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サラリーマン>主婦?、サラリーマン=主婦?、
あなたの価値観を教えて下さい。 あなたは、主婦とサラリーマンの存在価値を同じと考えますか? それとも、あくまでもサラリーマンの方が上だと考えますか? 私は、ちなみに同じと考えています。 「誰のおかげで飯が食えれると思ってるんだ」という言葉が通用するなら、主婦も「誰のおかげで仕事が出来ると思ってるのよ」と言ってもいいと思います。
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サラリーマン=主婦 に1票! そして、#15様に激しく同意します。やれやれ、これじゃあ日本が少子化・晩婚化・非婚化になるのは当然ですね。サラリーマンより主婦がクズと言われて、どうして女性が結婚したり子どもが欲しいと思えるのでしょう。 家事は金銭で代行できるが、(妻が食事を作らなくても、コンビニでご飯は買える)金銭は家事で代行できない、という意見がありましたが、いかにコンビニでご飯が買えても、その旦那が妻の作る食事を「食べていた」という「事実」は変えられません。「コンビニで…」というのはあくまで事実ではない「仮定」です。そのような仮定が許されるのなら、妻にだって「旦那の為に食事を作っている時間に、ファミレスで他人の為に食事をつくっていれば時給が稼げたはず」という「仮定」が成り立ちます。どうして旦那側だけに「仮定」が許されるのでしょう。 専業主婦二人では家庭はなりたたないが、専業サラリーマン二人でも家庭は成り立つという意見について、確かにそうかもしれません。しかし、家事を全くしないことはおそらく不可能ですから、この「専業サラリーマン」の二人は、実質「兼業サラリーマン(=兼業主婦)」なのでしょう。つまり真の意味での専業サラリーマンカップル(家事を「全く」しない二人)の家庭も、やはりなりたたないと思うのです。 もうひとつ、AM7時に家を出て19時まで仕事をして21時に帰宅。こんな兼業サラリーマンカップルの間で、育児や老人介護は難しいでしょう。もし、すべての家庭がこのような兼業カップルになったら「家庭」はなりたつかもしれないけど「社会」はなりたたなくなるでしょう。子どもが生まれないでしょうから。 現に両親・あるいは一人親がフルタイムで働いて、立派に子どもを育てている家族もたくさんいることは承知していますし、その方々の努力には敬服します。しかし、「仕事」を理由に出産をあきらめる女性が数多くいるのも事実です。また、フルタイム労働が夫婦の「基本的」スタイルになれば、出生率が今以上に下がるのもほぼ確実だと思います。 「誰の金で食ってるんだ!」に対しては「誰の作った飯を食ってたんだ!」でどうでしょう(笑) それよりむしろ「私はあなたの家政婦じゃないのよ!」より「私はあなたの家政婦なのだから、家政婦にふさわしい給与と待遇を希望します」「もし私があなたの家政婦としてふさわしくないと判断するのなら今すぐ解雇してください。ただし今まで働いた分の退職金および、自己都合解雇による失業手当はもらいますからね」 と言いたいです。 自分の為にする家事(一人暮らしのひとが自分のためにする家事)と、他人の為(旦那・子ども・要介護老親など)にする家事は違います。他人の為にする家事は「労働」です。主婦は「労働者」であり、賃金労働者であるサラリーマンとは全く同格です。 あ、ちなみに私は主婦じゃなくて賃金労働者(女性)ですよ。
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- goony
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#10です。 この質問ひじょ~に考えさせられる質問ですね。 夜寝る前も、布団の中で考えちゃってます。 で、もうちょっと違う考え方をしましたので もう一度書かせてもらいます。 そもそも、存在価値っていうのは、 家庭におけるその人の仕事量だけでは、測れませんよね。 「誰のおかげで飯が食える」というサラリーマンは 自ら「俺は養うだけの人間だ」と言ってるような もんだと思います。 働いたお金を家に入れるだけが、 その人の存在価値なんでしょうか??? 母子家庭の人に聞いたらよく分かると思いますが、 母子家庭でもきちんと生活は、していけます。 でも、生活って経済力や家事・育児だけじゃないんですよね。 色々生活していく上で、悩んだり行き詰まったりする事も あると思います。 「あ~、こんな時に夫がいてくれたら。お父さんがいてくれたら」 って思うことって実際あると思います。 養ってもらってるだけじゃなく やはり苦楽を共にするパートナーの存在 子供の躾に大きな役目を果たしてくれるお父さんって 精神的にも子育ての上にも 非常に大きな存在なんじゃないでしょうか。 逆に「誰のおかげで仕事が出来ると思ってる」っていう主婦は 自ら「家政婦なんだ」と言ってるようなものです。 主婦は、家事・育児をするだけの存在じゃないと思います。 それだけなら、本当に家政婦とベビーシッターだけで こと足りてしまいます。 でも決してそうじゃないと思います。 やはりさっきも言ったように、 仕事がうまくいかない時、体調が悪い時 子供がお父さんに反発した時。。。 色んな場面で、妻・お母さんの力が発揮されます。 家政婦やベビーシッターではそこまでしてくれません。 やはりサラリーマン・夫の精神的な支えとなってるのではないでしょうか。 経済力で主婦を軽視している、サラリーマンやお父さん。 誰のおかげで仕事ができてるという主婦の人達。 自分が相手を精神的に支えてるという自信を持ち、 相手を自分が精神的に必要としているという自覚を持てば、 引け目を感じる事もないですし、 横暴になる事もないんだと思いました。 お互いの仕事量も大事かもしれないけど、 それだけなら、結婚する必要なんてなくなります。 本当の存在価値っていうのを 改めて考えてみたいなっとつくづく思いました。
#17です。何度もすみません。#18さんのご回答を拝見して補足です。 「2人ともサラリーマン(つまり共働き)でも家庭は成り立つ」と書きましたが、当然「家事(主婦業)は2人とも行う」ことは大前提です。 2人とも「仕事以外のことは何ひとつせず」だったら家庭が成り立たないのは当たり前ですよね(^_^;) 別に主婦を軽視するとかクズ呼ばわりするつもりはありませんので…(というか私が専業主婦ですし^_^;)。 「主婦業」はもちろん生活に不可欠だし大事です(求めるレベルは各自によって違うでしょうが)。 仕事も家のことも生活上必要不可欠だが、個人的には前者の方がしんどく負担に感じるんですよね。 でもこの辺は人それぞれ(好みとか、向き不向きとか…)かもしれませんね。 実際夫は「自分は専業主婦は絶対にできない」とか言っていますし(「負荷的に大変」というより「耐えられない」という意味合いのようですが…)。 うちは現在子なし・介護なし・同居でない・夫の実家家族優しい・変な隣人などもいない・夫は亭主関白でないという、はっきりいって非常に恵まれた…というか温い環境です。 私が働いていた頃より明らかに綺麗な部屋、充実した食事等々にできているし、家事面では夫の負担は大きく減ったしで、家の中で多少なりとも役に立っているという自負はあります。 スーパー主婦には程遠いですが、少なくともどうしようもなく怠惰な部類ではないと自負しているし、自分で自分をクズとは思いません。 それでもやはり、今のような環境で専業主婦の私と稼ぎ手の夫とでは、やはり夫の方が遥かに負担は大きいと思ってます。 偉いとか偉くないとか、レベルの上下の問題ではなく。 夫はそういうことは一言も言わないので感謝していますが…。 と、自分ではこう思ってますが、もし夫に「誰のおかげで飯が~」と言われたり、偉そうに威張られたりしたらやはりいい気はしないだろうと容易に想像できます(矛盾?)。 そう考えると、私が「楽できている」と淡々と思えるのは夫のおかげなんでしょうね。
・「誰のおかげで飯が食えれると思ってるんだ」という言葉が通用するなら、主婦も「誰のおかげで仕事が出来ると思ってるのよ」と言ってもいいと思います。 ほとんどの方については、この言葉を言っても良いと思いますので、基本的には同等の存在価値だと思います。 ごく稀に仕事をしない人もいます。その場合は、仕事をしなかった方が下になると思います。
お礼
お返事ありがとうございます。 私の母は仕事を辞めて専業主婦をやっています。 母の姿を見ていると、世間の人達が言う「主婦はグータラとしている」なんてこれぽっちも思いません。 立派だと思います。家事全般をやるのは容易ではありません。 家族の者が体調を崩すとそれにあった食事も作らなければなりません。サラリーマンは休みがありますが、主婦業に休みはありません。 偉そうにしているサラリーマンを見ていると、 外に出て働いてる者だけがそんなに偉いのかと思います。
「サラリーマン>主婦」と回答した#6@子なし専業主婦です。 「心が貧しい」「権力がある」という指摘(?)がありましたので、少し観点が違うかなと思い再度回答します。 前回は簡潔に言うと、主に「2人ともサラリーマン(つまり共働き)でも家庭は成り立つが、2人とも専業主婦(主夫)では成り立たない」の観点から「>」と回答しました。 なんか単なる理屈だけの、当たり前のことを回答してしまったな、と思っていました。 「存在価値」という言葉が何を意味するのか曖昧ですよね。 権力と言われると戸惑ってしまうのですが、そのような観点で「優劣」をつけたつもりはありません(少なくとも私は)。 普段の生活や、何かを決定する時の権力・権限という意味では「=」でいいと思いますし、実際うちもそうです。 また、例えば旦那さんが「奥さんが専業主婦でいる家庭」を積極的に望んでいる家庭などは、先述の「2人ともサラリーマン(つまり共働き)でも家庭は成り立つ」ことにならないのでまた違ってくるかもしれません。 人としての優劣や価値はお金だけではないですからね。 例えば自分の実家で、母@専業主婦 と 父@サラリーマン の優劣は?価値は?どちらが大事?と問われると、言うまでもなく「=」です。 ただ、質問文にある「誰のおかげで」という話に限定するとやはり… 子なしのうちの場合、夫の「誰のおかげで飯が食えれると思ってるんだ」は「禁句」だが、私の「誰のおかげで仕事が出来ると思ってるのよ」は残念ながらそもそも成り立たない、とは思ってます。 先も回答したとおり、私が主婦になる前から夫は普通に仕事していたし。 世間で前者が超絶NGワード扱いになっているのは、やはりこれが「それを言っちゃおしまい」の図星だからだと思います。 しかし「誰のおかげで仕事が出来ると思ってるのよ」の反論が成立しないからこそ余計に「誰のおかげで飯が食えれると思ってるんだ」は禁句ですよね。 余談ですが、反論としては「誰のおかげで仕事が~」よりは「安月給のくせにいばるな」や「私が頭と体つかってやりくりしてるから飯が食えるんだよ」の方が適っていると思います(ってこらこら、ダメですけどねf^_^;)。
- swallow10
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私は、 専業主婦≒ニート パートしてる主婦≒フリーター だと思ってますので、 サラリーマン>主婦 ですねー。
皆さんの回答を見て、まだまだ日本は非常に心が貧しい国だと実感しました。 稼ぐ者に権力があると考える人がほとんどなんですね。 さすが経済大国ニッポンです。 でも堂々とそういう事言って欲しくない。 言うならこそっと「実は本音ではこう思ってる」くらいのスタンスにして欲しいですね。 ああ、言ってて情けなくなってきた…。 もちろん私は同等の存在価値と思います。て言うか、上下をつけられるものじゃないし。
- tytyper
- ベストアンサー率7% (1/14)
天秤に掛ける事自体がナンセンスだけど、結果的に見れば サラリーマン>>主婦 サラリーマン<兼業主婦(家事を任される割合が多い為) 「誰のおかげで飯が食えれると思ってるんだ」という言葉は 通用するが、主婦の「誰のおかげで仕事が出来ると思ってるのよ」 は通用しない。 お金は無いと生活出来ないが、このご時世、食事はコンビニに 行けば24時間ある、食器洗い機、全自動乾燥機付の洗濯機で 家事はほとんど自動でやってくれる時代。 背広、シャツは24時間クリーニングで対応可。 掃除機も自動のものまである。 一昔前までは通用した家事は思うより大変の常套句は、今では無意味。
- flyaway
- ベストアンサー率19% (306/1541)
自分は共働きですが、専業主婦の母に育てられました。 私の考えでは、夫婦とは一つの家庭を築くための共同作業であり、その中で不可欠なもの(収入、おいしいご飯、綺麗な住まい、子育て、などなど)がどう分担されるかはその夫婦が決めるべきことだと思います。二人あわせて、必要なもの全てを持ち合わせればいいだけのことなので。 うちは共働きなので、収入・家事などを全て二人で分担しています。一方実家は父は収入、その他は全て母がやっています。どちらも、二人の力をあわせてやっと家庭が成り立っているわけです。 なので、「円満な家庭」を築くのに不可欠なものに貢献するという意味では、サラリーマン=専業主婦だと思います。 「誰のおかげで仕事が出来ると思ってるのよ」はちょっと極端だと思いますが、仕事「だけ」やっていれば良いというのは、仕事+家のことをやるよりはずっと楽ですよね。父は、「お母さんが家のことやってくれるから、安心して仕事に専念できる」と言っています。
- spispiga
- ベストアンサー率40% (8/20)
40代前半、独身女性です。 家族を支える収入を得る、ということであれば サラリーマン>主婦(主夫) でしょうか。 というのも、周囲の男性(30代後半~40代)の多くが、最近「疲れた」とこぼすのをよく耳にするからです。 会社でのプレッシャー、やりたいことがある、でも現生活を維持しようとすれば、我慢して仕事を続けるしかない、という諦め感が、加齢と共に「何やってんだか?」になるみたいです。 「奥さんに仕事してもらって、自分のやりたいことやれば?」と言うと、大概の人は、「うちのには無理」という答えが返ってきます。 家族の為に、毎日家事をするのは大変ですが、収入があればハウスキーパー、ベビーシッター等使うことが出来、実際、仕事を持ってる女性は活用してますから、家事は代替できる部分がありますよね。 という意味で、初めにも書きましたが、 家族を支える収入を得る、ということであれば サラリーマン>主婦(主夫) です。
- komachi_33
- ベストアンサー率24% (39/158)
面白い質問ですね。参加させてください。 主婦と言っても様々いますし、サラリーマンと言ってもまた様々います。そう言ってしまえば終わってしまうのですが、不等号記号を単なる金銭的な解釈だけで用いてしまうと絶対的に「サラリーマン>専業主婦」でしょうね。#5さんの仰るとおり>がいくつあっても足りないかもしれません。 家事には困らないという器用なサラリーマンも世の中にはいらっしゃると思いますが、では、仕事との両立はできるのでしょうか。できないことはないでしょうが、主婦がこなしているようにできる方は少ないと思います。そうなると、そんなことやってる時間なんかあるわけないと反論されそうですが、やってる時間がないサラリーマンのために家事をこなしている主婦の存在価値は「=」なのではないかと思います。 また、#9さんのようにシチュエーションによってはサラリーマン<主婦ってのもありえます。私的ですが、 サラリーマン>同居なし専業主婦 サラリーマン<同居専業主婦<さらに介護つき これが兼業主婦となればそれこそ>がいくあっても足りないでしょう。存在価値は莫大なものになります。 でも、最終的には#8さんや#9さんの仰るようにどんな場合でも存在価値は「=」であると思います。要は#10さんの仰るようにいかに相手を思いやることができるかでしょうね。互いに価値を認め合い感謝し合う気持ちが互いの存在価値を高めていくと思います。 存在価値って自分で決められるものではないと思うので、「俺のおかげで~」とか「私のおかげで~」と言う人は誰にも価値を認めてもらえない寂しい人かなぁ~とも思います。
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お礼
あなたの考えに大変共感しました。 ほんとにその通りだと思います。 お返事ありがとうございます。