- 締切済み
かたちの無いモノを視覚化
大学でグラフィックデザインを専攻しています。 今授業で、自分の好きな音楽やアーティストのポスターを 作るという課題が課せられました。文字がメインとの決まりです。 正直、伝えたい事を視覚化、ましてや文字としてなんて難しいです。 講師の方は、「最終的に完成するかたちを考えない」と おっしゃっていたのですが、いいデザインをつくりたいが為に どうしても最終形態のみが頭をよぎります。 中身の無い作品だけは作りたく無いです。 良い作品を作りたいので、こういう場合の 考え方、などなんでも教えて頂けたらと思います。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
完成形を最初から想定してかかると、パーツも色も、候補案さえも「完成形に近いもの」に限定され、他の道は最初から切り捨てられてしまうことになります。 いきあたりばったりのサムネイルや、途中の失敗作の中に「意外にも自分のテーマに合う」ものが見つかることがあります。 「これは最初に考えた形に合わないから」と捨てないで、逆にそのパーツを生かすために新たな形を考えたり、そのまた途中の良いものを膨らます事で、自分では思いつかなかった新たな切り口も生まれたりします。 自分の中の既成概念に固執する限り、今現在の才能以上のものは生まれてきません。成長しないのです。 講師はそれを言いたいのでしょう。 デザインの現場では、「綺麗に纏まっている萎縮した完成形」よりも、「破天荒なぶん強いインパクト」が威力を発揮する場合がままあります。 また、「予測しないランダムさ」を計算尽くで切り取ったものが心地よいこともあります。 たとえば墨流しの模様は意図した通りにはなりませんが、誰でも墨流しと言って思い浮かべる感じの模様より、全然墨流しという感じではないけれど、思いがけない面白い模様ができたらそれを使う事に変えてしまう手もあるわけです。その方が絶対目新しい。 これは「意味のない偶然に頼る」という意味ではありません。 偶然を切り取って「斬新な意味を作り出す」のがデザイナーの腕というものです。 常に自身の表現に新たな切り口を加えていくという意味で、「最初から完成形を目指して経過の失敗は切り捨てていく」のは、デザイナーとしてはちょっと萎縮しすぎたあり方だ、という意味なのでしょう。
- mackid
- ベストアンサー率33% (2688/8094)
>「最終的に完成するかたちを考えない」 この意味を考えた方がいいのでは? 完成度ではなくてどういう発想をするかを見たいのでしょうし、型にはまらないものを期待しているのだと思います。 >中身の無い作品だけは作りたく無いです。 最終形態まで行けば中身があり、行かないと中身がない、というわけでもないはず。講師の人は発想やアイデアが爆発している過程を見たいのであって、そこから自分勝手にそぎ落としたり小さくまとまった結果としての最終形態など見たくないのだと思いますよ。