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心があやふやで…
私はこの春高校生になりました。 私は昔から絵を描くのが大好きで、小学校の時からお洒落など外見のことはそっちのけで絵を描いていました。 けれど中学2年生くらいから人の目を気にするようになりました。 勿論それは自然な事だとわかっています。ただ少し「気にしすぎる」節があるんです。 実は、小学校高学年くらいになって兄が不登校になり、時期が重なって祖父が痴呆になりました。(家族構成は祖父・父・母・兄・姉・私です) 二人は毎日怒鳴りあっていて、家に帰るのがとても嫌でした。 また学校の方では一人の女子から地味な嫌がらせを沢山受けていました。(ずっと行動を監視されている感じで…) 母は介護疲れで周りを気にしている暇は無かったでしょうし、姉は姉で私に八つ当たりするし(妹=下の人間)、兄には毎日死ねといわれて散々でした。 ストレスで毎日お腹を壊していました。 でも私には絵がありました。絵を描いている時は楽しいと思っていました。 しかし最近はよく分からないのです。 現在の状態はその時に比べれば全然良いです。 特にいじめられている訳でもないし、兄はもう大学生なので県外にいます。 けれど酷く人の目が気になるんです。電車の中などで同い年くらいの女の子がひそひそと笑っていたならば、すぐに「私のことを笑っているんじゃないだろうか」と気にし始めます。被害妄想が激しいんです。 他人からみればそうでもないらしいですが、自分では人と上手く話せない気がします。 死にたいとは全く思わないのによく消えたいとおもいます。 それでも一歩踏み出したくて、こんな自分から抜け出せたらどんなにいいかと思って、絵以外には歌う事が好きだからそういう部活に入ってみようとか、色々足掻いているつもりです。 それでもすぐ自分に負けてしまいます。楽しいことがあった(あまりないですが)次の瞬間には「この気分はすぐ消えてしまうんだろうな」と暗いことを考え始めるのです。 高校は自力で単位を取っていかなければいけませんが、すぐ胃が痛くなったりして、欠席ばかりしてしまったらどうしようと自己嫌悪のオンパレードです。 昔は「絵を描くこと」が心の基準であり、基盤であったので色々な判断がキッパリとできていたように思います。 今はそうじゃないんです。自分がよく分からないんです。 質問が要約できていなくて申し訳ないのですが、皆さんは自分自身のなかで泥沼に落ちてしまった時どうされたのですか?抜け出すきっかけがあったのでしょうか。 本当にもうストレス発散法でも自信の持ち方でも何でもいいので教えて下さい。 全て自分の心の中の出来事なので、どうしたらいいのか分かりません。 乱文失礼致しました。
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こんにちは。 >姉は姉で私に八つ当たりする >兄には毎日死ねといわれて散々 裏付けのある価値を持たない心は、弱いもので、スケープゴートにされてしまいましたね。貴方はそれを通じ、そんな風に扱う人の間違いをまざまざと見てしまったのです。しかし、それは、貴方にとって、皮肉にもマイナスでありながらもプラスでした。それは、その間違いを確信持って、そういえる識別力が付いたからです。一生使えますよ。 >現在の状態はその時に比べれば全然良い 辛い中にも、この世の人の存在の中での価値を一つ見つけ出されたでしょう。 >いじめられている訳でもない >けれど酷く人の目が気になる >ひそひそと笑っていたならば、すぐに「私のことを笑っているんじゃないだろうか」と そんな日が、私の過去にもありました。 きっと、心が少しだけ寂しいと感じてるんです。あなたは自分のことがよく分らないと言いました。その表裏です。自分のことは、他人に決められることじゃないとおもいます。貴方の感じた笑っていた人は、貴方の中だけの想像です。 自分のことを気にしてほしい心の裏返しです。 しかも、温かい心を持って。 そうですよね。そんな温かな周囲に囲まれていられたら。と言う願望はあります。が、それは、背面にそうではない事も有り得るいう可能性も同時に存在し、それがゼロになることは、貴方の中の価値感の質を高めない限り、不安として貴方の、心に現れます。 温かな心の重んじることの大切さを知る人や、研究している人も、名前こそ違いますが多くいます。その人たちはそうでない人の心の存在まで認め、哀れみ、包含します。 貴方の心には、羅針があります。羅針を清らに見れるように何年もかかってもすることでそれが分ってきます。人としての静かな静謐な価値が。 ひそひそと笑っている気がしたら、そうしている人がもしそうであったなら、その人は、その価値観では、幸せになれないことを、貴方は知っています。哀れに思って、その人が、その間違いに気が付きますようにと、祈りなさい。そして自分も、そういった思考を自分の中ですることが無いか、あればそれを間違いと素直に認識し、正そうと、真摯に願いなさい。 そんな風にして、そんな妄想を克服しました。 >絵以外には歌う事が好きだからそういう部活に入ってみようとか、色々足掻いているつもり 好きなことは、自分に義務化させないことを前提に、おやりになって良いと思います。自分の心に正直になることが大切です。自分の心が何を欲し、何を感じ、どんな価値に自分は同賛し喜べるのか、探しましょう。今日の価値は、明日の価値への入り口です。戻る事だってできます。貴方は自由なのです。 >高校は自力で単位を取っていかなければいけませんが、すぐ胃が痛くなったりして、欠席ばかりしてしまったらどうしようと自己嫌悪のオンパレード そこにばかり目は向けていてはいけない。勉強はもちろん大事だけど、人として生まれたからには、生きることを喜べるあなたなりの価値を見つけていくべきだと。一生続くんだけどね。きっと。それがなかったなら生きていく意味が。そのために生きてるんだと思うよ。 >自分がよく分からないんです 自分の気持ちが、心が、この世の中での存在が、これからの心の存在が、やるべきことが、心の中でやるべきことが。今までは、周りを取り巻く枠は、与えて貰えていたからだなぁ。あなたは、いま、そんな社会や、世の中や、世界の入り口にいると思う。人としての優しさや温もりや慈しむ心や哀しむ心の意味とかをひとつでも探して感じて生きていけばさまざまな価値が理解できて行けて、自分がどんなでなんなのか見えてくると思うよ。しかし、毎日言えることだけど、昨日と今日はそして明日は、自己認識が刻々と変わるんだ。だから、貴方の心の羅針に耳を傾けて、少しずつでもいいから、良いほうへ良いほうへ瞬間瞬間進んで行こう。 人は、周りの人とも対話するけど、自分自身の中でも対話しなくちゃいけないんだ。自分の心を汲める人に。今度はそれを人に当てはめて、自分の嫌なことは人にしなく、いいことは人にし、そうすると自分にそうしてくれていた人に気づくしね。 >全て自分の心の中の出来事 あなたの見る世界は、貴方の心が作り出した世界。 いかにどんな価値を大切に思うかが大事。しかもそれは自分で見つけなきゃいけない。自分の心で感じたことが、自分になるからだ。な。 ぼんやり書いてたらずいぶん長くなってしまった。
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絵が好きということですから絵に関していろいろな発展を考えたらどうでしょうか。何かうまくいかなくなったら自分が絵を描くというところまで戻ればよいのではないでしょうか。ひとはいつでも一人であるという方が本当のことのようです。他の人が自分をどう思っていてもそれに対して反応しているのはあなたなのですから、もっと自分の頭の中の世界を大切にしたほうがよいと思います。
お礼
じぶんのあたまのなかのせかい。 よくよく見てみれば本当に幻想や思い込みで構成されているように思えます。 それを無くす事が自分に果たしてできるのでしょうか。 もっとちゃんと自分の事知らなくちゃな、と思います。 ご回答ありがとうございました。
- daisuke_dm
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あえて短文で思いつきで回答させていただきます。 私はうつ病でしたがほとんどなおって仕事にもいけてます。 で、僕は大学で美術史を専攻してました。amiration7さんは<「絵を描くこと」が心の基準であり、基盤であった>とのことですが、逆に、絵を見に美術館へ行ってみてはどうですか?(あるいは彫刻でもいいのですが) 僕なんかは、偉大な作品を目の前にすると、ココロが洗われるかんじがして、「あれ、自分ってなにに悩んでたんだっけ」ってなかんじになります。 そうすると、また「絵を描くこと」が心のよりどころになるかもしれませんよ。 実際自分も、いろんな作品を見て、逆に、自分がアートな作品を作ってみようと思っています。 とはいえ、絵は描けないのですが、インスタレーションをやってみようかと思っています。コンセプトやアイディアは決まったので、あとは、素材を調達(高い・・・)して、いろいろ準備して・・・といったかんじです。 と、書いてみて、ふと思ったのですが、絵を描くことからシフトして、別のアート(彫刻でも陶芸でも)にシフトしてみては? あるいは、今まで水彩ばっかりやってたなら、油彩にチャレンジしてみるとか。 あ、あと、可能なら、プチ旅行してちょっと遠くの美術館とか博物館に行ってみるとか? ・・・って長くなっちゃいましたね。amiration7さんなりのリフレッシュ方法が見つかるといいですね。
お礼
毎日閉じこもってばかりいたら、何にも触れずにいたら、絵を描こうだなんて思えませんよね。 人の目を気にしないままに歩けたらどんなに楽しいかと思います。 心の緊張を溶かしてくれるものがどこかにあるでしょうか。 難しく考えないで探していければいいなぁ。 ご回答ありがとうございました。
私もその年頃ときはぐちゃぐちゃでした。自信がなくて、自分を発揮したいのに自分の周りに薄い膜が張っているような不自由な気持ち、生きたくてしょうがないのに死にたい気持ち。中学までは映画や音楽に没頭しているだけでよかったのに、もう自分の体はそれに満足してくれない。。。とにかく自信がなくて、人と目を合わせるのも嫌、人に批判されたりするとすぐ泣きたくなる、少し失敗するとすぐ自己崩壊する。そのくせこんな自分を捨てたくてしょうがない。神経かよってる人間ならその年代でそうなるのが普通だと思うし、抜け出たいという気持ちを持たないほうが変です。感性がちゃんとあるってことです。私は高校も大嫌いで留年ぎりぎりでした。 今あの頃のことを振りかえってみると、当時の自分自身に、もっと自信を持ってあげればよかったなと思います。高校生になりたてなんてついこないだまで子供みたいなもので、皆ゼロなんです。こんな自分じゃだめ、こんな自分社会の中じゃごみみたいなもん、っていつも考えていた自分がちょっと可哀想です笑。顔もあるし手もあるし足もある、若々しい肌もあるしフェロモンもある。笑。そして何より今の自分を変えたい逃げでたいという強烈な感性。歳をとれば経験は増えて頭はよくなるけど、マイナスの要素もふえて、ちょっと意気地がなくなって視野も狭くなるし、自分が固定されていきます。そう考えるとその年代にはその年代にしかないよさがある。それを昔の私に教えてあげたいし、質問者さんにも是非いいたいです。あなたはすでに十分なものを持ってます。本当です。 今必要なのは、冷静に状況を把握して、自分が何に向かっていくかを考えること、自分を定義せず素直に楽しいと思えるものに向かっていくことです。絵を描くことがベースでそれを中心に世界を見れたのに、って書いてらっしゃるけど、人間のベースだってどんどん変わっちゃうんですから。心があやふやになって当然です。高校だって世界のすべてではないんですから適当にやればいいんです。今やりなおすなら、私は高校に行かないで大検を受けると思います。 楽しいことがあってもまたすぐ悲観的になるということですけど、きっと様々なトラウマで気持ちが弱くなっているだけです。そして自分は人と上手く話せない、人が自分を批判してる、その気持ちよくわかります。私もそうでしたけど、案外、誰も自分のこと見てないんです。皆自分のことばかり考えてますから。今頃になってようやく気づいたことですけど。。 繰り返しますが、あなたはすでに十分なものを持っています。十分すぎるぐらいです!
お礼
自信をもつことは、酷く大変な事のように思います。 大袈裟に捉え過ぎでしょうか。 redkeeper様が仰られたような「十分なもの」を探して、少しずつ前に進めたら…。 自分の周りに張っている薄い膜、の所為か分かりませんが、オフでの友人にはだせない心中を聞いてくださる方がいらして本当に嬉しいです。 ご回答ありがとうございました。
お礼
沢山の言葉をありがとうございます。 狭かった視野がほんの少し、開けたような感覚があります。 自分のことを気にしてほしい心の裏返しだなんて思ったこともありませんでした。 無意識にかけている「怖い世界」のフィルターを取り払う自信がありません。 ですか、回答者様方が下さった言葉を曲がりなりにも吸収できたらと思います。 私のために時間を割いてくださって本当にありがとうございました。