなきゃいけないからですね。 登場人物の演技にしろ、カメラの動き方・配置にしろ、編集の仕方にしろ、音楽のかけ方にしろ、「こんなの見た事ない!」というのはひじょ~にマレです。 しかし、ゴダール作品にはそれがあります。 「何だこの展開!!??」とか「何でこんな所にカメラがおいてあるんだろう???」とか、見ていて不思議な事=刺激的な事ばかりで、「そもそも映画にとって脚本て何なんだろう?」というように根本的な何かを考えさせられます。 色んな作品を見ていると「う~ん。人生て何だろう?」とか「あー、面白かった!スッキリ!」とか「泣けたなぁ」みたいな感想っていくらでもあるんですけど、ゴダール作品には他にはない「刺激」があると僕は感じています。 これはあくまで僕個人の考えなので、他の方がどう思うかはサッパリ分かりませんが。。。
お礼
回答ありがとうございます。 >それは、面白くないけど「刺激」がいっぱいあるからです。 面白くないけど刺激がある・・・ 私は、刺激があるから面白いのかと思ってました。 しかし、振り返るとゴダールは確かに面白くないけど刺激的でした。 全体でいうと「何の話だっけ???」と思うのですが、各場面は強烈に覚えています。 「気狂いピエロ」では顔面にペンキ塗りたくってる場面とか、 だだっ広い草原にいるとことか、出だしの言葉の洪水など。 どこの場面がどうつながっていたかは全く覚えていないのですが、 カットだけはなぜか覚えてます。これが私にとっての「刺激」なのだと思いますが・・・。 >「そもそも映画にとって脚本て何なんだろう?」というように根本的な何か >を考えさせられます。 映画の専門家の方は、すぐにゴダールを理解なさるのでしょうか。 私はこのことに気づくまでに、かなりかかりました 泣 (他の回答者の方々に対してのお礼のところを参考にしてください。最初はなんだかとんちんかんなことを言っています。) どうもありがとうございました。
補足
だいぶ時が経ってしまいましたので、締め切ることにしました。 回答してくださった皆さん、遅くなってごめんなさい。 どうもありがとうございました。
- ichien
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今晩は。参加者が更に一人。こういう質問に一人で回答しているのは、たった一つの見方しか示されないということになり、それは決して良いことではありません。当然、歓迎です。 先に書き忘れていましたが、archangeさんが「ハード革命」と言うのは、「カメラ=万年筆論」として知られているヌーヴェル・ヴァーグの重要なキー・ワードですね。それを実践すると「書を捨てよ、街に出よう」(脚本を捨てよ、カメラを持って街に出ろ)のようなことになるのでしょう。 「書を捨てよ、街に出よう」は寺山修司の言葉ですが、ゴダールはどうも脚本、つまりは物語性の放棄ということも意識していたのではないかと思います。トリュフォーなら起承転結が有る映画作りをしていましたが、ゴダールの場合それらは有るような無いような話ばかりですよね。比較的初期の作品にはそれらしきものが有るだけまし、ということをarchangeさんの回答から敷衍することも出来ます。そのことがどうであれ、そういう映画を創っているわけですから、観ていて面白くないのも当然でしょう。 例えば「中国女」に至ると、極めて少数のキャストが延々と革命講座を続けます(実は映画の内容はそれしかない)。徹底した長回しの撮影もあり、映画そのものが実験とも言えるし、観客も実際に彼らの講座に参加させられているのだとも考えられます。 個人的にはそういったスタイル(様式)を評価して、ゴダール作品の中では高く評価していますが、大方の人には「どうしようもなく訳の判らない映画」としか感じられないのではないでしょうか。・・・。 恐れ入りますが更に「続く」で、今夜は一先ず終わります。
お礼
再び回答ありがとうございます!感激です!! 本題に入る前に・・・ >こういう質問に一人で回答しているのは、たった一つの見方しか示されない >ということになり、それは決して良いことではありません。当然、歓迎です。 ご理解ありがとうございます。 私自身も映画に関しては、教えて頂いたことを元に自分の考えを引っ張り出して確立したい、と考えております。 でもそれ以前に、基礎知識がなさすぎると気づかされました 泣 ということで、今回もよろしくお願いします!! >それを実践すると「書を捨てよ、街に出よう」(脚本を捨てよ、カメラを持って街に出ろ)のようなことになるのでしょう。 なるほどー!!いかに物語を工夫しようと斬新なアイディアがあろうと脚本という計画がなくては映画は実行されない・・・という概念を捨てたのですね。しかし、それも綿密な計算の上でという気がしますが。 というのも、近年ドキュメンタリータッチの映画がヒットしましたが、あの手法もゴダールと似たものがありますね、画面がブレるという意味で。しかし、あれは脚本のあるドキュメンタリーで、斬新ではありますが、ハード革命とはいえない。だからといって全くのドキュンメンタリーは、映画ではない。(これは異論のある方もおられるかも・・・) では、映画でありつつハード革命になるには、というところでゴダールのあの手法がでてきたのでは・・・という考えに至りましたが、いかがでしょうか。 なんだかゴダールは広義の「映画」というものに、ものすごーくこだわっているようなので。ichienさんが評価しておられる「中国女」も、(私は観ていないので恐縮ですが)「映画」の可能性を試しているところ、という感じがします。 でもそれは「映画」の何たるかを考える人でないと面白くないんじゃないかなぁ? あ、ここでarchangeさんが回答に書いておられた、「存在するすべての映画を観てきた人のためにゴダールは映画を撮っている」につながるのでしょうか。 またもや長くなってしまい、すみません~!! 続きをお待ちしております。よろしくお願いします。
補足
ichienさん 教えて!gooから締め切りの催促メールが来ましたが、 「続く」ということですので、締め切らずにおくことにしました。 大変お忙しいようですね。(コメント見ました) お暇なときで結構ですので続きをお待ちしております。 (しかし、このことがichienさんの負担になっては申し訳ないので、 もし「終わり」をご希望の場合は、一報下されば締め切りますが・・・)
- archange
- ベストアンサー率23% (11/46)
フランス象徴主義の詩人にステファヌ・マラルメという人がいます。 この人はその時代の詩人の第一人者であると同時に文学の歴史の中で最大の詩人の一人と目されていますが、日本では大抵の場合、“難解”のレッテルが貼られます。 ところが石川淳はその詩を“明解”であると断言しました。 不自由なく会話できる程度にフランス語を体得し、詩学を学び、フランスの詩の歴史を勉強し、その歴史の中で象徴主義の占める位置を研究する、たったそれだけのことをすればよいのだ、と。 黒沢清が、存在するすべての映画を観てきた人のためにゴダールは映画を撮っている、と言ったのもそれと同様の意味かと思われます。 また、確かにヌーヴェル・ヴァーグ時代のゴダールの作品はその内容ではなく、編集や撮影の技術に精力を注いでいたように思われます。 これはゴダールに限ったことではありませんが、アメリカン・ニュー・シネマはソフトの革命であり、ヌーヴェル・ヴァーグはハードの革命である、と言われるのもそのためだと思われます。 が、それゆえに逆に、この時代のゴダールの映画はまだエンターテインメントとしての、あるいは商業映画としての結構を保っていたような気がします。ストーリーはフィルム・ノワールの路線を踏襲していますし、「気狂いピエロ」のアンナ・カリーナはフランス文学でしばしばその主題となるファム・ファタールそのままだし。また突如ランボーの詩が台詞として引用される部分などは笑うところなのでしょう。 しかしヌーヴェル・ヴァーグが終わって以降の彼の作品はまた別の視点で捉えるべきかと思われます。乱暴な言い方をすれば、娯楽小説に対する純文学といったところでしょうか。 映画に何ができるのか。映画に限界は存在するのか。そもそも映画とは何か。それを見るものに問いかけ、またそれを自問しながら撮っている、そんな気がします。 「映画史」がそれを体現しているように思われます。
お礼
回答ありがとうござます。 フランス文化等の知識が乏しいため、辞典を片手に読みました。 archangeさんの教えてくださったことを私が本当に理解できたのか不安ではありますが・・・ 芸人が時事ネタを用いるとき、私がその事柄を知らなければ、「何をいってるんだ?さっぱりわからーん、面白くない。」となってしまうようなものでしょうか。(例えが単純かつ俗で、すみませんっっ) >フランス文学でしばしばその主題となるファム・ファタール 知りませんでした。フランス映画は男女の関係を延々と綴ったもの、そして女に振り回される話が多いな、と常々感じておりましたが、それはフランス文学に由来するのですね。 >娯楽小説に対する純文学といったところでしょうか。 うーん、よくわかりません・・・。大変申し訳ないのですが、詳しく教えてくださると嬉しいです。 なんとなーく分かってきました。 ゴダールの撮影・編集はハリウッドに代表されるアクションやCGとはまた違った種類のエンターテイメントなのですね。・・・なんか違うな。 見た目の派手さと分かりやすさを追求していく映画が多いですが、その対極を行く映画がゴダールで、しかしどちらも映画である、と。 そう考えると、いままでの映画の価値観がガラガラと崩れていきます。 はっ!これがゴダールの狙いか?! 長々と書いてしまい申し訳ありません。 間違った理解をしていましたら、どうぞ教えてください。 ありがとうございました。
- ichien
- ベストアンサー率54% (733/1334)
今晩は。この質問は以前にもされていませでしたか? 別の方かもしれませんが、この前はタイミングが悪かったということでご諒解下さい。 それで、私の意見は、ズバリ >ゴダールの作品は一体どこが面白くて評価されているのでしょうか? 大当たりです。ゴダールはちっとも面白くありません。 「勝手にしやがれ」、「女と男のいる舗道」、「気狂いピエロ」。ほかにも有るかもしれませんが、無軌道な生き方をして来た主人公がある時ちょっとした騒ぎに巻き込まれる。それでもそのままのらくらしていると、突然ドンパチ(銃撃)が起こって、一巻の終わり。 上はみんな同じ展開です。主人公に共感できるところも無いし、とにかく退屈ですね。銃撃への展開も茶番だとしか思えません。中には「女と男のいる舗道」で触れられる娼婦入門講座のような、意外な知識を与えてくれて面白いシーンが有ることも有りますが、全体からすれば例外です。 ところが、実はかなり色んな知的なものの引用に満ちていると言う話も有ります。ですが、これは観ただけではほとんどその存在すら感じられません。 それでは何が評価されて彼は一流監督として認められたのか。 おそらく、いえ、間違いなくそれは、彼が、或いは彼の映画の同志が、それまでの映画が持っていなかった手法を打ち建てたからです。「勝手にしやがれ」でゴダール(トリュフォーも協力していた筈です)がやったことは、映画を、カメラをスタジオやセットから解放することでした。 最も明らかな例は、最後のシーンに有ります。画面がぶれようとどうなろうとお構いなしに、傷付いたベルモンドが始めは小走りに、やがて息も絶え絶えになってパリの路面に倒れるまでを追い続けます。こんな映画(劇映画)の撮り方はそれまで誰もしたことが有りませんでした。おそらく脚本に関しても、従来の作り方とは異なる方法が行われていたでしょう。 それまで彼ら若い映画好きの者たちは、ほとんどの映画監督の作品を「古臭い」と評して嘆いていました。そして現実に自分たちが映画を創れる番になった時、それらを完全に否定してしまったのでした。それゆえ彼らを「ヌーヴェル・ヴァーグ」、新しい波、と呼んだのです。 そして、それは当時の若者の世代の圧倒的な支持を得ました。 これで、最低限は答えたかと思います。まだこの件に付いては伝えることが有りますが、一先ずここで終わります。こういう言い方をすると失礼極まりませんが、折角回答しても一言も返してくれない人もいますので。例 ↓。http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=279632 では、続きがありますよう。
お礼
回答ありがとうございます。 この件に関しての質問は初めてです。 過去の質問に似たようなものが幾つかありましたが それとは若干異なるかな、と思って質問した次第です。 >無軌道な生き方をして来た主人公がある時ちょっとした騒ぎに巻き込まれる。 >それでもそのままのらくらしていると、突然ドンパチ(銃撃)が起こって、一巻の終わり。 やはり物語としては結構単純なのですね。 しかし、それを時間の流れと言葉を分断して 映像をループさせることにより、わけのわからん映画になる?? うーむ、言葉で表現するのが難しいです。 そしてさらに疑問なのですが、なぜ単純なストーリーばかりにするのか。 知的な言葉を用いる方なのですから いくらでも物語性のある映画を撮れるでしょうし またそれをゴダール流に撮ることもできるでしょう。 それをなぜわざわざ、 「男と女が不倫して暴力沙汰になっちまったぃ。」 というテーマばかりで描き続けるのか? また、手法ばかりが目だって伝えるべきことが(あると仮定すれば)伝わってこないのですが あえてそうしているのでしょうか? わかる人だけ見ればいーんだよって事なのでしょうか? 昔、ピカソの絵(後期)を美術館で見たとき 「こんなの僕でもかけるよー」と言っていた子供がいましたが、あんなかんじです。 つたない文章で一生懸命書きましたが、ご理解頂けるか心配です。 まだまだ知りたい事は尽きませんので、続きを期待しております。 ご回答よろしくお願い致します。
お礼
再び回答していただきありがとうございます! 歯痛は大丈夫でしょうか? 娯楽文学と純文学について、 わかりやすく教えていただきありがとうございます。 ようやくわかりました。 先日、今回の直木賞と芥川賞ノミネート作品が発表されてましたね。 そのノミネート作品を見ると・・・うーむ納得。 >福田和也氏が著作「作家の値うち」(飛鳥新社) 興味がありますので、読んでみたいと思います。 >まあ「映画」に限らず「表現」の何たるかを考える人でないと退屈なだけ、 >だと思われます。 「表現」の何たるか、ですか。難しいですね。 それこそがArtの醍醐味であり壁なのでしょうか・・・。 >ゴダールが“フィルム”と“シネマ”という言葉を使っての自身の考え方を >述べた文章が載っていました。この二つのフランス語は通常日本語に訳す場 >合、どちらも“映画”になるのですが、ゴダールはそれを区別して使ってい >ました。 なんとまぁ!!そうだったんですか。 気になります、どういう意味で区別しているのか。 また長くなってしまいました、すみません。 archangeさんはフランスの文化や文学、 時には日本文学や評論などを用いて教えて下さるので、 とても勉強になります。 ありがとうございました。