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勉強が出来るとかしこいの違いを知ったのはいつ?
勉強が出来る・得意なことと、頭がいいというのは違うなと気づいたのはいつですか。(私は勉強は得意ではありませんでした) 私は中2でした。大人になって働けないかもしれないと将来に不安を感じたのを今でも覚えています。私は中学の頃、親によく”働けるか心配だ”と言っていたようです。親にたまに”よく言っていたよ”と言われます。 みなさんはいつ気づきましたか。
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勉強ができる ≠ 賢い(頭がいい) と気づいたのは 社会人になってからです。 高卒・大卒関係なく仕事のできる先輩や上司を見ていると 勉強がいくらできて成績がよくても、賢い(頭がいい)とは 限らないと痛感したことでした。
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中2くらいかな。
お礼
やはりおなじぐらいでしたか。 それぐらいにはわかるものなのですね。
- mangoshower
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社会人になってからです。 以前働いていた会社が一部上場企業で、比較的高学歴の人が多かったのですが(私は中途だったので、専門学校卒の準社員でした)、必ずしも高学歴=要領が良いとは限らない と気付きました。 同僚の男性社員でそこそこの学歴の人も、よく言ってましたし。 学歴が上でも、あまり仕事の要領が良くなく、俗に『まわされた』と言われる部署に配属になる人もいれば、高卒でも見込まれて営業の第一線で仕事をしている人もいました。
お礼
いろんな方がおられるのですね。 要領が良い=高学歴ではない、まさにそのとおりだと思いました。
- Micanakasima
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参考までに 私は、自慢できるほどのものでもありませんが、勉強ができる子でした。30近くになった今でも家庭教師をやれるほど勉強が好きです。 私の父は、勉強が大嫌いで、高校中退、いわば中卒です。 ですが、祖父から受け継いだ自営業を社長として立派に働いています。地区では、私はとても裕福な家庭で育つことができました。そんな父はとても賢いと思います。 結論から言うと、「勉強が出来る。」というのはつまり、「けん玉が出来る」と同じくらいのレベルです。けれど、そこには、勉強が、けん玉が出来るようになるために努力した、その人の評価になるとも思えます。また、「頭がいい。」というのも。「空手が出来る。」というのと同じです。そのために努力しているのではないでしょうか(生まれつき回転の速い人もいますが・・・) ある番組で、「頭の悪い人はいない。頭は、やわらかいかかたいかどちらかなのだ」といった人がいます。それは、つまりその人の努力と能力ではないでしょうか。 現在、アイシュタインの脳はホルマリン漬けにされているそうなのですが、その脳のしわが、一般の人の脳と比べて若干深いそうです。そういったことからも前の意見から良い取れると思います。 勉強が出来ると頭がいい。 私は、父が、テレビがつかなくなったときに、分解して直しているときに、このことに気づきました。
お礼
うまいたとえですね。納得です。
お礼
ありがとうございました。 社会人になるともっと実感しますね。