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教育再生はうそぱっち?

 ご意見をお聞かせください。 現職の大臣が亡くなりました。(残念至極です) 総理大臣は教育再生(教育改革)として、熱心に教育関係の法律を変えています。教育再生会議の答申(教育再生会議は総理の諮問機関でしたっけ?)をみますと(新聞報道程度)専門家が集まってるにもかかわらず現実的でないような提言をしています。といいますか、変です。(具体的なことはあげません)。これは、中曽根の鉄道改革(福知山の事故の元は中曽根です)、小泉の郵政改革((民営化されると必ずひずみが出ます)のように国民にそのテーマに目をむけさせて「おれはこんなにやってるんだという」ポーズのように思います。というか他者を攻撃して、自分を上げたいというような心理を感じます。  自分の同僚・部下の命を救えなかった男に教育云々なんて出来るのでしょうか?  命の大事さを声高に文部省は叫んでいます(不自然なくらい) うまく表現できませんが総理の教育改革はポーズだけでしょうか(もちろん、本気で教育を何とかしたいと思ってるのでしょうが) 中曽根と高石が組んで指導要領を変えて「組み合いつぶし」に走ったように組み合いつぶし、教員管理(国の方針に異を唱えない=サイレントテイーチャー)するだけの法案のように思われます。縛りは教育にはなじみません。創造性を失います。  資本主義の反省のよって修正資本主義が取り入れられました。あまりに原理主義を押し通すと必ず歪がおこります。 教育に競争原理を入れるとうまくいかないように思います。(特に小学校、中学校の初等教育=経験から教育は横並びでなければうまくいきません) 総理の教育改革をどのように思いますでしょうか? ご意見お聞かせくださいませ。

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  • aozola
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回答No.11

専門家の人が言うには全くだめだといっているようですね、何より教育予算を削っているので、予算を削って質の良い教育というのは、どうやっても不可能なわけですから、 多分私の読みだと、戦前的な軍事教育とか、子供の国家支配とか、そういう教育支配が狙いなのだと思います、日教組を妙に叩くのもそのせいで、実質はただの派閥争いを教育上でやっているだけではないでしょうか、本当に教育再生を考えるのならまず教育予算を増やすだろうし、減らしている時点で別の意図があると見ていいのではないでしょうか、

runa
質問者

お礼

ありがとうございます。同感です。権力闘争の一種です。教育支配したいのでしょう。広島の校長の自殺に事寄せて、日の丸、君が代を法制化して、強制し、従わないものを排除してます。予算を減らしてますね。軍事費は減ってるのでしょうか。ミサイル防衛にかなりの予算を計画してるようです。これも朝鮮半島のことに事寄せてますね。都合のいいようにやられてます。村山社会党が与党になったあたりからおかしくなりました。彼は悪魔的な人間でした。魂を売ってしまった。 しっかり政治を監視するぐらいでなければやられてしまいますね。おばさんがたが「純ちゃん!」と絶叫する姿は異常です。

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  • tooma37
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回答No.14

まだ続いてたんですねこの質問…、締め切った方がいいという勧めも兼ねていくつか。 >tooma37さんの理屈では日本の時の最高責任者には「戦争責任」あったのですね。  どうも私の事を右翼か何かと誤解なさっているようですねw、そういう色分けは段々陳腐化していると思いますよ。私は敗戦の責は東条英機を含む指導者にあったと認識しています。 >やはり間違ったことは良心に従って教えなくていいです  何度も申し上げますが、それが間違っているかを決めるのは質問者様ではないのです。民主主義国家で意見の相違は当たり前なのです、だれかが正しいと思った事が別の人に間違っていると思える事は普通におきるのです。教師が正しいと思って教えた事が人によっては全然間違っているという事もありえるのです。公務員がそれぞれ独自の判断で動いていては行政は無茶苦茶になります。例えば日本周辺で軍事的緊張が極度に高まっているとき大地震が起きて、平和運動家が救助を求めているときに自衛官が「彼が生きていれば国民の為にならない、間違っている」と“良心に従って”見殺しにする事がゆるされると思いますか? >いくら口出してもいいのでは、民主主義ですもの。  日本国憲法と公務員の権限に関する判例を勉強してください。余程ご自身に都合のいい部分だけ抜き取るのでなければ、ご自身の誤りに気づくと思います。

runa
質問者

お礼

ありがとうございます。もっと勉強します。

  • tooma37
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回答No.13

>東ドイツが崩壊したときに過去に政治犯を射殺した もしその射殺が命令であり、実行者が従っただけであるのならその実行者に責任はありません。そもそも遡及罰は刑法の概念に反します。 >間違ってること、意味のないことは教えなくていいのではないでしょうか。 私が申し上げたいのはその価値判断をするべき人物は教師ではない、という事です。意見の上申は可能であるべきでしょう、個人として与党に票を与えないこともよいでしょう。しかし再三申し上げます、何を根拠に他の公務員に許されないほどの独自裁量権が教師に与えられるとお考えなのですか?民選の政府の意思など無視して然るべきだと考えているようでは戦前の関東軍と変わりませんよ。 >政治が教育に口出しすぎです。大臣が変わるとカリキュラムまで変更しようとします。異常です。 反対です、教師が政治に口を出しすぎなのです。そうお考えであるのなら教育委員会を直接の民選にすべきです。直接の民意をうけていない機関が政治的価値判断をすべきだとするのは異常です。 >昔の学生運動のエネルギーはどこに行ってしまったのでしょう。 若輩者ですので学生運動を体験していませんが…思い当たる理由はいくつかあります ・冷戦の終結でイデオロギーに説得力がなくなった事 ・経済の発展で社会変動よりも個人の努力が相対的なコストパフォーマンスに優れるようになった事 ・価値観の多様化で自己表現の手段が政治以外の分野にも多く見つけられるようになった事 >これが彼らのねらいなのでしょう。 言論の左右に関わらず浅薄な陰謀論は最も唾棄すべきものだと考えています。 >小泉の「郵政選挙」のとき衆愚選挙をあからさまに見せてくれました。 あの選挙に衆愚的な要素があったのは間違いありません、民主党のメディア戦略が最悪でしたね。 >注意深く世の中を見なければと思います。=世界、宇宙に視野を広めて その前に教師は特権階級でもなんでもない一公務員であることと、公務員の職責ついて足元をみて考えて頂けると幸いです。

runa
質問者

補足

>実行者が従っただけであるのならその実行者に責任はありません いいえ。実行犯に最も重く罪をとわれたのです。東ドイツも、ソ連も同じでした。太平洋戦争で罪をとわれたのは東条英機だけだったでしょうか。彼は裁判がありましたが、普通の日本の兵隊は裁判なしで処刑されました。tooma37さんの理屈では日本の時の最高責任者には「戦争責任」あったのですね。 やはり間違ったことは良心に従って教えなくていいです いくら口出してもいいのでは、民主主義ですもの。公務員だけでなくて他の人たちも、公務員は1%ていどではないでしょうか? *そういえば「公務員にはプライバシーなどありません」といったひとがいましたが・・・・。 学生運動についてはそのとおりと思います。 それにしても、この世の中の閉塞感はどこからくるのでしょうか? 日本、日本人がちじこまってしまってるように感じてなりません。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • tooma37
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回答No.12

>>異を唱える権限は無いと認識してる >間違ってることは間違ってるということも出来ないのですか? 申し訳ありません、言い回しが不適切でした。“異を唱える事”は可能でしょう。しかしその異論のある職務を行わない、その職務に反抗する権限は無いと考えます。何故なら政治的判断を伴う行為を行う権限を公務員は持たないからです。自衛官は交戦する国の軍隊を選べるのでしょうか?警察官は逮捕する犯罪者を選べるのでしょうか?市役所職員は住民票の写しを発行する相手を選べるのでしょうか?そして教師は(最低限の個人の裁量を超える)教育内容を選ぶ事は許されるのでしょうか?旧東独やソ連の問題は何時、誰を、どのような状況で殺すかという基準設定に国民が関われなかったという事です。公務員に命令反抗の権利が無い事が原因なのではありません。日本は法治国家です、そして公務員は法によって支配されます。再度申し上げます、教師はいつから上部機関の指示に逆らえる特権職になったのでしょうか? >君が代、日の丸の押し付けはどのように思われますか? 私は君が代、日の丸の公教育導入を支持しています。しかし法制化によって強制し罰則を与える事には反対です。自民党の行き過ぎは苦々しく思っています。同時に少数派であるにも関わらずなんら建設的な妥協案を出せず反対するだけの反対派にもうんざりしています。私は彼らが最終的に何をしたいのかよくわかりません。ある程度の(彼らがいう所の)戦後処理が進めば現国旗国歌を認めるのでしょうか?それでも認めないとして代替案となるべき新国旗国歌の腹案はあるのでしょうか?それが国民から広範な支持を得ることができると本気で考えているのでしょうか?そもそも共同体の維持・向上には構成員の帰属心が重要な役割を果たすといった共通理解すら持てないのでしょうか? >それ(政治家のうそ)を見破る力を国民は持たねばなりません。マスコミではなく自分の頭で考える力を持ちたいものです。私も含めて。 そうですね。私も含めて。 >謝々 不謝

runa
質問者

お礼

 ありがとうございます。このテーマは永遠の課題です。国家と個人の権利どちらが優先するか、昔からのテーマですね。 東ドイツが崩壊したときに過去に政治犯を射殺した個人に対して罰を与えることは可能かという議論がありました。この人は任務を忠実に遂行しただけに過ぎません。遂行しなければ自分が罰を受けたでしょう。結局、人道に対する罪ということで罰を受けたのでしょう。社会体制が変われば価値観が変わってしまいます。教師の上部機関とは文部省のことでしょうか。間違ってること、意味のないことは教えなくていいのではないでしょうか。まさしくそれが人道でしょう。 政治が教育に口出しすぎです。大臣が変わるとカリキュラムまで変更しようとします。異常です。  昔の学生運動のエネルギーはどこに行ってしまったのでしょう。 実は、私もエネルギーはなくしてます。  これが彼らのねらいなのでしょう。「物言わぬ国民」これが一番為政者の都合のいい国民=正しい国民=いい国民=立派な国民=すばらしい国民=最高の国民=忍耐強い国民⇒衆愚政治のきわみです。小泉の「郵政選挙」のとき衆愚選挙をあからさまに見せてくれました。  時代は過ぎても「人間は」変わらないことを=進歩しない。 注意深く世の中を見なければと思います。=世界、宇宙に視野を広めて

  • lovein
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回答No.10

教育改革と言われているのは 簡単に言ってしまえば、ゆとり教育で、ぼろぼろになってしまった 今の若者達や公立学校の教師の指導力不足をなんとかしたいというのが 本音だと思います。 ですが、子供の親達自身が先生と呼ばれる教師たちを 信じてもいないし、尊敬もしていない、 教師達も生徒の事を自分達の大切な教え子だと思っていないし 入院や不登校になっても何もしない 少なくとも年単位の人と人との付き合いになるにもかかわらず 教師は仕事だから、教える、生徒達も学校くらいは出ておかないとで 学校に通う、 こんな、ゆとり教育の目指した(心のゆとりや他者に対する優しさ)は まったく見られない、学びの場と呼べる学校が激減している現状を何とかしたいというのが本音です。 何故なら、この事が政治不信、ニートやフリーターに代表されるように 信じて真面目にがんばる人が馬鹿を見る、その日さえ楽しく済めば、それで良しという考え方を国民に広く普及させてしまいました。 年金やNHKそれに学校給食費の不払いも、払ったって何が良いのと 思わせる事件や、不祥事が後を絶たないのも。 先生も含めた公務員達の意識改革や、広く国民に対して、がんばった人が 評価されるという現実を見せたくて 小泉首相は、高所得者や企業に対して大幅な減税を行い 公立の大学に対しては独立採算制を採用し 教育の現場に市場原理を導入しました。 結果、日本経済は確実に良い方向に向いてきたと思います ですが、どこにでも居ると思うのですが 能力があるのに、その力を誰かの為には使わない人や がんばってはいるのだけれど、現実問題として 能力の低い人をどうするのかを、現内閣は宿題として やっているのです。 一番良くて解り易いのは、能力の低い人を上げる事です。 そして力のある人には弱い人を支えてあげる優しさや誇りを 持てる社会に変えていくのが教育改革なのです。 ですが、相次ぐ閣僚の不祥事や年金問題、地方からは 国は、地方交付税を減らして、災害時の避難場所になる校舎や 体育館の耐震工事の補助金を出し渋り、そのくせ教師はだめだと 口先だけで奇麗事を言うと笑われています。 景気が良くなり、税収が驚異的に伸びた東京都ですら 急速な児童数の増加に対応できず、たくさんのプレハブ校舎で 授業が行われているのが現実です。 現政権では、宿題があるのは解っているし、やらなければいけない事も 解っている。 だけど、どうやってやれば良いのか、どこから手をつければ良いのかが 解らないというのが本当のところだと思います。 だけど、いつまでも待っている余裕が無いのは、皆がわかっているのです。ある意味、不思議な国ですよね。

runa
質問者

お礼

あ りがとうございます。 ホリエモンを持ち上げるような社会(逮捕以前)はだめだと思います。 マスコミが悪すぎます。彼をヒーローにしてしまいました。汗して働くことがばからしいと思うような社会にしてしまいました。 そうですね。何をやったらいいのかわからないのでしょう。 わたしも、うまい考えが浮かびません。 教育権を独立させて、行政からきりはなすのがいいように思います。 今のままでは、政治屋が政争の具にしすぎです。 謝々

  • tryouts
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回答No.9

教育は100年の大計と言うように、今回の改革程度ではさしたる変化はないと思いますが、理念を注入するというやり方は望ましいものであると思います。 「ゆとり教育」や「学校間競争」などは単なるテクニカルな話に過ぎないと考えています。 全ての問題は教育を行う上での理念の欠如にあるのではないでしょうか。 教育の理念は、人の精神的骨子を形成していきます。 明治から行われた戦前の教育理念に関しては、明治10年代までの維新で活躍した初期のTOP達の政争の生き残りであった山縣有朋の理念に、その後出される教育勅語を重ね合わせた物が、戦前の教育理念であり道徳教育の基盤となっていました。 (教育勅語が出されたときの総理も山縣卿です) 山縣卿は元々奇兵隊出身であり、軍事に傾倒する面が強く軍人勅諭の制定を行ったのも彼ですし、軍閥主義の祖とも言われており、教育勅語にも「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」にあるように、軍事色が現れ、また昭和初期以降につながる全体主義の色が表れています。 教育理念が社会に影響を与えるようになるまではかなりの時間を要します。 3世代をもって如実に表れてくるのが教育理念であり、教えられた人々の精神的骨子になっています。 これは、最初に教えられた世代は、親に関してはその理念の教育を受けていないため、精神的骨子と言える段階まで強固なものにはなりません。 (親もその理念に関して半信半疑のところがあるためです。) 対して、次の世代では新しい理念の教育を受けた世代は、親もその理念を受け育った世代であるため、家庭においてもその理念を批判されることが減り、十分に吸収し精神的骨子を形成していくのです。 3世代目になるころには、その理念は当然の事として教えられ、また現役世代(60代まで)の大多数は新しい理念による教育を受けた世代となるため、教育の理念が実社会に色濃く反映されることになります。 話を元に戻し、戦前の教育に遡って考えますと、教育方針が出来上がってから敗戦までが70年弱、教育勅語成立からで見ると60年強となります。 教育方針が出来上がってから、日本の全体主義色が鮮明になるまでの期間は60年強となります。 これを現代に置き換えると、戦後教育は1945年から始まっているので今で60年強となり、戦前の全体主義色が鮮明になるまでの期間とほぼ同じになります。 「ゆとり教育」が始まる前後に金属バットによる尊属殺があったのも、新教育を受け育った世代の親子になっており、これが一番大きな原因だと思っています。 これは明治前・後を問わず親や目上の者を尊重するという教育を受けておらず、家庭内でその教育を受けれなかった人は、親や目上の者を尊重する気持ちがなくなります。 友達のような親子関係が出てきたのも同じ時代であり、詰め込み教育などとは関係なしに、理念の無い教育を受けた影響が表れてきたと見る方が自然だと思います。 恥や責任というものが抜け落ち、権利の主張を行うだけになってしまったのも同様に戦後教育の失敗点にあると思います。 これも精神的骨子の無いが故の問題ではないでしょうか。 教育管理に関しては、教育改革を行う上では重要なことです。 戦後の教師は、戦前を(教育も含む)を批判することを理念としてしまっていることもあり、戦前の教育理念に含まれていた全体主義色は問題であって批判するのは妥当だとしても、道徳教育自体までも批判してしまっています。 教育を改革していく上では、戦前を全て批判する人を一掃しないことには改革を行うことは出来ません。 形だけの地域でのボランティア活動などを行っても、道徳教育という精神的骨子が形成されていない中では、砂上の楼閣に過ぎません。 これはボランティアなどだけでなく、学力でも同じです。 人としての基盤が存在しない上に、何を教育したところで、人間として不安定であれば教育の成果は半減してしまいます。 批判することを思想レベルにおいてまで是とする人を管理し、追放することは教育改革において真っ先に着手すべきことだと思います。 教育に競争原理を入れても何も問題はないと思います。 単なるテクニカルな面に過ぎず、人間性の形成に大きく影響を与えるものではなく、明治前・後においても競争原理は導入されていましたが、それによって現在のような問題が多発していたことはありません。 教育理念の欠如という根本を解決しない限り、テクニカル面において何を行ったところで最終的な結果は同じになります。 但し、単に学力という面で見れば競争原理の導入は至極妥当と考えます。 現在の学校教育における学力指導に関してみれば、勉強を得意としない生徒ないしは、平均程度の生徒に合わせた授業を実施しています。 小学校まではさておき、中学校あたりから学力の差は顕著となり、均一の学力指導を行うことは、対象とされた生徒以外にとっては大変不満となるはずです。 学力と言う面で優れている生徒からすると、学ぶ意欲をなくすための教育を受けさせられていると言っても過言ではありません。 「ゆとり教育」が失敗だったとすると、彼らの意欲を削ぎ、優秀な人材を育たない環境にしてしまった結果から社会的損失にあると思います。 機会の平等と結果の平等を、批判することを理念とする教師の多くが履き違え、生徒に学力に置ける結果の平等を求めることは大変な問題です。 勉強の苦手な生徒には新しい分野を無理に教えて全てを曖昧に進めてしまうよりも教育期間中に本人が理解できる範囲までをしっかりと理解させ、また勉強が得意な生徒にはより新しい分野を教えることとが、本人にとっても社会にとってもプラスに働きます。 (人によって教えられる範囲は異なる結果になっても、教えられる範囲にたいして確実な理解が出来ることは、本人にとって大きな自信をつけさせることが可能となります) 道徳教育の中身が問題になりますが、精神的骨子の形成を目指す上でも、戦後の教育改革の中では一番意義のあるものであると思います。

runa
質問者

お礼

 ありがとうございます。勉強になりました。そのように思います。今は先生もともだち感覚です。メリハリのある関係性を作り上げないといけないと思います。 悪いことをした子供をしかると、親が出てきてなぜしかったのかと詰問するような社会は良くありません。 「道徳」「道徳」とさわいで「道徳教育」ほど大事なものはないといっていた校長が人が死ぬと喜んだり、学校の近くの民家が火事で燃えてるのに、学校に消火器を借りに来たひとを「貸せるか」と怒鳴り散らして、結局貸さなかった人がいました。道徳教育とはいったい何でしょうか? その人は80歳近くなりますが元気です。長生きですねそうゆうひとは! 長生きしたかったら「道徳教育研究会」に入れと勧めてます。その会長やった人はみな長生きです。  いずれにしても行政から教育権を独立させた方がいいように思います。

  • tooma37
  • ベストアンサー率25% (96/374)
回答No.8

>福知山の事故の元は中曽根です 国鉄が民営化されていなければ福知山の事故は起こり得なかったという事でしょうか?そもそもこの事故の詳しい調査結果は発表されていません(これに関しては完全にJRの瑕疵であり許しがたいことです)。それに民営化がなされてから鉄道事故は減少しているという統計もあります。すくなくとも事故の原因を中曽根であると断言するのは軽率ではないでしょうか? >民営化されると必ずひずみが出ます どの民営化も悪というわけではなく、どのサービスをどのように民営化するかという事だと思います。個人的に郵政民営化には懐疑的です、財政投融資の問題を解決できればそれだけで充分とも思います。 >自分の同僚・部下の命を救えなかった男に教育云々なんて出来るのでしょうか? 同僚・部下を死亡させた男には教育云々は不可能、という論理は乱暴に過ぎるでしょう。この論理が罷り通れば同僚・部下が自殺した教師は皆辞職しなければなりません。 >総理の教育改革はポーズだけでしょうか(もちろん、本気で教育を何とかしたいと思ってるのでしょうが) 質問者様は外国人の方でしょうか? In case you are from foreign country, I'll type this in English. The question you asked is logically wrong unless it is some kind of philosophical question (If so, you got wrong category).If you can't be aware of it, you should study Japanese and logics little more harder. >教員管理(国の方針に異を唱えない=サイレントテイーチャー)するだけの法案のように思われます。 そもそも教師を含む公務員には国や自治体の方針に“職務において”異を唱える権限は無いと認識しています。 >縛りは教育にはなじみません。創造性を失います。 前文で質問者様は教員管理についてふれていますので、この文章は“(教師の)創造性を失います”という文意になりますが既に大人になっている教師の創造性を育む事は国が取り組むべき問題なのでしょうか? >資本主義の反省のよって修正資本主義が取り入れられました 修正資本主義の反省によって新自由主義が取り入れられました。経済思想と教育問題を同列に扱うのはいかがなものでしょう。一般原理から各論の考え方を導く演繹法が過ぎると必ず歪がおこります。 >経験から教育は横並びでなければうまくいきません 個人的な経験から言えば(といってもせいぜい少人数を教える程度のものですが)そのように感じたことはありません。 >総理の教育改革をどのように思いますでしょうか? ・教育委員会の改革についてですが、これは地方分権に対する考え方とも関わっています。私はナショナル・ミニマム達成の為の国の一括管理を望ましい(その為に政府の透明性を担保する必要がありますが)と思っていますので委員会改革に賛成します。 ・教員管理に関して賛成です。いつから公務員である筈の教員は上部機関の指図をうけない特権職になったのでしょうか? ・学校・教員に対する競争の取り入れにも賛成です。生徒に競争原理を取り入れる事と混同する人が多いですがそれは別の問題です。 ・生徒への競争原理の持ち込みは現時点では反対です。競争についていけない生徒へのケアというものに現政権がそれほどの関心があるようには見受けられません。 ・愛国心云々に関しては微妙なところです。そもそも戦後60年、国家として一応のコンセンサスすら得ていないという怠慢は国民全体の責任だと思います。

runa
質問者

お礼

ありがとうございます。 >異を唱える権限は無いと認識してる 間違ってることは間違ってるということも出来ないのですか? 旧東ドイツやソ連と同じですね。人を殺せといったら殺す。民間飛行機を打ち落とせといったら打ち落とす。危険な考えです。 ロボット、機械ではないです。人間です。 君が代、日の丸の押し付けはどのように思われますか? 政府は学校に絶対強制しないと言ったのはうそだったのでしょうか? 現場では、はじめからうそとわかりきってました。 うそつきです。平気で政治家はうそをつきますね。 それを見破る力を国民は持たねばなりません。マスコミではなく自分の 頭で考える力を持ちたいものです。私も含めて。 謝々

noname#45695
noname#45695
回答No.7

教育再生会議というのは、安倍チャン好みのいろんな人(とにかく飲み屋チェーンの親分、やくざチックな元欠陥教員,教育に見識などなさそうなノーベル賞学者とか)をゴチャゴチャ集めて、井戸端会議をしているところ。 安倍総理の頭には英国の教育制度をズタズタにしたサッチャー流大ナタ主義を真似しようとしているだけ(その英国では、いまやサッチャー~ブレアと続いた教育改革路線への批判が高まっていることはご存じないようである)。日本と英国の決定的な違いは、英国では政府がなんと言おうと、あるいは制度をゴチャゴチャいじくろうと、「暫くお待ちを」とばかりにいうことを聞かず、暫く我慢していれば与野党入れ替わりまた元のシステムが復活するだろうと我慢している例が多く、またそれを許容する社会があるということ(それが英国の義務教育がゴチャゴチャした仕組みになっている大きな理由であるが)。 日本は、「右向け右で」一斉に右を向かざるを得なくする社会的雰囲気が全てを支配しているということが一番の問題。安倍総理の狙いもまさにそこで、何とか会議(要するに自分の頭の悪さをカバーするための法律上何の意味もない私的諮問機関=家庭教師)にもっともらしいことを言わせ、国民になんとなくそうしなくてはいかんのかという気分を与えようとしているのである。(たかがアホな総理の家庭教師がいっていることを大々的に報道し、結果として提灯持ちになっているマスコミの責任も大きい)

runa
質問者

お礼

ありがとうございます。同感です。今の日本では全体主義的な、閉塞感が漂ってますね。サッチャーのまねして学校評価、評議員とかやってますが意味ないです。少なくても、こどもたちには! マスコミの責任は大きいです。マスコミの中立性はなくして、選挙の時には特定の政党、候補者を応援していいようにすれば、本当の小泉の言う「自由主義」が完成されるのではないでしょうか? これからイギリスの教育を勉強します。謝々

noname#204885
noname#204885
回答No.6

私は、管理強化には反対ですが、情報公開の観点からの競争原理の導入には賛成です。  ・それぞれの学校に好きなようにやらせる。  ・その代わり、生徒にも自由に学校を選ばせる。  ・学校間の成績も何もかも公開する。 と言うのが一番良いと思います。ある意味究極の自由主義ですが、下手に管理するよりはましかと思います。

runa
質問者

お礼

そうですね。徹底した自由であれば一番いいですね。今は全て管理されてますね。高校の世界史の履修漏れ問題を見れば一番わかります。自由であれば問題なしですもの。行政から教育権を独立させたいです。 謝々

回答No.5

教育基本法改正はくだらない文言ばかりにこだわり、意味のないものに感じました。 まさにパフォーマンスだと思います。 >教員管理(国の方針に異を唱えない=サイレントテイーチャー)するだけの法案のように思われます。 まさにその通りに感じます。 私は各教育委員会の裁量で多様な教育をすべきだと思います。 (ただし、今のお役人に追従する教育委員会ではだめですが) 私は総合学習の評価はまだ定まっていないと思います。 総合学習は基礎学力以外の部分を伸ばすためのものとして始めたのであって、基礎学力が落ちたから失敗だったというのでは評価にすらなっていません。 むしろもっと自由な裁量で、地域の人と係わっていい教育ができるのではないでしょうか。 授業で安倍さんの好きな「道徳」なんてやるよりもよっぽど道徳が身につくと思いますが。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.4

 国家100年の計は、教育にあります。  教育制度を大幅に変更すると、そのための制度変更や体制作り・新しい教材の開発・教育方法の見直しなど、臨時の仕事が増え現場の教師が生徒・児童に対して払うことの出来る労力が必ず減ります。  つまり、教育改革をすると一時的に必ず教育レベルが低下すると思って間違いありません。  文部省は「ゆとり教育」を打ち出し、それが学力低下を招き、今度はその逆をやろうとしています。  親族の教員に聞くと、「ゆとり教育」は、校外学習(実社会の勤労体験)や総合学習など今までにやっていなかった教育システムが導入されたため、生徒の勤労受け入れ先の掘り起こしや受け入れ態勢のマニュアル化、地元受け入れ企業・商店の体制作り、教材開発・教育方法の各先生の工夫・成功や失敗例の講習会による共有化・成功例の積み上げによるマニュアル化など、数年の試行錯誤を繰り返してやっと軌道に乗りかけたところだそうです。  つまり、初期の学力低下期をやっと抜けて、「ゆとり教育」の目指すところが曲がりなりにもシステム化されてきたところなのです。  ここで、また教育制度を大幅に変えれば、せっかくシステム化されノウハウ化された校外学習・総合教育の指導法も失われかねません。  教育のように裾野の広い時間のかかるものの改革は、現場からのボトムアップによるのが理想です。それが不可能としても現場からの支持は欠かせません。  トップダウンで理念先行の「教育再生」は現場の教師の支持を得ていません。  「ゆとり教育」の方針に従って、数年に渡って今までになかった教育方法をシステム化する労力をかけ、それがやっと軌道に乗りかけたら「教育再生」で再度方針変更。 「教育再生」の中身が良かろうと悪かろうではなく、再度の方針変更にやる気をなくしています。(また、ゆとり教育の時と同じように、新たな仕事が増加するのですから。)  また、日本の社会の中核を担ってきた「団塊の世代」の大量退職。教育の世界も例外ではありません。  高齢ではあっても経験豊富な教員の大量退職と新しい教員の採用で、教育制度の再度の改革がなくても、教育現場は教育方法の受け継ぎ(教育は教師一人ひとりが身に着けた、職人芸のような部分が重要となりますが、それを集団として引き継いでいくことは、相当の期間と手間が必要です。)が大きな課題として存在しています。 「団塊の世代」の退職に伴う経験年数の浅い教師の急増を克服して、教育レベルの維持を如何に行うか。  末端の教育現場の人々は、この問題の解決に手一杯で、新しい教育に心を入れる余裕がないと感じていることも、現場の支持をなくす要因です。  もし、現在議論されている形で「教育再生」が実行されたとすれば、選りすぐりの教師を配した少数の小中学英才教育校が誕生し、普通の学校では新しい衣をまとった教育教材提供システム(例えば、民間会社でも官庁でもない、教育振興財団のような組織による教材提供など。もちろん文部省官僚の天下り先。)による画一的教育が進みそうです。